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 花耶たちが得体の知れぬ化け物に襲われている一方で、阿魂もまた、似た状況に見舞われていた。


「……」


 刑務所の敷地内、人の居ない駐車場。

 やっと片付け終えた蟲の『化け物共』を前に舌打ちをした。

 足元にはさきほど潰したばかり『化け物』の残骸。

 少しでも視線を上げれば辺り一面とまではいかずとも、化け物の死骸が彼方此方に散らばっていた。


 道の妨げとなっている残骸を足で避けながら、刑務所の裏口へと向かう。

 先程、霊気の揺れを感じた。

 陰察庁の式神が一応護衛として花耶に付いてはいるが、あれは阿魂からすれば雑魚だ。奴だけでは心許なく、霊圧を探りながら彼女の元へと足を急がせた。






♢ ♢ ♢ ♢ ♢ ♢ ♢ ♢


「きり、と……」


 背中の痛みを耐えながら花耶は桐人の様子を確認しようとした。

 自分の下敷きになっている元教師は精神的に限界だったのか、いつのまにか気絶している。


 首をゆっくりと後ろへと向ければ、壁際で倒れ込む少年の姿が辛うじて見えた。

 少年の方が『化け物』との距離が近く、危険なような気がして助けようと足を動かす。だが力が上手く入らず、男の上を退いたところで床につまずいてしまった。その動きに反応したのか、化け物の頭部が彼女へと振り返る。


「っ……」


 初めて顔を見た。

 己が目にした光景に花耶は悪寒を感じ、背筋が震えあった。


――なんと悍ましく、醜い姿をしているのだろう。

 

 異形な形をしたそれには人間の顔が埋もれていた。

 肌の白さのせいか、赤黒い身体に浮き彫んで見える。

 

「逃げろ……かや」


 痛みに呻きながらも桐人が訴えかける。

 だが花耶は足が竦み、身動きを取れずにいた。

 今動いたらその巨体に飲み込まれてしまうのではないかと、身体が硬直してしまったのだ。


 ズズズ。重い身体が滑るように床の上を移動しはじめた。

 ゆっくりゆっくりと巨体が此方へと迫りくる。唯々それを見上げることしか出来ない花耶は絶望した気分になった。


 札を使おうにも先程全て使い切ってしまった。陰陽術は基本的な霊力の扱い方しか習っておらず、技を知らない。

 どうしよう、どうしよう。

 必死に何か方法はないかと目を瞑って思考を巡らすが何も浮かばない。そうして迷っている間にもソレは接近してきている。


 ソレを目にした桐人は起き上がろうと焦って腕を立てた。だが、上手く力が入らずベシャリと再び床へと落ちる。

 背中に鈍い痛みが走り、顔を顰める。そうしている内に巨体が着々と少女との距離を縮めていた。

 

(くる……!)


 きたる痛みを覚悟するかのように少女はギュッと目を瞑った。

 そして大きな影が彼女に覆い被さった時だった。


「え……?」


 目の前の巨体が後方へと吹き飛んだ。

 視界に紅色がちらつき、花耶は目を白黒させる。


「おい、カス。てめぇ、誰の女に手を出してると思ってるんだ」

「あ、阿魂……?」


 見慣れた大きな背中が現れたことによって、思わず安堵した。桐人も助かった、というかのように溜息を落としている。


 ほっと息を吐くと同時に肩の力が抜ける。だけどその背中からはどことなく怒気が立籠って見えて、花耶は戸惑った。

 怒って、いるのだろうか。

 不思議そうに頭を傾げていると、ふわりと何かが被ってきた。白い布に視界を奪われ慌てる。わたわたと布を取り外すとそれは阿魂が着ていた制服のシャツだった。


「被っとけ」

「あ、うん……」


 言われた通りにシャツを羽織る。そうすれば切り裂かれた制服の背中部分が隠れ、自然と怪我も見えなくなる。

 阿魂の匂いがする。身を包まれているような心地を味わい、花耶は強い安心感を覚えた。

 ぎゅっと服の裾を胸元に手繰り寄せながら、目の前の鬼の動向を見守る。


 鬼は未だに変化を解いておらず、人間の姿のままだった。だが纏う覇気と霊圧は普通じゃない。

 ギロリと紅い双眸が化け物の巨体を貫く。


 廊下の壁をぶち破って十メートルは吹き飛んだ巨体は、のそりと起き上がる。


「随分と丈夫な身体してるじゃねーか」


 いつもより力を入れたんだけどな、と茶化す阿魂。対する化け物は確かに起き上がれてはいたが、無事ではなかった。先程と比べてその動きは鈍く、どこか不安定だ。


 こきりと阿魂は右手を鳴らした。


 化け物の触手が動く。一気に十本程増えたそれが阿魂を的に、射られた。

 けたたましい音を立てながらそれは床を貫き、その衝撃と共に土埃が起こる。

 一瞬の出来事に花耶は叫んだ。

 

「阿魂!」


 徐々に土埃が収まってゆく。見えるのは床を突き刺す何本もの触手。だが死体はおろか、血の一滴さえも見えない。

 赤黒い巨体が何かを探すように頭部を忙しなく回した。途端。


「っあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁああ!!」

「っ!!」


 巨体が急に悲鳴を上げた。

 それは少女のような、赤ん坊のような、鼓膜を破るほどの高音だった。

 あまりの不協和音に花耶たちは咄嗟に耳を塞いだ。次いで巨体に何が起きたのか、確かめるように視線を向ける。


「あ、阿魂……」

「まて、阿魂!」


 見れば阿魂がその腕を巨体の背部に突き刺していた。

 苦しいのだろう。巨体は顔を床に伏せたまま、のたうち回るように蠢いている。

 花耶は戸惑ったように唇を震わせ、桐人は焦ったように声を荒げた。


「あごっ……!」


 瞬間、桐人の腹に激痛が走る。下を見れば其処には血が滲んでおり、激しい熱を帯びているように感じた。

 背中からも鈍い傷みが広がり、思わず顔を歪める。


 此処からでも阿魂の顔は見える。化け物の背に乗る奴は笑っていた。楽しそうに味わうように目の前の巨体をいたぶっている。


 背に突き刺したままの腕を抜かないのは何故だ。止めを刺さないのは何故だ。


 残虐な色が奴の瞳から見え隠れして、桐人は息を飲んだ。

 『ソレ』は自分が昔想像した『妖怪』そのものだった。

 ぞくりと先程とは非にならないほどの悪寒が背筋を走る。


「阿魂!」


 嫌な予感を覚えたのだろう。花耶が咎めるように阿魂の名を呼んだ。だが、当の本人は気にした様子もなく口を開いた。


「安心しろ。ちゃんと仕留める」


 その言葉に花耶は息を呑んだ。険しい顔で懸命に言葉を探そうとするが、唇を震わせるだけで終わってしまう。

 確かにこの化け物は被害が増大する前に仕留めた方が良い。だけど阿魂のやり方は間違っている気がして、当惑したのだ。


 桐人も奴を止めようとするが、耳を傾けられることは決して無い。ならば、と動こうとするがやはり痛みが強すぎて身体に力が上手く入らない。


「……ケ、て」


 痛みに耐えようと腹を抑えていると不意にか細い声が耳元まで届き、顔を上げた。

 すると床に伏せていた巨体の顔――その虚ろな双眸とカチリと目が合い、桐人は目を見開いた。


「な、ななみちゃっ……」

「……ヶて」


 埋もれた少女の顔が涙を流した。

 微かに聞こえた声に桐人は唇を噛む。面差しを上げた先には、何をしているのか――未だに腕をその巨体に突き刺したままの阿魂が居た。


 何かを探すように背部をまさぐっているように見える。距離も近い事があり、ズブリズブリと身の毛のよだつような音を微かに聞き取ることが出来た。


「阿魂! お前、何してるんだよ!?」

「心臓を探してる」

「しん……!?」


――握り潰す気か!?

 

 生きながら体内を弄り、心臓を潰すなど。なんという残酷な行為をこの男はしようとしているのだろうか。

 桐人は声を荒げた。


「やめろ! 今すぐにだ!」


 止めなくては。

 何故こうなっているのかは分からない。「この子は風間菜々美だ」と己の勘は告げてはいるが、本当にそうなのかという疑いと不安もある。

 だけど、このままにしてはいけない。


「頼む! その子は……!」


 俺の知り合いなんだ。

 そう言葉を繋げようとした時だった。床が唐突に揺れ、痛みにのたうち回っていたはずの巨体が咆哮を上げた。

 すると阿魂は何を察知したのか、即座に背部から腕を引き抜き其処から遠ざかるように飛び降りる。

 

「……?」


 あの身体に腕を突き刺していた時、ちくりと何かに刺されたような気がして手首を確かめた。すると、其処には虫に噛まれたかのような刺痕が二つ。

 恐らくあの巨体の中に『別の何か』が居るのだろう。


 「コレは早く片付けた方が良いな」と、腕を構える。


「阿魂!」


 いち早く阿魂の狙いに気付いた桐人はやっとの思いで立ち上がった。だがそんな制止の声も虚しく、阿魂は既に目の前の巨体に拳を減り込ませていた。


 とてつもない馬鹿力によって化け物は壁へと激突し、瓦礫に埋もれながら倒れる。


 グッタリと力無く横たわるソレに阿魂は悠然と歩み寄り、これで最後だというかのように右腕の変化を解いた。

 妖力が腕から迸り、黒い刺青模様が覗く。


 そして、腕を振りかぶった瞬間。


「やめろっ!!」


 まだ人間の状態のままだった左腕を引っ張られた。

 何時もなら気付くはずの気配に気付けず、阿魂の意識が一瞬逸れる。

 そしてまるでソレが合図だったかのように、弱っていたはずの化け物が猛スピードで動き出した。


「なっ……!?」

「へっ!?」

「うそ……!」


 突然の出来事に男たちは驚愕し、花耶は自分の方へと突進してくるソレに身構えた。


「ちィっ……!」


 大きな舌打ちをしながら阿魂が踏み込んだ。だがその瞬間、腕から鋭い感覚が神経を走り、身体が硬直する。

 予期せぬ感覚に阿魂は眉を顰めた。先程の噛痕だ。やはり毒だったかと、舌打ちをしたくなった。


 だが問題はない。どの道、あの化け物が狙っているのは花耶ではない。

 素早く奴の目的に勘付いた阿魂は、花耶から少し離れた距離に居る『標的』を見た。


「花耶!」

「違う……」「え?」


 焦ったように駆け出そうとする桐人。無意識に阿魂が零した呟きを拾い、思わず踏み止まる。


 その一瞬。化け物の視線が花耶を通り越して、何かを貫いた。

 思わずその視線を辿って後ろへと振り返る花耶。見えたのは床の上で失神する元教師だった。


――まさか、


 黒い大蛇もどきが方向を上げながら男へと突進してゆく。

 花耶は我知らず走り出した。

 

「おい!?」


 脊髄反射で彼女が起こしてしまった行動に、阿魂が驚然と叫んだ。

 がぱりと涎を垂らしながら化け物の胴体が、口のような裂け目を開く。


「ごめんなさい……!」


 花耶は足にありったけの力を込めて飛び出し、男を退かすように横へと蹴り飛ばした。

 横っ腹に蹴りが減り込んだ男は唸り声を上げながら床を転がった。そして。


「花耶っ!?」

「あんの馬鹿!」


 避ける暇もなく、花耶が化け物に飲み込こまれた。


 ほんの瞬きで消えた少女に桐人は絶望し、阿魂は即座に対応した。

 まだ彼女は死んでいない。飲み込まれただけだ。

 

 身体を蝕んでいたはずの毒など素知らぬ顔で駆け出す。

 花耶を飲み込んだ勢いのまま、列車のように壁を突き破って外へと飛び出す化け物を片手で鷲掴もうとした時だった。

 あと一センチ程の距離で横から何かが突進してきた。

 見れば今のとは別の、また新たな『化け物』で阿魂は忌々しげに吐き捨てた。


「蟲風情が……!」


 一瞬だ。一瞬でそれを切り裂き、肉塊へと変える。

 そのまま瞬時に花耶を飲み込んだもう一体を探すのだが、既に何処かへと消えていた。


 ぶち壊された廊下の壁穴から外を見渡す。

 気配を探り当てようと神経を研ぎ澄ませるが、『化け物』が他にも数体出現しているのか、雑音ならぬ雑念が多すぎて感知できなかった。


 まさかの事態に阿魂は深い溜息を吐いた。がしがしと頭を掻く。


「あー……糞が。しくじった」


 残ったのは瓦礫と穴だらけになった廊下。一人の鬼と少年、そして未だ気絶したままの男。


 阿魂は思考する。

 今、我武者羅に動き回ってもあの『化け物』を捕まえられるわけではない。


 あの背中の怪我が気がかりではあるが、花耶は土御門から『印』のまじないをかけられていたはずだ。

 あれは物理的な攻撃を防ぐことは出来ないが、『神の欠片』自身含む、彼女を囲う周囲の妖の霊力を抑える力がある。

 それのせいで逆に花耶やあの化け物の霊気を辿りにくくしているのだが、春一なら分かるはずだ。奴は『印』を付けた張本人だ。呪いを使って彼女の探知が出来るはず。


「赤鬼!」

「おお、丁度良い」


 噂をすれば、だ。

 メガネをかけた青年が部隊を引き連れてきた。土御門春一だ。

 その後ろにはスーツを着た陰察官も居れば、仮面を被った式神も居る。


 ふと外から騒音が聞え、ちらりと視線を向ければ他の陰察官たちが化け物、基、『蟲』の群を制圧していた。


 やっとお出ましになった陰察官に阿魂が口角を上げる。


「沢良宜は?」

「蟲に飲み込まれて連れてかれた」

「は!?」


 まさかの事態に、今しがた到着した春一は頭を抱えそうになった。


「食われたのか!?」

「いや、あれは喰われたっつーより捕獲されたな。安心しろ、俺のシャツを着てる。あいつが自分から脱ぎさえしなければ、俺の匂いを嫌がって喰われやしねぇよ。その内、吐き出されるんじゃねーの?」

「お前が居るのに、まさか連れ去られるとはな……」


 あまりの事態に焦りの境地を通り越して冷静になったのか、それとも元からの冷徹な性格ゆえか、春一はソレをまるで小さな問題かのように扱った。

 怪我の手当てを受けながらも切羽詰まったように怖い顔をする桐人とは対極の態度だ。


 阿魂も何処か平然としており、感情の起伏が見えない。


「そもそもの狙いが花耶だったかは定かじゃねぇけどな」

「どういうことだ?」

「あそこに寝転がってるアレだ。回復のために食うつもりだったのか。寄生主の方が個人的に恨みを持っていたのかは知らんがな」


 くい、と鬼が親指で指す先は何時ぞやの元教師。

 またコレか、と春一は眉を顰めた。


「やはり、蟲か」

「さぁな。それより小僧、花耶の居場所を探せ、今すぐ探せ」

「言われなくとも分かっている」


 背後の式神に現場の指示をしながら、懐から小さな羅針盤を取り出す春一。横暴な言葉で急かす阿魂を横目に四角いソレに陣を展開させる。

 淡白い光が線を描き、羅針盤を照らす。


「北東」

「おい」


 簡潔すぎる答えに阿魂はこきりと指を鳴らせた。

 それを意にも返さず春一は溜息を吐く。


「仕方がないだろう。『印』を辿ろうにも反応が弱すぎる。それに俺は鑑識官や情報官のように霊視に特化しているわけじゃない。正確に位置を把握するには時間がかかるんだ」


 ちっ、と何度目になるか分からない舌打ちを阿魂が繰り返した。

 苛立ち交じりに頭の後ろを掻きながら壁に開けられた穴へと向かう。


「どこへ行くつもりだ」

「あの阿呆を探す。ついでに蟲を潰してくる」


 此処で陰察庁の探索を待っていても意味はない。自分で霊気を探り当てた方が早そうだと阿魂は壊れた壁へと手を掛けた。

 そうして外界へと飛び出ようとした瞬間、とある声に呼び止められる。


「待て、阿魂。あの子を、殺さないでくれ……」

「あ?」

 

 いつもなら気に留めもしなかった声を、阿魂は煩わしそうに拾った。

 振り返れば少年が式神に支えられながら、立とうとしているのが見えた。すっと、阿魂の目が細まる。


「悪い。今、よく聞えなかった」

「あの子は、」


 耳をほじくりながら呆れたように言葉を溢す阿魂。

 桐人は再度、繰り返すように口を開いた。が、その前に胸元の襟を掴み上げられ言葉を飲み込みざるを得なくなる。

 どん、と背中を壁に押し付けられ、視界の端で慌てる式神が映った。


 息が苦しくなり、手を離してもらえるよう相手の手首を掴もうとするが肩が上手く上がらず断念する。

 視線を眼前の鬼に向ければ、瞳孔の開いた双眸が見えた。


「ふざけるのも大概にしろよ」


 ドスの効いた声が空気を震わした。


「っ……」

「餓鬼が、力もねぇくせにしゃりしゃりと出しゃばりやがって」

「それは……けど」

「ありゃ、お前の知り合いみてぇだがそんなのこっちの知ったこっちゃねぇんだよ。アレは人の物に手を出した。だから消す。お前にどうこう言われる筋合いはねぇ」


 言葉を曲げる気は無い阿魂。間違いなく、奴はあの『蟲』を寄生主ごと殺すつもりだった。


「それとも何か。お前は花耶がこのまま連れ去られたままで良いってか?」


 嘲り交じりに笑う阿魂に、びりびりと肌を刺激する威圧感。

 じくりと奴の言葉が、桐人の心を突き刺した。

 花耶があの蟲の化け物に飲み込まれた時の光景が脳裏を過り、鈍い痛みが奴を襲う。


 ――俺のせいだ。


 あの時、桐人が阿魂の腕を引かなければ。邪魔をしなければ。こんなことにはなっていなかったのだろう。

 悔いても悔やみきれない事実が奴の心を蝕む。

 

 ――だけど、あのまま止めなかったら。


 風間菜々美は阿魂の手によって葬り去られていただろう。

 彼女のことを知る桐人はそれがどうしても許せなかった。あの時、飛び出したのは条件反射だ。後先考えずに桐人が起こした行動だった。


 わからない。どうしたら良いのかわからない。

 だけど、花耶を大切に思う桐人は風間菜々美も見捨てられなかった。


 阿魂に彼女を助けてくれと頼むのは筋違いだ。分かっている。だけど桐人はそれでも言わずにはいられなかった。


「頼む、阿魂……あの、子は」

「お前の都合を俺に押し付けるな。悪いが俺はお前のこともあの蟲のこともどうでもいい」


 呻きながらも懸命に口を動かす桐人。だが阿魂は無情にも奴の意見を切り捨てた。


「お呼びでもねぇのに飛び込んできやがって。散々ひっかきまわした後に助けてください、か? 図々しいにもほどがあると思うがな」

「っ……」

「足を引っ張るしか脳の無い粕が、何もできねぇくせに口出ししてんじゃねぇよ」


 最もな言葉だ。最もで的確な言葉だったからこそ、桐人は歯を食いしばった。何も言い返せなかった。

 自分の都合で周りに多大な迷惑をかけてしまったことを、桐人は自覚していた。


「赤鬼」


 険悪な雰囲気を纏う二人に痺れを切らしたのだろう。春一が仲裁をしようと声をかける。

 すると阿魂は興味が失せたように桐人の襟を離し、解放された桐人はそのままズルズルと床へと尻餅を着いた。やっと息がしやすくなり、ケホケホと咳き込む。

 

 先程の威圧感はどこへ行ったのか、阿魂は素知らぬ顔で再び外へと向かいだした。


「あれを助けたいのなら勝手に自分で助ければ良い。ただし、我の邪魔にはいったら」


 外へと足を踏み出す瞬間。猛禽類を思わせる眼光が此方を射抜く。


「死んでも怨むなよ」


 本気だ。この男は嘘を言っていない。

 恐らく自分が奴の妨げになることがあれば、意図もたやすく踏みつぶされるのだろう。きっと阿魂にとっては、なんてことのない石コロのように。


 それでも桐人は納得できず、外へと飛び出る奴を引き止めようと足を踏み出そうとした。

 途端。足から力が抜け落ち、床へと倒れ込む。


「おい、担架を呼べ! 今すぐにだ!」


 一人の陰察官が怒鳴り声をあげるのを視界の片隅に収めながら、桐人はぼんやりと思考した。


(……いてぇ)


 鈍痛に見舞われる中、視界が暗転する。








♢ ♢ ♢ ♢ ♢ ♢ ♢ ♢


「へい、お待ち!」

「どうも」


 裏新宿三丁目。東八町亭ひがしはっちょうてい

 妖怪共の騒ぎ声が耳奥まで響く。どんちゃどんちゃん。茶碗を箸で鳴らす酔っ払いたち。

 天井を掛けながら鬼ごっこをする窮鼠やきゅうりを幸せそうに齧る河童。

 

 料亭のはずなのだが、個室とは別の飲み場である此処は相変わらず騒々しい。

 個別にすれば良かったかな、と万葉はちょこっとだけ思いながら差し出されたおでんの具を口にした。

 だがこういう和気藹藹とした場は嫌いでもない。「偶には良いだろう」とそのままカウンター席で酒を嗜めた。


(あー、美味い……偶には酒も良いな)


 普段は炭酸系のジュースを好む万葉だが、今夜はほろ酔い気分を味わいたくて酒を仰いでいた。


「おや。万葉殿が酒とは、こりゃまた珍しいですな」

「土竜」


 ひょこりと顔を出したふさふさの小人爺に万葉は目を瞬かせた。

 

「いたの?」

「飲み場は情報収集に必須の場ですからな。あ、私は芋焼酎で」


 丁度空いていた隣の席に腰掛けながら土竜が酒を注文する。バーテンダーのような格好をした化け狐が畏まったようにオーダーを受け取って、後ろの棚から酒瓶を取り出す。


「しかし、本日はこれまた騒がしい一日だったようで」

「……なんの話?」


 突然投げかけられた言葉に万葉は首を傾げた。


「蟲ですよ」

「ああ……」


 また何処かで事件が起きたのかと万葉は感慨無さげに杯に口を付けた。


(そういえば、風間くん。どうしたかな……)


 昼間のあの様子だと恐らく何もしていないのだろう。


 それもそうだ。いきなり札だのお守りだのと言われたら「え? 何? この人電波?」と、誰だって普通は思う。特に札。札なんてどこのオカルトだよ、と自分も何も知らない一般人だったら、そう思うに違いない。

 あの時の風間の様子がありありと脳裏に浮かんだ。


(ひいてたなー……)


 ぎょっとした奴の顔が鮮明に浮かび上がり、「あーあ」と万葉は溜息を漏らしたくなった。


(いや、でも体調崩したから神頼みって……ないか。千羽鶴ならあるけど。てか、唯の風邪って思ってるみたいだったし)


 余計な事を言ってしまったかな、と頬を掻く。教室に戻っても土御門が呼び出された様子は無かったし、唯の戯言と風間に片付けられたのだろう。


(ま、いっか)


 一応忠告はしたのだし。それで妹さんが蟲に侵食されてしまったらご愁傷さまではあるが。

 気を取りなおすかのように最後の卵を口に含んで、万葉は土竜に続きを足した。


「で、何があったわけ?」

「一時間ほど前ですかねー。府中刑務所が蟲に襲撃されたようです」

「……は? 刑務所?」


 これはまた随分と脈絡のない場所を襲撃したなと、眉を顰める。狙いは囚人か混乱か。はたまたは単なる蟲の暴走か。


「そこに『神の欠片』がいらっしゃったようで、現在、行方不明になっているらしいですよ」


 そのまさかの事実に万葉は目を丸くし、疑うように土竜を見つめた。だが奴が嘘を吐いたところでお互いに何のメリットもデメリットもないので、直ぐにその疑いも晴らす。

 同時に呆れの念を覚えた。


「……陰察庁も随分と間抜けになったようで」


 ご愁傷様、と言葉を溢す。


 しかし、易々と沢良宜花耶を連れ去らせた陰察庁は一体何を考えているのか。

 何か思惑があるにしたって『神の欠片』を奪われるなぞ、馬鹿にも程がある。


 そして沢良宜花耶もだ。もし食われていたのだとしたら、彼女を喰らった妖の急激な進化による霊災が起きているはずだが、その気配も予兆も感じない。だとすれば生死はともかく、彼女はまだ喰われていないはずだ。


(そもそも蟲は彼女を食えない、か……)


 ふと蟲の生態を思いだし「多分無事なのだろう」と思考する。同時に彼女が何故あのような場所に居たのか考えた。


(刑務所に居たのは……あの、元教師か)


 彼女が府中刑務所に居た理由などそれぐらいしか思い当たらない。

 

 つくづく馬鹿な女だと内心で吐き捨てる。会いに行ってどうするつもりなのだろうか。優しい言葉を掛けるのか、それとも何故あのようなことをしたのかと問い詰めるのか。どちらにしたって鼻で笑い飛ばしたくなる行動である。


 一体あの女は何がしたいのやら。


(はてさて)


 このまま死ぬか、しぶとくも助けられて生き残るのか、見物といえば見物である。

 とぷりと二杯目を傾けながら万葉は、この先の結末に純粋な興味を抱いた。


(……そういえばあの変態のこと忘れてたな)


 紅色が脳裏にちらつき、万葉は思いなおした。今頃愛しの女を無様にも連れ去られて怒りの沸点を超えているのかな、と少し愉快に思う。そして同時に奴にも呆れの念を覚えた。


 まったく、『酒呑童子』が付いていながらこのような失態を犯すなど誰が思っただろうか。油断していたにしても程がある。あの最強最悪の鬼が随分と腑抜けたものだ。


(それとも相手がそれほど知恵が回る奴なのか……)


 ふと今回の事件の裏が知りたくなって万葉は土竜を横目に見た。


「土竜、この事件。どう思ってる?」

「はて……私には何とも」

「天下のモグラ爺様お手上げ、か」

「随分と難解な事件になっておりましてね。蟲の出所もなんとも……」

「へぇ」


 困ったように頭の裏を掻く土竜。その姿を見て万葉は「こりゃ、S級犯罪者が妥当だな」と、溜息を漏らした。


 ちらりと出入り口に目を向ければ、外は既に暗い。赤提灯がちらほらと吊るされながら通りを明るく照らしている。

 陰の世界に生きる者たちが活発に動く時間だ。

 夜はまだまだ長い。

 次は何を食べようかと万葉は再び店内のメニューへと視線を戻した。


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