後編
しんとした空気、全ての呼吸が聞こえるほどに張りつめている。
全ての人間があらゆる方向に意識を飛ばす。
「いま、ここにはだれもいない」
「黙れ!」
「はなして」
「……死にたいのか!!」
苛々する。忍耐の限界が近いのは自分達も同じこと。それを抑えているのはこの少女の言葉が正しいかを判断するすべを自分達が持ち得なかったから。
「案内すると言って誰もいない場所に我々を連れてくるとは。ここでお前を殺すのは容易いんだぞ」
脅しを含んだ声で少女の首筋にあてた刃の力を強くする。
いっそのこと、ここで殺してしまったほうが良いのかもしれない。
この娘は自分達の何かを狂わすものを持っている気がする。
あまりに強く押し付けたせいで少し皮が切れたらしい。少しばかり血が彼女のほっそりとした首に滲む。
「ころしたいのならころせばいい」
今の恐怖から逃れるにはそれしかない
けれど、と女は続ける
「わたしたちはいきのこる」
「ほろびなければいけないものはのこりつづける」
「ぎせいはむだになる」
「むくろはへらない。ふえるだけ」
疑う、心がままならない。
「おわらせる」
「すべてをおわらせたければ」
「しんじて」
目を見開く。今耳にしたのはなんだ。
顔は見えない。後ろから抑える形となっているため表情が読めない。出来れば真正面から見たい。仮面に隠されていても瞳に映る光を見れば真実は分かるはずだと己は知っているから。
「しんじて」
その言葉の希薄さを自分達は知っている。
様々な思い渦巻くこの戦いに信用、信頼などという言葉がどれほどの意味をもつのか。それは、本当に奇跡に近い言葉。
すい、と指が伸びる。白くほっそりとしたそれは薄暗い聖堂内で神々しささえ感じさせるほどの美しさをはらんでいた。ただ、指を動かしただけなのに。
「ゆかを」
頭の中は警鐘が鳴り響く、この女は危険だと。信じるに値する可能性があっても意識せずにこれほど目を引く人間は危険である、と。自分がどれほど危険な場所にいるかを分かっているからこそ、一欠けらの危険も今は許せない。許せば、それは崩壊を意味する。
それでも、周囲を警戒しながらも女の言うように床を見た。声に抗いがたい意志が込められていることに気付いていたから。そして、驚愕する。
自分達が通ったはずの跡がどこにもなくなっていることに。
そこにはうっすらとした埃が自然に、均等に積っている。
まるで、何十年も誰も入ったことがない場所のように。自分達だけが時に取り残されたかのように。
そっと目の前が暗くなるも、それが誰かの手によって視界を遮られたことによって起きた現象だと気付くのに数瞬かかった。
さらに、それが誰の手によるものか気付くと思わず舌打ちをしたくなった。自分にしてはあるまじき失態だった。
「よせ」
ぱしり、と手をたたき落とす。
いつの間にか女を拘束していた手は緩んでいた。
「たぶん、あまり、みないほうがいい」
聞こえた声は今日初めて感情を見せた。どこか自信なさげにつぶやかれたそれは、表情のないそれよりずっとましだった。
するり、と滑るように歩き出した女を見ると。自分同様地面に視線を向けたまま石像のように動かない仲間達に手を掲げている。一人々々、ゆっくりとした動作で意識を取り戻して行く様を見て、ぞっとした。
もし、女が自分達をだましていたら。今頃自分達はここで息をしていなかったであろう。
それほどまでに意識を床に固定されていた。
まるで、何かに縛り付けられたかのように。
「ここは、だれもがしっていたばしょ。しっていたばしょは、しっているばしょとは、ちがう」
「どいうことだ」
「とまっているの」
何が、とは言わなかった。
ゆるりと歩く女の足元からは確かに埃が立ち上る。
「しっているばしょはひととともにうごく」
けれど、気付くと床は何事もなかったかのように埃をかぶっている。
「しっていたばしょはそうなったしゅんかんにすべてとりのこされる」
まっすぐまっすぐに歩き続ける女の後姿をただ見つめるだけ。
「とまらないで」
無機質な声にはっとする。薄暗い聖堂
「あなたたちは、おわらせるためだけに、ここにいるだけ」
「それいがいは、きにしては、だめ」
気付けば、女とは15歩程の距離が開いていた。いつの間にかに開いた差に戸惑うばかりである。
「あなたたちにここはむずかしすぎるみたい」
かちん、とする。どこまでも無表情の声にはただ単純な事実しかないため。それが偽りのない感想だと分かるから。ただ、今自分達は同等の立場にいるわけではない。
「口を慎め。自分の立場を考えて口を開け」
生殺与奪権はあくまでこちらにある。実際のところ女の言っていることがどこまで真実かは今だ疑わしいところである。この聖堂にはおかしな仕掛けが施されていると思えば女はただ自分を馬鹿にしている意外に他ならない。
つかつかと開いた差を詰めると女は何も言わず歩を進める。
壇上にと立ち、ゆっくり振り向く。
そこから、見渡すのは埃まみれの椅子たち。
「じゅんびして」
そして、自分達をひたと見つめる。
「これからここはだれもがしっているばしょになる」
そっと今まで誰も手を出そうとしなかった己の仮面へと手を伸ばす。
まるで、儀式の最中のような気分にされる。埃まみれの聖堂でさえ全てが光り輝いているようで。
だれも、手を伸ばさなかった仮面
「けんをかまえて、さついにたいしてむじひにあれ」
音もなく仮面は外された。
見えるのは互い違いの瞳
「わたしはいまを」
じゅようする
まるで、ときの流れが変わったかのように、仮面がゆっくりと地面へと吸い込まれていくのを男達はただ見つめた。
いや、吸い込まれているのではない。仮面は塵となったのだ。地面へとたどり着くまでに朽ちて、粉々に消えた。
息をのむような光景の次の瞬間にけたたましい音に意識が戻る。
音の方向に目を向ければ目の前には光る刃。そしてそれを受け止める己の体。どうやら無意識に殺意に対して体が動いたらしい。そして、そのまま、流れるように沈む体。がしゃり、と踏み込む右足。そのまま腕を突き上げれば慣れた感触。肉を貫き骨を砕く音。
目線を上げれば驚愕に見開かれた瞳。それもすぐさま光を失う。
漂うのは生臭い人のかおり。錆びついたような、腐ったような匂い。
自分はこんなにも簡単に人を殺せるようになったらしい。
見渡せば仲間も同じような状況だったらしい。
彼らの足元に転がるのは死体。先程まで光を宿し、生きていた物たち。
うち三つは男、そして残り一つは女。そして、驚く。躯となり果てた男の一つは今、目の前の女と同じ顔をしていたことに。
「さいごにうまれたおうぞくはふたり」
まるで、説明するかのような口ぶりで女は口を開く。
「だからかくされた」
こつり、と一人歩く音が部屋の中に響く
「わたしたちはふたりでひとりにされた」
そっと骸の横に座り込む
流れ出る血でドレスが汚れるのも厭わない
さらり、と乱れた髪を撫でつけ恐怖に歪んだ瞳をそっと閉じる。
「ごめんね」
ぽつりとつぶやかれた声がそっと空気に溶ける
何に対して彼女が謝っているのかが分からず戸惑いの眼差しを向けるも答える気はないらしい。
「これで、さいご」
立ち上がり、見つめてくる瞳に宿る意志はゆるぎない何かが見える。それは、自分達と同じ決意した者の瞳。
「おわらせなさい」
どこかほっとしたようにも聞こえる音に誰も声を発することが出来なかった。
その日一つの国の終わりを告げる鐘が鳴った。
王族の葬儀は神殿において執り行われた。煌びやかなものではなかったが、その名誉は守られるものであった。
遺体は国を見渡すことのできる丘の上の墓地に埋葬された。
今もなお5つの墓石がひっそりと国を見守っている。
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