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『23時の幽霊』

作者: タミヤケイ

 『23時の幽霊』


 ある晩、自宅に帰ると「それ」はいた。

 なんてことはない、24でこの家に住み始めて10年、何度もあったであろう、いつもどおりの一日。

 そんないつもどおり一日の終わりだった。仕事を終え、「今日はもう飯いいかなぁ」なんて事を考えながら自宅の鍵を開け、電気をつける。と「それ」は家の中にいたのだ。


 私だ。私が、もう1人いる。


 始めは泥棒かと思いおもわず声を上げてしまったが、私が鞄を盾代わりに身構えても何もしてこないので、恐る恐る「それ」を確認すると、目の前の人物はまさしく「私」だった。

 あまりの事に恐怖し、部屋を飛び出すところだったが「それ」は私には目もくれず…と言うよりまるで私の存在など気がついていないかのように部屋の真ん中に座り、何もない方を向いてニヤニヤとしていた。

 その様子を見ていたら、なんだかだんだんと腹が立ってきて「おい!なんだお前!」と怒鳴りつけてみたが、「それ」はまったく反応せず、「どうしたものか」といよいよ私が途方にくれていると、「それ」は突然立ち上がり、こちらに向かって歩いてきたではないか。

 私は「襲われる!」と思い、とっさに一歩退いた次の瞬間、襲われるよりももっと恐ろしい事が起こった。

「それ」は私の体を通り抜け、何事もなかったように台所の方へ歩いていったのだ。

 恐怖で血の巡りの悪くなった体を何とか捻って「それ」の行き先を確認すると、私の事などお構いなしに、おかしな行動を取っていた。

 パントマイムだろうか?冷蔵庫の前で、冷蔵庫のドアを開けるまねをし、何かを取り出し、飲むふりをしながら、再び私の体を通り抜けて、元の位置へ戻ったのだ。

 ますます良くわからなくなってきたが、とにかく害はなさそうだ…。

 私の頭に少し冷静さが戻ってきたところで、私は一先ず「それ」を「幽霊」と呼ぶ事にし、改めて観察してみることにした。

「確かにこいつは『私』だ。『私』には違いないが、どこか違うような…」

 そう言って首をかしげたところで、あるものが目に留まった。幽霊が首から下げている青いタオルだ。

「あれは確かいつだかのワールドカップの時の…」

 何年ほど前だっただろうか、その当時サッカーのワールドカップが日本で行われており、仲間とわいわいスポーツバーで試合を観戦する。と言うことが流行っていた。

 かく言う私も、友人からスポーツバーに行こうという誘いを受ける事ができ、サッカーなど微塵も興味がなかった私だが、仲間と騒いでみたかったし、なにより、話題についていけなくなる事が嫌で、欲しくもないタオルを買い、当日の会話の「ネタ」に、と毎夜遅くまで観戦していた事を思い出した。

 しかし、ほとんどの日本人がそうだった様に、サッカーへの熱意と、あの青いタオルはワールドカップの終了と共にどこかにしまったきり、それ以来一度も目にしなくなってしまった。

 結局日本はどこまで勝ち進んだのか、何にあれほど夢中になっていたのか、少し思い出してみようとしたが、すぐに無駄な事だと思いやめた。

「そうか…お前は…」

 幽霊が何の幽霊か、解かった気がした。

 あれは私がこの部屋で過ごした時間。私の過去だ。

 試合に動きがあったのか、幽霊はタオルを掲げ、嬉しそうに笑いながら何かを呟いている。口は動いているが、声は聞こえてこず、まるでサイレント映画の立体上映のようだった。


 それから幽霊は度々現れるようになり、私が幽霊の出現にはいくつかルールがある事に気がつくまで、それほど時間は掛からなかった。

 一つ、幽霊から私は見えないし、お互いに干渉できない。私が一方的に観察するだけだ。

 一つ、幽霊が出る時と消える時を私は見れない。瞬きした瞬間に彼はいつの間にか部屋にいて、いつの間にか消えている。

 一つ、幽霊が現れるのは23時から0時までの1時間。この理由はまったく見当がつかなかった。


 幽霊が過ごす過去は時系列がバラバラで、5年前だったり7年前だったり…そこに規則性はなかった。

 彼を見ていつの事か思い出す日もあれば、まったくいつの事か思い出せない日もあった。

 思い出せない日の彼を見るたび、自分が普段、一日一日をどれだけ無駄に過ごしていたのかを思い知らされた。

 幽霊の行動は全て1人芝居で、その上声も聞こえないので、思い出せない日の事は、何をしているのか自分で想像するしかなかった。

 何もないところに座り、大笑いする昔の自分。たぶん4年前の友人の誕生日会の日だろう。部屋を模様替えする時に捨てた、今はなきソファで、友人は酔いつぶれていた。

 思わず「あの時は本当に楽しかったなぁ」と呟いてみる。その友人と連絡を取らなくなって随分たつ、あいつは今何をしているのだろう。

 幽霊は、ほとんどがただただ日常生活を再生しているだけだったが、時折裸で腰を振っている時があった。セックスと言うのは、相手が見えていないと実にバリエーションに乏しい。突然現れて1人裸で腰を振る自分。なんとも情けない気持ちになる。

 しかし、そういった面も含めて、私はいつからか彼の…自分が失くしてしまった自分の姿を見ることに楽しさを感じていた。

 仕事を終え、たぶんテレビを見ているだろう彼の隣に座り、ポツリポツリとその日の出来事を彼に話す。もちろん、なんの返事も返ってこない。私の独り言だ。

 それでも、家に帰って「誰かに話をする」ということは私にはかなり久しぶりの事だ。

 この家に住み始めて10年。10年の間には、帰宅すると玄関の鍵を開けてくれる相手がいた時もあった。

 毎日のように呼び鈴を鳴らし、いつまでたっても帰らない友人もいた。

 しかし、そんな彼らは、私が時の流れの速さについていけず、あほ面を下げてポカンとしている間に、結婚し、家族を作り、自分の居場所を作ったり、病気や事故でこの世を去ってしまったり、人生と言う大きな流れに、時には乗り、時には飲み込まれていった。

 …私にはそれが怖かった。それをしていない事に気がつかされる事も。

 だから1人、なるべく何も変わらないよう、なるべく何も感じないよう、今日までこの家で生きてきた。

 そんな臆病な私には、何も話さず、一時間で消えてしまう幽霊はとても都合のいい話し相手になっていった。

 私はその時、安らぎすら感じていたのかもしれない。


 幽霊が現れるようになってから2年がたったある日、私はいつものように、彼が今日はどんな過去を見せてくれるのかを動きから推理しようと観察を始めた。

 今日の彼はとても物静かだ。うつろな表情で虚空をジッとみつめ、身動ぎ一つしないで座っていた。

「さすがにこれはいつかわかんないな」と彼の隣に座り、どこを見るということもなく視線を泳がしてみた。目の前の鏡が目に入る。そこには当然のように自分と幽霊が写っている。

「あっ、鏡うつるんだ」なんて事をぼんやりと考えていると、どんどん頭の中から思考は消えていった。こうなるといったいどちら幽霊で、どちらが私かわからなくなってきた。

 何も話さず何もせず。鏡越しに観察を始めて40分近く私たちはそうしていた。

 故意になのか、ぶつかってしまっているのか、隣の部屋から時折壁を叩く音が聞こえる。

 週末は嵐になるのか、窓の外から聞こえる風の音は冷たく吹き荒れていた。

 普段は脇役になってしまう音に耳を傾けながら、「今日はこのまま0時を向かえるのかな」とぼんやりと考えていた矢先、変化が訪れた。彼が涙を流し始めたのである。

「おい、どうした?」

 私は思わず声をかけていた。もちろん彼は何も答えず、ただ静かに涙を流し続けるだけだ。

 いったいこれはいつの記憶なんだろう。

 なんで思い出せないんだろう。

 何がこんなに悲しかったんだろう…。

 気がつけば私も涙を流していた。

 私は私がなぜ泣いているのか、なにが悲しかったのかまったく思い出せなかったのだ。

 思えばもう何年も感動をしていない。涙を流していない。しかし、目の前の幽霊は、昔の自分は確かに涙を流している。

 怖い。と思った。

「いつ」か思い出せない事がじゃない。私が変わってしまった事がだ。

 いつから私は人生の喜びや悲しみに背を向けてしまったんだろう。テレビやパソコン、限られた場所や空間の情報だけを聞き、自分に関係ないものからは目をそらし。そうして、私はこれからも、何も感じないままこの部屋で生きていくんだろうか。だとしたら、彼は、この幽霊は…。

 その時、玄関の方から強い視線を感じ、同時に何かが音を立てて倒れた。

 驚いて振り返ると、立てかけてあった傘が床に倒れていた。不思議に思いながらも正面に向き直ると、幽霊はもう消えていた。

 私はそれから彼のいた場所に座り、しばらく彼がなぜ泣いていたのかを考えたが、何も思い出せそうになかったので、変わりにあの視線の事を考えた。


 あの視線は未来の私だったのかもしれない。私もまた、別の私に観察されていたんじゃないだろうか。そうだとしたら、彼の目には私はどう映ったのだろう。


 できる事なら、私はそれを知りたくない。


 立ち上がり、パソコンの電源をつけると、インターネットの検索エンジンに「引っ越し」と入力した。

 明日は仕事を休んででも、不動産屋に行こうと心に決めた。









  終わり

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