七
「ーーもう一度聞くわ。これは、一体なんなのかしら?」
ふるりと、その手首に纏わりつく腕輪の存在を主張するように万葉は手を振った。
「腕から外そうとしても外れない。その上にさっき浮かんだやたらと怪しい紋様。ねえーーこれ、なぁに?」
普段の彼女から想像できない猫撫で声に、こてりと首を傾げる仕草。
ーーぞわりと、学校の廊下に跪いている一匹の妖と一人の少年の腕に鳥肌が立った。
さすがにこれはまずいと理解したのだろう。唐傘はごくりと乾いた喉を唾で潤すと、そろりと女を見上げた。
「え、縁結びの腕輪でございます」
「ーーん?」
「か、カップルがお揃いで身につけると永遠に結ばれるという云われのある腕輪でございます! わ、わたしくしめが、た、玉子さんにプレゼントしようと購入したものでーー!」
「ーーへぇ?」
「も、申し訳ありませんでしたぁっ!!」
意外にも自分に非があるとしっかりと認めているらしいからかさは、顔面を擦り付けるように平伏した。その姿を桐人は呆れたように見やりながら、ちらりと万葉の様子を伺う。
実際にどれほど怒っているのかは謎だが、確実に迷惑がっているであろう彼女は、目を諌めながら手首に収まる腕輪を見つめた。真っ赤な腕輪の内側には真っ黒な漆。見ただけではどのような術式や呪いが施されているのか解らない桐人は黙って、事の次第を見守る。
「縁結び、ねぇ。それにしては随分と強力な縛があるようだけど?」
「ーーい、いや。確かに多少の効力的なものを少なからず期待はしていましたが、まさかこのような強制力があるとはつゆ知らず。このような事態になるとは……」
「ーー」
からかさの弁明を軽く聞き流しながら万葉はこの上なく胡散臭い腕輪を観察した。二センチほどの太さはある丸っこいソレは見た目通り頑丈のようだ。おまけに随分と複雑な術式を仕込まれている。
(術者の霊力を必要としない腕輪ーー見たことのない『からくり』だ)
よほどの術者が作ったであろうことは伺える。
術を発動させるために腕輪を嵌めた人間から少量の霊力を吸収することで、術式という名の「からくり」の歯車が廻り出す。そうすれば誰の手も霊力も使わずに勝手に起動しつづける仕組みのようだ。恐らくこの術式は解けないだろうーー装備者の霊力が尽きない限り。
霊力を吸い続けているわけではないので、力尽きて死ぬことはないはずだ。だがもう一つの腕輪を付けた相手から一定以上の距離を置くと、最初に目にしたあの「糸」ならぬ「鎖」が現れるのだろうーー二人が離れないように。
(力づくで壊そうにも、体内に術の霊脈が既に潜りこみすぎてて簡単にはできないーー殆ど同化している。下手に破壊すれば此方も無事では済まない)
先ほど浮かんだ紋様が万葉の脳裏に蘇る。術式から『時』を食らおうと思っても、その供給源は自分なのだから、結局無意味だ。無駄な『時』の循環を繰り返すだけである。
目を細めながらじっくりと腕輪を霊視する。電子回路のように繋がっている幾つもの線と廻りつづける小さな円。罅を入れる隙間さえ見当たらない。こんな複雑な術式に亀裂を走らせたら最後、どんな反動が返ってくるか分からない。
この動き出した術式を止める方法があるとすればそれは一つーー鍵を差し込むことだ。
一度作動したら延々と勝手に働き続ける術式。その機能を停止させる鍵となる別の霊子回路を作り主は作っているはずだ。
が、しかしーー。
つい、と万葉は目下で床に伏せたままでいる唐傘へと視線を走らせた。
先ほどの様子と言動を見るからに、鍵を所持していないどころか、その存在さえも知らないのだろう。
「おい、これの鍵はどうした?」
「え、え? か、鍵というとーー?」
やはり知らないらしい。
舌打ちをしたくなるのを耐えて、代わりに溜息を吐いた。すると、ビクビクと震えていた唐傘の身体が更に縮こまる。
「じゃあ、この腕輪はどこで手に入れた?」
「こ、骨董屋です」
「骨董屋?」
「は、はひ。緑が丘にある徒然屋という店です!」
「徒然屋?」
どこかで聞いた名前だな、と万葉は顔を顰めた。確か陰察官が以前聞き込みにいった場所のはず。
(面倒なーー)
良い予感が全くしない。だが、このままにしておくわけにもいかないだろう。
仕方がない、と何度目になるか分からない溜息を吐くと、図書館へと足を引き戻す。
「あ、あの先輩? どこへ?」
おそるおそる。そう声をかけてきたのは万葉と同じ被害者であるはずの桐人だ。
「お互いにこのままにしておくわけにはいかないでしょう? 店に行って外す方法を見つけないと」
振り返りざまに盛大に顔を歪めながら万葉は手を振った。くるりと白い手首に収まっている腕輪が回る。
腕輪がどのくらいの距離まで離れることを許してくれるのかは知らないが、このままでは万葉も桐人も一生困るだろう。特に万葉はまだやることが沢山あるのだ。出来ることなら今すぐにこの枷を外したい。というか、ぶち壊したかったーー。
♢
「……」
「……」
ーーき、気まずい。
緑が丘駅から目的の店まで向かう道中、桐人はそう思わずにはいられなかった。
隣を歩く佐々木万葉は相変わらずの無表情で何を考えているのか分からないし、後ろをトボトボとついてくる唐傘はらしくもなく暗い。どんよりと重たい雨雲を背中に背負っている。
ーーそもそも何故こんなことになったのか。
いつものとばっちりだと言いたいところだが、今回ばかりはそうはいかない。下手な好奇心で動いた自分の自業自得である。例え佐々木万葉との約束通り、彼女と接触する気はなかったとしても、様子を見ようなどと近づくべきではなかったのだ。好奇心は猫をも殺す、とはよく言ったものである。全くもって馬鹿なことをした。
あんなことをしなければ、彼女をこのような厄介ごとに巻き込むことなどなかったろうにーー。
「あ、あの……」
「なに?」
「今回はその、本当にすみませんでした。迂闊に図書館へと行こうとしたら、そのーー」
「別に良いわよ」
「ーーえ?」
まさかの返答に桐人の反応が一瞬遅れた。
「まあ、確かに今回のことはありえないし、信じられないけどーー君のせいではないでしょう。なっちゃったもんはどうしようもできないから嘆いても意味がない。油断していた私も馬鹿だったし。それに図書館に来ようとしたのは期末試験の対策が目的だったんじゃないの? 自分の都合ために相手に学生の本分を蔑ろにさせる気は流石の私にも無いわよ。ただ、次からは本当にお互いに気をつけましょう」
想像してたものとは真反対の言葉にポカリと少年の口が開いた。
嫌味は送られどもまさか、このような弁護を貰うとは。女性の意外な優しさに少年の心がじくじくと痛んだ。
「すいません……」
ーー本当に申し訳ないことをした。腕輪が外れたらもうお互いに一切関わらないように二年の校舎に篭るようにしよう。そうしよう。それが良い。
からかさよりも重い雨雲を頭上に浮かべながら歩くこと数分。万葉の足がある場所の前で止まった。
「ーーあった。ココね」
昏い琥珀色の瞳が見つめる先には古びた看板と白い暖簾ーー徒然屋だ。
ずっと後ろをついてまわっていた唐傘を振り返ると、心得たように奴が頷いた。ケンケンと跳ねながら先頭をきって店内へと足を踏み入れる。
「こんばんはー! オサキ殿はいらっしゃいますでしょうかー?」
ーーオサキ。
これまた何処かで聞いた名前に万葉の眉が怪しげに寄る。何故だろう。胸がざわざわとする。
不可思議な違和感を抱えながら先を行く桐人たちを追いながら暖簾を潜ると、万葉はすぐにその正体に気づいた。
「ーーいらっしゃい。本日は何をお求めかな?」
古びた木製の匂いが香る店内の奥から顔を出した白い男。若葉色の着物を纏ったその美貌を目にした万葉は、ほんの一瞬だけ小さく息を飲んだ。
(ーーまさか、)
今は見えぬ隠された尾。忍つもりがないのか、乱雑に潜められている洗練された妖気。雪のような淡い白。誰にも汚すことのできない純白。
万葉は己の目を疑った。
ーー何故。この男が此処に居る?




