The second sector of CSI
覗き窓から見えるのは暗い宇宙空間に点在する星々と幾つかの構造物。殆どは何も無い空間だ。
イエンハウエ下級研究員は、覗き窓越しに見える光景を眺めて緊張を忘れようと努めていた。
イエンの着る白一色の研究服は上から下まで新品であり、着慣れていないその装いが初々しくもある。
その襟には四角い縁取りの徽章が着けられており、徽章のデザインは円の中に抽象化された目が描かれている。それはCSI正規研究員の証でもある。
胸から下げる身分証の色は赤。それが保障するCSIにおけるセキュリティレベルは下から二つ目。
どこからどう見ても新人の研究員であった。
「緊張しているのかい?」
にやにや笑いながらイエンに話しかけたのはクリスタロゼ特任研究員。
同じ白一色の研究服に真新しさは無く、その身体に馴染んでいるように見える。
研究服の襟に徽章は無いが、胸から下げられた身分証の色は黒。セキュリティレベルは上から二つ目。
「は、はい。まさか初配属で第二セクターに行く事になるとは思っていませんでした」
かくかくと動くイエンに、クリスタはそんなに緊張する場所でもないぞと言いながら苦笑した。
「過去五十年に第二セクターで起きた三段階以上逸脱の事故は一件だけだ。それはなんだか知っているか?」
一転して真面目な顔を向けるクリスタに、イエンは緊張したまま知りませんと答える。
「一週間前だ。俺の銃が暴発して太腿が抉れた」
僅かな沈黙の後、イエンが耐え切れずに吹き出した。それを見てクリスタも笑う。
「肩の力、抜けたようだな」
にやにや笑うクリスタにイエンはお陰様でと軽く頭を下げる。
「銃を所持できるなんて、クリスタ主任は軍部所属なんですか?」
Control(制御)Surveillance(監視)Isolation(隔離)を基本理念とするCSIにおいて、研究員は原則的には武装を許可されていない。
通常は外部から雇った戦闘訓練を受けている職員と保安員のみが必要に応じた武器を与えられている。
「俺は直即隊所属だからな」
直即隊。第五公転軌道統治政府直轄即応部隊の非公式な愛称である。
「さて新人にテストをしよう。第二セクター設立までの経緯を簡単に説明しなさい」
にやにや笑うクリスタに、イエンは姿勢を正して真面目な顔を作る。
「旧暦31981年、残存していた原種人類の約一割が国際法で禁止されている実体情報化技術を無許可で行使し、第五公転軌道基幹惑星を住人ごと物質変遷しました。物質変遷された惑星は時空間異常四段階逸脱が認められ、CSI主導で隔離が行われ現在に至ります」
イエンの答えにクリスタは優等生だなと感想を述べる。
「第二セクターは時空間異常逸脱って事だけで危険なセクターだと認知されているわけだが、問題の時空間異常はセクター内部だけに限定されているからな」
事件直後隔離惑星と呼ばれていた第二セクターは数十年に及ぶ研究の結果、その内部では時間の進み方に大きな差がある事だけが分かっている。
事件直後の仮称の名残で内部の世界は隔離階層と呼ばれる。
「内部の時間の進み方が異常に早いんですよね?」
内外の時間比率は変動しているために一定では無いが、観測史上最大で七百倍の差が記録されている。
但し、事件直後から十数年の記録が無いため、現状隔離階層でどれだけの時間が経過しているのかははっきりしていない。
「記録されている分だけでも一万年は進んでいる」
ひょっとしたら中の原種人類はとうの昔に滅んでいるかも知れないなと、クリスタは笑う。
滅んでいますかとイエンが呟き、クリスタはその可能性は低そうだがなと自らの発言を否定する。
「これは公開されていない情報なんだが、我々は過去に三度、内部に自律式の兵器を送り込んでいる」
イエンは怪訝な顔をする。イエンが知る限り第二セクター内部へ干渉する方法は無いからだ。
「惑星開発財団の物質転送装置を使ったんだ。当時も今も試作品だがな」
イエンは目を見開いて興奮する。興奮しすぎて言葉が出て来ない。
「最初は古いおもちゃを改造して送り込んだんだ。俺の私物でな、クリスなんて名前を付けて遊んでいた」
クリスタは懐かしい記憶を思い起こしながら目を細める。
「クリスとの通信が取れなくなってから、今度はダッチワイフを改造して送り込んだ。ランドスルトと言う研究員の私物なんだが、今度づゑはどうなったと思いますかと聞いてやれ、滑稽な顔をするから」
呆れ顔のイエンにクリスタは、長期任務では誰もが溜まるんだとフォローになってないフォローをする。
「最終的には惑星開発財団に発注した兵器を導入したんだが、先の二体と同じ結果だったな。結局俺等と財団とで責任の擦り付け合いになって一連の試みは凍結された」
物質転送装置の不具合だと言う事で上には報告したと言うクリスタにイエンは冷めた視線を送った。
「そろそろ着くな」
クリスタの言葉にイエンは覗き窓から外を見る。いつの間にか景色は巨大な構造物で覆われていた。
外径十四万キロメートルの球形の構造物がぐんぐん迫って来る。
「もうすぐ到着だ。そしてその後は歩きだ」
イエンは露骨に嫌そうな顔をする。
軌道車が緩やかに停まり、扉がスライドする。
「間抜けな主任お帰りなさい、哀れな新人第二セクターにようこそ」
開いた扉の外に、一人の研究員が立って居た。
「二か月振りだなシルダ」
クリスタが大げさに抱き着く。全力で。
みしみしとシルダの背骨が悲鳴をあげる。
「そしてお別れですね主任」
心底嫌そうな顔をしながらシルダルダルノは力尽くでクリスタを押し退けた。
「こいつはお前と入れ替わりに任務から解放されたシルダだ。別に名前は覚えなくてもいい」
クリスタのぞんざいな紹介を無視して、シルダは微笑んで胸元で手を振りながら軌道車に乗り込む。
入れ違いでイエンが会釈しながら外に出ると、扉は閉まった。
「綺麗な女性ですね」
「あれは男だ」
鼻の下を伸ばすイエンの言葉をクリスタは憮然とした声で否定した。
イエンの表情が凍り付く。
覗き窓から凍り付くイエンと不機嫌なクリスタを見送ったニクカイは、車内に監視カメラの類がない事を丹念に確認すると、一息ついて座席に腰掛ける。
「出て来ても大丈夫ですよ」
ニクカイがそう言うと、白い研究服のポケットから二匹の宇宙鼠が這い出て来た。
中身はカチョウとウシである。
「うむ、外に出られたな」
声は声帯による物では無く、車内のスピーカーから発せられていた。
「足が少ない」
八本の足を揺らすカチョウの不満気な声も、スピーカーから発せられる。
「待てばもっと広い場所に行けますよ。カラダも沢山調達できそうですし」
三人の異分子を乗せた軌道車が、太陽圏高速移動管を内側へと進んで行った。




