第32話 ふざけた態度
甘い香りが立ち込め、ラガルドは笑みを深めた。
しかし――
「ブワッ、くっっっさ!!」
瞬間、ヴィクトルは顔を顰めて鼻を抓んだ。
その反応は勿論、ラガルドが想定しているものではなく……勝利を確信していたかのような彼の笑みは一瞬にして困惑に塗り替えられていく。
「何か急に滅茶苦茶甘い匂いしませんか!? 甘ったるすぎてくっさい!」
「くさ……臭い???」
「あ、ラガルド殿下、もしかして今香水使いました?」
鼻を抓み、顔を顰めながらじりじりと遠ざかっていく。
明らかに汚物を見つけた時のような振る舞いだ。
少なくとも直前のラガルドの命令に従っている素振りではない。
「おま……っ、僕は王族だぞ!?」
「だって! 俺、鼻利くんですよぉ!」
そう言いながらどこまでも遠ざかっていくヴィクトル。
これまで受けた事のない扱いをされたラガルドはそれを見ながら呆然と立ち尽くす事しか出来ない。
「殿下、その香水絶対やめた方が良いですよ!!」
「お前の鼻が利きすぎてるだけだろう!」
(これではまともに使えたものではない……!)
ラガルドは魔力の放出を止め、持っていた魔導具を懐にしまい直す。
「おい、戻って来い」
「いや! まだ臭います!」
「~~~~っ、お前、僕に向かって何度も同じ言葉を……っ!」
やがて魔導具から漂っていた香りが完全に消えた頃、ヴィクトルはラガルドの元に戻って来るが、そんな彼をラガルドが許すわけもなく。
「跪け」
「うぇ……」
ヴィクトルはラガルドの前で両手を地面につけたまま跪かされるのであった。
***
「……どういう状況だい?」
「ああ、兄上」
「殿下ぁ……っ」
昼休憩に入り、中庭へやって来たグザヴィエは生徒達が遠巻きに見ている中でヴィクトルとラガルドに声を掛ける。
ヴィクトルは未だ跪いた状態であり、ラガルドはその背中に優雅に座っていた。
「ちょっとした躾ですよ」
「躾? 私の騎士にかい?」
「これが僕に向かって罵倒を繰り返したものですから」
「罵倒? ……ヴィー?」
「ち、違いますよ! ただ変な臭いがしたから臭いって言っただけです!」
「な……っ! この、大馬鹿者がっ!!」
グザヴィエの傍についていたアンセルムがヴィクトルの頭を容赦なく叩く。
スパンッと小気味いい音が響いた。
「いてぇっ!!」
「いいぞ、アンセルム・ブランシャール。もっとやれ」
「ラガルド殿下、この度は我が友が大変なご無礼を働き、誠に申し訳ございませんでした」
「ふん、兄上の臣下でなければ勝手に首を刎ねてやったところだ」
「ヴィー、ちゃんとごめんなさいはした?」
「しましたよぉ!」
「もう一度しておきなよ」
「申し訳ありませんでしたっ!!」
グザヴィエに促され、ヴィクトルは必死の謝罪を口にする。
大きな声が中庭中に響き渡った。
「ラガルド。嫌な思いをさせて申し訳ないのだけれど、どうか私の顔に免じて許してやってはくれないか」
ラガルドは頭を下げるグザヴィエを見て鼻で笑ってからヴィクトルの背を下りた。
「こんなアホの為に頭を下げなければならないなんて、兄上も大変ですね。それとも王族でありながら頭を下げる事に慣れていらっしゃるんでしょうか」
「言動に難があるのは認めるけれど、これでも彼は優秀な私の臣下だからね」
「殿下……っ!」
「でもヴィー、いくら君が素直だからって、言ってはいけない言葉を呑み込む事はそろそろ覚えようか」
「うっ、すみませんでした」
ラガルドの嫌味にグザヴィエは顔色一つ変える事ない。
「彼を許してくれてありがとう、ラガルド。それじゃあ」
「おい、行くぞ」
「ほんっと、すみませんでした! ラガルド殿下!」
「煩い。もういい。さっさと行け」
グザヴィエのペースが乱れない事に苛立ちを募らせていたラガルドだったが、そんな彼の気持ちを一切汲まないような声が投げられる。
煩わしく思ったラガルドは辛辣な返しをするも、これまた何も響いていないかのようにヴィクトルは気さくに手を振ってグザヴィエ達と去っていった。
グザヴィエ達が去っていった後、ラガルドはチラチラと遠巻きに見て来る生徒達を鋭い目つきで睨んで牽制し、溜息を吐く。
傲慢で尊大な態度、過激な言動が目立つラガルドに寄り付く者はいない。
彼が浴びる視線はいつだって奇異に思うものか怯えに染まったものばかりだった。
(あんなにもふざけた態度を取られたのは初めて……)
ヴィクトルの言動を思い出し苛立ちながら、ラガルドはその場を後にする。
その最中、ふとヴィクトルではない人物の姿が過った。
黒髪に紫の瞳の、気丈に振る舞う女性。
――仮面舞踏会で出会った名も知らぬ令嬢。
(……いや、もう一人いたな)
ラガルドは鼻で笑いながら中庭から姿を消すのだった。
***
ラガルド殿下が編入してから一週間が経った。
私とジュリエンヌ様はグザヴィエ殿下に昼食に誘われて生徒会室にいる。
生徒会室は異様な空気に包まれていた。
アンセルム様は明らかに落ち着きがなく、壁へ向かって全力で視線を逸らしながら眼鏡を何度も上げ直している。
グザヴィエ殿下はパッと見、いつもと同じ笑顔を顔に貼り付けて……はいるものの、その視線には異常な程の圧を感じた。
珍しくお怒りでありそうな事が良くわかる。
そしてその視線の先では……跪いたまま首をすぼめて身を縮こまらせているヴィーがいた。
彼は視線をあちこちに泳がせながらもグザヴィエ殿下の方は絶対に見ないという強い意志を持っているようだ。
そんな中、グザヴィエ殿下が口を開く。
「ねぇ、どうなってるのかな」
その声は彼の視線同様に恐ろしい程圧があった。
「君達婚約者はさ」
突然の流れ弾。
緊張でカラカラに乾いた喉を潤して気を紛らわせようとしていた私は思わず口に含んでいた紅茶を吹き出しそうになり、堪らずむせた。
震える手でカップをテーブルに戻し、私もまた首をすぼめる羽目になる。
「私、言ったよね? ラガルドには気を付けてねって。……ねぇ? ヴィー」
「うぃ」
緊張しすぎたせいかヴィーの口からはひっくり返った、変な返事が捻りだされていた。
だか普段ならば突っ込んでくれるアンセルム様は完全に知らんぷりを貫いているし、私もいつ飛び火するか分かったものではないのでそんな風に茶化す勇気もない。
ジュリエンヌ様を横目でちらりと見れば『助けてあげられないわよ』とゆっくり首を横に振られた。
彼女だけが落ち着いているのは、流石婚約者の貫禄といったところだろうか。
「それがさぁ」
さて、そんなこんなで生徒会室内の空気を完全に掌握しているグザヴィエ殿下。
彼の口からは未だかつて聞いた事のない程の特大溜息が吐き出された。
三秒ほどの沈黙。
その後に。
「――どうして気に入られてるのかな?」
眉間を痙攣させながら、グザヴィエ殿下は低い声でヴィーを問い詰めるのだった。




