二十一
全身を何かに包まれていた。
熱いような、冷たいような、そんな感覚がした。
悲鳴が聞こえる。怒号がする。誰かが泣いている。
複数の思考が脳を循環しながら埋め尽くし、頭痛と眩暈を与えた。大きな盥が頭の中で振動を起こしているようだ。
暗い。
どくりどくり。鼓動のような震動が手足を伝って来る。
不安を煽るような心音だった。
蟲の中。
赤とも黒とも判別のつかない空間に、花耶は変わらず閉じ込められたままだった。
熱い温度と柔らかい感覚に身体は包まれ、辛うじて顔と胴体が肉から食み出ていた。
(あつい……あたま、いたい)
食道の中に居るようだ。
蒸れたような空気に呼吸が浅くなり、暑さのせいか意識が朦朧とし始めている。
肉塊に埋まってしまっている自分の手足はどうなっているのだろう。痛みはもう感じなくなってしまっているが、酸で溶かされてしまっているのだろうか。
混沌とする思考の中、嘆き叫ぶ人の声が聞える。肉声ではない、思念のようなソレ。
身体的にも心理的にも蝕まれていた花耶の体力は既に限界だった。
かくりかくりと落ちてしまいそうな意識を必死に繋ぎ止め、地面を睨む。
目の前で鼓動を刻む心臓に不思議と敵意を抱きながら、誰かの助けを待つしかなかった。
そうしている間にも一刻一刻と時間は経っており、肉塊の侵食が広がってゆく。ゆっくりゆっくり。臍まで埋まる身体。
それに恐怖と苛立ちを感じながら、花耶は願った。
――誰か。
暗澹たる空間に取り残されたまま、込み上げる恐怖に耐えようと唇を噛んだ。
♢
「……おい」
「すんません。もう一回お願いします」
血のような真っ赤な双眸に凄まれ、少年はびくりと肩を揺らしながら頭を下げた。
巨体を頭上から見下ろす鬼にどこかビクビクとしながら少年桐人は、刀を握りなおした。
もはや宙に霊子を固める力が残っていないのか、依然と首根っこを阿魂に捕まれたままだった。
ぶらんぶらんと鬼の手からぶらさがったまま、奴は再度手を合わせる。
だが、相手はと言うとどこか面倒くさそうな顔で冷たく吐き捨てた。
「……もうお前、落ちろ」
「い、いやいやいや!! まって、本当に待ってください」
痛烈な物言いに少年は慌てふためき、しつこい程に頭を下げる。
「ほ、本当に、本当に、お願いします! もう一回! もう一回!」
人差し指を振りながら必死に説得を試みる桐人。
「予想以上にアレの自己再生が早かったんです! 次は絶対いけますから! 上手く行きますから!」
先程の勇ましい姿の影も見えやしない。及び腰で阿魂に手を合わせるその様は情けないとしか言いようがなかった。
哀れな少年を呆れたように見上げながら万葉は思う。
(……本当に、大丈夫か?)
だが、そんな彼女のことなどそ知らず阿魂は桐人を掴む腕を振り上げた。
「え、あの……阿魂さん?」
何やら不穏な空気が漂い始め、悪寒を感じた桐人は阿魂を恐る恐る覗き見た。
「安心しろ。お前の策には乗ってやる」
「いや、策って……あの、乗ってくれるのは嬉しいんですが、この腕は」
こきり。
少年が言い終らぬうちに阿魂は片腕に再び帯だたしい程の妖力を集中させ、構える。
「ちょ、ちょっ」
先程より多少なりとも凶悪な妖圧がありありと視覚でき、桐人は口を引き攣らせた。
「要は、あそこに届きゃ良いんだろ?」
「まっ……!」
嫌な予感しかしない。
頭に鳴り響く警報音に焦りを覚えながら、声を張り上げた。だが、その一寸先に阿魂が溜めこんだ妖圧を解き放つ。
紅い焔が周囲の霊気を巻き込んで地上の蟲を襲う。
火が蟲の中心部を喰らい、肉壁に穴を開ける。
途端に自己再生を急速に行う蟲。半径五メートル程の穴が見る見るうちに塞がってゆくのを傍目に、阿魂は空中で足を大きく一歩踏みこませた。
「ちょっ……!」
ぐんと身体が後ろへと振りあげられ、息が一瞬詰まる。
『ちょっと……』
決して離さぬようにと少年の胸へと深く抱き込まれた万葉。阿魂の狙いを大体察したのだろう。
強張ったような声色を絞り出すが、その前に風圧に阻まれる。
「そらよっ」
「ひっ……!?」
か細い悲鳴が聞こえた。のも、一瞬。
気が付けば少年たちは宙に投げ飛ばされていた。
まるで弾丸のように地へと突進してゆく。
定められた的は今しがた開けられた穴。
黒い触手が此方へと向かい来る。それに声にならない悲鳴が上げながら少年は大太刀を強く握り込んだ。蟲に囚われることを恐れるも一瞬、少年はそれよりも早く蟲の内部へと急接近していた。




