第68話 再会
試合開始直前の事。
ヴィクトルが剣を左に持ち替えた瞬間を見たアンセルムが思わず腰を浮かす。
「殿下」
「分かっているよ」
(……利き手を使った。有事が――恐らくは、ラガルドが動いたのだろう)
グザヴィエは目を細めてヴィクトルを見やる。
ラガルドが動いた事を悟ろうとも、グザヴィエやアンセルムに出来る事はない。
どんな事情があれ、王太子の護衛を減らす訳には行かないのだから。
「今から、私達に出来る事はないよ。ニコレット嬢と……遅れて向かうだろう彼に懸けるしかない」
グザヴィエは神妙な面持ちの中、試合場に立つヴィクトルを見つめ続けるのだった。
***
「は、始めッ!」
試合場中央。
審判が試合の開始を告げた次の瞬間、ヴィクトルは相手へ距離を詰める。
左手に持ち替えた剣が相手の剣を薙ぎ払った。
弾かれるというよりは、金属同士が強くぶつかるようなやや鈍い音が響く。
ヴィクトルの動きを目で追えた者はその場にいなかった。
相手生徒が気が付いた時には、彼の剣は地面を滑りながら遠く離れた場所へ転がっていたし、握っていた得物を失ったと気付いた時にはヴィクトルの剣が彼の首筋に添えられていた。
「――審判ッ!」
誰かが試合の終わりを理解するよりも先、ヴィクトルの鋭い声が飛ぶ。
「っ、な……」
審判は肩を跳ね上げ、いつの間にか勝敗が決している光景に唖然とする。
そして鋭く光る翡翠色の瞳が自分を睨んでいる事に気付いた彼は生唾を呑み込んでから、顔を強張らせながら口を開いた。
「や、止め! 勝者、ヴィクトル・アルナルディ!」
驚きから訪れる沈黙の中、ヴィクトルは剣を鞘にしまう。
それから彼は普段通りの緊張感に欠ける表情を取り繕いながら、わざとらしく腹を抱えて腰を折る。
「あ、ででででっ、す、すみません、腹が……っ、ちょ、先に、失礼しまぁすっ!!」
あまりに呆気ない結果。
歓声すら上がらない試合場でヴィクトルはわざとらしく腹痛を訴えた。
「え? あ、ああ――」
「まーじで、すんませんっ!!」
早々の退場を望んでいるだろうヴィクトルへ審判が頷いた頃。
既にヴィクトルは審判と対戦相手から背を向け全速力で離れていくところだった。
試合場の中央に残された審判と対戦相手は唖然とし。観客は数秒の間の後に一斉にどよめき出す。
昨年とは比べ物にならないヴィクトルの実力や、出場者が目にも留まらぬ速さで立ち去った珍妙な光景は大勢に困惑を与えたのだった。
***
闘技場内の屋内へ飛び込んだヴィクトルはそのまま通路を全速力で駆け抜ける。
途中で参加者や運営関係の講師や生徒とすれ違ったが、彼らに気遣う余裕はない。
彼は闘技場内を駆け抜け、ある通路の突き当りへ辿り着く。
床を隠していた荷物を払いのけると、そこには魔法陣が現れる。
前日、ヴィクトルがシャルルに用意させたものだった。
彼が魔法陣に触れると、光が放たれる。
魔法陣が起動したのを確認したヴィクトルはポケットに入れていた指輪を左の中指に通す。
瞬間、どこからともなく黒い外套が彼の体を覆うように現れた。
(間に合ってくれ……っ)
ヴィクトルはフードを目元まで引き下げながら、焦りから顔を顰める。
ニコレットの無事を祈る彼の姿は眩い光と共に霧散するのだった。
***
眼前に刃が迫る。
体を硬直させたままそれを見つめる事しか出来なかった、その時。
「ッ、ニコレット様!」
鋭い声と共に、私と刃の間に人影が入り込んだ。
剣同士がぶつかり合う、甲高い音がする。
視界に入り込んだ黄緑色の髪や王宮の騎士団の制服を着用するその背格好には見覚えがあった。
追加の監視として送られ、有事の際の為に研究棟から離れた場所に配備していた騎士の一人だった。
「ッ、カミーユ――」
「……っ」
騎士カミーユは地面を強く蹴り上げ、相手の剣を弾き返す。
そして所持していた笛を咥えると鋭い音を鳴らす。
その音を合図に、カミーユと同じく離れた場所で待機していた騎士たちが研究棟へと駆け付けた。
「全く、何が起こっているんだか」
私を背で庇いながら辺りを見回すカミーユが苦々しく呟く。
その視線の先々では、元々研究棟に配備されていた騎士達が剣を構えている。
彼らの顔からは感情が欠落し、どこか虚ろな目で私を見ているのだ。
遅れてやって来た騎士達は味方の豹変っぷりに困惑を隠しきれない。
けれど、私だけはこの状況を正確に理解できていた。
(――ラガルド殿下だわ)
彼は既に研究棟を訪れ、監視を洗脳した上で堂々と建物内へ潜入したのだ。
恐らくは侵入者を警戒し、監視を強めた張本人――私を殺害するよう騎士達に暗示をかけて。
「ニコレット様をお守りしろ!」
カミーユの鋭い声に従い、駆け付けた騎士達は次々と剣を抜いた。
私を狙う騎士と、私を守る騎士。
互いの刃が交わり、研究棟の前はあっという間に混戦状態となる。
(……まずいわ。このまま足止めを喰らえば、侵入したラガルド殿下を止める者がいない。それに……シャルル様も危険だわ)
騎士達に守られながら、私は焦りを募らせる。
どうにかしてラガルド殿下に追い付きたかった。
私は視線を巡らせながら自分にとっての最善の選択を考える。
その時だった。
私の視線は研究棟の入口へと向かう。
その周辺は、がら空きだった。
洗脳された騎士達は全員が私を狙っている。
だからこそ私の周囲に人が集中し、それ以外の場所から人が離れていたのだ。
(迷っている暇はないわ)
「カミーユ」
私は一番近くにいた騎士へ声を掛ける。
「っ、はい」
「私の背中を守って頂戴」
相手の返事を聞くよりも先、私は飛び出す。
「な……っ、ニコレット様!」
カミーユの驚いた声が聞こえる。
しかしすぐさま、私を追いかける気配も同時に感じていた。
振り返っている余裕はない。
私にできる事は出来る限り早急に安全な場所まで辿り着く事だった。
何度か剣を弾く音と、カミーユの短い気合が聞こえる。
突然の命令にも拘わらず、私を追う騎士たちの攻撃を往なしてくれているようだった。
お陰で私は無傷で研究棟の入口まで辿り着くことが出来た。
カミーユもまた、やや遅れて私に追い付いたけれど、その後方では数名の騎士が私達を追ってきている。
「お願い、可能な限り足止めをして頂戴」
「貴女様はどうなさるおつもりですか!」
「先に中へ向かうわ。後から追って頂戴」
「な、危険です――っ!」
「私なら大丈夫よ」
私を引き留めようとした声を遮るように、追い付いた騎士が剣を振るう。
それを受け止めるカミーユに申し訳なさを覚えながらも私は研究棟の扉に手を掛けた。
「きっと――すぐに応援が来るから」
カミーユの実力は私も把握している。
洗脳の影響か、普段よりも幾分か動きが鈍くなっている騎士を数名相手にする程度であればカミーユが命の危機に瀕する事はないはずだ。
「っ、ニコレット様」
「ごめんなさい。どうかよろしくね」
私はそう言い残し、研究棟へと足を踏み入れたのだった。
***
自分を素通りする研究員を横目に、ラガルドは先へ進む。
その表情は冷たさを帯びていた。
(そろそろ伯爵が回収を終えている頃だろう。後は関係者を殺し、逃亡するだけ)
「つくづく、恐ろしいものだな。三魔法器というのは」
(個々の才も努力も、どんな策も無に帰すだけの圧倒的な力を持つ魔導具。これがある以上、どんな計画だっていとも容易く達成できてしまう)
ラガルドは手中に収まる『夢の香霞』を見て溜息を吐く。
彼の脳裏には様々な考えや記憶が過ったが、それを彼はすぐに頭の外へと追いやった。
(考え事をしている場合ではないな。一先ずは計画通りに――)
考えを巡らせながらも、進む足を速めようと一歩踏み出した、その時。
『夢の香霞』を握っていた方の手首を強く掴まれる。
「――っ!」
ラガルドの背後から、彼の手を掴む存在がいた。
驚きながら振り返る。
そして自分の足を止めた存在を視界に捉え、ラガルドは息を呑んだ。
艶やかで長い黒髪に、紫色の瞳の少女。
いつだったか、自分の心を揺さぶった人物と同じ特徴を持つ者がそこには立っていたのだ。
余程急いで駆け付けたのだろう。
肩で息をする彼女は、決して行かせはしないという決意に満ちた、鋭い視線をラガルドへ向けていたのだった。




