戦艦武蔵 in 1991
戦艦武蔵 in 1991
冷えると思ったら、降ってきた。
「雪か・・・」
長崎市は、緯度の割には暖かい町だ。
海があり、暖流の影響を強く受ける。寒暖の差は小さい。冬でも零下を下回る日は数えるほどだった。特に最近は、積もるほど雪が降ることはない。
しかし、降るときは降るのだった。
初音未来男海軍2等兵曹は恨めしげに空を見上げた。
迷彩の外套から、彼が佐世保鎮守府特別陸戦隊の所属であることが分かる。佐鎮から警備に駆りだされた初音は己の不運を呪った。
三菱重工長崎造船所に雪が降る。
既に日は落ちていた。空は暗いばかりだ。冬至は終ったが、1月の陽は短い。山が多い長崎は、日が落ちるのが早い気がする。
初音はため息をついた。外套に積もった雪を払い、銃のスリングの位置を整える。
歩哨勤務は始まったばかりだった。
不意にヘッドライトの灯りが横切る。
「日が暮れたのに、熱心なことだ」
資材を積んだトラックが、角を曲がって第2ドッグに向かうのが見えた。
造船所は、入渠中の戦艦武蔵の修理作業に追われている。
半世紀前に大和型戦艦2番艦、武蔵を送り出した三菱長崎造船所は、今でも武蔵の母港として機能していた。
初音が立つ位置からでも、武蔵の様子は窺うことができる。
第2ドッグは煌々と作業灯をつけていた。入渠の日から昼夜兼行で修理作業が続いている。期せずしてライトアップされた武蔵の巨大な前檣楼は、まるで古代の城郭が急に甦ったかのように見える。
事実、あの船はまるで意味のない過去の遺物だった。いまどき戦艦など時代錯誤も甚だしい。
冷戦が終った今となっては、退役の日も近いと噂されている。そして、その噂はおそらく真実なのだろう。
現にこうして、武蔵はつまらないトラブルを抱えて、床に伏している。
初音は、海兵団の同期から、武蔵に纏わるあれこれを聞き及んでいた。
最近、艦のあちこちでトラブルが絶えないらしい。そのたびに上も下も右往左往とのことだった。特に機関がダメで、最大戦速の使用は絶対厳禁だそうだ。
そんな状態で戦闘になったらどうするのか?初音には果てしなく疑問に思われた。
戦艦が最大戦速を出すようなことは、戦術上、滅多におこりえないことだけれども。
武蔵がそんな調子であるならば、修理作業に当る乗員の様子がやたら鬼気迫るのも無理なかった。
復帰できなければ、そのまま退役ということになりかねないからだ。
嘗ては連合艦隊の旗艦さえ務めた武蔵の寂しい晩年と言えなくもない。
もっとも、よその海軍では戦艦など、とうの昔にスクラップか、博物館行きなので、武蔵が特別に不幸というわけでもなかった。
戦艦なんてものを、後生大事に抱えている帝国海軍が特別に異常なだけなのだ。
「物持ちがよすぎるのも考えものだ」
肩から下げた短機関銃を見下ろして呟く。
鈍い鋼が雪夜の明るさに映えて綺麗に見えた。この銃は武蔵と同じ年の生まれだが、現代においてもなお通用する価値があった。
エルマ・ベルケ、40年型マシンピストル。
MP40の名で広く知られたドイツ製短機関銃だった。より正確には、開発がドイツで、製造は1942年のチェコ・スロバキアのブルーノ造兵廠である。しかし、チェコは大戦前に併合されているから、概ねドイツ製と表現して間違いない。どうでもいいことだが。
帝国海軍は、完全に旧式化したこの短機関銃を後方基地警備に使用していた。帝国海軍の正面装備偏重の弊害とも言えたが、現実にそれで何ら問題は起きていない。
何故、半世紀も前に製造されたドイツ製(チェコ製)短機関銃が、1991年1月18日の長崎に立つ初音の手に納まっているのか?
それには冷戦黎明期における欧州諸国の事情が深く係っていた。
過去に帝国陸海軍が導入したドイツ製兵器の9割以上は、実は大戦終結後にドイツ以外の国から購入したものなのだ。
歴史は1940年9月27日にさかのぼる。
この日、締結された日独伊三國間條約は、その第3条において締結国の相互防衛と経済、軍事的協力を定めていた。
これを根拠に、帝国陸海軍はドイツの先進兵器導入を進め、国防の強化を図るつもりだった。
しかし、既に世界大戦は始まっており、日独の連絡は当初から困難だった。極初期にはドイツから陸路でスペイン等の中立国まで荷を運び、そこからは密輸船を使うことができた。しかし、連合国の海上臨検が強化されると、この方法は使えなくなった。
パナマ、スエズ運河の利用は最初から論外だった。航路の殆どが英米の勢力圏内にあることが、どうしようもなく密輸作戦を困難にさせていた。
窮した日独は連絡に潜水艦を使うことを思いついたが、日本側の政治的な事情により遂には実施されることはなかった。合衆国との対立が激化していた大日本帝国は、潜水艦のような戦闘艦艇を欧州に送ることがどうしてもできなかったからだ。
最後には北極圏を空路で突破するという夢想的なアイデアまで試され、その為に長距離飛行研究用に開発されたA-26長距離機が3機投入された。
ちなみに、往復に成功したのは、たったの1回だけだった。
北極圏航路の開拓は、旅客機のジェット化まで待たなくてはならなかった。40年代前半にレシプロ双発機が1回でも往復飛行に成功したことの方が、異常と言える。
もっとも、この時に得た北極圏上空の航法・気象データは、後に日本の民間航空会社による北極圏航路開拓事業において有効活用されたので、全く無駄な挑戦でもなかった。
結局、ドイツとの連絡は大戦中は完全に遮断され、帝国陸海軍がもくろんだ先進兵器導入は全く進まなかった。
第二次世界大戦が終るまでは。
大戦終結後の欧州で、大日本帝国は思わぬ拾い物することになる。
ドイツの無条件降伏と武装解除により、戦勝国は膨大な数の鹵獲兵器を得ていた。工場で生産途中に接収されたものを加味すれば、その数は天文学的な数字に及ぶ。
特に未完成品の武器は戦勝国も総数を計りかねるほど多かった。連合国の戦略爆撃でドイツの流通網が壊滅状態だったからだ。交通マヒに巻き込まれ、納品前の未完成品があちこちの軍需工場で山のように積み上げられていた。
一例として、V号戦車の最終組み立てを請け負ったある軍需工場は、部品の幾つかが交通マヒで届かなかったため、完成品を納品できず、軍から代金が支払われないために戦時中でありながら、倒産の危機に立たされたほどだった。
それらの未完成品や鹵獲兵器は、基本的にスクラップにするしかなかった。
V2ミサイル等のハイテク兵器は研究用サンプルとして各国で囲い込みが行われたが、雑多な量産兵器には使い道がない。
フランスは、纏まった数で手に入ったⅤ号戦車を気に入って、自国向けに改修して運用していたが、稼働率は低かった。性能は不満足でも、アメリカ合衆国が山のように供与してきたM4シャーマンを使う方が合理的だった。
他の西欧諸国についても同様だった。サンプルに使うものを除けば、自国の兵器体系に苦労して組み込んで使うようなものはない。
そして、何よりも、欧州は戦争に疲れ切っていた。
戦勝国となった英連邦でさえ、戦後数年間は配給制を維持しなければならないほどだった。緒戦で国土の半分をドイツに占領されたフランスは、ドイツ軍の度重なる食料の徴発や連合国軍の戦略爆撃、さらに大陸反攻作戦による地上戦で国土は荒れ果て、悲惨の一言に尽きる。低地諸国も同様の有様だった。敗戦国のドイツ、イタリアに至っては、死体も同然と言えた。
当分、武器についてあれこれ考えるような余裕など、欧州のどこにもない。
アメリカ合衆国だけは戦後も元気一杯だったが、自国製の膨大な余剰兵器をどうやって処分するのか頭を悩ましていたので、元敵国の武器など眼中になかった。
しかし、大日本帝国はそうではなかった。
自国の装備しているものよりも遥かに先進的な兵器がスクラップ同然の扱いを受けていることを察知すると、それをスクラップとして連合国から買い漁った。
英仏としては、廃棄処分にするしかない武器を、鉄くず同然とはいえ、外貨と交換できるのならば、それは悪くない取引と言えた。戦災復興のため、今は1セントでも多くの外貨が必要だったからだ。なりふり構う余裕などない。
特に元手が全く無料であるという点が素晴らしかった。拾ったゴミに値札が付いて、それを無制限に買い取ってくれる相手がいるのだから、笑いが止まらない。
そうした経済的な理由以外にも、西欧諸国にはこのビジネスを推し進める積極的な理由が存在した。オーデル川を挟んで対立を深めていた共産主義陣営に対する牽制として、その後背に位置する大日本帝国の軍備拡張を利用しない手はない。
この辺りの思考法はヒトラーのそれと全く同じだったが、ソビエトの後背に大日本帝国が位置する以上、それは地政学的に当然の結論だった。
その為に、チャーチルは英連邦軍の管理下にあった西ドイツの軍需工場や各種プラントを日本に売却していった。それはドイツ人の資産なのだが、敗戦国の言い分などチャーチルの耳には届かない。
トルーマンもチャーチルの戦略を黙認した。日本の勢力圏と直に接する合衆国にとって、日本の軍備拡張は諸刃の刃だが、敵の敵は味方であるという言葉が、合衆国を黙認に傾けた。
トルーマンは前任者と同じく、日本人が嫌いだった。しかし、ロシア人はもっと嫌いな大統領だった。
しかし、チャーチルもトルーマンも、1つだけ失念していたことがある。
それは、自分達の敵が自分と同じことを考えるかもしれないという可能性だ。
スターリンは、アメリカ合衆国に対する牽制として、大日本帝国が使えると考えていた。
特に海軍力が著しく劣勢なソビエト連邦にとって、帝国海軍が合衆国のそれを僅かでも引き付けてくれるのならば、使い道のない鹵獲兵器の売却はやぶさかではない。
結果、大日本帝国は東西両陣営から、もう一回世界大戦を巻き起こすことができるだけの武器を手に入れ、それを基盤に戦後世界の独立を得た。
冷戦初期段階における米ソの相互意思疎通の不全が招いた最初の喜劇だった。
歩哨を交代した初音は、武器庫に銃を返納すると、詰め所に足を向けた。
夜半に降り始めた雪は、既に踝が埋まるほどだった。雪を踏みしめる独特の詰った音が、明るい夜空に吸い込まれていく。
ちょっと楽しい。
初音は次の交代の時間まで、詰め所でテレビでも見ているつもりだった。
「おつかれさん。遅かったな」
詰め所に入るなり、同僚の加賀峰蓮が缶コーヒーを投げてよこした。
やけどするほど熱かった。手の中で缶が踊る。危うく取り落とすところだった。
分隊の同僚が何人か真剣な面持ちでテレビを見ている。
温度差で結露した眼鏡をストーブで温めながら、初音は言った。
「何か面白い番組でもやっているのか?」
しかし、どうも、そうした雰囲気ではなかった。
「面白くはないが、まぁ、見てみろよ」
テレビ画面は白黒だった。
決して予算潤沢とは言えない帝国海軍も、備品のテレビはカラーの時代だ。つまり、これは映像そのものがモノクロで撮影されているということだ。より正確には、モノクロ撮影ではなく、暗視装置によるノクト・ビジョンだった。
これは湾岸戦争の、多国籍軍の空爆を映したものだ。
被写体が軍事施設であることは、すぐに分かった。何しろ、自分達が普段寝起きしている兵舎にそっくりだったからだ。
そして、そこに吸い込まれるように何かが飛び込み、爆発した。ホワイトアウト。爆光で、画面が真っ白になる。
映像が戻ると、爆圧で兵舎が吹き飛ぶところだった。木っ端微塵だ。
背筋に冷気以外の理由で冷たいものが走る。
続けて、別の映像に切り替わった。
今度映ったのは、イラクのどこかの川にかかった橋だ。かなり大きな、近代的な橋だ。長崎市内にある国鉄の鉄道橋に似ている気がした。
絵は見下ろす構図なので、航空機から撮影されたものということが分かる。被写体がにじんで見えることから、かなりの望遠が効いている。上空でゆるく旋回しつつ撮影しているらしく、橋を中心に映像が右回りしていた。
橋は、斜め上方から飛来した爆弾により破壊された。
狙い澄ましたかのように橋脚を爆撃している。橋を落すには、橋脚を狙うのが最も効果的だ。しかし、狙ってそれを爆撃するのは困難を極めるはず、だった。
橋脚を失った上部構造物がお辞儀するように倒れる。ほんの数秒のできごとだ。
これで、あの橋は当分の間使えなくなった。交通は寸断され、イラク軍の部隊移動は迂回を余儀なくされる。
或いは前線に送られるべき兵站物資の輸送が阻害され、前線で致命的な弾薬の不足等を来たす恐れがあった。
それを狙って、あのような攻撃が行われているのだ。
「おい。缶コーヒーが冷めちまうぞ」
「ああ、ああ・・・」
加賀峰に言われて、初音は缶が随分とぬるくなっていることに気がつく。
「すげぇな・・・なんだこれは?」
「見ての通りだ。これが米軍の実力って奴さ。とんでもない奴らだ」
続く映像は、バグダッド空爆というテロップが付いていた。
バグダッドはイラクの首都だ。今度の映像も暗視装置を通したものだった。しかし、かなり明るく見えた。光源が多いからだ。
バグダッドは対空戦闘の最中にあった。夜空に曳光弾が乱れ飛ぶ。満州でやった夜間対空戦闘訓練とそっくりだった。正確な照準ができないから、あのような乱射に近い撃ち方になる。
ただし、演習と違って、これは人口600万人の大都市で起きていることだ。
規模もケタ外れだった。夜空が真昼のように明るく見える。空中で瞬いているのは、時限信管で起爆する高射砲弾だ。殆ど切れ目なく炸裂していた。よほどの大規模演習でも、お目にかかることのない光景だった。
対空機関砲の射撃も殆ど途切れることがない。曳光弾を混ぜる割合はどこの軍隊でも2~3発に1発と相場決まっているから、映像で確認できる3倍の数の弾がバグダッド上空を飛んでいる計算になる。
バグダッドの夜空は、煮えたぎっていた。
しかし、これだけの規模の対空砲火でも米軍の空爆は止められない。
映像の途中で、地上に幾つかの火柱が立った。映像が小刻みに揺れる。投下された爆弾が、地上で炸裂した証拠だ。
本物の戦争だった。本当の、本物の戦争だ。
演習ではない。
「イラク軍は何やってんだ」
同僚の一人が腹を立てていた。
分隊の中でも、特にイラクに肩入れしている奴だった。イラク人が好きというわけではない。とにかくアメリカ人が気に食わないという性質だった。
帝国海軍には、一定数この種の人間が存在していた。
1948年以降、帝国海軍は公式にはその仮想敵をソビエト連邦と定めている。
しかし、決して口外されることはないけれど、内心では多くの者が真のライバルとして合衆国海軍に対抗心を燃やしていた。
そうでなければ、説明が付かないほど、帝国海軍は太平洋正面に多くの兵力を張り付けている。
「長崎がこんな風になったら、俺達はどうする?」
加賀峰が物騒なことを言った。
「あるわけないだろ?アメさんは同盟国だぞ」
「共通の敵を失った同盟国さ。冷戦はもう終ったんだぜ?米ソの対立がなくなれば、日米の間に何が残る?相互性のある安全保障条約でもあれば話は別だが、むこうとこっちに間には、何の決まりもない」
「いざとなったら、艦隊決戦をやるしかないな」
イラクに肩入れしている同僚が言った。
こいつは、愛国心というよりも連合艦隊を愛するが故に海軍に入ったような男だった。特に大和型戦艦の熱狂的なファンだった。防水区画の1つ1つまで暗記しているらしい。
しかし、残念なことに悪性の船酔い体質であるため、艦隊勤務からは外された。
それでも、戦艦の傍にいたいというしょうもない理由で、こいつは世界で最も訓練が厳しいとされる帝国海軍特別陸戦隊(SNLF)に留まっている冗談のような男だった。
確かに、敵前上陸部隊である海軍特別陸戦隊は、上陸の際に戦艦の艦砲支援を受けるので、船に乗れない男でも戦艦の傍にいることはできる。
そこまでするなら鎮守府の工員になればいい。初音はそう思っていた。
しかし、本人は兵科でなければ我慢ができないらしい。
「アメ公がせめて来たら、満州戦争みたいに、原爆を使うんじゃないか?」
「世界最大の核保有国相手に原爆戦争か?おめでたいな。あの時は、中国が原爆をもってなかったから、あんなことをできたんだ」
「日本は核保有国だ。アメリカが攻めてくるなんて、ちょっと考えにくいな」
初音は常識的な核抑止理論を持ち出した。
「満州戦争のような核の先制使用は論外だが、核保有国同士の戦争は、結局、この半世紀起きていないだろう?キューバ危機だってぎりぎりで回避された。核戦争になれば、相互に壊滅的な被害は発生し、戦争によって得られる利益が吹き飛んでしまう。戦争によって得られる利益が、戦争によって生じる損害を下回るとき、戦争は回避される」
「常識的に考えれば、な」
加賀峰は、まだ言いたいことがあるらしかった。
「アメリカ大統領が非常識だったり、パラノイアだったらとか、そんな想定はナンセンスだ」
「そうじゃない。俺が言いたいのは、例えば、相手がこんな風に通常兵器だけで攻めてきたらどうするかってことだ。核を使って迎撃するのか?」
「そりゃ、その時は普通の武器でお相手することになるだろうさ」
「核抜きで、勝てると思うか?」
詰め所の空気が氷点下まで下がった。
「負けると言いたいのか?」
「レバノン内戦を思い出せ、シリアに売った二七式艦戦は全滅したんだぞ」
大日本帝国も、他の先進諸国と同様に兵器輸出に熱心だった。
この場合、石油資源獲得のため、産油国への武器売却が重視されている。主な取引先はイランだが、シリアとの関係もそれなりに深い。
シリア空軍が、中東最強とされるイスラエル空軍に対抗するため導入した三菱27式艦上戦闘機は、帝国海軍でも配備数がまだ少ない本当の最新鋭機だった。
それが、レバノン内戦において、F-15に完敗してしまった。
合衆国海軍のトムキャットに勝るとも劣らないとされた27式艦戦の一方的な敗退で、帝国海軍は恐怖のどん底に突き落とされた。
その時の騒動を初音はまだ覚えている。
「あれはシリア空軍がマヌケだったからだ。俺たちが同じ失敗すると思うのか?」
「そうでない保障がどこにある?」
それに、だ。と、加賀峰は言葉を切った。
「本当に、本当にもしもの時が来たとして、俺達は、また核を使うことができると思うか?」
加賀峰の問いかけに、初音は目を逸らしてしまった。
それは、世界で始めて核兵器を実戦使用することになった日本人が、この40年間、煩悶してきた問いだった。
もう一度あの地獄を、日本人の手で作り出すことができるのか?
或いは、そうするだけの理由が日本人の中に存在するのか、という問いだった。
「あれは正当防衛だよ。先に国境を侵したのは中国軍だ」
正当防衛は、原爆投下に対する日本人の最も平均的なエクスキューズだった。
侵略に対する自衛は、子供にも分かる簡単な正義の根拠だ。
「では、聞くが、民族解放戦争に対する正当なる防衛とはなんだ?」
それに対して、中華人民共和国は民族解放を掲げて反論していた。
満州は日帝に不法占拠された民族の故地であり、満州戦争は反帝国主義の民族解放戦争であるという主張だった。
これは、民族自決というヴェルサイユ条約体制下の東欧諸国に適用することを目的として提唱され、その都合のよさから無闇に適用範囲が拡大解釈された挙句、ナチス・ドイツの領土拡張政策の根拠としてWWⅡを引き起こす遠因となった概念に照らし合わせれば、十分に正義の根拠となりえた。
問題なのは、大日本帝国が、その国是として掲げる絶対正義の前提条件として、民族自決の概念を受けいれているということだった。
大日本帝国は体制を支える絶対正義として「八紘一宇」を掲げ、それに基づく東亜解放と大東亜共栄圏の建設を悲願としてきた。その前提条件として、民族自決に基づく植民地独立闘争が存在しているところに、精神分裂病的なパラドックスがある。
自らの正義貫徹を図るときに、どうしようもなく満州国はその存在が矛盾していた。
民族自決に基づく植民地解放とその共栄を希求する国家が、その国益のために民族自決を踏みにじり、民族自決に分断を強いている。
全く解決不可能な矛盾だった。
この矛盾の解放は、満州国の存在に依拠する大日本帝国の政治経済と安全保障の崩壊を意味する。
ある意味、大日本帝国にとって、その矛盾こそが、帝国の帝国である所以と言えた。
なぜならば、体制を支える絶対正義の存在とその正義が国家利益に矛盾するとき、その矛盾を力で抑え込もうとする姿のあり方こそが、人々に帝国の存在を認識させるからだ。
帝政を否定して成立したソビエト連邦や、民主主義国家であるアメリカ合衆国が帝国に擬えて批判の対象となるのはこの為だ。
皇帝や天皇の有無、政治形態のあり方は、帝国の必要条件ではない。
どちらも体制を支える絶対正義を持ち、それが国家利益に矛盾するとき、ソビエトは収容所列島と化し、合衆国は南ベトナムに武力で独裁政権を押し付けた。
それこそが帝国の在り処を示しているのだ。
満州国は、大日本帝国とっての南ベトナムだった。
合衆国国民が南ベトナムについて語るとき目を逸らすものが、日本国臣民が満州国について語るときにも存在した。
「満州国は、満州国だ。満州国は中国じゃない。正当な清朝の後継、満州族の民族自決国家だ。祖国統一なんて言いがかりに耳を貸すのはよせ」
「戸籍調査したら、住民の8割方が漢民族の国家のどこが満州族の民族自決なんだ?」
「もう止めろ!憲兵にしょっ引かれるぞ!」
初音はたまらず叫んだ。
「俺は、不毛な論争で同期を失いたくない」
「そうだな。馬鹿げた戯言だった。忘れてくれ」
加賀峰は、そう言い残して詰め所を出て行った。
馬鹿な戯言で忘れられるような話ではない。
初音にとって、反政府的な物言いが目立つ加賀峰は頭痛の種だった。分隊からも最近、浮いている。
「おい。今の話は誰にも言うんじゃないぞ」
「分かってますよ。あいつ、最近どうしちまったんだ?」
「俺もそれが知りたいよ」
懊悩を抱えて、初音は答えた。
すっかり冷めてしまった缶コーヒーを飲み干す。
テレビは湾岸戦争の特番が続いていた。多国籍軍の空爆は、かなり一方的なものらしい。イラク軍はほぼ壊滅状態とのことだった。
まさか、そんなことはあるまい。初音はそう思った。
軍事的な常識からすれば、攻撃側の多国籍軍にはかなり損害が発生しているはずだからだ。クラウゼヴィッツが説く防御優位は現代においても有効だ。ベトナム戦争での米軍敗退を知っている初音は、情報の隠蔽を疑っていた。
「隠蔽か・・・」
初音は、分隊の同僚達に1つ隠し事をしていた。
加賀峰がああなってしまった原因を初音は知っていた。
岩手県出身の加賀峰は、地元に選挙区を持つ翼賛会の大物政治家の熱心な支持者だった。信者と言っても過言ではない。
その大物政治家の主張を、一言で現すとすれば、こうなる。
「なぁ、普通の国ってなんだと思う?」
「はぁ?」
初音に問われた同僚は素っ頓狂な顔をして頭を傾げた。
質問の意味が分かりかねたらしい。
確かに、初音もそれが何を意味するのか、当初は全く分かりかねた。しかし、今ならば、その意味を理解することができる。
それは、つまり、大日本帝国が、帝国であることを止めるということだ。
初音には、帝国ではない日本の姿など、全く想像することがなんてできないけれども。