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隔離階層  作者: 魚の涙
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労六繊維本社

 労六繊維本社最上階。一面ガラス張りの部屋の中央に存在する黒い柱。

 その柱の中は窓も入口も無い部屋。

 入口は強引に作られていた。

 入口の無かった部屋に足を踏み入れたのは、課長代理の七郎。

 社内ではうつつの右腕とも、うつつの走狗とも言われている。

 白い肌、黒いズボン、白い靴、黒い髪、黒い詰襟、金色の飾りボタン。労六繊維社内で唯一、制服を着用していない正社員でもある。

 七郎は入口を作った回転鋸を後ろに放り投げ、眼だけを動かして室内を見回した。

 オリジナルの社長が完全に死んだ後、長きに渡って労六繊維を掌握していたとされていた複社長連は、主幹の一体を残してことごとく死に絶えていた。

 七郎は今度は顔を動かして複社長連の死体をぐるりと見回す。

 その顔には困惑した様な笑みが貼り付いていた。

 その横で無感動な表情で佇むのが、うつつの左腕と言われる平社員のナシである。

 雨風にさらされて煮物色になった貫頭衣と、ざんばらな長髪が相俟ってその風貌は酷くみすぼらしい。

 貫頭衣の下は制服を着用しているが、ナシはその制服のひらひらした意匠が生理的に受け入れられないのである。

「普通に死んでる」

 ナシが薄っぺらい声で率直な感想を述べた。

 七郎は無言で部屋の中央に鎮座する肉塊に歩み寄ると、おもむろに右手を突き刺す。

 強引な接続を、肉塊はぶるりと振るえただけで受け入れた。

「複社長連等と仰々しい名前で呼ばれていた者達の残骸達は皆、オリジナルの社長を起源とした複製種。だそうだ」

 肉塊にから強制的に引き出した情報を七郎が読み上げる。

「主幹となっているのはこの肉塊状の一人目の複社長a001245。膨大な演算能力を持つ様に設計されたこの有機物は、製造から数年で自我を失い更に数十年で他の演算装置の開発により時代遅れになり、ただ単にオリジナルの社長が「この肉質感が扇情的だね」と言ったとか言わなかったとか言う曖昧な理由で廃棄を免れ、何故か複社長連の一人目となった」

「先輩、さっきから何です?」

 ナシが再び率直な感想を述べた。

「公式記録」

 振り返りもせずに返された回答に、ナシは形容しがたい表情で返事をした。

「二人目から十四人目は、オリジナル社長に近似した頭脳と容姿と身体能力を持って生産された莫大な量の個体の中から選定される。その複製度合は寿命に関しても例外では無かったため、オリジナルの社長の死後数十年程度で老衰により全ての個体が死亡している。公式記録によると十五人目以降は選定されていない」

 七郎がもぞもぞと右手を動かす度に、肉塊からぴちゃぴちゃと湿った音が発せられる。

「どーでもいいけど、うつつさんの指示は実行できそうです?」

 七郎とナシがうつつから命じられていたのは複社長連を掌握する事である。

「この肉塊に僕を排除できるシステムはなさそうだね。弄り放題。でも弄る必要もなさそうだね」

 七郎はその貼り付けた表情に更に困惑の色を重ね塗りして、深い溜息を吐いた。

「この時代遅れの有機演算体に定義されていたのは「過去の承認と矛盾しない限り、その全てを承認する」と言う単純な承認論理だけみたいだね」

 蓋を開けてみれば何の事は無い。

 ただの徒労である。

「何か、疲れる」

 そう言って、ナシは部屋の照明を点けた。

 複雑な技術は使用していない。壁にあるスイッチを押しただけである。

 時代遅れの照明が低い雑音を放ちながら室内を照らし、十三人の複製社長達のミイラや骨が昼白色の光に照らされる。

「…」

 肉塊に右手を刺したまま、七郎は貼り付けた表情を剥がして、硬直した。

「これ以上ここに用事無いなら私帰りますね。高い所怖いので」

 ナシの言葉に、返事は無い。

 ナシが七郎の方を見ると、七郎の首がゆっくりと捻じれて無表情の顔が半分程見えた所だった。

 ナシが深く考えずに飛翔体を放つ。

 発砲音は無く、ナシの掌に仕込まれた射出機が、付属の冷却器によって冷却される。

 飛翔体は七郎の無表情に衝突して弾ける。一瞬溶けかけたその顔面は何事も無かったかの様に元の形状へと復元された。

 ナシはその光景を見る余裕は無い。その顔を握り潰さんと七郎の左手が迫っていた。

「餅みたいな伸び方」

 ナシは無意識の内に思ったままを発言した。

 直感的に躱した腕を、両手で掴む。

 自身の腕が耐えられないのを承知で、零距離で飛翔体をぶつける。

 空気が砕ける様な音と共に七郎の腕が溶ける。柔らかくなったその部分をナシは感覚の無い手で強引に引き千切った。

「零距離でこの程度か」

 ナシを掴もうと伸びながら旋回していた先端が寸前の所でその場に落ち、ほどける様に細かい糸状の残骸となった。

 重度の火傷を負った両手を気にする余裕も無く、ナシは転がる様に部屋から飛び出る。

 背後からは溶けた左手の先端が、掌へと再形成しつつ伸びる。

 足首を掴もうとするそのゲル状の掌を躱した所で、ナシは真横からの打撃に吹き飛ばされた。

 ナシが居た場所に七郎が立っていた。殴ったのは右手である。

 打撃の衝撃に貫頭衣の下の制服が自動的に形状を変える。

 頭部の飾りと首のひらひらした意匠が形状を変えて連結し、頭部から頸部を保護する。

 細い網目状の袋を被った様なその外見の貧弱さに反して、その強度は多少の衝撃を物ともしない。

 一方でただの家庭用繊維で形成されたナシの貫頭衣は破れ吹き飛んだ。

 ナシは一度床を跳ねてからガラスに衝突した。

 硬化ガラスに蜘蛛の巣状のひび割れが広がる。

「私この会社の制服あんまり好きじゃないんですよねー」

 いくら制服が丈夫でも、受けた衝撃を完全に相殺する事は出来ない。ナシは起き上がる事も出来ずに諦観の表情を浮かべる。

 それを困惑した様な笑みが見下ろしていた。

 七郎が左手で自らの飾り釦を引き千切る。

「あれ?助かりました?」

 ナシがそう言うと、七郎は飾り釦をその右手に掴ませた。

「この釦はどうするんです?」

 ナシが怪訝な表情で右手を掲げると、七郎は少し驚いた様な目をして、すぐにそれは困った様な目になった。

「火傷、邪魔」

 七郎は短く呟いた。

 そして、左手でナシを掴み右手でひび割れた硬化ガラスを割る。

「可能ナラ生キ延ビロ」

「はい?」

 引き攣った七郎の声。不穏な予感にナシの顔も引き攣る。

 余談だが、ナシが先程自己申告した高所恐怖症は嘘や偽りではない。

 七郎は間抜けな疑問符共々ナシを投げた。躊躇無く。窓の外に。

 細かいガラス片を追いかける様に、無茶苦茶な指示に対する抗議と悲鳴が遥か下に落ちて行った。

 七郎の集音機構にとっては目の前も一キロ先も大差は無い。

 たが、それらの音声を七郎が知覚する事は無かった。

 地上より遥か上方。

 再び無表情になった七郎は、硬化ガラスの穴に背を向け柱の中の部屋へと入って行った。

 

 他方。下方。つまり地上。

 悲鳴が落ちた先は惨憺たる状態だった。

 落下したナシが別の社員を巻き込んだのがその原因だ。

 巻き込まれた人間は制服を支給されていない期間雇用社員であったため、その身体は原型を留めていない。と言うより形を残していない。

 哀れな犠牲者を緩衝材代わりにナシは辛うじて生きてはいた。

 正確に言うと制服が守っていた部分はその形状を維持していた。

 剥き出しの両足は爆散した。

 右手に握られていた七郎の飾り釦もは遠くへ飛んで行ったが、こちらは傷一つ着く事は無かった。

 飾り釦は空いていた正面扉から室内に飛び込み、肉片と鮮血が手前の床にこびり付く中、更に奥へと転がって行った。

 やがて本社正面玄関前の惨状に人が集まる。

 集まった者の大半はただの野次馬だ。

「何があったの?」

「親方!空から女の子が!」

「オヤカタって何?」

「自殺か他殺らしいよ」

 特段意義等無い会話が飛び交う中、一人の背の高い平社員が屈んだ姿勢で硬直していた。

 その手は床に伸ばされ、指は金色の飾り釦を抓んでいる。

 右目と左の頬が小刻みに痙攣するその表情は、何かに堪えている様にも何かに怯えている様にも見える。

「何してんだお前」

 言葉と共にその肩に手が置かれる。

 その瞬間、背の高い平社員の身体全体が下から上に軽く震え、一旦表情が消えた。

「………いや、なんでも無いよ」

 不自然でない程度の間を開けて、背の高い平社員が屈んでいた体を起こす。

「そうか…」

 声を掛けた平社員は説明出来ない不気味さを背の高い同僚に感じた。

「それよりも大変な事になってるな」

 背の高い同僚の言葉に、どこか強引に話を逸らされた様な感じを受けながらも、その話題はその場にいる全員が気になる事には違いなく、声を掛けた平社員は無意識に強引に一連の流れを自然な物だと自身に納得させた。

「ああ、朝から嫌な物見ちまったよ」

 二人は肉片と鮮血に関していくらか言葉を交わしてから、背の高い平社員が仕事があるからと、少し強引に話を切り上げて階段を昇って去って行った。

 その後ろ姿を見送りながら、声を掛けた平社員は唐突に釈然としない感覚の正体に思い至った。

 背の高い社員がその顔に貼り付けていた、困惑した様な笑み。

 その表情が。

 肉片と鮮血に遭遇した人には特に不自然では無いその表情が。

 気持ち悪かった事に。

 その気持ち悪さは精巧な人形を見たときに感じるそれと全く同じものであったが、そこまでの事実に思い至る事は永遠に無い。

 結局の所、声を掛けた平社員の中に今後形成される認識は「失踪した同僚が最後に会った時様子がおかしかった」と言う特段不自然でない認識だけなのである。

 それに加えて、その直後に本社内を震撼させたラスタ領の消滅と言う印象深い情報が、同僚の失踪と言うイベントを更に希薄にした。

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