New Charenger!
佐伯は足から襲う激痛に耐えながら、路地に転がるように入ると、駐車してあった車の陰に身を隠す。
その車も、フロントガラスが割られ、既にボディのあちこちが凹んでいた。
息をひそめ、車の下から今入って来た路地の入口を見る佐伯。
数瞬後、モヒカン達が路地の入口に見える。一気に脂汗が噴き出す。
見つかったら、もう逃げる事も出来ない。だがモヒカン達は、それほど佐伯には興味は無いらしく、別に追跡する様子も無く、そのまま視界から消えた。
佐伯は自分の足に突き刺さった、銀色の金属の塊を見る。
かなり大きな持ち手の、いわゆるコンバットナイフといったものらしい。
こんなものを持ち歩いているとは、完全に殺す気だったことか。
そもそもなぜあんな人間が、今の日本にうろついているのか。あれはまるで……。
「まずは、これを何とかしないと……」
佐伯は思考を切り替える。まずはこのナイフを何とかしないと、命に関わる。
佐伯は意を決すると、ナイフの持ち手に手を掛ける。
「ぐあっ!」
ナイフが動いたことで、体の深部から痛みが走る。
だが、こんなことで躊躇はしていられない。だが意外と声が出てしまう。
佐伯は服の裾を噛みしめると、一気にナイフを引き抜いた。
「~~~~~!!」
声にならない悲鳴。奥歯をギシギシと言わせ折れよとばかり、噛みしめる力を込めて、痛みに耐える。ジワリジワリとズボンに広がる、赤黒いしみ。
佐伯は、ナイフが突き刺さった方のズボンのすそを、いま自分の体内から引き抜かれたナイフで切る。傷口が露出する。
赤黒い血の色と滲みだすような出血の量からから、動脈は傷つけられてはいないと判断する。
しかしこのままでは、失血死は免れない。
切り裂いたズボンのすそを、ひも代わりにして、心臓に近い方に強く巻きつける。
巻き付けられた場所が紫色にうっ血するほどに強く結んだが、血の流出は止まらない。
それでもさっきよりは心持ち、少なくなったような気がする。
とにかくここを離れなければ。
佐伯は傷のある足に負担を掛けないように、壁を使って立ち上がった。
商店街はどの店もガラスを割られ、あるいは商品が荒らされた跡があった。
これほど大規模な暴動なら、あのモヒカン達だけのはずがない。
仲間がいるはずだ。
発見されないようにしなければならない。
店の明かりは消え、アーケードのネオンや街灯もほとんど消えているこの状況は、佐伯は隠れながら移動するには好都合と考えた。
それにこれほどの被害で、今の日本で警察が出てこないほうがおかしい。
他に人の気配が無い事を考えると、住人の避難は既に終わっていると考える方が自然だ。
なぜ気付かなかったのか。ゲームに熱中して、警告なり避難指示なりに気付かなかったであろう自分の間抜けさに、佐伯は苦笑する。
どこに逃げるか。交番か。この様子では警官はいないだろう。
電車は動いているのか。駅は大通りに面している。
そこならば誰かいるかもしれない。
とにかく、今の誰もいない状況はおかしい。
この路地からなら、入ってきた方向に行くのが、一番の近道だが、またモヒカン達に遭遇する可能性がある。
佐伯は、少し大回りになるが、路地を進んでいくことにした。
土地勘だけで路地を進んでいく佐伯。
深いビルの谷間は、圧倒的な暗闇で佐伯の姿を隠してくれるが、同時に恐怖に押しつぶされそうになる。
普段は路地に入ったりしない佐伯は、周囲の状況を確認しながら進んでいく。
ひびの入った整備されていないアスファルト。
電気がともっておらず、あるいはガラスは割られている建物。明滅している電灯。
荒廃した街。
佐伯は考える。これじゃあまるで、ついさっきやっていたゲームの世界に入り込んだようだ、と。
「もし入るなら、ファンタジーRPGが良かったよなぁ」
幻想の世界で、魔法を使ってみたかった。そんな夢想をしたこともある。しかし今の状況は、よりにもよってスラム街だ。
路地を進む佐伯。
そもそも、こんな路地がこの商店街にあったか?いや、俺が知らないだけだ。
だがそう言った考えも、目の前に現れた現実の前に霧散する。
バットを構えたモヒカン。
その姿は、そう、ベルトスクロールアクションゲームの、雑魚キャラそのものだったのだから。
この足じゃあ逃げられない。
佐伯は震える手で、自分の血に濡れたコンバットナイフを構える。
相手の武器、バットのリーチの方が、はるかに長い。
「げひゃひゃひゃひゃ」
もはや、何を言っているかわからないバットを持ったモヒカンは、顔をゆがませ口の端から涎を垂らしながら、こちらに向かってじわじわと進んできた。
「ひゃっはー!」
奇声を上げバットを緩慢な動作で振り上げる。がら空きになった体。
「今だ!」
佐伯はナイフを投げつける。十分に引きつけてのナイフの投擲はしかし、相手の胸当てに弾かれた。
胸当て?何故そんなものをつけている?肩パッドから体を斜めに横断するベルトに取り付けられた胸当て。
そんなものを身につけている人間なんて、いるはずがない。
やはり……、と考える間もなく、振り上げられたバットが振り下ろされる。
とっさに佐伯は、右腕を上げて防ごうとした。
「あがあっ!」
吹き飛ばされ、佐伯はゴミの山に突っ込む。
背中を叩きつけられ、肺の中の空気が一瞬、空になる。
腕を支えに起き上がろうとすると、激痛が走る。
右腕を見ると、あり得ないところから、曲がっている。
今の一撃で折れてしまったようだ。足にも重傷を負っている。
「ここまでか」
もう、万策尽きた。そう感じた佐伯の心は、不思議と穏やかだった。止めを刺さんと近づいてくるモヒカンを、まるで他人事のように眺めた。
「あきらめないで」
佐伯の耳に届いた、女性の声。
「誰かいるのか」
まったく人の気配が無かった商店街。まだ誰か残っているのか。
「俺はもうダメだ。君は早く逃げろ」
佐伯は、声の主に言う。
自分はもう助からない。自分が囮になっている間に、その女性は逃げて欲しい。
自分は男だから嬲り殺されるだけだが、女ならもっと悲惨な未来が待っているだろう。
その様子を佐伯は知ることは無いだろうが、後味が悪い。
「建物の中に逃げて」
なおも聞こえる女性の声。
この状況にもかかわらず、声には慌てた様子は無い。
いや、もともとそれほど感情が豊かではないのか。
そして佐伯は、この声を聞いたことがある。
もし、自分の考えが正しければ、助かるかもしれない。
佐伯は無事な左手を使って体を起こすと、近くのゴミ袋をモヒカンに向かって投げつけた。
飛散するゴミ。とても足を止められるほどではないが、一瞬の目くらましにはなる。佐伯は転がるように、建物の中に入る。
「そのまま進んで」
わずかな光と声を頼りに、佐伯は奥へ進む。
途中にあった防火扉を佐伯は締める。これがどれほどの役に立つかわからないが、少しは時間稼ぎになるだろう。
そのまま進み、扉を開けると、そこは最初にいたゲームセンターだった。
「裏に回っていたのか……」
佐伯は、その破壊された筐体と椅子が散乱した、様変わりしたゲームセンターを見て言う。
「こっちに来て……」
女性の声が聞こえる。そう、硬質ガラスのような、透明な声。
声のする方向を見る。1台だけ、光がともっている筐体。
ファイターズレジェンド。
佐伯は、筐体の前に立つ。画面にはひびが入り、画像は乱れているが、しかし誰が映っているのかはわかる。
「マコト」
佐伯は、自分のキャラクターの登録名を口に出す。
「やっと会えた」
画面の中の美女は、確かにそう言った。
「君は確かにマコトなのか?」
「そうよ」
佐伯は筐体の中の美女に問いかけ、椅子に腰かける。
「君なら俺を助けられると?」
「ええ。カードを筐体に入れて」
マコトは表情を変えずに応える。
もっとも佐伯は、マコトに笑顔を設定してはいなかったが。
佐伯は苦笑する。この期に及んでゲームをしろとでもいうのか。
だが、佐伯はその言葉に素直に従う。
右手は折れているので使えない。ぎこちない動作で尻ポケットから財布を取り出すと、口に咥えて、左手でカードを取る。
「君と話が出来るとは思わなかった」
「私も」
マコトの回答はあくまでも冷たく、短い。
ガゴン!
奥の方から金属同士がぶつかり合う音がする。モヒカンが防火扉を破ろうとしているのだろう。
だが、佐伯はそんな事は気にならなかった。
もし助からなかったとしても、単なる失血で朦朧としていた時の幻だとしても、最後にマコトと話が出来たのなら、俺のゲーム人生もそれほど悪いものでは無かったと思う。
佐伯は筐体に左手でカードを差し込む。
目の前の美女が佐伯に語りかける。
「覚えてる?5年前の事」
「覚えているとも。オレは初めて全国大会に行った」
「私と一緒に」
佐伯は一度だけ、ファイターズレジェンドの全国大会に出たことがある。
「あの時は、まさか勝てるとは思わなかったよ」
「そうね」
初戦で当たったのは、昨年の準優勝者。無名の佐伯の勝利など、誰もが信じていなかったにもかかわらず、佐伯は勝利した。
「強かったわ」
「まぐれだよ」
次の二回戦では惨敗した。それ以来、大会には出ていない。
筐体の光が強まり、佐伯の体を包む。
「一度、ポイントを失効したことがあったわね」
「ああ」
仕事が忙しくてしばらくゲームから離れていた時期があった。一定期間更新が無いと、ポイントを失効してしまうのだ。
「でも貴方は、このカードを使ってもう一度やり直した」
「うん」
いい機会だからゲームを止めようと思った。でも、なんとなく通りかかったゲームセンターで、またやり始めてしまった。
「他のキャラを使う気も無かったし」
「そう」
相変わらずの素っ気ない返事。
「貴方はずっと、私と一緒に戦い続けた」
「そんな大したものじゃない。ゲームだよ」
「楽しかった?」
硬質ガラスの声に、少しだけ含まれる感情らしきもの。
「ゲームは楽しいものさ」
佐伯は応える。
奥でひときわ大きく鳴り響く金属音。防火扉が破られたらしい。
「君は、どうだった?」
佐伯は問いかける。
「貴方が楽しかったのなら、私もそう。だって私は貴方だから」
奥の方から聞こえた下卑た笑い声が、佐伯を見つけたことを物語る。
「君がオレ?」
「そう、私が貴方」
筐体の光が強まる。
筐体の中のマコトが手を差し伸べる。その手を取る佐伯。
確かに手に感触が伝わる。
設定したはずの無い笑顔を、マコトは確かにしていたように、佐伯は感じた。