‐序章‐ 上から降ってきた少年 06
リオルドに言ったとおり、崖下から崖上に行く通路はない。
目の前の崖を登る以外に戻る術はないのだ。
当然、そんなことが出来るわけもなく、リオルドも上に帰るのは諦めたようだ。
「なぁ、学校とか行かなくていいのか?」
市場で物を運びながら、リオルドが口を開く。その頃には足の腫れがだいぶ引き、軽いものであれば、持ち運べるようになった。
「何かを勉強する場所なら、ここにはない。」
「学校もないのか・・・」
崖上にあったもので、崖下にないものに対しても、リオルドは驚かなくなった。
代わりに落胆し、物思いにふける。
「おい。」
そして、厄介なのが、やせ細った子どもをみると足を止めることだ。
まだ、初めのように食料を上げないだけマシだが、分けるだけの余力はないのだ。
そんな経緯を作ってしまっただけにやけにリオルドを見つめる子どもが多い。
そんなリオルドを止めながら、一日中市場中を歩き回るのが日課となっていった。
ゴミが降ってきてしばらくはこうして物を運ぶ仕事が多くあり、そのうちに食料を溜めるだけためておきたい。
「なぁ、シオン。」
その日の荷物運びを終えて、新たに拵えた住処で呼ばれる。
名前がないとリオルドがつけたのが「シオン」だ。
「なんで崖下のこと知らなかったんだろ・・・同じ国なのに。」
唐突に何を言い出すのやら。
「そう言うが、崖下の人間は切り立った崖の上に人がいるのは知っていてもどんなところまでかは知らないし、知りようがない。」
互いに干渉しない、それが上下で共通の認識だ。
「お前はおかしいと思わないのか?学校もないし、死体はあっちこっち転がっているし、食べ物も満足にないなんて。」
「いい加減にしろ。こことお前がいた崖上と比べても何も変わらない。」
最近になり、こういう議論が絶えない。
リオルドは不運にも崖下に落ちてきた。
本来ならば、ここにくるはずがなかったはずの人間だ。
ある程度慣れてきたとはいえ、まだ馴染みきれていない。
「・・・・・」
だからか、比べるなというとリオルドは決まって黙り込んでしまう。
ここにきて、リオルドは痩せた。
元々どういう生活をしてきたのか知らないが、明らかに窶れたのがわかる。
それだけ、崖上と崖下の生活の差は大きいということだろう。
だが、それをここでいくら言っても仕方ないのだ。
「・・・お前でも崖の上には行けないんだよな・・・」
小声でリオルドがせつなげな声を上げる。
「無理だ。」
こう答えるしかない。
どうあがこうとも、上に行くことはできない。
翌日も荷物運びをやった。
日が経つにつれ、仕事の量が減っていく。
仕事がなくなるのも時間の問題だ。
以前までならばこの仕事だけで次のゴミ廃棄まで持ったが、今回は2人分ということで足りていない。
この際だ、別の仕事を探すのもいいかもしれない。
「リオルド。」
具体的に何ができるのか、聞いておこうと振り返った。
てっきり後ろにいるのかと思ったが、そこには誰もいなかった。
「リオルド!!」
声をあげて呼ぶが、反応がない。
すぐに建物の上に飛び上がり、細く入り組んだ路地を見降ろしていく。
そんな遠くには行っていない。
さすがに走れば気付く。
そして、それは当たりですぐにリオルドを見つけることができた。
複数の路地が交わった少し開けたところに、リオルドと、見覚えのある男が2人。
(まずい!)
数日前に子どもにサンドイッチを盗まれたあの男達だ。
リオルドはそいつらに捕まったのだろう。
すでに何発か殴られたのか、壁に倒れたリオルドは動かない。
グン!と速度を上げる。
男の1人が足を上げたのが見えた。
明らかに足を降ろそうとしているのはリオルドの頭だ。
(間に合わない!)
「何をしているの?」
ふいに、子どもの声が入った。
その声に男は振り返る。
その隙にリオルドと男の間に飛び込み、リオルドを抱え距離をとった。
呆気に取られ動きを止めた男達、そして、犬の唸り声が聞こえた。
「おいおい、冗談だろ・・・」
男の1人が呟き、後ずさる。
もう1人も似たような反応だ。
誰がいるのかここからは見ることができない。
だが、まだ高い子どもの声と犬の唸り声とくれば・・・思い当たるのは1人だ。
「行くぞ。」
男たちはそう言って路地から逃げるように走り去った。
そうして、声がした路地の角から出てきたのは、犬とマントをすっぽりと被った子ども。
くるりとその子どもが振り返る。
左目が曇り、右足を引きずるようにして歩く姿は間違いない、”死神”だ。
「おにいちゃん、だいじょうぶ?」
気遣ってくるところからして、リオルドのことだ。
目を子どもから放さず、軽くゆすってみる。
すると、わずかにうめき声をあげて目を覚ました。
「しおん・・・?」
まだ意識がぼんやりしているらしいが、無事なようだ。
リオルドはゆっくりとした動作できょろきょろする。
そして、子どもを見つけると、
「ありがと・・・助けてくれて・・・」
リオルドが手で自分の手をのけると、のそりのそりと子どもに向かって歩き出す。
「やめろ。」
とっさに腕を掴んだ。
リオルドは不思議そうな顔を向けてくる。
「おにいちゃんがいきててよかった!」
少し遠くから子どもが明るい声で言った。
普通なら近寄ってきてもおかしくないが、子どもは言うなり、来た路地に戻っていった。
「シオン・・・?」
リオルドには止めた理由がわからないらしい。
相変わらず、首をかしげるリオルドにあとで説明すると言って、住処に戻った。