転生
「ひゃっひゃっひゃっ」
耳障りな笑い声。
オレは不愉快な気分で、椅子から立ち上がった。足も腕も、痛みはもう無い。
目の前の筐体はもう動いておらず、何の反応も見せていなかった。
「こいよ、相手してやるよ」
オレはモヒカンの男を挑発する。俺の口から発せられたのは、硬質ガラスを思わせる冷たい女の声。
「ひゃっはー!」
モヒカンの男はオレの挑発に弾かれたように、バットを振り上げるとオレに向かって叩きつける。オレは腕を上げてガードする。
金属が肉を打ち付ける鈍い音。
オレの視界にあるのは、細い女の腕。その細腕が、バットの一撃を防いでいる。痛みは無い。
オレは体勢を崩したモヒカンの男の顔面を掴むと、そのまま筐体に叩きつけた。
轟音。
筐体はへし折れ、男の体ごと床にめり込む。凄まじい腕力。
モヒカンの男はしばらく体を震わせていたが、動かなくなり、明滅して消えていった。
オレはそれを、呆然と見つめる。
本当に、ゲームのようだ、と。
オレは立ち上がると、ガラスに映った自分の姿を確認する。
血まみれのYシャツに片足が破けたスラックスはそのままに、腰まである長い黒髪。硬質ガラスの様な冷たい美貌。
オレのファイターズレジェンドのキャラ、『マコト』の姿がそこにあった。
「マコト、いるのか!?返事をしてくれ!」
オレはマコトの声で呼びかける。
「マコト!」
帰ってくるのは静寂だけ。筐体に光がともることは無い。
「私は貴方……か」
オレはマコトの最後の言葉を反芻する。
筐体から排出されたカードを取る。
カードには通常、キャラクターの情報が印刷されている。
しかし今排出されたカードには、何も書かれていなかった。
グラフィックも、名前も、ランクも。
何も無い、ブランクカード。
オレはカードを財布に入れる。
視界が少しぼやけた。
「年を取ると涙もろくなるって、本当だな」
オレは袖で目を拭うと、外に向かって歩き出した。
「しっかし、動きにくいな」
体型が変わったせいか、服のサイズが全くあっていない。
もともと女性としては高く設定したので、身長はそれほど変わっていないが、服は基本的に、胸以外ガバガバだ。
腰履き状態になったズボンをたくし上げ、ベルトをかつて無いほどに締める。
「こんなに細いのか」
かつての張り出し始めた自分の腹と比較すると、同じ人間とは思えない。
髪も長くて邪魔なので、血止めに使っていたスラックスをちぎった布を使って結んだ。
単なる好みで設定した髪の長さだが、自分がそうなってしまうと、大変だ。
少し、過去のマコトに申し訳なく感じてしまう。
靴ばかりは簡単にサイズを変えるわけにもいかないが、がれきを踏んでは大変だ。
ちょっと靴屋で拝借するとしよう。
「失礼しますよー。誰もいませんねー?ちょっとお借りしますねー」
近くの靴屋に入る。この店もガラスが割れ、電気が消えており、棚は倒されていたが、靴は別に盗まれている訳でも無かった。
まあ、今からオレが借りるんですが。
適当なスニーカーを物色する。サイズが合えばそれでいい。
幾つか靴を履いてみて、24.5cmのサイズが一番しっくりきた。
そんな大きさの靴なんて、履くのはいつ以来だろうか。
自己満足にしかならないのだろうと思いつつも、オレは靴の料金よりやや多めの金をレジに突っ込んだ。
オレが店を出ると、通りの向こうに数人のモヒカンと、皮ジャンの大男がいた。
こちらに気付いたようで、モヒカンが走ってくる後を、皮ジャンの男が悠然と近づいて来る。
男たちがオレを取り囲む。
三対一。
ベルトスクロールアクションとしては少ない方だろう。取り囲むように動く位置取りは、なかなかのものだ。
でもな
「投げキャラを舐めてるんじゃねぇか?」
オレはモヒカンの一人を掴むと、力任せに振り回す。
オレを取り囲むように位置取りしたモヒカン達を吹き飛ばし、投げ飛ばした。
周囲を巻き込むように投げて固めるのは、基本中の基本。
オレのゲーム知識に隙は無い。
オレは遅れてきた皮ジャンの男にボディブローを放つが、皮ジャンの男はしっかりガードする。
雑魚キャラの癖に生意気だが、こいつはこういう性能だったな。
「うらあっ!」
オレは相手がガードしたのを見計らって投げ飛ばすが、捕まえた襟首は離さない。
「ちょっと確認したいことがあるんでね。実験に付き合ってもらうよ」
オレは、片手で転倒した相手の襟首をもって吊り上げる。
はたから見たら、女が屈強な大男を片手で持ち上げて吊り上げている、異様な光景だろう。
オレ自身は、特に渾身の力を振り絞っているという訳でも無い。
「なるほど、完全にゲームに則っているいるわけではないのか」
通常、転倒した相手には専用の技じゃないと追撃できないが、今は普通に別の投げ技に繋げることが出来た。
オレはひとしきり確認すると、男を地面に叩きつけた。
轟音。叩きつけた箇所がクレーターのようにへこむ。
「すげぇパワーだな」
オレは、叩きつけた男が消えたのを確認して、その場を後にした。
十分に戦えることが分かると、周囲の状況を確認する余裕が出てきた。
店はいずれも破壊されており、人の気配は無いが、街並み自体は元の商店街のままだ。
最初はオレは、ゲームに熱中して避難指示を聞きのがしたと思っていたが、この人の気配の無さはおかしい。やはり、なんらかの別空間に迷い込んだと考えてしまう。
普通では決して辿り着かないその結論だが、オタク生活を長年続けていると、こういった状況にも変な免疫が出来てしまうものだ。
なによりオレ自身、美少女になってしまったのだから、あらゆる可能性を否定することは出来ない。
モヒカンや皮ジャンの大男達も、倒した後まるで空気に溶け込むように、明滅しながら消えて行ってしまった。
このあたりは完全にゲームの世界だ。
どういう理屈かは分からないが、ここはベルトスクロールアクションの世界で間違いないだろう。
「そう考えると、やっぱりボスを探して倒さないと、次にいけないんだろうな」
なぜ紛れ込んだ世界が、よりにもよって、むさくるしいベルトスクロールアクションなのか嘆く余裕も出てきた。恋愛ゲームでも良かったのに。
「まあ、FPSよりマシか……」
FPSはファーストパーソンシューティングと呼ばれ、一人称視点でのシューティングゲームで、大体舞台は戦場だ。
「FPSで投げキャラだったら詰んでたよなぁ」
マシンガンを乱射してくる相手をどうやって投げれば良いのか。さすがのオレのゲーム歴をもってしても、回答は見つからない。
下らない事を考えながら、オレは最初の予定通り、駅に向かって商店街を進んだ。
そのまま脱出出来れば良し、雑魚に絡まれても、雑魚を倒しつつ進んでいくといつの間にかボスに遭遇するのがベルトスクロールアクションのお約束だから、それでも良し、だ。
明かりの消えたアーケードを進んで行くと、僅かに開けた空間に出る。
通常ならば商店街の催し物の会場にも使われる広場。
「なるほど、先にボスの方がお出ましだったか」
目の前にはほかの雑魚たちより3回りは大きい、ドレッドヘアーの大男。
他の雑魚たちも、身長は180cm以上はあるだろうから、このドレッドヘアーは目測で250cmはあるのだろう。常識では通用しない大きさだ。
その周囲には、肩パッドのモヒカンと皮ジャンの男達が取り巻いている。
ここまではゲームのままだが、男たちの後には、女の子が倒れている。
世紀末臭がする光景の中の、明らかな異物。
オレはゲームの知識を思い出す。こんな設定は無かったはずだ。
もしかしたら俺と同じように、迷い込んでしまったのかもしれない。
助けない理由は無い。
「どのみち、全員ぶちのめすだけだけどな!さあ、かかってきな!」
オレの挑発に、男達が一斉に襲い掛かってきた。
基本的にオレの動きは遅い。
パワー系投げキャラなのだから仕方がない。
だから戦い方も自然に相手を迎え撃つような形になる。
その場合『挑発』が有効だ。
遠距離から『挑発』すると、相手の足の速さでオレの所までの到達時間がばらける。
しかもオレの『挑発』はきっちり必殺技として登録してあり、『挑発』するたびに能力がUPする効果がある。
どの程度UPするのかは、実際には試していないが、確認しておくに越したことは無い。
「だらぁっ!」
足の速いモヒカン達がまず、オレの所に来る。
オレはモヒカンにボディブローを浴びせると、ラリアットでなぎ倒す。
どうしてもプロレス技になるのは仕方のない所だ。
オレの攻撃で吹き飛ぶモヒカン達。
「二発か。かなり攻撃力がUPしたな」
打撃三発がモヒカン達の耐久力の相場だが、打撃二発でモヒカン達が倒れた。
今度は皮ジャンの大男。こいつらは打撃をきちんとガードしてくるから、投げ技が有効だ。
オレは真正面からではなく、側面を取るように動いて組み付く。
真正面から近づくと相手の打撃の餌食になるので、側面から近づく軸ずらしと呼ばれる手法。
もっとも仮想空間が現実世界に侵食しているこの状況で、こんなゲーム的な手法がどこまで通じるかは疑問だが、何もやらないよりはやった方が良い。
わずかでも勝利の確率は高めておきたい。
「おらあっ!」
オレは相手の腰にしがみつくとブリッジの姿勢をとり、相手を地面に叩きつける。
ジャーマンスープレックス。
そしてオレは、背後を確認せずに、前転。
ドスンと重い音が背後から聞こえる。起き上がり振り返ると、オレのさっきまでいた位置に、ドレッドヘアーの大男が、間抜け面を晒して倒れていた。
このタイミングでボディプレスで奇襲してくるのは、オレの知識通り。
ドレッドヘアーの大男は、雑魚の数が一定数まで減ると、奇襲を仕掛けてくるのだ。
オレは倒した雑魚の数を数えて、動きを読んで回避したという訳だ。
「手の内全部知られているのは、つらいよなァ?」
オレは倒れたドレッドヘアーの足を掴むと、ジャイアントスイングをして、残りの雑魚たちを巻き込みながら投げ飛ばす。
ドレッドヘアーの大男は起き上がると指笛を拭く。すると路地から、建物の陰から無数の雑魚たちが現れる。人数は十名を超えるだろうか。
だがこの行動も予定通り。ドレッドヘアーの大男は、体力がある程度以下になると雑魚たちを呼び寄せる。そしてその指笛自体の行動が隙になる。
おれはドレッドヘアーの大男に悠然と近づくと、ボディブローを浴びせる。
「ぶぐうっ!」
大男がうめき声を上げる。
そのまま、オレは顔面にパンチ。そしてワンテンポ送らせてボディブロー、そしてまた顔面パンチ。
「ぶうっ!ぐぶうっ!ぶっ!ぶうっ!」
パンチ!
パンチ!
パンチ!
為す術も無く、大男はオレの打撃を喰らい続ける。
タイミングを調節しながら攻撃することで、相手は為す術も無く打撃を喰らい続ける、このゲーム独自のワザなのだ。
どうやらこの技は有効らしいがしかし、 大男が呼び出した雑魚たちが、オレの近くに集まりだしてくる。
「ぶうっ!ぐぶうっ!ぶっ!」
何発撃ち込んだのだろうか、オレのパワーでこれだけ打ちこんで倒れないのは、流石にボスと言える。
さすがにオレでも背後から攻撃されてはまずい。早く倒れてくれ!
「ぶぐううううううううううう!」
数十発のパンチのあと、大男はひときわ大きなうめき声と共に、膝から崩れ落ちた。
それを見て、オレの周囲を取り囲んでいた雑魚達は包囲の輪を広げると、一斉に逃げ出す。
「はぁーっ!危なかった……」
このまま乱戦になっていたら、無傷とはいかなかっただろう。見た目よりもギリギリの勝負だったが、なんとか勝ったようだ。
オレは女の子の様子を確認する。まだ意識は戻っていないようだが、胸が上下しており特に外傷も見られない。オレは安堵すると、女の子の方に向かおうとした。そのとき
「おらああああっ!」
背後から、男の吠え声と破壊音。
オレは後ろを振り向くが、その時は既に目の前に、鉄の様な拳が迫っていた。
オレは為す術も無く喰らう。もんどりを打って転倒し、転がりながら壁に激突した。その衝撃で外壁が剥がれ、オレに被さってくる。
「いつつ……」
オレは血の味が広がるのを感じると唾を吐く。色は赤に染まっていた。
オレは頭を振るって立ち上がると、埃を払う。
トラックに跳ね飛ばされたかのような周囲の惨状だが、痛いで済む耐久力に、自分でも驚く。
確か基本スペックでは、耐久力に一番ステータスを振ったな。それでも、それなりにダメージは貰っている。
オレは、オレを殴り飛ばしたヤツを見る。
『ジェイク』 ファイターズレジェンドのキャラクターの一人だ。しかし、ここまでの火力は無かったはずだが。
ボスを倒した。勝手に終わりだと思って油断していた。直撃を貰ってしまった。
反省をすべきだ。
この世界はゲームを元にしているが、ゲームと全く同じではない。
仮想が現実を侵食しているように、現実もまた仮想を侵食していた。