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「ーー勝久ぁ、いいかげん機嫌なおせよ」

「いいんだ、どうせ俺なんて、俺なんて……」

「いや、お前いいかげんにしないと本当にうざいぞ。デカイ図体してるくせに……」

「うわぁぁぁあ!!」

「うわっ、うっせ! 泣くなよ!!」


 ーーああ、平和だ。


 教室の窓際に腰掛ける桐人は密かにそう思った。

 眩しい日差しが照らす教室。其処には赤い血も無ければ、破壊音も聞こえず。あるのは少年少女たちの明るくも騒がしい声と長閑な空気だけだった。

 ああ、平和だ。平和とは実に素晴らしいものだ。

 いつも見る日常風景・・・・を眺めながら桐人はしみじみとこの平穏さを噛み締めた。


(ーーあれ?)


 この平和がそうそう崩れることはないだろうけど、念のため、万が一のため、今のうちにこの美しい日常風景を目に焼き付けておこうとして、ふっと窓の外へと目を移した瞬間、見覚えのあるシルエットを見つけた。目線の先に居る人物を捉えようと目を細めると、自然とその相手の正体がわかる。


(佐々木先輩ーー?)


 彼女も学校に来ているのかと僅かな驚きを覚えながらその華奢な背中を見つめる。昨日は随分と疲れていたように思えたのでなんとなく今日は休むのではないかと予想していたのだが、意外にも登校はしてきたらしい。


(意外だ。結構てきとーっていうか、ズボラに見えたのに)


 なんて、失礼な感想を抱いてみる。


(なにやってんだろ。昼飯、あそこで食ってんのか?」


 二階の教室から眺める桐人の目下に居る佐々木らしき人物は、裏庭のベンチに座ると何やら箱らしきものを鞄から取り出していた。


(弁当、いや、本か?)


 その物体の正体を探るように彼女の手元を凝視する。するとじっと外を見つめる桐人が気になったのか、風間が彼の視線の先を覗き込んだ。


「かーたせ。なに見てんだ?」

「え、あ、いや」

「……あれはーー佐々木先輩?」

「なにぅぃ!?」

「うおおおい!? びっくりしたぁ……! 勝久お前、驚かすなよ!」


 「佐々木」という名前を耳にした途端、勝久が椅子を蹴飛ばしながらに立ち上がった。先ほどまで悲壮感を漂わせていた時とは別人のように目を輝かせる奴に、風間が肩を怒らせた。だがそんな彼の牽制は勝久の目には入っていないらしい。


「どこどこどこ!? 佐々木先輩どこ!?」


 風間たちの引いたような視線などなんのその、興奮したように鼻息荒く窓に張り付く勝久に、桐人はふと疑問を抱いた。


「勝久、佐々木先輩のこと知ってんの?」

「あたぼうよ! 俺の美的センサーに引っかかったお人だぜ!?」

「そういえばお前……俺が図書委員やってた時、よく図書館に顔を出してたよな」


 以前図書委員として勤めていた時のことを思い出したのか、風間は胡乱気な瞳で風間を見つめた。なるほど、あの時の懸命さの裏にはこういう意図があったのか。


「あれはそう……俺が初めて図書委員をやっている風間を冷やかしに行った時のことだった」

「うるせーよ。誰もお前の恋バナになぞ興味ねぇよ」


 頬を赤らめながら身を抱きしめ、回想を語ろうとする勝久を風間がばっさりと切り捨てた。その横でどこか遠い目をしながら桐人がポツリと口をこぼす。


「……なんか、お前を見ていると赤い傘を思い出すわ」

「は? 赤い傘?」

「いや、なんでもない」


 少年の独り言を奇怪に思ったのだろう。風間を首を傾げながら聞き返すが桐人は静かに首を振った。どうやら、変態はどこにでも居るらしい。


「つか、恋バナって……勝久、もしかして先輩のこと好きなん?」

「好きもなにも……馬鹿だなぁ、片瀬。お前にはあの魅力がわからないのか。それともスーパー美少女幼馴染の傍にいすぎて目が潰れたのか、あぁん?」

「いや、なんでそうなるし……あと、顔ちかい」


 凄むように机を叩きつけ、急接近をしてくる勝久を桐人はうんざりとした顔で遠退けた。


「うるせぇ! 羨ましいんだよ畜生! 毎日毎日プリティーアイドルと登校してきやがって!! 禿げろチンカス!」

「その代わり赤毛ヤンキーに虐げられる毎日だけどな……」

「それがどうした!? あの桃のような香りと見え隠れする禁断うなじを見れるならそれくらい……!!」

「……聞くな片瀬。耳が腐る」

「うん」


 うぉんうぉんと豪快な男泣きをする巨体をついにゴミ虫でも見るような目で見やる風間に、桐人は頷くほかなかった。

 そんな二人の視線に気づいたのか、勝久はぐすりと鼻をひと啜りすると大人しく窓の外へと目を向けた。


「はぁ……でもやっぱ良いよなぁ。図書館の君」

「ーー佐々木先輩ってもしかして人気あんの?」


 気になったのだろう。ぽつりと溢された桐人の疑問に答えたのは風間だった。


「あー、いや。そんな目立つほどってわけじゃねぇけど、偶に居るよな。佐々木先輩のこと良いっていう人」

「偶になんだ?」

「なんつーのかな、ほら、アレだよ。隠れ名店みたいな感じ。有名じゃないけど、知ってる人は知ってるみたいな。一見しただけじゃわかんないけど、実際に近づいて触れて初めて気づく魅力、とでもいうのかな」

「チッチッチ。風間、お前は説明が下手くそだなぁ。それじゃあ、なんも伝わらねーだろ」

「……じゃあ、お前が説明しろよ」


 指を振りながら得意げな表情で二人の間に割り込んだ勝久は、ふふんと笑って口を開いた。


「そうだなぁ、先ずはあの一見地味な外見とは裏腹に醸し出される清廉とした雰囲気。一目見ただけではわからないのが魅力だ。そう……近づいて、触れて、そして初めて気づく彼女の美しさ……! 眼鏡の下に隠れる端正な顔立ちと、あの玉鋼のような琥珀色の瞳! 彼女と近しい自分しか知らない、彼女の真実ーー実は美女でした!件」

「風間と言ってることが同じな気がするんだが。あと玉鋼って……琥珀色だったっけ? なんかキラキラした小石の塊みたいな感じだった気が」

「『玉』の部分だけで宝石と勘違いしてんだろ……あいつ馬鹿だから」


 ペラペラとまるで演説のように語る勝久の横で、桐人たちはボソリとツッコミをいれるのだが彼が気づく気配はない。むしろ、更に熱が入っているようである。


「すらりとした華奢な身体つきに、物静かな動作。動くたびに揺れる艶やかな黒髪に、本のページをめくる白い指先」

「ーーなんか段々と雲行きが怪しくなってる気が……」

「だが、なによりも特出するべきはーー」


 ぐっと拳を握り、勝久は遂に声高らかに宣言した。


「あのーー美乳だぁ!!」


 数瞬。空白のが桐人たちのあいだに落ちた。

 桐人は黙然と勝久を凝視し、ただ只管に閉口した。


「地味な外見に隠れて案外気づかないが、横から観察してみて初めて気づく程よい大きさの胸。制服越しでもなんとなく確信できるツンと上向いたお椀型。首や腕から見てわかる真っ白な肌。そして俺の勝手な憶測ではあるが、おそらくのあのお椀の中心はピンーー!」「それ以上言ったらアウトォォ!!」


 鼻の穴を広げながら口走る勝久の声に被さるように、桐人は大きな声を張り上げた。


「もう良いからやめろ! 頼むから女子の冷たい視線に気づいてくれ! 俺まで誤解される……!」


 ちらりと周囲に視線を走らせれば必然的に気づいてしまう、女子の冷ややかな目と隠された口元。これは本当にまずいと、とばっちりを食らいそうになっている桐人は助けを求めるように風間へと振り向いた。


「ーー確かに」

「ちょっとぉぉ!? 頷いちゃったよ、この人ぉ!?」


 真面目くさった顔で相槌を打つ友人が其処に居た。風間のまさかの裏切り行為に桐人が目を剥く。


「なんだよ、桐人。お前にはわかんねーのかよこの浪漫が。良いから想像してみろよ、あの地味な外見に隠された白い裸体をよぉ」

「しろっ……」


 「白い裸体」という言葉で水を向けられ、桐人は思わず回想してしまったーー昨日の出来事を。

 すると、がつんと奴の頭が机へと沈没した。


「ーーうおっ!!」

「なんだ、やっぱりお前も男だな片瀬。やっとわかったか、この浪漫を」

「いや、今すごい音したけど大丈夫か片瀬!? って、うわ!! 血! 血が出てんじゃねーかよお前!?」

「おーおーおー。想像だけで鼻血を出すたぁ、お主も初心よなぁ、片瀬くん。どうすんだよ、実際に裸を前にした時ーーて、ん?」


 悶絶したように突っ伏する桐人を鼻で笑いながら勝久は窓へと目を移し、ふとある事に気づく。


「あ、先輩がこっちに気づいた!!」

「えーーまさか俺らの会話が聞こえてたってことはねぇよな!?」


 はしゃぐ勝久に次いで顔を青くした風間たちも裏庭のベンチに座る万葉へと目を向けた。

 本を膝の上に置きながら此方を見上げる彼女の秀麗な顔が見える。眼鏡の奥に隠された双眸が向く先には、自惚れでなければ自分にあると桐人は思った。そして数瞬の間を置いて、彼女の顔がにぱりと太陽のように綻んだ。


「ーーお!?」

「うわっ!!」


 声を上げたのは勝久と風間だ。


「ちょっ、今の笑顔いつもと違くねっ!? 今、俺に向けたよね!?」

「いや、違うと思うけど……意外だな。あの人あんな風に笑うんだ」


 見たことのない飛びっきりの笑顔だったからだろう。勝久たちから感嘆の息が漏れる。

 だが、一人だけ違う様子で女を凝視している少年が居た。


(ーー怖ぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!!)


 ーー桐人だ。


(いや、違うだろ! 絶対に違うだろ! なんか、裏がありそうっつーか、なんか違う気が!!)


 あの事件の最中、佐々木万葉に散々振り回された結果かーー桐人は大口を開けながら爛々とした笑顔を向けてくる彼女にとてつもない違和感と引っ掛かりと、恐怖を覚えたのであった。



 ♢



「ーーいやぁ、今日も素晴らしい一日だった!」

「ーーああ、素晴らしく最悪な一日だったよ。お前のせいで」


 放課後の帰り道、やけに大きな勝久の声が轟き、風間がうんざりしたように顔を歪めた。桐人はいうまでもなく、どこかげっそりとしている。どうやら事件の最中にいても、日常に戻っても疲労困憊をすることには変わりはないらしい。難儀な少年だ。


「チッチッチ。一日一日を大事にしようぜ。人の人生ってのは案外短いもんなんだからよぉ」

「あー、そうだな。今日は本当に女子の視線だけで寿命が縮むかと思ったよ。針の筵ってのはああいうことを言うんだな。お前の美乳談義のお陰で明日は学校に行けないと思ったわ」


 反省する気配もない勝久に風間がさりげない嫌味を送るが、当の本人は気付く様子もなく大股で歩道を歩いている。


「いや、風間。お前も最後には頷いてたよね?」

「頷くのと、言葉にするのとは違う」

「一緒だよ」


 先程から勝久のことをネチネチと責めてはいるが、最終的には風間も奴の持論に乗っかるように頭を縦に振っていたことを桐人はしっかりと記憶していた。それがより女子の冷たい視線に拍車をかけていたことは最早言うまでもないだろう。


「男の性だ、しょうがねぇだろう」

「うわ、開きなおっちゃったよ、この人」

「そういうお前だって想像で鼻血出してたじゃねーかよ、このムッツリ。なに想像したんだよ、お前」

「いや。その……」


 だんまりと桐人は口を閉じた。頬が薄っすらと赤らみ、視線が泳ぐと共に、自然と拗ねたように唇が尖る。言えるはずがないーー先日見た佐々木万葉の裸体を思い出していたなどと。

 目を泳がせる桐人を妖しく思ったのか、勝久が目を細めながら追求をする。


「怪しいなーー片瀬。お前、」


 ゴクリ。もしや気づかれたか、と桐人は唾の飲み込んだ。緊迫した空気からか、風間も黙り込む。三人の影が横断歩道で丁度止まった。


「ーーついに買ったのか?」

「ーーナニを?」


 なにやらとんでもない疑惑を向けられた気がして、桐人は管轄入れず問い返した。途端、勝久は焦ったように吃った。


「ナニって、そりゃ、な、ナニだよ」

「いや、待て。絶対に違う。ナニかは知らねーけど絶対にお前の想像しているもんと違うから。一ミリも掠ってねーから、絶対」


 勝久がナニを想像しているのかはハッキリとはわからないが、奴の赤面した顔からして確実に良からぬ妄想をしていることは桐人にも察することが出来た。確実に碌でもないことである。



「ち、違うの?」

「……少なくとも貸借りできるような不埒なものを俺は持っていない」

「ーーなに!? それほどなのか!?」

「ちっがあぁぁぅぅぅぅぅ!!」


 あらぬ方向へと更に思考を加速させようとする勝久についに桐人が怒鳴り声を上げた。


「なにが、それほどなのか、思ったのか知らねーけど、違うからな。絶対に違うからな!」

「必死に否定しているところがますます怪しいな」

「ーーっ、」


 風間からの予期せぬ追撃に桐人は口を一線に引き結んだ。何も悪いことはしていないはずなのだが、何故か米神からダラダラと流れる汗に心臓がバクバクと早鐘を刻む。


「ーーまあ、片瀬を弄るのはココまでにして、勝久。お前家別方向じゃなかったっけ」

「っあ! いっけね! 歩道渡っちゃった!」

「早くしねーとまた信号赤になるぞ」

「ぅお、マジで!? じゃあ俺帰るわ! また明日な!」

「おー、車に轢かれんなよー」

「ま、また明日なー」


 風間の見事な誘導によって、思考を切り替えさせられた勝久。横断歩道を渡りそのまま走り去り行く背中を眺めながら、桐人は安心したように息を吐いた。


「俺らも行くべ」

「お、おぅ」


 ズボンのポケットに両手を突っ込みながら、風間が先を歩く。その後を追うように桐人も足を踏み出した。


「片瀬」

「んー?」

「ありがとな」

「何が?」

「菜々美」

「ーーああ。て、いやそれもう病院で何回も言われたし」


 不意に投げかけられた礼の言葉に桐人は戸惑ったように首を振った。


「別に俺、何もしてねーし。怪我のことも別に菜々美ちゃんとは関係ないし、俺が勝手に巻き込まれただけだから」

「そうか」

「ん」

「それでも、ありがとな」


 しつこいほどに「ありがとう」と言葉を繰り返す風間に桐人は苦笑した。敏い風間の事だ。実情は掴めなくとも自分が菜々美を助けようと無茶をしたことには気づいているのだろう。それでも敢えて怪我や事件について言及してこない友に、桐人は感謝にも似た暖かくくすぐったい気持ちを覚えた。しかし、同時に胸に小さ痛みも感じた。


(ーー俺、結局なにもしてないんだけどな)


 そう。結局、桐人は最後まで何もできなかった。佐々木万葉に全て頼りきり、任せてしまった。どころか、陰察丁という厄介ごとを自分は彼女へと呼び寄せてしまったのだ。

 ふと、彼女の今日の笑顔が脳裏をよぎる。


(ーーあれは、怖かったな)


 思い出しただけで背筋がぶるりと震えた。アレは確実に何かあるはずだ。でなければあんな太陽のような笑顔を彼女が浮かべるはずがない。

 短い中で佐々木万葉の無茶苦茶な面を嫌というとほど知ってしまった桐人は、あの笑顔を疑わずにはいられなかった。

 その疑心は当たらず遠からずーー実際にあの場に居たのは、佐々木万葉に扮した土竜であることなど、彼が知る由もない。


 不穏な気配など立ち去ったはずの新宿。その帰り道をノロノロと歩きながら、桐人は腕を摩らずにはいられなかった。

 嫌な予感がする。お得意の勘が彼の脳内で訴える。その予感もまた当たらず遠からずーーだが、桐人は一つだけ大事なことを忘れていた。


 彼の日常にはいつだって、赤い傘が不幸をつれてやってくる。


 

 

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