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「……っぁ、」


 パチリと万葉の視界が開くと同時に、口から零れたのは声にもならない吐息だった。

 ぼんやりと靄掛かった思考のまま、きょろりと視線を動かせば白い天井と次に硝子張りの戸、隣に座卓、後方にキッチンカウンターが見えた。


 ――居間か。


 白いソファに寝そべっている自分に気が付いて溜息を吐く。

 どうやらシャワーを浴びて、紅茶とお菓子を腹に収めた後、そのまま寝てしまったらしい。

 首の裏から肩まで鈍い痛みが伝い、万葉は我知らず眉を顰めた。ゆっくりと上半身を起こせば、ぱきりと関節が鳴った。ソファの腕に乗せていた足を下ろし、堅くなった身体を伸ばす。


「もう、四時か……」


 壁に貼り付けられた時計を見れば、帰宅してから既に丸一日以上は経っていることが分かった。

 ちらりと外を見れば日は暮れてはいないが、心なしか涼しさが増している気がした。

 そしてふと、部屋の片隅に鎮座する『鞄』へと目が向く。


「しまった……学校」


 既に溜まりに溜まった無断欠席への更なる加算に初めて思考が行き渡り、「あー」と物憂げに声を落とす。


「これで、丸三週間……まいったな」


 欠席の理由は、なんと言い訳しようか。

 病欠、は病院で実際に診断書を貰って提出しなければならないし……一身上の都合、とまで思い浮かべて頭を振った。馬鹿か、会社じゃあるまいし。


「……偽造するか」


 診断書の一つや二つぐらい、其処らの便利屋に頼めば何とかなるだろう。……いや、だが病欠にしたとして――。


「あー、駄目だ」


 頭がどうにも上手く廻らない。

 痛む米神を解しながら、万葉は頭を悩ませた。そんな時だった。


「ただいまー」

「あ?」


 ガチャリと、玄関口の開く音がした。

 その不可解な現象に万葉は目を細め、次いで廊下から聞こえてくる物音に耳を澄ませた。

 

「……あぁ」


 合点がいった、というような声だった。

 「そういえば、そうだった」と肩の力を抜き、再び白いソファへと再び背中を沈める。

 仰向けに倒れながら、だらりと腕を伸ばし、天井を眺めていると、パタパタと誰かの足音が近づいてきた。

 白い足が玄関から廊下へと上がり、万葉が横たわる居間へと押し入る。


「あ、万葉さーん! やっぱ帰ってきてたんだ!」


 妙に甲高い声に万葉の眉間に皺が寄る。


「もう! 帰ってくるのがあまりにも遅いから、私は毎日毎日ヒヤヒヤしてたんですよ!」

「……」

「『彼』が戻ってくるんじゃないか、とか。周りに私のことがいい加減バレちゃうんじゃないかって、もう気になって気になって……夜も眠れなくて」

「……」

「もう、私……本当にどうにかなっちゃうんじゃないかって、」


 頬に手を当て、儚げに睫毛を伏せる『彼女』。何が不安なのか、或いは恐れているのか、自分で自分の華奢な身体を抱きしめ、身をくねらせる。

 その姿に吐き気を覚えた万葉はいよいよ口を開いた。


「おい」

「……はい?」


 凄むように相手を見上げる。睨んでいるわけではないが、ソファの腕に頭を寝かせたまま『女』を見上げる双眸は何処となく冷ややかで、背筋が凍るものだった。

 だが『女』は鈍感なのか、意に介した様子も見せず莞爾として笑っている。


「お前、まさかその口調と態度で学校に行ってたわけじゃあるまいな?」


 仰向けのままでいる万葉の引っくり返った視界には、半袖のセーラー服に黒い髪を靡かす『女』が映っている。

 陶器のような白い肌に、昏い琥珀色の瞳。自己主張の少ない容姿だが、それでも眼鏡の下に隠れる顔は端正で、清楚な雰囲気を漂わせていた。

 正に『文学少女』という名が相応しい、おしとやかな容姿だ。次いでにもう一つ付け足すのならば、『佐々木万葉』と呼んでも相違ない外見だ。

 己と瓜二つの『女』、基、『妖』を胡乱気に凝視ながら、万葉は相手がその格好を崩す(・・・・・)のを待った。


「……そうですね」


 『女』が笑ったまま、己を抱いていた腕を解いた。


「新たな『万葉殿』をお披露目する以前に、近寄ったり、話しかけてくれる輩も居ませんでしたので――そんな機会もありませんでしたよ」


 すると『女』の身体が紐解かれる(・・・・・)

 まるで身体が糸で構築されていたかのように、格好が螺旋状に崩れ、最後には砂のように霧散した。

 そうなれば『女』の姿は万葉の視界から消えるわけで、万葉は背中を起こして、『女』が居た場所へと再度目を凝らした。

 少し視線を下げれば、其処には己の腰ほどにもない背丈の、『小人』のような爺が立っていた。


「色々とツッコミたいところはあるけど、ひとまずご苦労様――助かったよ、土竜」


 素直に礼を返せば、その毛むくじゃらの髭の下で奴が笑う気配がした。


「なんの……既にたんまりと依頼料はいただいていましたのでな、これぐらい何とも」


 肩を竦める爺に万葉は微笑しながら、ソファへと座りなおす。

 脳裏に蘇るのは、この街に来た『当初』、いや、そのしばらく後か……。

 一年前、陰察庁本部から『土御門春一』が派遣されてきた時、万葉は一つの保険をかけていた。


 『心臓』の探索をする際に、何時、何処で、何が起きるか分からない。特に『陰察官』などという油断ならない『害虫』が居るのだ。己が妖だと知られれば、何かにつけて疑われるのは予想の範疇。ならば、それに対する孝策も必須。


 此処が『新宿』という名の『霊地』である時点で、万葉は己がいずれ『誰か』と喧嘩(・・)をすることになることは予期していた。まあ、その相手(・・)がまさか『蟲』になるとは思いもしていなかったが。

 だがどちらにしても勝敗はどうであれ、その喧嘩・・が周囲に影響を及すことはないとは断言できないし、その事件後に、何事も無かったかのように学校に復帰することは難しいとも理解もしていた。だからこそ、その時のために保険をかけていたのだ。『土竜』という保険を、陰察庁に目を付けられぬように――。


「茶でも飲む?」

「では、ミルクティーを」

「はいはい」


 ソファから腰を上げて、モグラ爺の要望に応えてやるため、台所へと向かう。


「で? 学校の様子はどうだったの?」


 湯を沸かすために薬缶にスイッチを入れ、カウンター越しに椅子へと腰掛ける爺へと振り返る。

 

「特に何も。誰かが誘拐事件に巻き込まれたとの噂で、少しざわついていましたが、これという大きな変化はありませんでしたな」

「風間菜々美のことか……」

「其処までは判明してはいないようでしたが、恐らく……」

「土御門と沢良宜たちは?」

「沢良宜花耶殿は何時も通り。聞いていた話とは違って、随分と大人しそうでしたが……」

「へぇ……」


 ――あれが、大人しそう、ねぇ?


 ふと、片瀬桐人が入院していた時の光景が脳裏を過り、佐々木万葉は目を細めた。

 何やら彼女自身に変化が生じているようだが、万葉にとっては関係の無いことだ。それよりも、己が今知りたいのは――。


「土御門は?」

「そうですね――とりあえず、明日から万葉殿自身がご登校されることをお勧めいたします」

「何? やっぱりバレたの?」


 なんてことのないように首を傾げる万葉。

 土竜が彼女の代わりに学校へ通うことでアリバイを作れたら良かったのだが、土御門が傍に居る中では限りなく不可能に近いことも解っていた。幾ら土竜が上手く『佐々木万葉』に化けていたとしても、それは所詮『薬』を用いた、つぎはぎだらけの『変化』。彼の陰察官を欺くには、些か役不足だろう。

 だが、己を不在を誤魔化す術などそれ以外に浮かばず、万葉はその方法を取るしかなかったのだ。

 「此処が引き時か、」などと諦念の境地に至りながら、万葉は夜逃げの算段を頭の中で組み立てようとした。しかし、それも土竜の次の言葉によって崩される。


「いいえ。彼も此処三週間、不在でした」

「あれ? そうだったの?」


 まさかの都合の良い答えに、目が瞬く。

 すると湯の沸く音が響いたので、予め用意していたカップに薬缶からお湯を注いだ。カップの中身は『鯉東紅茶・ロイヤルミルクティー』――粉末状のインスタントティーだ。ティーポットからちゃんとした茶葉を用意してやっても良かったが、正直面倒臭いのでやめた。眼前の爺はインスタントでも十分満足する妖なので、別に良いだろう。


 ことりと小さな音を立てながらカップを爺の前に置いてやれば、「これはどうも」という言葉と共に奴の短い手が早速伸びる。


「どうやら土御門春一も『蟲事件』の捜査に駆り出されているようで、学校に一度もご登校されていないようです」

「何か、あったの?」


 幾ら『蟲事件』の捜査という重要な任務があったとしても、土御門春一がいとも簡単に学校を休むとは思えない。というか、きな臭い。何故なら護衛を更に強化しているとはいえ、学校には『沢良宜花耶』と、不穏分子である可能性の『自分』が居るからである。

 片瀬桐人の話を聞く限り、やはり奴は少なからず自分に疑いを持っていたのだから――。それらを式神に任せて出ているのだとしたら、余程の事があったに違いない。


「そうですなぁ……」


 万葉の推測を肯定するように、土竜が顎を引いた。


「『パラダイスシフト』」


 唐突に出された何かの名称に、万葉は目を細めた。

 土竜と相対するようにカウンターに肘を付き、両手を組む。無言で続きを足す万葉に、土竜は何枚かの写真を差し出した。


「クラブや裏通りで密売されていたものです。直径一センチのカプセル型」

「……薬、ねぇ。それで、これが?」


 名前からして麻薬のようにも聞こえるが、明らかに違う用途を感じられる。真っ白なカプセルは危険性どころか、清潔感を醸し出していた。それが逆に胡散臭い。

 直径一センチのカプセル。その中に含まれていたのは果たして薬か、それとも――。


「『蟲事件』の被害者が服用していた薬――『蟲の卵』と思われます」


 ふっと、何とも吐息交じりの笑いが口から漏れた。的中した予想に、苦味と共に嘲りが生まれる。


「随分と趣味の良い繁殖のさせ方ですこと。これで、大量の寄生主を生み出したわけか」


 『こんなもの』を口にしていた被害者たちに同情とも嘲りとも言えぬ感情が沸いた。知らずに服用していたというのならばご愁傷さまとしか言いようがない。


「これ、流されていたのはだけ?」

「いいえ――」


 こくりと茶を飲み込んだ土竜は一息吐くと、カップをカウンターに置いた。


「幾つか、病院にも紛れ込んでいたようです」


 なるほど、それは確かに大事おおごとだ。


「紛れ込んでたって言うのは?」

「服用していた被害者の何人かが密売などには関わっていないと主張していたようで、それで調べてみれば皆、都内の病院にここ二月の間、薬を処方されていたそうで」

「それでその処方された薬が、そのカプセルだったと……」

「と言っても、病院が意図的に事件に関与している可能性は低く、証拠も不十分ということで、八方塞がりの状態のようですが」

「公共施設が事件に可能性関与かぁ……大変ねぇ、陰察庁も」


 どうやら、随分とややこしい事態になっていたようだ。

 手元の写真を見やりながら、万葉は頬杖をついた。


「で、他に分かったことは?」

「これを――」


 かさりともう一枚の写真を渡された万葉は、紙に写ったその光景に冷めた気持ちを覚えた。


「心臓か」

「ええ。干乾びきっていますが、新宿で暴れ回った巨体の残骸から発見されたものです」


 年寄りにしては妙に溌剌とした声を聞き流しながら、眼前の画を正視した。

 事件当時では観察する暇もなく、捨て置いたあの『心臓』。自分の『時』さえも喰らおうとした、妙に既視感を覚えた『それ』は見るも無残な姿に為り果てていた。毒々しい色をした表面に、己によって開けられた穴。

 酸鼻極まる物体に、何とも形容し難い不快感が湧き上がる。

 

 お互いを喰らい合う『蟲』――最後の一匹となるまで喰らい合い、成長する其れは、万葉に『何か』を連想させた。

 そう。それは、とても『何か』に似ていた。

 

(『蟲の卵』に『蠱毒』……おまけに、私たちの『心臓』のコピー、いや、劣化版と来たか)


 ――ああ、本当に。実に。誠に。何処までも、『趣味の悪い女』だ。


 瞼の奥で、一人の『少女』が笑う。

 雪とも、氷とも、雲とも、煙とも、『何』とも例えられない『色』を持った女。その白は正に――無。そう、『虚無』の色だ。

 

 白い髪が舞う。薄紅色に色付いた唇が笑う。その細い指を白い頬に這わせて、小指の爪を噛んで、そうして『彼女』は口角を上げる。


 その姿を、その笑みを思い浮かべただけで、万葉は吐き気を覚えた。


(確証となるものは、ないけど……)


 脳に伝う全神経が鈍く脈打ちながら、警報を鳴らすかのように、勘を騒がせる。

 この趣味の悪い『心臓』は――間違いなくあいつ(・・・)の差し金だ。


「……で、情報はこれだけ?」

「そうですな、大体のところは。後はこの書類で」


 万葉の問いに土竜は一つ頷くと、己の懐を漁った。

 ばさりと何処から出したのか、紙の束がカウンターの上に放り出される。


「それと明日、土御門春一が小宮高校へと再びご登校されるそうなので」

「ああ……分かってる。明日は行くよ」


 土竜の助言を思い出した万葉は心得たように、言葉を返した。


「そういえば、どうやら本日は片瀬殿が操っていた『妖刀』について調べていたようで、からかさ殿が紹介した骨董屋へ向かわれていたそうですよ」

「骨董屋?」


 怪しげに片眉を歪ませる万葉。

 『妖刀』について調べて、何故、そこで骨董屋なのだ。あの唐傘が骨董屋からその『妖刀』を買ったとでも言ったのか?


「『徒然屋』という店だそうで』

「……へぇ」


 「なんとも適当なネーミングだな」と感慨無さげに思考する万葉。実にどうでも良い情報だと直ぐに記憶の片隅へと追いやった。


 ――そして、数日後。彼女は『徒然屋』へと、足を運ばざるを得なくなる。それも、大きな厄介事と共に。

 


 








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