表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
20/68

十五

 午前三時〇〇分。

 月が気味悪いほどの赤い色を帯びて、黒雲から出たり隠れたりする夜空の下。

 未だ建築中のビルの下で、一つの大きな影が蠢いていた。


 闇色に染まった鉄骨。それによって組み立てられた骨組の間に尻尾のような何かが見え隠れする。

 覆い被さったビニールシートが風に揺れ、時偶にその尻尾の先が覗いた。

 大蛇の様で、また別の何かに見える『何か』。意思を持って、何かを喰らっては増殖しているそれは悍ましい姿形をしているのが暗闇の中でも分かった。


 尻尾とは反対側の先。何かに食らいつくような動きを起こしているソレに――一人の鬼が眉を顰める。


「……人の女だけじゃ飽き足らず、随分と食うじゃねぇか」


 『化け物』を見下ろすかのように骨組の上に立つ鬼は、紅い目を細めながら口端を歪めた。

 こきりと指を鳴らせば、鬼の妖力が迸り、振動する霊気が空気を揺らす。


 深紅色の髪が風に弄ばれる。


「――返してもらうぞ」


 一撃で仕留めようと、鬼が宙へと足を踏み出した――。






♢ ♢ ♢ ♢ ♢ ♢ ♢ ♢


 同時刻。

 西新宿グランズドーム前。


 高層ビルやブティック、ショッピングモールが並ぶその街の一角で、蟲に憑りつかれた数体の人間が蔓延っていた。

 外灯が異形の者たちを照らす。原型を失ってしまった者も居れば、人の形を未だ保っている者が何体も居た。


 悲鳴と怒号が飛び交い、大きな騒音を轟かせる。大通りの地には幾つかの小さな罅割れと、歪な形へと曲がった信号機が見えた。


 化け物の咆哮が轟き、黒い着物を纏った式神たちが動く。


 能面を被った式神を操りながら、陰察官たちが印を組む。

 蛍光を放つ陣に、煌めく武器。血飛沫を上げる化け物たちが次々へと倒れていった。


 見慣れてしまったその異様な光景に、煙草を吸っていた一人の男性が溜息を吐いた。

 ボサボサの髪に、生え散らかした無精髭。全体的に気だるそうな雰囲気を放つ男は、だが鍛え抜かれたしなやかな身体をしていた。だけど、よれよれのスーツがそれを台無しにしており、男をみすぼらしく見せている。


「……人は?」


 人差し指と親指でそれを摘まみ、細長い煙を吹かしながら背後へと問いかけた。

 汗をかきながらも駆けつけた一人の若造が、男の質問に応える。


「他のものたちが救出を最優先に動いています……幸い、と言えばいいのか皮肉と笑えば良いのか、出歩いていた市民の殆どが蟲に寄生されていたので、問題はないかと」

「ったく、これだから新宿はよぉ……三時っつったら家に居るだろ、普通」


 深夜の三時だと言うのに人が外を出歩いているという事実。そのことに男は困ったように頭を掻いた。そんな奴に若造は苦笑する。


「と言っても、やはり深夜もあって人はそう居ませんでしたよ……現場が歌舞伎町であったらこんなものでは済みません」


 目の前の光景を横目にしながら若造は言った。

 人が出歩いていると言っても、この時間帯だ――焦ったり、騒いだりするほどの数では無い。

 その言葉の意味を察した男は、だが疲れたように嘆息を吐いた。

  

「そのうち、隠し通せなくなるんじゃねぇの? これも……」


 四方八方から聞こえてくる騒音。

 そっと感覚を研ぎ澄ませれば、彼方此方から感じられる妖の気配。それは常と違って禍々しいものだった。

 

「いつのまにこんなに繁殖していたのか……おじちゃんは知りたいよ」


 空を仰げば夜空を遮る薄い膜が見えた。

 一見とても微弱に見えるソレは、だが実際には頑丈な作りをしているのだろう。ここ等一体を囲む強固な結界を仰ぎながら男は最後の一服を終わらようとした。

 途端、空気が激しく振動した。


「……なにごとっ!?」


 背後に控えていた若造が驚愕したように声を上げる。

 つい、と男が前方へと視線を向ければ、いつのまにか蟲の化け物の数が増えていた。それも夥しい数だ。

 背後に立つ若造が声を荒げる。


「ちょっ、坂下さん!!」

「慌てるな慌てるな」


 焦ったような若造の様子など素知らぬ顔で、暢気にも煙草の吸殻を携帯灰皿へと押し付ける男。

 すっと視線を上げて目の前の光景を改めて確認した。


 急激に増えた敵に戸惑っている様子の若い陰察官たち。

 目尻の垂れた瞳が見やった先には、とうとう触手に絡められた一人の後輩が居た。


「まずいですよ、あれ……!」


 それに背後の若造も気づいたのだろう。囚われた仲間を助けようと奴が飛び出した。だが、それは間に合いそうになく――。


「っひ……!」


 化け物の口がガパリと開く。涎のような液体が顔へと垂らされ、囚われた陰察官が悲鳴を漏らした。

 それを感慨無く観察しながら、男は煙草を近くのゴミ箱へと投げ捨てる。仲間が食い殺されそうになっているのに焦った様子は無い。


「――問題ねぇよ」


 投げ捨てた煙草が宙を舞う。

 ぽとりと其れが黒い箱へと落ちる瞬間――青白い火花が散った。


「……はえ?」


 青い線が地上を走る。

 その異質な光景に若造が呆けるのも束の間。刹那、幾多もの函が全ての蟲たちを一度に囲んだ。


「守るためにじゃなく、捕えるために結界・・を使ったか……粋なことするじゃねーか、坊ちゃん」

「え? え?」


 突如起きた出来事に目を目を白黒させる若造。反して男は状況を理解しているのか、知ったような口で誰かへと言葉を投げかけた。

 途端、こつりと後方から靴音がし、今まで狼狽えていた若造が我に返ったように後ろを振り返った。


 白いブラウスに紺色のジャケット。今にも闇に溶け込んでしまいそうな濡れ羽色の髪が、青白い顔を浮き立たせている。

 小宮高校の制服を着用したままの学生が、ひたりとその冷たい双眸をこちらへと向けた。

 冷然と見つめる瞳に、若造は思わず背筋を伸ばす。


「つ、土御門捜査官!!」


 京都本部から派遣された奇才の陰陽師。名門土御門家の次男坊にして次代の跡継ぎであり、一七歳という若さで犯罪捜査官を務める青少年に、二〇を既に超えているはずの若造が緊張を覚えた。

 萎縮したようにも見えるそんな奴に、土御門春一は慣れたように指示を出す。


「蟲はこのまま俺が捕縛しておきます。すぐに霊視官を呼んできてください」

「……は、はい!」


 淡々とした声を向けられ、自分よりも年下のはずの子供に軽く敬礼すると、若造は慌ただしく走り出した。

 そのなんとも哀れな後ろ姿に春一が目を細めると、からかうような言葉が飛びかった。


「見事だな。これだけの蟲を一気に捕えるたぁ、流石は名門土御門のご子息様」


 不意に歩道のフェンスに腰掛ける男に声をかけられ、深い溜息を吐く。


「俺がやらずとも、体力馬鹿の貴方だったら出来たでしょう」


 男へと視線を向ける春一の双眸はどことなく厳しげで、非難めいている。

 だが男は肩を竦めると、悪びれも無く答えた。


「俺は不器用な方なんでね」

 

 そうは言うが、どうせ自分の気配を感じて敢えて何もしなかったのだろうと春一は検討をつけた。この男は何かと事を他人に任せる癖がある。それに軽い呆れを覚えながらも、春一は足を進めた。

 青白い透明の函が彼方此方で蟲たちを閉じ込める中、高い咆哮が遠くから轟く。


「あのお嬢さんは良いのかい?」

「酒呑童子を先に向かわせました。それより市民の方が最優先事項です」


 あっさりとまるで『彼女』を切り捨てるかのような言い方に、男――坂下は皮肉気に笑った。


「冷たいねぇ。惚れてるんじゃなかったのかい?」

「さあ、どうでしょうね」


 そう答える青年の双眸に感情の色は見えない。暗い夜空のような瞳は唯、悠然と目の前の光景を見つめていた。

 そんな奴の横顔に目を細めながら、坂下は口を開こうとした。


「土御門、お前――」


 だが言葉を紡ごうとした瞬間、前方から悲鳴と怒号が再び響き、言葉を渡られる。

 

――空気中の霊気が、激しい振動を起こした。

 





♢ ♢ ♢ ♢ ♢ ♢ ♢ ♢



――とある蟲の腹の中。


 明るいとも暗いとも取れない異様な空間で、花耶は薄らと意識を取り戻し始めていた。


「……っ?」


 ずきりと痛む米神に眉を顰めながら、ゆっくりと視線を右から左へと動かす。

 背中と腰からは何やらねっとりとした感覚がし、手を地面に這わせた。柔らかく、だがそれとなく弾力があり、まるでクッションのようだ。だが、その表面はその実べっとりとした液体を被っていた。


 掌が痛い。ひりひりとする。

 怪我でもしたのだろうかと気になって、花耶は己の手を確かめてみた。

 そして怯えるように唇を震わせる。


「やけど……?」


 いや、違う。

 どこかで冷静に働く思考がそう呟いた。

 皮膚は薄らと溶け、その下から赤いものが見えた。まるで酸を被ったあとのような惨状に花耶は思わず恐怖する。そして思い出した。


(ここ、あの化け物の中……!)


 即座に此処から脱出しようと起き上がるが転んでしまい、膝がまたもヒリヒリと痛んだ。

 とにかく己の状態とこの空間の中を把握しようと立ち上がろうとし、無意識に何かを掴んだ。


(なに……?)


 壁から突き出ているように思えるそれへと視線を移し、目を凝らす。

 途端、悲鳴を漏らしそうになった。


「あっ……足?」


――人の足だ。


 柔らかな断面に埋め込まれたような足。

 嫌な予感がして、ゆっくりと周囲へと意識を凝らせば、ところどころから食み出ているものが視界に映る。


「あ、あ、あ……」


 足、手、首、果てには変色した悍ましい何かが見え、花耶は不覚にも腰を抜かした。

 男が居れば、女も居り、子供の物でさえ壁から生えているのが見えた。

 

 蟲に憑りつかれているのだろう。ピクリピクリと反応を示す赤黒い部分さえも視界に入り、余りの光景に胃液が喉元へと競りあがる。


「う、ぁ……」


 嗅覚が麻痺しているのかは分からない。だが、この光景を見れば異臭さえもしてくるような気がして、知らず口元を覆った。


 目が、熱い。胸焼けをしそうな、そんな感じがする。

 必死に目の前に広がる現実から目を背けたくて、少女は目を強く瞑った。

 

――まさに地獄絵図。


 今まで色んな事件に首を突っ込んできたが、此処まで酷いものを花耶は見たことがなかった。


(ここ、から、出ないと……)


 肩にかかる阿魂のシャツを握りしめ、よろめきながらも立ちあがる。

 これ以上此処に居てはいけない。ただ、そう思った。


 だが、背中の痛みが突如疼きだし、その拍子でバランスを崩す。

 そうして倒れるのを避けようとして何かを掴んだ瞬間、『何か』が己の思考へと流れ込んだ。


――許さない。


 女の声がした。

 女のものだけではない。老人や男、小さな子供の悲しみや憎しみまで、数えきれないほどの感情と阿鼻叫喚が頭の中で鬩ぎ合う。ガンガンと頭を叩く騒音が恐ろしくなり、咄嗟に壁から手を突き放した。


「……っ、」


 唖然とした。

 一気に流れ込んできたその思考の数も内容も、尋常なものではない。あれ以上、あのに居たら自分は間違いなく可笑しくなっていた。それをあの一瞬で察せるほどに、流れ込んできた感情は普通ではなかったのだ。


「……これ、この人たちの?」


 確かめるように花耶は呟いた。

 尋常な数ではない思考は、恐らく此処に埋まってる人間たちのものなのだろう。

 何故かは分からない。だが、花耶は呆然とそう思った。


「まだ、生きてる、の……?」


 こんな姿になっても、この者たちは生きている。

 その事実に気づいた途端。恐怖、同情、果てには憔悴感に駆られて、無自覚にも花耶は目前の足を掴んでいた。


 どうにか此処から離してやれないか、その一心で足を引っ張るがびくともしない。

 その間にも腕の中のそれは赤黒く変色し、蟲の侵食が広まっているのが解る。


「なんで……なんで、」


 なんで、引っ張り出せない。何故、こんなに沢山の此処に埋まっている。何故、こんなことになっている。

 疑問が埋め尽くし、苛立ちが少女の中に込み上げる。


「っふざけんじゃないわよ……!」


 混乱が脳に渦巻く。

 どうしてこんなに苛ついているのかは分からなかった。

 力があるはずなのに結局誰も助けられていない自分にか、自分を飲み込んだ化け物にか、或いはこの現状全てにか――何に対して怒りを抱いているのか、花耶には分からなかった。


 唯ハッキリと解るのは、自分の中にある強い自己嫌悪。


「……っ」


 朽木の時と言い、今回のことと言い、自分は本当に何も出来ていない。戦う術を持っていたはずなのに、力を持っているはずなのに、今ではその使い道が分からず、間抜けにもこうしている。

 土御門による呪のせいで力を抑えられているのもあるのだろう。だとしても戦うには十分な程の霊力があったはずなのだ。そんな制限ことは、言い訳にもならない。

 

(泣きごとなんて、言ってる場合じゃない……!)


 何か出来ることはないのかと懸命に思案し、目の前の肉壁を観察する。


「この壁をぶち破れば――」


 いや、駄目だ。そんなことは出来ない。

 この壁を、自分を閉じ込めている化け物、基、『誰か』の身体を突き破れば此処にいる人間がどうなるか分からない。

 単純に解放されるのかもしれないが、そうでないのかもしれない。

 何をどうしたら良いのか、いよいよ分からなくなった。だが、上手く回っていない今の思考に従って動くのは危険だと、花耶自身、どこかで理解していた。


(動かない方が……良いのかな?)


 正直、身体は限界だ。術を扱う力も残っていなければ、動き回る体力も無い。花耶は既に此処でかなりの気力を削られていた。


(けど、この人たちを放っておけば……)


 周囲の壁を確認する。其処に埋まる人間たちは身体の一部しか見えないが、既に何人かは原型を失くし始めていた。

 だけど自分には蟲を取り除く術など持っていないし、進行を止める方法も知らない。


(どうにかしないと……)


 そうして苦心に満ちた顔で、先程己が掴んだ何か――眼前で鼓動を刻む心臓・・を見つめた。

 

 瞬間、外から強烈な妖圧を感じ、どくりとソレが一際大きな鼓動を刻む。


「……っ!?」


 空間、いや、空洞が揺れた。

 大きな震動が地面を揺らし、肉壁が一気に狭まる。

 食み出ていた人間の一部が幾つか飲み込まれるのを驚然と目にしながら、花耶は状況を把握しようと神経を研ぎ澄ませた。

 だけど埋まっている人間や蟲のせいか雑念が多すぎて、外の霊気を感じ取ろうにも集中できない。


――一体、何が起きてるの?


 足が徐々に地面の肉へと沈み始めた。ゆっくりとではあるが、着実に進んでいるそれに背筋が震え上がる。肉に飲み込まれないように何度も足踏みしながら、正気を失ってはいけないと必死に思考した。


 閉じ込められた空間の中、花耶は何も出来ず、誰かの助けを待つことしか出来なかった。


 

 


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ