03
ずっとずっと、近づきたいと思っていた。どんなに厳しくても、どんなに何を言われても、もしかしたら自分のことを愛するゆえかも、と思いたかった。
母もそう思っていたのだろうか? だから、父の心を読もうとして、それを悟られた故にますます憎まれ、遠ざけられてしまったのか?
そして父も傷つき、同じようにいつか息子から心を読まれるのでは? とずっと恐れていたのか。
「オレは……そんな事はしなかった」喉の奥が焼けるように熱い。
「そんな事、って?」
ハハオヤは不思議そうに聞いたが、彼はそれには答えずうつむいたままようやくこう声に出す。
「小さい頃からずっと、どうしたらいいか分からなかったのはオレだ」
「子どもを愛さない親はいないと思う」ハハオヤが優しく言った。本当の母のように。
「ねえタカくん、信じられないと思うけど聞いてくれるかな」
お父さんね、あなたがパチンコ屋に行った、って時に怒って寝てしまったでしょ?
「……ああ、庭で飼う、って言われた」
あの晩、一緒に肉じゃが食べたでしょ、あの後、父さんに呼ばれたの。
何て言ったか知ってる?
タカオは床に目を落としたままかすかに首を横にふった。
あの時ね、父さんは本当にお布団に入って寝てたんだけど、急に起き上がって聞いたの。「貴生は本当に庭に出たのか?」って。
だから言ってやった。
「とんでもない、ちゃんとテーブルで食べたけど?」そうしたらね、父さん
「ならいい」そう言って、ちょっと安心したように、また寝てしまったの。
ねえ、父さんもいつも、迷ってたんだと思うよ。
でもそれって、みんな多分一緒なんだと思う。みんな迷って、愛すべき時に愛するすべを少しずつ、学んでいくんじゃあないかな?
器用な人は簡単にできることだけど、父さんみたいに不器用な人には、とてもとても難しいことなんだ。
父さんは本当に、キミを愛していたかどうかは分からない。
でもね、やっぱり父さんは父さんだから……
キミのことはずっと守ろうとしてたんだ、守るのも愛だって考えれば、父さんはキミをずっと愛していたんだろうな。それは分かってやってね。
タカオはハハオヤに寄りそった。その肩に顔をうずめ、黙って涙を流し続けた。
ハハは自分より背の高くなった息子をぎゅっと抱きよせ、優しく背中をたたいてくれた。
「ワタシね、ずっとずっとこれがしたかったんだ」とんとんしながら、彼女が言う。
「キミがさ、小五の秋に初めて会ったでしょ? それからずっと、こうやって、もう泣くなよヨワムシめ、ってなぐさめてやりたかったの」
「ありがとう、母さん」
ヨワムシのくぐもった声が初めて、その人を母と呼んだ。
兄は突然、西ドイツへの転勤が決まった。
「外資系だしね、やむを得ないよ」
久しぶりに実家に足を踏み入れた総一郎は、さばさばとあたりを見回していた。
「オレの荷物は勝手に処分してくれ。本とかマンガとかも、売っていいよ、フィギュアも」
「いらねえし。ミルキーなんとかチャンだっけ?」
「だから売っていいっつってんだろ」総一郎、げんこつでぽかっと一発、弟をなぐる。
「マニアには高く売れるんだよ」
「店に持ち込むオレの身にもなれ」
タカオの抗議には耳を貸さず、兄は父の部屋にずかずかと入って行った。
「ここも片付いたなあ」
うれしそうでもある。おや? 何だこれ、アルバムじゃん、どれどれ、と片っ端からめくってみる。
「ああ、これずいぶん昔に見たなあ」タカオの母の姿をみつけ、
「残ってたんだ、みんなでちゃんと写ってるのってこれしかなかったんだよな」懐かしげな目になる。
「ヒロママ、若いよなあ」
実の母には五、六歳で死に別れている彼にとっては、やはり彼女の存在は大きかったようだ。一つひとつの肖像に、じっくりと目をとめている。
「オヤジ、全部ゴミに出したなんて言ってたけどさ……」
親子四人で写っている一枚を、彼はじっとみつめた。
「ヒロママ、うちに来てからすぐオマエを産んだからさ、何かと忙しくて、オヤジも浮き足立っちまって、オレなんてほったらかしでさ」
初めて聞く、兄の愚痴だった。
「ソウくん、ソウくん、っていつも優しかったけど、オレは一度も母さんとは呼べずにいた」だって、気がついたらあの人はオマエの母親だったんだもの。
いつも呑気そうに、他人事のように世間を斜にみていた兄の、意外な一面だった。
「この写真の時に、もっとこっちに寄って、ほら、寄りかかって、って言われて弱ったんだ」
大好きだったんだけどな、ヒロママ。おい写真一枚もらってくぞ、と総一郎はたった一枚のベストショットを思い切りよく剥がして、胸ポケットに入れて去っていった。
さすが長男、遠慮もないよな。それでもタカオはそんな兄をまぶしげに見送っていた。




