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十八

 異形化した蟲の上。

 鋭い刃を其処に突き立てたまま、片瀬桐人は思考した。


「いっ……」


 ――いっってぇ!!


 空から落下して着地した瞬間、衝撃を上手く受け流せず膝を思いっきり痛めてしまった。

 ズキズキと疼く膝に足首。あまりの鈍痛に桐人は身を震わせた。

 そんな奴を、万葉は感動したように見つめていた。


『……下にクッションがあれば、人間、意外と死なないものね』

「……ちょっと、待ってください。それ、どういう意味ですか?」


 ほう、と熱い吐息さえも零してきそうな声色に、桐人は痛みにもがきながらも口を挟んだ。

 今の彼女の口調は、まるで桐人が死ぬことを想定していたような言い方だ。

 落下している際、一応桐人を守るように気の膜を張ってみたり、刀身で空気中の霊気を刺激することで、速度を削っていた万葉だが其れでも地面に着地すればこうも無事では済まなかったはずだ。何せ標高二百メートル弱――生身の人間なら卵のようにぐしゃりと潰れる高さだ。


『下にこんな形態の蟲がいたなんて……運が良いのね』


 きっと下敷きになった蟲が衝撃を殆ど吸収してくれたのだろう。風船のように膨れたこの肉体はかなり柔らかかった。

 ぶよぶよの脂肪を触れながら、桐人は複雑そうな顔をした。

 おちゃらけた様子もなく真面目な返答を返す万葉にいよいよ諦めを覚え始めたのか、憔悴しきったように項垂れる。


 だが、痛いということは生きているということだ。

 どうやら本当にクッションのような役割を果たしてくれたこの蟲のお蔭で助かったらしいと、桐人は息を吐いた。 

 赤黒い肉に突き刺さったままの太刀を支えに、ふるふると足を伸ばしてみる。すると、


「片瀬、桐人」

「え……?」


 聞きなれた声が耳元まで流れ着き、桐人はぴきりと石化した。

 恐る恐る、下を覗き見る。


(……う、わぁ)


 出来れば会いたくなかった人物に早速出くわしてしまった。

 あれだけ忠告されておいて、結局勝手な行動を起こしたのだ。バレてしまったら、あの冷ややかな絶対零度の視線が向けられることは間違いない。

 落ちてくる雷を想像してしまった桐人は思わず苦い顔をしてしまいそうになった。


 当の本人と言えば、どこか疑心に満ちた形相で桐人を見上げている。

 歪んだ眉から奴の困惑や、驚愕が僅かに察せた。しかも気のせいか、ざわめきと共に四方八方から視線を感じる。

 それに居たたまれなさを感じ、桐人はへらりと気の抜けた表情で空笑いをした。


「ど、どうもー……」


 その遠慮がちな声が聞えているのか聞こえていないのか、青年は薄い唇を開く。


「おまえ、どこから……いや、なぜ、此処に居る?」

「え、えと……」


 何故、と言われても素直に「菜々美ちゃんを助けに来ました」とは何となく言えず、桐人は言葉を探すように視線を泳がせた。

 

『素直に言えばいいじゃない……下手に誤魔化しても意味なんて無いわよ』


 オロオロと弱気な姿勢で慌てる奴を見かねたのか、蟲に刺さったままの状態で直立している万葉が口を出した。

 呆れたような声色に桐人はぐっと喉を詰まらせると、少し逡巡をした後に正直な答えを返す。


「……すいません。解ってるんですけど、菜々美ちゃんのこと諦めきれなくて」


 その言葉に春一は更に眉を顰めた。


「諦めきれないって、お前……いや、それは後だ。片瀬、今すぐ」「ちょっ……!」


 今すぐ其処から降りろ。そう続くはずだった言葉は、桐人が乗っかったままの蟲が突如大きく仰け反ったことで、途切れる。

 暴れる巨体に振り回される桐人。太刀にしがみつくが、蟲が上半身を激しく揺らすせいで身体が宙に浮いた。


「せ、せんぱっ……!」

『ああ……ごめんなさい。忘れてたわ』


 たった今思い出したかのように万葉は声を上げると、偶然にも切っ先が刺さった蟲の本体から『時』を喰らった。

 

「……っ!?」

「お……?」


 春一や坂下含む何人かの陰察官たちが驚愕したように表情を崩す。


 『時』と一緒に霊気さえも喰らう太刀。その切っ先が刺さった巨体は意識を失ったように今度こそ地へと倒れ込んだ。

 するとまだ形状が変化しかかっていた途中だからか、膨張していた背中が僅かに萎む。

 それを確認した坂下は驚然としながらも、即座に鑑識官と救護班の要請を求めた。


「おい、直ぐに鑑識官をこっちに呼べ! 救護係もだ!」

「は、え……あ、はい!」


 呆けていた一人の陰察官が我に返ったように背筋を伸ばして駆け出す。

 それを横目にしながら万葉も桐人に声をかけた。


『片瀬くん』

「はい?」


 珍しくも万葉から話しかけられた桐人は目を丸くしながらも答えるが、それも束の間。彼女の次の言葉と新たに襲いくる影に、舌を危うく噛みそうになった。


『後ろ、来てるわよ』

「は……はっ!?」


 寒気が背筋を走り、反射的に身を屈める。その一弾指、何かが自分の上を過った。

 けたたましい音と共に横の店舗がぶち壊される。咄嗟に屈んでいなければ自分もあのように身を貫かれていたのだろう。

 蠢く触手に桐人の血の気が引いた。


 次の攻撃が来る。

 軋む身体に鞭打って即座に太刀を構えた。硬化した触手が正面から攻め入り、眼前に翳した刀身でそれを弾く。


(……っさっきのより、重いし、でかい!?)


 怒涛の勢いで触手を振るってくる蟲。鞭と刃が暗闇の中で火花を散らしては、交差する。

 なんとかこの刃をあの本体に突き立てることは出来ないかと桐人は、思案した。

 そして険しい顔で辺りをほんの瞬きで確認した瞬間、やっかいな事実に気づく。


(多い……!)


 十体どころか二十体以上は居るだろうソレ。


 まさかこんなに大量発生しているとは想定しておらず、焦せった。

 このままではマズイ。このまま圧倒的な数と体格差に圧されてしまいそうで、額に冷汗が流れた。

 途端、視界に稲妻が横切る。


「……え、」


 赤黒い肉塊が爆発によって散った。

 バチバチと静電気のような激しい音が断続的に聞こえ、瞬時に背後へと視線を滑らせる。


(……助けて、くれたのか?)


 夥しいほどの電流を走らせる突撃銃のような『何か』。そしてそれを構える土御門春一。

 その格好に僅かに肩を強張らせながらも、桐人は口を開く。


「つちみかどっ……!」


 とりあえずどうするか相談をしようとした矢先、一際大きな轟音が鼓膜を揺さぶった。石やコンクリートの破片らしきものが土埃となって、風圧と共に自分を襲う。

 今度は何だと後ろを振り返れば、倒壊したビルが幾棟も視界に入った。


「……なんだ、あれ」


 先程まで自分を襲っていたはずの烏合の衆がまるで王者を前にしたかのように一斉に静止した。

 何体かが桐人たちに背を向けては、倒壊したビルの先へと向かう。


 ビリビリと空気が肌を刺激した。


「……おいおいおい。唯でさえ自己再生っつー異常なもんを目にしてんのに。これ以上なに見せようってんだよ」


 低く掠れた声を零したのは坂下だ。

 ポロリと奴の咥えていた煙草が灰を落とす。


 垂れた眼が向く先は倒壊したビルの奥――今まで相手していた蟲の二倍、いや、三倍は大きそうな『化け物』だった。


 其処らに並んでいるビルと大差ない長身に、坂下は苦笑した。

 赤黒い肉体を細長く伸ばすそれは大蛇というより、蚯蚓ミミズに近かった。顔さえもないそれは、表情が見えないせいか余計に怪奇染みていて、不気味だ。


「こんなバカでかい霊力……直ぐに気づいたはずなんだけどなぁ」


 肌で感じ取れる程の重苦しい霊気、というよりは瘴気。

 どんな遠方からでも明確に察知できるはずのそれを今の今まで気づけなかったという事実に、坂下は眉を顰めた。


 何者かによる妨害か、或いは別の要因からかは解らない。だが、これは近くに犯人が居ると推測した方が妥当だと判断した坂下は、一人の陰察官に指示を出す。


「土御門、悪いが此処を頼む」

「はい」


 そう言葉を残して奴が現場を離れた途端、蚯蚓の先端が大きく裂けた――これは、口だ。

 上半身を起き上がらせ、向かい来る他の蟲たちを認識したかと思うと、一息でそれらに喰らいつく。


「……ひっ!?」


 酸鼻を極める光景に、一人の陰察官が悲鳴を洩らした。

 肉を咀嚼し、骨を噛み砕き、果てにはぷちりと何かが破裂するような音まで響かす口。


 蟲が蟲を喰らっている。

 自身を差し出すようにあの『化け物』へと蟲が群がってゆく光景はただ、異様としか説明できなかった。


 その壮絶な食事を中断させるように陰察官たちは術を発動させるが、やはり効かない。呪符を撃っても、結界を張っても破られるばかりだ。霊力の無駄遣いにしかならない。


 その苦戦を横目にしながら春一は今にも舌打ちしをそうな、厳しい表情をした。


 ――遅かった。こうなる前に蟲たちを片付けるはずだったのに、まさか此処まで成長させてしまうとは……


「どれくらい、喰った……」


 巨大な蚯蚓を睨み上げる。


 相当喰らったはずだ。十匹や二十匹どころの話ではない。

 此処まで成長するにしたって少なくとも三日は要したはずだ。だが、それぐらいの時間があればそうなる前に情報官が発見していたはず。

 ならば、考えられる可能性は一つ。


 一人・・の影が頭の中でちらつき、春一の眉間に何重もの皺が刻まれる。凍てつくような冷たい眼光が向く先は倒壊したビルの奥。悠然とこちらへと向かってくる人影。


「赤鬼……」


 紅蓮の髪に天を貫く一対の角。そして、唇を割る鋭い牙。

 此処まで届く鬼気に春一はいよいよぎちりと拳を握りしめた。


「赤鬼……貴様、何をした?」

「あぁ?」


 人聞きの悪いことを聞くなと、煩わしそうに片目を細める鬼。自分のせいでは無いと、『事の元』を顎で指した。


「俺ぁ、何もしてねぇよ。こいつが勝手に人の霊力を食っただけだ」


 こきりと指を鳴らしながら鬼は億劫そうに答える。

 嘘は言っていない。唯、蟲を滅しようと叩き込んだ霊力を逆に吸収されただけだ。


「余計な事を……」


 鬼が追いかけてきたということは、この蚯蚓は沢良宜花耶を捕獲した蟲だということだ。聞かなくとも解る。あの中には彼女がまだ居るのだ。


 蟲を駆除するどころか仕事を増やしてくれた鬼に苛立ちを抱くと同時に、春一は眼前の蚯蚓に疑心を抱いた。

 阿魂ほどの妖の攻撃を逆に吸収した『其れ』は読み通りといえば良いのか、やはり危険すぎる。これは『神の欠片』さえも飲み込めると証明しているようなものだ。


「……八方塞がりだな」


 力を加減すれば逆に霊力を吸収されてしまうし、下手に蟲の肉体を破壊すれば保護対象である沢良宜花耶にも被害が及びかねない。彼女が居る位置はなんとなく覚れるが、あの蟲の中から感じる異様に多い気配のせいで、正確に霊視をできない。つまり下手に手を出せないということだ。


「……」


 惨劇が広がる横断歩道。苦戦したように対策を練る陰察官に、蟲に捕食される何体かの式神。

 その陰惨な光景を前に、土御門春一は粛然と思考するように目を伏せた。





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