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十四

「……っ」


 桐人は唖然とした。

 

 約二メートルはあるだろう刀身。

 異様に長い切っ先に、闇のような黒い地肌。刃先に近づくにつれて深い蒼が入り混じり、それは月に照らされた暗い海を連想させた。

 真黒な刀身に走る白い鎬筋はまるで閃光のようだ。


 先程まで寂れていた刀の影など一欠けらも残っていやしない。

 どことなく武骨で、強烈な存在感を放つそれに、少年は目を奪われた。


 だが、言いようのえぬ感動を味わうも一瞬。即座に別のことへと意識を奪われる。


「お……」


――重っ!?


 先程と比べて数キロは重さを増したそれ。

 長くなった刀身に合わせて大きさも太さも変わった柄を握る手に、ズシリと体重が圧し掛かった。

 六、七キロしかないのだろうが、それでも痛む腕では切っ先を上げておられず、ズンとそれを床へと下ろしてしまう。

 

『……重いって思っても、女性に対して言うもんじゃないわよ』


 叱咤する声が脳内に響き、桐人は申し訳ない思いで謝罪をした。


「はい、すいません……」


 一拍、二拍、三拍。

 数瞬の間を置いてから、少年がハッと我に返る。


「……って、はあ!?」


 まさかの事態に困惑し、目を白黒させながら、改めて目の前の大太刀を凝視した。


「……さ、佐々木、先輩?」

『どうかした?』


 思わず天を仰いでしまった自分を、誰も責めは出来ないだろう。


 周囲を見渡してもあの女性の姿は見当たらず、残ったのは眼前にあるこの大太刀。

 十中八九。漆黒でありながらも照明の光を反射して、白刃の輝きを放つこの刀こそが、彼女なのだろう。

 苦い顔をしながらもう一度、ゆっくりとソレへと視線を戻した。


「あの、えと……すんません。状況が掴めないんですが」

『私は動かないけど。だけは貸してあげるって言ったでしょう?』


 ああ、言ったとも。

 確かに言ったが、自分が聞きたいのはそのようなことではない。

 桐人は急く思いで彼女を問いただそうとしたが、その前に言葉を渡られる。


『それより、早く外に出た方が良いわよ』

「……へ?」

『蟲の匂いがする。それも相当臭い奴』

「……は!?」


 予想外の報告に、思わず声を上げる。

 見る見る急変してゆく事態。想定外の出来事。それらが桐人に更なる混乱を与え、憔悴感に駆らせる。

 言いようのない危機感を感じて、桐人は慌てて口を開いた。


「ど、どこに!?」

『外。かなり近い……多分、料亭の入口』

「……!!」


 思いっきり近い所に存在する蟲に驚然とする。

 なぜ、どうして、いつの間に。

 数々の疑問が走るが、その答えを掴む前に悲鳴と騒音が耳元まで轟いた。


「今の……!?」


 外の廊下、その奥。万葉が指し示した場所からだ。


 早まる鼓動を抑えながら、後先考えずに廊下へと飛び出した。

 大太刀を肩に担ぎながら仄暗い通路を走り抜けると、徐々に騒音もハッキリと聞こえてくる。

 道の終わりから差す光へと一直線に向かい、駆け抜けた。


「どうしたっ……!?」


 暖簾を潜り、飲み場へと足を踏み入れる。

 すると其処に又もや予想外の者が現れ、桐人は瞠目した。


『これは……随分とまた面白いことになってるわね』


 万葉の声が耳元を過る。だが、桐人はそれどころではなかった。


「妖怪にも、憑りつくのか!?」


 一本の角を生やした一つ目の妖。その眼は白目を向いており、布一つ纏わぬ背中から触手を伸ばしていた。

 筋肉を無理やり膨張させたのか、血管が幾筋も浮きだっている。


「片瀬殿!?」


 聞きなれた声が鼓膜を揺らす。

 視線を走らせれば、唐傘たちが『蟲』の傍で腰を抜かしていた。

 たぬまが唐傘を庇うように立ち、化け物と対峙している。

 

「いけやせん、片瀬殿! 今すぐ此処からっ」


 たぬまが桐人へと声を荒げた瞬間、憑りつかれた妖の断末魔が響く。霊圧を放ち、鼓膜を破るほどの悲鳴を上げ、ソレは形状を変化させた。


 上半身が膨れ上がる。それと共に肌の色が赤黒く染まり始め、奴の姿を更に醜怪なものへと変貌させた。

 身体が無理やり作り変えられる感覚に、妖は痛みでもがくように身体を振り回した。

 大きさが二倍になった腕が、鞭のように暴れ回る。


「危ないっ!」


 誰かが悲鳴を上げ、妖が腕を振りかぶった。その先には気丈にも立ち向かうたぬま。

 黒い鞭が奴を襲う。

 もう、駄目だ――誰もがそう思った瞬間。


 黒い影が奴の前へと飛び出した。

 

「え……?」


 強い打撃を覚悟して、瞼を固く瞑っていたたぬま。

 来るはずの衝撃がいつまで経ってもやってこず、恐る恐る目を開けた。

 すると、その先には。


「か、片瀬、さん……?」


 大きな太刀で妖の腕を受け止める少年が居た。


「……っお、も」


 重い。相当な馬鹿力を有しているであろう妖の腕を必死に押し返す。

 全身の筋肉が悲鳴を上げた。


 みしみしと音を上げる相手の腕。それを受け止めながら桐人は思考した。


(ちょっ……これ、どうすれば良いんですか!?)


 誰に対する質問ではなく、唯パニックに陥っていた自分が最も叫びたかった疑問だった。

 咄嗟の行動で飛び出たはいいが、流石にこの化け物の攻撃を受け止めるには無理があった。


 丈夫で、面積の広い太刀のお蔭か、妖と比べれば非力であろう自分にでもこの馬鹿力を止めることは出来た。だが、もう限界だ。

 みしみしと奴の腕が更なる音を立て、桐人を押しつぶすように力を増していく。

 このままでは押し負ける。桐人は焦りに焦った。


 圧倒的な体格差。大きな威圧感を持って奴の影が自分を覆った瞬間、桐人は恐怖を感じた。


――怖い。


 今更ながら相手と、死に対する恐怖が込み上げ、全身が震えあがる。

 だけど、こんな所で死ぬわけにはいかない。

 必死に思考回路を働かせて、何か策はないかと考えた。


(どうするどうする!?)

 

 そろそろ腕が限界だ。二の腕から痺れを感じ始めた瞬間、妖がもう片方の腕を振り上げた。

 本当に押しつぶされる――そう思った時だった。


『――斬れば良いじゃない』


 刹那。桐人の脳裏に、『何か』が流れた。


 柄を握る手をずらし、持ち方を変える。

 妖が動く寸前、腕を受け止めていた刀身を滑らせた。

 流れるようにそれを振りぬき。足を一歩、強く踏み込む。


 弾かれた妖の腕。崩されるバランス。巨体が後ろへと、ほんの少しだけ仰け反る。

 瞬間、間合いが一気に詰められた。


――黒い閃光が視界を切り裂く。


「あっ……」


 どさりと土埃を上げながら、巨体が後ろへと倒れた。

 見ればその胴体に一筋の紅い線が走っており、奴が斬られたことに気付く。


「え、え、え?」

「いま、何が起きた!?」


 緊張を含んだ重い沈黙が流れた後、現場に居た全ての者が目を白黒させた。

 桐人の背後でへたり込んでいたたぬまたちが、奴の背中を凝視する。


「か、片瀬殿……?」

「……」


 戸惑ったように此方の名を呼びかける唐傘たち。

 だが、それは耳元を掠めるだけで、桐人の意識までは届かなかった。


(いま、俺……)


 頭を占めるのは今先程の出来事。

 脳裏に走った『何か』と咄嗟に動いた身体。仰け反る大きな巨体に、自分が刀を振りぬく瞬間。


 自分が今したことに驚きはした。だが周りのような、喜色めいた感情は覚えなかった。


を、斬った……)


 呆然と己の手を見つめた。

 強く握り過ぎたのか、柄巻の跡が付いた赤い掌。そこに残るのは肉を斬った重い感覚と、生々しい感触。

 皮、肉、脂肪。全てを繊細に感じ取ったわけではないが、それ等を斬った実感が残っており、強い衝撃を覚えた。

 

 桐人は唐突に怖くなった。自分がいま立っている、この現実が。

 妖を斬った感触とその瞬間が何度もフラッシュバックし、急激な吐き気が身体の底から込み上げてきた。胃液が胃から喉へと這い上がり、思わず口を抑える。


 全身が恐怖と衝撃から震え上がった。


――俺は、今……何をした――?


 何が何だか分からなくなって、眼球の奥が熱くなる。

 目の前の巨体はピクリとも動かない。

 下腹から方へと斜めに走る赤い一直線。血は流れておらずとも、抉られた肉が生々しく盛り上がっていた。

 

「あ……あ、」


 小さな小さな、掠れた悲鳴が口から零れそうになった。瞬間。


『落ち着きなさい』


 透き通るような声が思考へと浸水する。


『よく、見て。こいつは死んでいない。斬りはしたが、致命傷は避けられている』


 言われて、揺れる瞳をその身体へと向けた。しっかりと目を凝らし、視線を奴の胸元から喉へと移す。


(いき、てる……)


 微かに上下していたそれに気付き、息を漏らした。

 良かった、死んでいない。その事実に桐人は安堵し、肩の強張りを解く。


「蟲は……」

『しっかりと、食べさせてもらったわ』


 見ればあの伸びていた触手がない。原型を失って、崩れ落ちている。朽木文子の時と同じ――蟲が取り除かれた証拠だ。

 

「そっか……よかった」

「片瀬殿! 片瀬殿! どうされたのですか!? というか、今のは」


 ほっと、肩の力を抜いた瞬間。唐傘たちが己の身体を揺さぶった。

 それに目を丸くしながらも、状況を説明しようと口を動かす。だがその前に、別の悲鳴が今度は料亭の外から響いてきた。


(……まさか!?)


 嫌な予感がして、外へと顔を出す。そして見えたその光景に桐人は唖然と言葉を失った。

 

「うそ、だろ……」


 逃げ惑う妖怪たちに、視界の彼方此方で飛び舞う触手。

 ひくりと、口が引き攣るのが分かった。


「なんだよ、これ……」


 料亭の外、通りの左側。阿神谷通りの方角から来ている幾多もののソレに、万葉も異常性を感じた。


(阿神谷通りの方角……裏新宿の出入り口から来ているのか?)


 太刀と同化しても視界は見える。

 己の目に映る光景に、万葉は目を細める代わりに、刀身に鈍い輝きを走らせた。


『立ち止まっている場合じゃないわよ、片瀬くん……』

「え……?」


 何体もの『蟲』。どこをどう見ても、そして幾ら考えても、己の思考が導き出す答えは一つ――この事件の黒幕は街中を蟲で埋め尽くそうとしている。

 目的は『蠱毒』か、或いはまた別のものなのかは分からない。

 だが目の前に蔓延る蟲の数を見て、明らかにそれが一度に大量発生しようとしていることは分かった。


 『表の方』がどのような状況になっているのかは知らない。だが目の前の裏新宿はこのまま放っておけば『蟲』で荒らされることになる。

 

(一体、どうやってこんなに多くの蟲を寄生させたのやら……)


 そもそも妖が憑りつかれるなどというケースは珍しすぎる。

 目の前の憑りつかれている寄生主は殆ど人間ではあるが、少なくとも五体ぐらいは妖だ。


 こちらへと進みよる二十体以上もの蟲たちに、桐人は思わずたじろいだ。


『迷うんじゃないわよ』


 そんな奴を万葉が叱咤する。


『――覚悟したんでしょう?』


 その言葉に桐人はハッと我に返った。手に握る柄を通って、彼女の声が自分の思考へと流れ着く。


『君の身勝手な願いで私は今、此処でこうしている』


 あの黒髪の女性の姿は見えない。自分に話しかけている彼女は、今、この掌の中に居るのだから。

 だけど、あの深い琥珀色の瞳がひたりと自分を見つめているような気がした。


『形振り構わず、恥も何もかも掻き捨て、此処まで来た。私の都合も何もかもお構いなく、こんなことさせているんだ』


――今更、引き返すことは許さない。


 そう言われた気がした。

 自分の背丈以上はある刀身を視界に収めて、桐人はゆっくりと瞼を閉じた。


(まったくもって、その通りだ……)


 阿魂の邪魔をして、花耶を連れ去らせるきっかけを作って。土御門春一の忠告を無視して、自分は今ここに居る。

 唐傘にたぬま、そして万葉の手を煩わせて、図々しくも此処に立っている。

 もう、決めたのだ。その一歩を既に踏み出しているのだ。


――例え、誰かを傷つけることになっても。誰かの邪魔をすることになっても、


(俺は、菜々美ちゃんを助ける)


 もちろん最善の道は取る。人を傷つけることを避けられるのなら避ける。だけど、決して引き下がりはしない。

 もう十分迷った。十分考えた。その上で自分は結論を出したのだ。


「片瀬殿……?」


 後ろで不安そうに自分の名を呼ぶ声があった。

 振り向けば唐傘たちが不安そうに此方を見上げている。

 

「ごめん、からかさ、たぬまさん。悪いけど、その人の手当てしといてくんねーかな?」

「え……?」

「蟲ならもう取り除いてある。さっきみたいに暴れはしねぇよ」


 突然の申し出に唐傘たちは逡巡したように、お互いに目を合わせた。

 どこか心配そうな双眸が此方へと向く。


「片瀬さんは……これから、どうするおつもりで?」


 そうやって首を傾げたのはたぬまだ。困ったように眉間に皺を寄せているが、その瞳は桐人の考えを既に理解しているのか、確信の色を帯びていた。

 そんな奴に眉尻を垂らしながら、桐人は答える。


「ちょっと、行ってくるわ……」

「い、行くって、どこへ!?」


 バサバサと傘を仰ぐ唐傘。その隣でたぬまはどこか達観したように溜息を吐いていた。


「お気をつけて……」

「ちょっ、たぬま殿!?」

「いや、若いって良いですなぁ」

「土竜殿まで!? というか、いつのまに!?」


 諦めた様子を見せるたぬまに、今迄どこに行ってたのか、ちびちびと床に座って酒を嗜んでいる土竜。

 訳の分からぬ事態に喚き騒ぐ唐傘をしかたなさそうに見て、桐人は笑った。


「そういえば、今回は本当にからかさたちに助けられたよな」


 思えば自分が此処まで来れたのも、唐傘の言葉があったからだ。本当に、この妖怪たちには頭が上がらない。

 無事に全てを終わらせることが出来たら、お礼に何かをしてあげようと桐人は密かに誓った。


「じゃあな、また後で」

「はい、いってらっしゃいませ……お気をつけて」

「ちょっ、片瀬殿!?」


 こうしている間にも蟲たちは動いている。まだ距離はあるが着実に近づいてきている奴らを見て、大太刀を肩に担いだ。


 オロオロとパニックを起こす唐傘。その隣で静観したように立つたぬま。そして、よく分からない土竜。

 並ぶ影を見て苦笑し、再度道の先に居る蟲たちへと視線を戻して、心を強く持ち直した。

 大きな鼓動ががんがんと頭まで鳴り響く。早鐘を打つ心臓に蓋をして、掌に収まる赤い柄を握りなおした。


 そうして、なんてことのないように少年は笑う。


「……帰れたら、先輩にも何か奢らないとな」


 暗い夜空の下。

 その言葉に呼応するかのように、月に照らされた刀身が淡い輝きを放った。


 


こうして、少年は走り出した。

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