それぞれの理由
戦略室のガラス扉を開けると、すでに三上が座って仕事をしていた。
「三上、いたのか」
「おはようございます」
三上は視線を上げ、大型モニターの隙間から通り過ぎる白石禅を見た。
「はい、今日は現場の前に終わらせておきたいことがありまして」
「そうか。後で例の2時間ドラマの企画書が欲しい」
「はい。デスクの上のタブレットをご覧ください」
「ありがとう」
奥にある室長室の扉が開いて閉まる。
直後、遠慮がちに戦略室のガラス扉が開いた。
「三上さん、おはようございます……」
「ああ、おはよう」
「少しお時間よろしいでしょうか……?」
「どうした?」
「この資料を白石さんに見せる前にチェックしてほしいんですが……」
「どれ……これはこの数字を直さないと……」
「ありがとうございます」
「おはようございます、三上さん……助けていただきたいんですが……」
「おはよう。どうした?」
「この資料、見てほしいです……」
デスクの内線が鳴った。白石宛ての外線だった。
ごめん、と部下にジェスチャーをして電話を取る。
「はい」
「はい、戦略室、白石の番号でございます」
三上がそう言ったところで、目の前の部下たちは視線を合わせた。
これ、あれだろ? 白石さん狙いの……。
「お名前とご用件をお預かりします」
「はい、『さくらあやね』様ですね。白石への伝言はこちらで全てお預かりいたします」
「はい、はい。それでは失礼いたします」
三上は何事もなかったかのように電話を切った。
「さっきの話……ああ、この資料は俺が直して白石さんに出しておく」
「ありがとうございます。よろしくお願いします」
その後も何人か続いたが、一人も奥の「白門」と呼ばれる室長室の扉を叩かなかった。
……叩けなかった。
三上は出がけに、先ほど部下から託された資料を携えて室長室の扉をノックした。
「白石さん、今日上がってきた資料です。確認お願いします」
デスクに積み上がった資料の一番下に、持ってきた資料を差し入れた。
「ああ」
「それでは、現場に出ます」
**********
本読みの会議室はざわついていた。
誰も『何が』原因とは言わないけれど。
新人俳優のマネージャーたちが並ぶ壁際に、響影関係者の視線がちらちらと向けられていた。
「三上さん、あちらの椅子に……」
上座の方へ促される。
「いえ、今日は一人のマネージャーとして新人に付き添ってきただけですので、お構いなく。皆さんは私のことは気にせず、いつも通り進めてください」
三上本人は特に気にする様子もなく、笑顔でいつも通りだった。
いつもなら上座に座るような人物が、新人俳優のマネージャーに混じって立っているという構図は、妙な緊張感をもたらした。
そんな中、澄は台本を見ていた。
「ねぇ」
隣に座っている女優が、ヒソヒソ声で顔を近づけてきた。
「?」
澄が視線を向けると、テレビや広告で見たことのある女優が自分の方を見ている。
「俺?」
澄は首を傾ける。
女優は頷く。
「三上さんのついてる新人ってあなた?」
「えっ、あ、はい。少しの間だけ、だそうです」
「そうなの? すごいじゃん! 期待されてるね」
小声だけど、少し興奮気味に言う。
「ねぇ、名前何て言うの?」
「朝倉澄です」
「私、山岸れいな。れいなって呼んで。澄って呼んでいい?」
「あっ、はい」
「敬語もいらないから」
「えっ、あ、はい……うん」
澄はすっかりれいなの勢いにのまれていた。
「ねぇ、澄は緊張してないの?」
「緊張してるよ。セリフしっかり言いたい……って」
「だよね。私ももう少し確認しとこ!」
そう言うと、れいなは台本をめくった。
それから澄も、何十回と読んだ台本をもう一度確認していると、声がかかった。
「それではお時間になりましたので、ただいまより、2時間ドラマ『ふたり』の本読みを始めさせていただきます。本日はよろしくお願いいたします!」
「お願いします」
全員が一斉に挨拶をした。
チーフプロデューサー、監督、主演俳優と挨拶が続く。
あと数人したら自分だ……と思いながらも、いつも映画やドラマで見ている人たちが挨拶をしている様子を見ると、この俳優さんのあの作品良かったな、なんて思いながら聞いていた。
そして自分の番。
「田辺祐介役の朝倉澄です。よろしくお願いします」
言い終わり頭を下げると、急に周囲からの視線が強くなった気がした。
そして何となく、視線が自分を通り抜けて後ろに行っているような……?
……緊張のせいかも。
そう思ったちょうどいいタイミングで、れいなが挨拶をした。
全員の挨拶が終わる。
「それでは台本3ページをお開きください。……シーン1……」
主演俳優がセリフを読み、いよいよ本読みが始まった。
流れは頭に入っているので、俳優の姿を目で追っていく。
うまい役者は場の空気を作り替えるのを感じた。
そんな空気の中で芝居ができるんだ……と嬉しさを噛みしめた。
ページは進み、いよいよ澄の番だった。
澄は自分のセリフになると、台本に目をやらずにそのまま演じた。
相手のセリフを受けて、返した。
れいなとも掛け合いのシーンがあったので、れいなを見ながら演じると、すぐにれいなも反応して、澄に合わせるように演じてきた。
台本もちょうど半分くらい進んだところで、声がかかる。
「はい、それでは前半はここまでとします。ここで一度15分の休憩を挟みます。再開は3時50分からでお願いします。お疲れ様です」
全体の空気が緩む。
澄も喉が渇いていることに気がついたので、持っていたペットボトルのお茶を飲んだ。
すると肩がトン、と軽く叩かれたので振り返る。
三上だった。
「お疲れ様です」
澄が頭を下げる。
「お疲れ様です。なかなか良かったです。台本の52ページの朝倉さんのセリフ、監督がペンを止めて君を見てました。後半も頑張ってください」
「あ、ありがとうございます」
素直に礼を言った。
三上は笑顔で頷いて、後ろに戻っていった。
「ねぇ、『良かった』だって」
れいながひょっこり顔を覗かせる。
「きっと気後れしてたから励ましてくれたんだよ」
「えー? そうかなぁ? でも澄が相手のとき、ちょっとやりやすかったかも」
「ほんと?」
澄が笑う。
「あ、初めて笑った! 澄ってさ、なんか……」
れいなが言いかけたところで、入り口から背の高いスーツ姿の男が入ってきた。
休憩で緩んだ空気が急に張り詰める。
男の通る道がスッと作られ、周りの人間は頭を下げるか、「おはようございます」と挨拶をしている。
澄はオーディションのときにいた人だ、と思った。
そのとき、一瞬視線がこちらを向いた気がした。
心臓が跳ねた。
その男に視線が集まるのが、澄でも分かる。
男は三上に向かって歩いていき、話しかけていた。
「どうだ?」
「予定どおりです」
「そうか」
聞き耳を立てたわけではないのに、みんなが静まり返ったせいで会話がよく聞こえた。
「何かあれば上げてくれ」
「はい、こちらで対処できればします」
男は浅く頷くと、部屋をすぐ出ていってしまった。
「白石さんだね」
れいなが呟く。
「白石さん?」
「うん。うちの事務所の偉い人。私たちの……大ボス?」
「そうなんだ」
澄は妙に印象に残る人だな、と男が出ていった扉を見ていた。
「ねえ、後で連絡先交換しない?」
れいなは突然提案してきた。
「えっ……いいけど……」
澄は面食らったが、特に断りたい理由もないので了承した。
「わーい! じゃあ読み合わせ終わったら交換しようね」
芸能界で初めて友達が、できた。




