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※主人公は殺人を肯定しているわけではありません。唯、捻くれているだけです。

※不愉快な描写が多少あるかもしれません。ご注意ください。

(……で、なんでこんな事になってるんだろう)


 午後四時二八分、図書館にて。

 四方八方に飛び散った本と、倒れてしまった幾つかの棚を見て、眩暈を覚えた。


 物陰に隠れる私の傍らには先ほどの妖圧で壁に激突し、気絶してしまった片瀬桐人かたせきりと。見たところ怪我は無いので大丈夫だとは思うが、脳震盪を起こしているかもしれないので安心は出来ない。


(なんか、申し訳ない……)


 実は片瀬がこうなってしまった理由は半分私にある。というのが偶々タイミング悪く、妖絡みの事件が起こる現場に私が居合わせてしまい、それに気付いた片瀬が咄嗟に私を庇おうとして吹き飛ばされてしまったのだ。


(良い子だなぁ……私のことなんて知らないだろうに)


 見ず知らずの人間を守ろうとした少年の頭を、そっと撫でてみる。

 咄嗟の判断で誰かを身を挺して庇おうとした人間を見るのは久しぶりだった。その事にほんの少しの感動を覚えながら、再度この事件の渦中の人物たちへと視線を戻す。


 既に大体の予想はついていると思うが、其処では土御門が周囲に結界を張って相手の攻撃を防いでおり、そのかたわらでは沢良宜を庇う赤木が居る。そしてもう一人、確か合同会議で来ていた他校の教師が、結界内で気を失って、倒れていた。


 沢良宜は己らを襲っている相手――朽木くちきと言う同級生に呼びかけているが、彼女が攻めの手を止める気配は無い。むしろ、爛々と好機を探っているように見える。


「朽木さん……! お願い、今すぐにやめて! このままじゃ朽木さんの身体が持たないよ!」

(……襲われてるのに敵の心配をするとは、お優しいことで)


 どこか冷めた気持ちで事の流れを傍観する自分に気付きながら、私は『訳も分からず巻き込まれてしまった一般人』を装って、目の前で繰り広げられる茶番劇を見守った。


 クラスメイト故、面識のある土御門の沢良宜に対する評価を何度か影で聞いたことがある。

 曰く、『彼女はどうしようもないお人好しなんだ』と。優しげに苦笑する奴の顔は気持ち悪い程に甘ったるく、砂を吐きそうになったことは記憶に新しい。


 そんな下らないことをつらつらと思い出しながら口を抑えていると、妖に憑りつかれている朽木の身体に異変が起きた。

 ぼこりと背中から何かが生えようとしているのを目にして、沢良宜が無謀にも結界から飛び出す。


「沢良宜……!」


 剣道二段、柔道黒帯と噂の無駄に運動神経の良い彼女の奇行に反応できず、土御門が声を荒げると正面から沢良宜を捕えようと床から這えた触手が迫る。

 ついでにタイミングが良いのか悪いのか、丁度片瀬くんも意識を取り戻したようで、沢良宜へと延びる触手を目にした途端顔を真っ青にして叫んだ。


「花耶!」


 だが触手は彼女に届くことなく、とてつもない妖気によって弾き飛ばされて崩れた。


「……阿魂!」


 震える彼女の唇から紡がれる名を耳にして、ピクリと無意識に反応する自分がいた。

 其処には変化を解いた赤木、いや、一人の鬼が静かに佇んでいる。

 解放された凄まじい妖気が強風のようにほとばしり、此方まで流れ着く。それは身体に沁みこむような、懐かしい妖気だった。


 気圧で靡く、絹糸のような紅く長い髪。人間に化けている時とは比べ物にならない程の気迫と覇気。鍛え抜かれた大きな身体はしなやかで美しく、切り裂かれた上着から覗く肌は相変わらず煽情的で、触れ難い。

 人の皮を被った美しい獣。そんな言葉が似合う男だった。

 その天を刺すような一対の角は、一体どれだけのものたちに畏怖と崇拝の念を植え付けてきたのだろうか。

 三百年前と全く変わらぬその姿に、胸がほんの少しだけ、ざわついた。


 本当に彼の人は変わらない。相変わらず唐突で、無茶苦茶で、横暴だ。

 だというのに燃えるように紅い双眸は相変わらず、彼女だけを見つめ、彼女に囚われている。あの大胆不敵で自由な男が。『花耶』と名も、姿も、全てを変え、再びこの世に生まれ落ちた彼女に――。


(あほらし……)


 何時まで経っても変わらない何かに馬鹿馬鹿しさを覚え、溜息を吐く。隣の片瀬も、息を溢しているが恐らくそれは安堵の息だろう。つくづく愛されたお姫様だ、と笑ってしまいそうになる。


 かの陰陽師と相討ちにあった酒呑童子――阿魂は死んでなどいなかった。彼奴は人間にやられるほど柔ではない。

 本当は『封印』されていたのだ。土御門の力の全てを持って、ある社の祠に。


 けどそれは運命のように、三百年経った今、社に迷い込んだ『神の欠片』によって偶然にも解かれてしまった。愛しき姫に再び出会った鬼は歓喜したことだろう、その奇跡のような星の巡り合わせに。


 そうして赤鬼は何も知らない彼女を今度こそ手に入れんがために再び求愛し、今も付きまとっているのだ。


(軽いストーカー予備軍じゃねーか……)


 なんて、その情報を突き止めた時には冷めた感情を覚えた。いやはや、まさかあんな筋肉馬鹿に惚れていたとは刷り込みとは恐ろしいものである。

 悲惨な人生の中で、ちょっと優しくされたぐらいでコロッと落ちた私……なんて、チョロインだ。

 ふっ、と自嘲しながら沢良宜を庇うように抱く奴を観察する。


(……相変わらず、ワイルドな感じの良い男だこと)


 ――女を見る目は、個人的にどうかと思うが。


 前世は面識も何も無かったので実際にどんな女性だったのかは知らないが、今世の彼女は木刀を振り回すような男女である。やたらと正義感が強いことで有名の様だが痴漢を捕まえたり、校則違反者をしょっちゅう注意するその様は鬱陶しいこの上ない。


 いつも事件を解決しようとむやみやたらに首を突っ込んだりしているらしいが、馬鹿じゃないのかと思う。何時、何処で、誰が『助けてくれ』と頼んだ。

 その無駄な正義感が個人的に見てて嫌になる時があるのだが、男共は一体彼女のどこが良いのだろうか。

 その凛とした花の如く咲き誇る容姿か。文武両道なところか。或いは、膨大な力を持つ『神の欠片』だからか。


(いや……私がひねくれているだけか)


 ふと我に返って、何故だか可笑しくなって笑ってしまった。

 自分の心の何とまあ、薄汚れて、捻くれたものか――。


(だから、ふられるんだろうなぁ……)


 心臓を奪われ、妖のようになった私は他の同胞のように、他者から『時』を奪いやすくするためか、それなりに人を惹きつける容姿へと成長していった。だけどそれで寄り付く男共は身体ばかりで、結局はそれだけで終わってしまう。それは、恐らくこの性格のせいなのだろう。


(……まあ、直す気はないけど)


 と、暢気にもそんな自分に開き直った時だった。


「うるさい!!」


 朽木の怒声によって現実へと意識を引き戻されると、視界に右半身が原型を失いそうな程に歪んでいる彼女の姿が映った。その般若のような形相は憎々しげに沢良宜、いや、未だ気絶したままの教師へと向けられ、悲壮感で満ち溢れていた。


「お願い、朽木さんもうやめて。駄目だよ、復讐なんて……それで、人を殺すなんて間違ってる! 朽木さん間違ってるよ!」

「うるさいうるさいうるさい! 貴方には関係ないでしょう!? さっさと、先生をこっちに渡して! 何で、邪魔するのよ!?」


 明らかに妖の手によって異形の者へと化そうとしている彼女を見て焦ったのか、沢良宜が必死に彼女を説得しようと試みている。だけど朽木は全く聞く耳を持たず、というか私には一理あると思えるような怒りを見せている訳だが、沢良宜は引く気配を見せない。


 むしろ彼女を止めようと必死になって、『復讐は憎しみしか生まない』だの、『家族が悲しむ』だのとまあ、喧しい。


 別に放っておけよ、と思う私は冷たいのだろうか。

 言い訳するようだが朽木は復讐を望んでいるのだからしょうがないのではないか、と思う。自分の妹を虐めて、辱めて陥れ、死に追いやった最低男に復讐したくなるのは致しかたがない。

 警察に通報して逮捕してもらおうにも、相手の教師はどこぞの政治家の三男とかで、証拠も証言も全て握りつぶされ事件は闇の中。おまけに妹の死因は紛れもない自殺。それで片付けてしまえる案件だ。


 法に頼れないなら、直接自分で手を下すしかないだろう。妖などと言うあやふやな存在に助けを求めるほど、藁にすがる思いで朽木は此処まで来たのだ。


 確かに人を殺すことを正当な行為とは言えないし、この先のことを考えれば朽木のためにもならないのだろう。だがそれでも朽木は構わないようだし、あの教師にも非がある。


 それに確かに最近、朽木は器物損害などの問題を裏で起こしてはいるようだが、それはあの教師だけを狙ったもので一度も他人を巻き込んだことはない。此処最近の事件と比べて、あまりにも不自然な点だらけだったので調べたのを覚えている。


(……あれ、私。朽木さんに賛同してない?)


 はた、と我に返って思わず額を抑えた。段々と悪役みたいな思考をしはじめている自分に少し悲しい感情を覚える。


 そうこうしている間にも戦いは激化していて、沢良宜が傷を負った。


「花耶!」「沢良宜!」


 傷、と言っても腕にちょっと相手の攻撃が掠って血が出た程度なのだが、土御門たちが焦ったように声を上げた。土御門は即座に陣を展開させると、朽木の動きを封じようと式神で彼女の身体から生える羽のような何かを削いだ。


 そうして朽木が怯んだ一瞬の隙に隣の片瀬が立ちあがって沢良宜の元へと駆け出そうとしたが、私は足をかけて転ばせる。


「っへぶ!」


 まだあどけない感じのちょっと凛々しい少年の顔が床とキスをして、呻き声を上げる。『何を……』と震えながらこちらを睨む彼を、知らんぷりしながら至極真っ当な指摘をしてみた。


「行っても、足手纏いになるだけだから」

「……っ」


 図星を突かれた彼が傷ついたような顔をした。それに『あ、可愛いかも』なんてちょっとキュンとしながら、私は腰を上げた。


「……っ、朽木さん。もうやめようよ。こんなことしたって意味ないよ。朽木さんが傷つくだけだよ」


 腕の傷を抑えながら沢良宜が説得を続ける。そんな彼女を見て、私は苛立ちの感情を覚えた。


「グ、ぅううっ……」


 苦しそうに呻く朽木。恐らく彼女の中に寄生している妖が彼女を侵食しはじめているのだろう。魂を蝕まれる感覚というのは味わったことはないが、相当痛いらしい。

 それでも攻撃の手を休めず、唯あの教師に復讐するためだけに理性を保っているのだから大した執念だと思う。


 そうして感心する私の思考に水を差すように、全身が黒ずみ始めている朽木を見た沢良宜が『止めの一言』をのたまってくれた。


「お願い、朽木さん! もうやめて! 復讐なんて『虚しいだけ』! そんなことしたって、絶対に後悔するだけだよ!」


 ――ああ、こいつ、馬鹿だ。


 その言葉を引き金に朽木の怒りが爆発したのか、今までの比ではない妖気が放出された。それをいち早く察知した土御門は沢良宜を囲い、阿魂は降り注ぐ触手の刃を腕の一振りで薙ぎ払った。


 こちらにも幾つか取りこぼしが襲い掛かり、私も棚を盾にすることで片瀬と自分の身を守る。

 そうして攻撃の雨が止むと、今度は説得することを諦めて沢良宜が悲痛そうに顔をくしゃりと歪めた。


「朽木さん、どうして……」


 紅く染まった瞳で朽木は沢良宜を睨み上げ、もう一度、と暗示するように触手を構えた。そうして風切り音を立てて飛び出す刃が沢良宜たちへと届く前に、私はいつの間にか地面を蹴っていた。らしくもなく、感情に身を任せてしまったのだ。


「え、」


 背後で沢良宜花耶たちが息を飲み、驚然と此方を見ているのがなんとなく分かった。ぱらり、と掴んだ触手が手の中で崩れ落ちる。


「あ、あの……」


 戸惑ったようにこちらを見つめる沢良宜の気配がして、私は阿魂の腕に抱かれた彼女へと振り向いた。自然と口元が吊り上がるように歪む。


「キレイごと言ってんじゃねーぞ、ビッチが」


 ――カチンと、空気が凍ったような気配がした。


 彼女自身はもちろん、阿魂も土御門も、ちらりと視線を向けてみた片瀬も、気絶した教師以外、全員が全員、同じ表情をしていた。


「あ、え、あの……」

「さっきから黙って聞いてれば、ぎゃーぎゃーわーわーとキレイごとばかり。正義のヒロインぶって自分の意見を他人に押し付けてんじゃないわよ、八方美人」

「は、はっぽ……」


 パクパクと、金魚のように口で仰ぐ彼女を見て、少し胸がすくような感覚を覚えながらも、やってしまったな、と何処かで我が事ながら呆れる自分が居た。一般人として紛れ込むつもりが、今ので私が妖だとバレてしまった。

 だが、やってしまったものはしょうがない。この際、後のことは後で考えて、今まで溜まりに溜まっていた毒を全部、この女に吐き出してやろうと腹を括ってぶちまけた。


 復讐なんて、間違っている? 後で後悔する? 家族が悲しむ? 


 だから、どうした。そんなこと朽木自身が一番分かっている。常人が誰かを殺そうと思った時、最初に覚えるのは不安と恐怖だ。後先考えず、人を殺そうなんて普通の人間には出来ない。


 私の知っている朽木文子くちきふみこは普通の女子高生だった。普通の家族が居て、普通の友達が居て、普通の価値観も論理感も持っている。


 復讐へと踏み込む前に、彼女はたくさん迷ったのだろう。何度も踏み止まろうとしたのだろう。だけど、こんなこと間違っていると、復讐をしたって何も得られないと理解していても、彼女はそのまま止まる事が出来なかったのだ。


 どうしようもない憎しみを抱いてしまったから――。


 憎悪と言う感情が消えることは永遠にない。己の大切な者を奪った相手が苦しむ様を見るまで、その感情が収まることは無いのだ。

 憎しみの対象があの教師だったなら、尚更だ。度々、部活の対抗試合などでもこの校に来る奴をよく見かけるが、朽木の妹の件で明らかに反省していないことは知っている。


 復讐したら後悔する? 復讐しなくても後悔するに決まっているだろう。自分の妹は苦しみの中死んでいったというのに、その原因である教師がのうのうと生きているところを見れば、『殺しておけば良かった』と、どの道後悔すると朽木は悟ったのだ。


 だから踏み出した、この狂気の道へと。


 全てを分かった上で、後に自分がどうなるのかを理解した上で、彼女は復讐することを決断した。

 どれだけ思い、悩み、考え、苦しんだのだろう。長い長い問答の末、彼女は決めたのだ。復讐するために、人を殺す『勇気』を振り絞ったのだ。それを――。


「自分の勝手な正義感で推し量る奴があるか。誰にも、彼女の想いを否定する権利など無い」

「な、なにを言って……復讐なんて、否定するに決まってるじゃない!? それで人を殺して言い訳がないでしょう!?」


 馬鹿か、と言葉を溢しそうになった。

 何時、私が人を殺しても良いと言った。私は自分の物差しで勝手に他人の想いを推し量って、否定するなと言ったのだ。

  誰かを説得しようとするなら、まず相手を理解しようとしろ。朽木の心情を考えようともしないから、相手の神経を逆撫でするようなことになるのだ。そもそも、この女はあの教師が何をしたのか、本当に理解できているのだろうか。

 私からしてみればこの女の方が、自分の正義感を他人に押し付けているにしかすぎない暴君だ。


「それでも、彼女にはあの教師を殺したい、どうしようもない理由がある」

「そんなの無茶苦茶だわ!」


 闇色の瞳を吊り上げて此方を睨みつける彼女に、私は冷めた眼差しを送った。


「キレイごとで回れる程、この世界は単純じゃない」

「そんなこと……!」


 今にも食って掛かりそうな彼女を抑え、阿魂は彼女を守るように下がらせる。


「落ち着け、花耶」

「阿魂!」


 紅い双眸が私を射抜いた。気だるげな瞳だ。だが、油断を許さない『力』を感じた。

 後ろで呆気に取られていた土御門も何時の間にか我に返っていたようで、警戒するように愛用の呪装銃を構えている。


 阿魂の背中で納得で出来ない顔をしている沢良宜。そんな彼女を宥めるように、彼は意外な一言を口にした。


「あながち間違ってねぇだろ」

「阿魂……!?」

「あの女の言ってることは解からなくもない」


 信じられない、と現に顔で表している彼女は見物であり、阿魂の同意はさほど驚くほどのものではなかかった。

 沢良宜のことを好ましく思っていたとしても、阿魂は妖だ。殺生など日常茶飯事。人の生き死になどどうでも良い事だ。だから、誰が誰を殺そうとも、別にどうでも良いし何とも思わない。

 長い時を生きる中で、何千何百と人の生き死にを目にしてきたのだ。しかも奴は酒呑童子――最低最悪の戦闘狂。一体どれだけの屍の山を前にし、その手で積み上げてきたのだろう。誰よりも死に対して無関心でありながらも、誰よりも死と共にあった鬼は、もしかしたら『この世の在り方』というやつを誰よりも理解しているのかもしれない。


(まあ、だからと言ってこっちの味方するなんてことはないだろうけど……)


 諦めに似た感情を心の片隅で抱いた。

 相対する阿魂はにやりと八重歯を覗かせながら笑うと、沢良宜に問いかける。


「だが。それでも、お前はあの女を止めるんだろう?」


 その言葉に軽く目を見張らせると、強い光を瞳に宿らせて彼女は力強く頷いた。


「うん! 確かに、先生は許されないことをしたけど……それでも、どうしてもこれで良いとは思えない。私、朽木さんを止めたい!」

(……何、この茶番)


 何かよく分からないが、『絶対に負けないんだから』とデカデカと顔に書いてこちらを見る彼女に、胸焼けしそうになった。

 この女は、止めることが朽木のためだと思っているのだろう。復讐すれば朽木は傷つき、後悔し、苦しむ、と思い込んでいるのだろう。ありありと見て取れるその浅慮な思考に、眉を顰めそうになる。


(まあ、いいか)


 どうせ彼女に……この『どうしようもない激情』を味わったことのない者には私の言っていることを、本当の意味で理解することは出来ないのだろう。初めからそんなことは解りきっていた。だが、それでも言わずにはいれなかったのだ。


 ――お前たちに、私の何が解る?


 己の背後に佇む朽木の殺気が肌を刺す。先程の触手から『時』を吸ったはずみで彼女の感情が流れ込んできたので、どれくらい苛ついているのかが解った。


 私も、朽木とは同感だ。私は、私から全てを奪ったあの黒幕たちを一生許すことは出来ないし、八つ裂きにするまで、この激情が収まることは無い。

 間違っていると解っているのに、どんなに長い時を過ごそうとも、この憎しみは消えてくれやしないのだ。


「朽木さん」


 目の前の沢良宜らを無視して、朽木へと振り返った。本人はこちらを警戒しているようで、どこか困惑していようにも見える。

 突然見知らぬ女に、間違っていると分かっている自分の行為を肯定されて戸惑っているのだろう。そんな彼女に私は苦笑した。


 私に彼女の想いを否定する権利は無いし、する気もない。むしろ、大いに賛同する。けど――悪いが、邪魔はさせていただく。


 ほんの一瞬。朽木の気が緩んだその瞬間、私は彼女へと急接近し、その鳩尾に拳を叩きこんだ。

 軽く彼女の身体を浮かせるほどにそれには威力があり、後ろで沢良宜たちが息を飲むのが分かった。


「ちょっと、あなた何を……!?」


 耳障りな声を意識から遮断して、目の前の朽木に集中する。

 強い一撃を喰らった朽木の意識が遠のく瞬間、弾みで彼女の身体から『ぶれて』現れそうになった妖を左手で素早く掴んだ。


(捕まえた)


 小さな悲鳴を漏らしたむしが恐怖に満ちた目でこちらを見る。だが、そんなの知ったことではないと、私は舌舐めずりをした。


(いただきます……)


 きっと、私は夜叉のような恐ろしい形相をしているのだろう。久しぶりの『御馳走』に口角が上がるのが分かった。


 ボロリ。妖に流れていた大きな『時』を根こそぎ吸い終ると、手の中にあった蟲も、朽木から生えていた異形の物も全て崩れ落ちた。

 それを目にして、興味深そうに声を漏らす阿魂が聞える。


「ほう」

「……っ、」


 ほんの数秒。不意打ちのような出来事に反応できず固まっていた者たちが動き出す。一人は戸惑ったように、一人は驚いたように、そして一人は怒声を私に浴びせた。


「朽木さんに何をしたの!?」

「……」


 あまりにも喧しい声に、眉を顰めて耳を塞ぐ。

 振り向いてみると案の上、沢良宜がこちらを強い眼光で睨んでいる。隣の土御門も攻撃はしてこないが、銃を構えたままだった。

 そして唯一落ち着いている阿魂は、仕事は終わったとばかりに肩を揉み解している。


「朽木さんから離れて!」

(……馬鹿か)


 離れて、と言われて離れる敵が何処に居る。真の阿呆だな、と苛立ち通り越して呆れを覚えた。

 今にも取り乱しそうな沢良宜を落ち着けるように、鬼士きし様が彼女の肩を叩いてやる。


「落ち着け。んな怒んなくても、朽木って女は死んでねーよ」

「でも……!」


 本当に阿魂たちはこの女の何が良いのだろうか。人の話聞かないし、うるさいし、鬱陶しいだけなのだが。

 彼女に魅了された者たちは皆、彼女を『優しくて、芯の通った女性』と評するが、正直私には理解できない。


「阿魂の言う通りだよ、沢良宜」

(おー。流石、次期土御門家当主。冷静だな)


 先程の驚然とした様子は形を潜め、今の彼にはいつもどおりの理知的な光が宿っていた。

 だが、それを分かっていない馬鹿は納得のいかないような顔をしている。


「土御門、先輩……?」

「朽木さんなら、大丈夫だ。憑りついていた『蟲』の気配も消えている、恐らく彼女が滅したんだろう……どういう心境の変化かは分からないけどね」


 そう言ってこちらに視線を寄越す土御門だが、下手にコチラに手を出すことはしないだろう。けれど気を緩ますことは出来ない。


「佐々木さん……だよね?」

「ええ、もちろん。それがどうかなさって? 土御門春一くん?」


 小首を傾げながら、私は食えない笑みを奴に送ってやった。


「妖の君が、何故ここに居る?」

「偶々よ。偶々、図書館に本を返しに来たら、不覚にも巻き込まれてしまったのよ」


 嘘偽りなく、淡々と彼に答えを返してやる。

 お互いがお互い、探りあうようにその瞳の奥を覗こうとしていた。妙な緊張感が漂い、沢良宜は逡巡したように押し黙る。


「人間の高校に通っている理由は? 何が目的だ?」

「社会見学」


 嘘にも誠にも聞こえる返答に、土御門は目を細めた。


「……そうか。分かった」

「先輩!?」


 納得したように頷く彼に沢良宜が責めるように問い詰めた。正気かだの、明らかに嘘だろ、だのと失礼極まりないことをのたまう彼女を宥めるように、土御門が彼女の肩に手を添える。


「大丈夫だよ。『蟲喰むしくい』は寄生種ような下級の妖や死骸しか食えない、下級の妖だ。人間に害は無い」

「……蟲、喰い?」


 その名を聞いて、沢良宜が訝しげに首を傾げる。

 対して私は、やっぱりそう思うか、と諦めにも似た感情を覚えた。


 『蟲喰い』は土御門が申したように下級の妖だ。しかも、妖怪の死骸を喰らうことで忌嫌われている下賤の者として知られている。


 妖の油断を誘うために人間の姿をしており、おまけに逃げ足が早くすばしっこい小者な奴らは食事の仕方も私たち『不可叉』と似ているので、しょっちゅうと言うか、いつも奴らと間違われる。


 私もこの世界に堕ちた当初は周りからの指摘で自分も『蟲喰い』なのかと思い込んでいたが……蟲喰いと間違われるなど、正直、とんだ屈辱だ。

 だが、このまま目的を果たすためには背に腹を変えられないと、大人しく耐えることにした。女は忍耐である。


「けど、そうだな……陰察庁の者としては、不審な妖を見逃すことは出来ない」

「……え?」


 予期せぬ切り替えしに、呆けるのも束の間。「あ、まずい」と思った時には既に術式の陣で囲われていた。しかもいつの間にか呪銃を構えているし。


(……というか、ちょっと待て。不審って、そこのロリコンストーカー予備軍の赤鬼はどうなんだ? 確かに人間に危害を加えてはいないが、そこの少女に手を出そうとしているぞ?)


 なんて下らないことを考えている間にも、淡い光が足元の陣から競り上がり、土御門の阿呆あほうが銃の引き金を引こうとしていた。殺されることはないだろうが、呪縛する気満々だ。

 流石にまずい、と逃げ出そうとするが此処で奴の呪縛を破れば、間違いなく組織のブラックリストに刻まれることになると気付き、咄嗟に躊躇してしまう。そんなことになれば、今までのように自由に動けなくなる。

 どうしようかと一瞬のうちに思考し、最後には迷いを振り切るように自分を囲む陣を破壊しようと淡白い紋様へと腕を伸ばした。


(あと、すこし……)


 そうして指先があと少しでソレに触れようとした刹那、「やめろ」と誰かの怒号が轟いた。


「桐人?」

「……え?」


 意外なことに、怒鳴り声を上げたのは今まで蚊帳の外に居た片瀬桐人だった。その顔はどこか厳しげで、怒っているようにも見える。


「お願いです、土御門先輩……彼女を解放してあげてください」

「ちょっ、ちょっと桐人? 何可笑しなことを……」

「……幾ら怪しいからって行き成り、危害も加えられてないのに呪縛するのはどうかと思います。それに、俺たちは結果的に彼女に助けられています」


 その言葉に私は少なからず驚いた。まさか、今ので助けたと思われていたとは。


 強い眼光で己を射抜く桐人を見て、次に私を観察するように視線をねめつけると、土御門は考えるように顎に指を当てた。


「お願いします。彼女を、放してあげてください」

「……桐人」


 引き下がる様子を見せない片瀬を、眉尻を下げながら見つめる沢良宜。その顔はどこか戸惑っているようにも見えた。

 何故か頑固とした反対の意を示す桐人に、賛同するかのように阿魂も口を開く。


「別にいいんじゃねぇか? 放っといても」

「阿魂まで……?」


 動揺する沢良宜に、どこか諦めたような顔をする土御門。

 こういうことには面倒臭がって首をつっこまなそうな男が、私を助けるような発言をしたことに、私も少なからず吃驚してしまった。

 だがそんな自分らの様子などお構いなしに、相変わらず自由な鬼は後押しするように言葉を続ける。


「土御門の糞ガキが言ったように、こいつは蟲喰いだ。何か企んでいようにも、出来やしねーよ。見逃しても大した問題にはならねーだろ……面倒くせーから、もう放っておけ」


 侮るような口調に少しムッとするが、そのまま大人しく彼に弁護をされる。

 私が誰か気付いていないのか、忘れているのかは知らないが、声を大にして言ってやりたい。その蟲喰いの通いになって、よく遊郭に入り浸っていたのは何処の誰だ。


「……しかたないな」

(え……)


 疲れたように溜息を吐く土御門。気だるげに濡れ羽色の髪をかき上げながら、私を囲っていた陣を解いた。とりあえず半混乱のまま庇ってくれた片瀬に礼を言うが、これは見逃してくれると言うことなのだろうか。


 いや。何にせよ隙が出来た今、これ以上何かをされる前にいち早く退散した方が良いだろう。

 そう思って一歩足を後退させた時、目敏くも土御門が、その眼鏡の奥に潜む鋭い眼光をこちらへと向けてきた。


「……一応、言っておくが。次、少しでも可笑しな動きを見せれば、」


 肌を突き刺すような殺気が、室内の温度を下げた気がした。奴の隣に立つ沢良宜も、一瞬怯えたような顔をしたのが見えた。


「その場で滅する」


 流石は名門土御門家と言えば良いのだろうか。それとも陰察庁などと言う随分と物騒な職場に勤めているからだろうか。放たれる殺気と眼光は子供とは思えない程鋭く、冷たい。

 最初は刺々しかった子供が、馬鹿に絆されて随分と柔らかくなったと思っていたが、こういう容赦のなさはそのままかと思わず口元を引き攣りそうになる。

 だが奴のその対応の仕方は、陰陽師としては正常なものなのかもしれない。


(……感情になんて、身を任せるもんじゃないわな)


 ほんの少しの後悔を感じても、それはもう後の祭り。

 こうして訳も分からぬまま、あれよあれよと言う間に忠告付きで解放され、長かった一日が終わりを告げた。

 

 ――この日の私は、本当にどうかしていた。




※人物紹介


@佐々木万葉 (ささきかずは)

人間に化けて高校に通っている『不可叉』。妖怪なのか、違うのか良く分からない存在。

周りには下級の妖怪 『蟲喰い』と思われている様子。

どっかにある心臓を潰さない限り、そして『時』が切れない限り、死なない不死身。

沢良宜花耶が嫌い、というか生理的に受け付けない。

どこか大人げない。そして相当な捻くれ者。


遊女をやっていた時の名前は『半楼』。阿魂のお気に入りだった。



@沢良宜花耶 (さわらぎかや)

前世は土御門家当主の許嫁で、その頃から阿魂に惚れられていた。

現世は柔道黒帯のお転婆少女。正義感が強く、少々暴走気味な所も。

『神の欠片』という膨大な力を持つ少女で、妖怪に餌として狙われている。

朽木の一件から万葉に不信感を抱いている。


@片瀬桐人 (かたせきりと)

花耶の幼馴染。霊力も何も無い普通の人間。フラグ建築士。

普段から良く花耶の傍にいることで、良く事件に巻き込まれる。

容姿はちょっと凛々しい感じはする、フツメン。常識人。



@土御門春一 (つちみかどはるひと)

陰陽師の名門・土御門家の次男にして次期当主。

術師としての実力は一流で、稀代の天才と言われている。

陰察庁と言う妖怪を取り締まる警察庁に所属しており、阿魂の監視と『神の欠片』である花耶を護衛するために京都から派遣されてきた。


愛用の武器は呪装銃と言う拳銃。かなりの堅物。


@阿魂 (あごん)

史上にして最強で最悪の鬼と恐れられた、伝説の赤鬼。二つ名を『酒呑童子』

三百年前、女を巡る戦いで土御門に社に封印されたが、花耶によって偶然解かれてしまう。

花耶を前世から愛しており、今世でも猛アタック中。隙あらば(性的に)食う所存だが、片瀬と土御門に妨害されて今だ叶わず。

裏吉原では、『半楼』を常に呼ぶほど気に入っていたようだが、現代では忘れている模様(?)。

酒好き、女好きの、戦闘狂。


@朽木文子 (くちきふみこ)

二年、花耶のクラスメイト。

普通の女子高生だったが、己の妹を脅し辱め、自殺へと追い込んだ教師を怨み、復讐のために寄生種の妖怪と契約した。理性を保っているが、妖に侵食されそうになっていて、ちょっとマズイ状態。

此処最近、例の教師を狙って事件を起こしていたせいで、花耶たちに気付かれ、妨害されている。



@教師

朽木の妹が通っていた中学校の教師。そして妹を死に追い込んだ元凶。

親が政治家のボンボン。教職に就いている下種。医者を目指していたが、失敗し今の仕事についている。

妖怪のことも何も知らない一般人。あんまり出番無い。




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