第29話 第二王子と隣国
『夢の香霞』。
隣国ソニストゥセ王国が保有している魔法器。
古代魔法『夢』を使う唯一の手段であり、世界を滅ぼす恐れがあると見做された驚異的な魔導具。
「『夢の香霞』はソニストゥセ王国が封印しているはずでは……」
ジュリエンヌ様は私が同様に抱いていた疑問をグザヴィエ殿下へ投げかけた。
しかしその時、私はソニストゥセ王国や『夢の香霞』と繋がりがありそうな話に思い至った。
「ソニストゥセ王国は、レーヌ様を我が国に送り出した国でしたね」
「ああ」
「俺達は、『聖女』レーヌがソニストゥセ王国に命じられて、これを我が国に持ち込んだのではないかと考えている」
ソニストゥセ王国こそ、レーヌ様を間者として送り込んだ隣国。
我が国への戦争を密かに目論んでいる国だ。
「『夢』魔法は精神干渉系の魔法……まさか、学園で不自然に広まっていた私やニコレット達の悪評は」
「そう。恐らく『夢の香霞』によるものだったのではないかと、私達は考えた」
レーヌ様が学園へ編入し、グザヴィエ殿下の婚約者の座を狙いだしてからというもの、『聖女』である彼女を虐めているという私達の噂や、逆にレーヌ様が『聖女』として評価されるべきだという話が瞬く間に広がった。
それこそ……今思えば不自然な程に。
「私やヴィーのように、『夢の香霞』によってレーヌ嬢が貶めようとしていた対象に大きな信頼や好意を寄せていた場合や、セルのようにそもそも他人に興味を持たない冷たい性格だと影響は受けなかったけれど」
「殿下?」
「ああ、ごめん、勿論冗談だよ。噂に良い噂にも悪い噂にも左右されにくい性格だと、ね」
真面目な話の間に突然挟み込まれた、アンセルム様に対する酷評。
された本人も流石に口を挟まない訳にはいかず、しっかり反応を示した。
お陰で少しだけ場の空気が和らいだような気がする。
「学園での私達やレーヌ様の評判は、彼女が隠し持っていた『夢の香霞』の影響だった……」
「ああ、これはほぼ確実だと言っていいだろう」
「では、レーヌ様が獄中で暗殺されたのは『夢の香霞』が目的だったと」
これまで、密かに抱えていた疑問が紐解かれる予感を抱きながら、私は自分の考えを整理する。
「レーヌ様は『聖女』という事もありましたし、国は恐らく厳重な体制で彼女を見張っていたはず。それでも尚、暗殺が行われたとなれば……そこまで辿り着くことが出来る国内の権力者並びに関係者。この関係者が今回の場合はラガルド殿下、もしくは彼の息が掛かった何者かである、と以前の殿下はおっしゃいましたね」
「ああ。私への襲撃の件にラガルドが絡んでいる……私の命を狙う為に彼が陰で動き始めているという根拠の一つとして、レーヌ嬢の暗殺を挙げた時の事だね」
レーヌ様の暗殺の話が上がった時、殿下からはラガルド殿下であれば彼女の暗殺も可能だったかもしれない、と聞かされていた。
「正直、ラガルド殿下が『聖女』を殺す事にメリットがあるとは思えません。であるならば、それを上回るメリットがあったのだと……そしてそれこそが強大な力を保有する魔法器、『夢の香霞』だったのではと考えました。ただこの場合――ラガルド殿下はソニストゥセ王国と繋がっている可能性が高い」
グザヴィエ殿下とアンセルム様が静かに目を見開く。
殿下の後ろで、ヴィーだけがほくそ笑んでいた。
「レーヌ様が『夢の香霞』を持っているなどとは、誰も考えていなかったはずです。当然、あれは個人が易々と持ち歩けるような代物ではありませんから。おまけに『夢の香霞』は精神干渉が出来る。……他の魔法器よりも所有の秘匿は容易でしょう。ましてやレーヌ様と一切接触がなかったラガルド殿下が自ら『夢の香霞』の在処を知る事は不可能」
「であるならばその事実を知っている者がラガルドと手を組み、その情報を与えたと考えるのが自然、か」
「はい。ソニストゥセ王国は我が国の弱体化、または滅亡を望んでいます。一方のラガルド殿下はグザヴィエ殿下の王太子の座を……未来の国王の座を狙っております。であるならば、ソニストゥセ王国がラガルド殿下の計画に協力する事を条件に仲間へ引き込むことも、ラガルド殿下がそれを承諾する事も当然の流れかと」
「ラガルドにとっては勿論、ソニストゥセ王国にとっても私の死亡は我がレグリアス王国の情勢を狂わせる好機……利害は一致している、と。…………流石だね」
グザヴィエ殿下は満足そうに頷きを返す。
……レーヌ様の殺害の話を聞いた時、私は少なからず動揺していた。
けれど、同時にこの暗殺の動機について疑問を抱いていた。
それが今、漸く、はっきりとした。
(……それでも、『夢の香霞』を奪い取った上で『聖女』も生かす事が最適解だとは思うけれど。そうできない理由、もしくは切り捨てるだけの理由があったのでしょうね。……そこまでは流石に分かりそうにないわ)
「君の見解は私達の見解と同様のものだ。ジュリエンヌも、ここまでは問題なさそうかい」
「ええ。理解しました」
ジュリエンヌ様が私へ笑い掛けてくださる。
それを称賛として受け取った私は少し嬉しくなりながら微笑みを返した。
「ただ、ここまでの話ですと、ラガルド殿下が『夢の香霞』を所持しているという情報の裏付けが無いように思われるのですが」
「それについてはね、仮面舞踏会に送り込んでいた部下が直接確認したんだ」
「な……っ」
「『夢の香霞』の形は文書としては残されておりますが、絵はないでしょう? 見てわかるものなのです?」
「ああ、そこは問題ないと思うよ」
ジュリエンヌ様の問いにグザヴィエ殿下は謎の確信を見せる。
……もしやと思って私はヴィーへ視線を向けた。
私は気付いている。
一見すると根拠のないような話についてグザヴィエ殿下が断言する時というのは……決まって、『誰かさん』が口添えしているのだろうという事に。
翡翠色の瞳と目が合う。
ここまで、何も口を挟まずに『何も分かりません』というアホっぽい顔をしていた彼は一瞬だけ何かを企むような、意地の悪い笑みを見せた。
……幼少期に私を試していた時と変わらない顔だ。
(やっぱり、そういう事なのね)
彼が第二王子と接触したのだろう。
恐らくは……私がいた時とは別のタイミングに。
私は小さくため息を吐いた。
***
その後、ラガルド殿下が『夢の香霞』を持っているという確証を得た理由についてグザヴィエ殿下やアンセルム様から報告を受けたところで昼休憩が終わってしまった。
放課後、私はヴィーに誘われて同じ馬車に乗って帰路に就く。
「頭がぱんぱんよ」
「昼休憩の話?」
「それ以外に何があるの?」
「いやー、すげーって思ってたけどなぁ」
「…………よく言うわ」
「いでっ、いでで」
当たり前のように私の隣に座っているヴィーの肘を小突くと、大袈裟な反応とけらけらと笑う声が返される。
そんなじゃれ合いが落ち着いた頃。
「ニコル」
「ん?」
「これは殿下から言っていいって言われたし、殿下も多分今頃、ジュリエンヌ様に言ってる事だけどさ」
ヴィーの顔から笑みが消える。
真剣な眼差しが、私に向けられていた。
「ラガルド殿下が、編入してくる」
「……え?」
「一週間後らしい。恐らく、殿下への探りを入れる為だと思うし……前の学園でも気紛れにしか通っていないそうだから、そう頻繁に登校して来る事はないと思うんだけど、念の為な」
「……そう」
生徒会室での話し合いで話が出なかったのは、単純に時間が足りなかったからだろう。
仮面舞踏会でのラガルド殿下との記憶を思い出した私は顔が強張るのを感じて、ゆっくりと首を横に振ってそれを頭から追い出す。
そして、大丈夫と伝えるように、私を見つめ続けるヴィーへ視線を戻した時。
「あ……」
ヴィーの目の下に、薄い隈がある事に気付いた。
そういえば、今日は時折欠伸を噛み締めていたかもしれない。
(深夜の潜入や情報収集、整理……ただの護衛なら行わないはずの仕事も兼任しているのだもの。疲れていて当然よね)
「ん、ニコル?」
私はヴィーの頬に触れ、親指で彼の目元をなぞった。
すると長い睫毛が伏せられて、甘えるように手にすり寄られる。
「……犬みたい」
「にゃーにおうっ!」
「っふふ、嘘よ」
目を伏せて静かにしていれば、思わず目を奪われそうなくらい綺麗な顔だと知らしめられる。
だというのに、その口から出るのはいつも通りの元気な声なのだから、その状況があまりにもちぐはぐで、何だかおかしかった。
「ヴィー」
私は彼から手を離すと、代わりに自分の膝を叩いた。
「へ?」
「特別に使わせてあげる」
「そ、それは……膝枕、的な?」
「膝枕、的な」
返事を聞いた後の彼は早かった。
私が肯定するや否や、彼は逃げられる前にと私の膝の上に頭を乗せる。
「……逆に体が窮屈かしら」
如何せん、ヴィーは長身だ。
子供でもない限り座席の上に足を投げ出せるような広さは馬車にない。そこに彼自身の体格の問題も加われば、横になると非常に窮屈極まりないだろう。
上半身だけを座席の上に預けた彼の長い脚は前方に投げ出されていた。
けれど何故か彼はそれを否定する。
「いや! そんなことない!」
「そう?」
絶対そんな事はあると思うのだが、彼がこのままを望むのであれば、まあいいかと私は結論付ける。
それから私は彼の髪を優しく撫でて時間を過ごす
……のだけれど。
「ちょっと、ヴィー。せめて目は閉じたら?」
――ヴィーが一向に目を閉じる気配はない。
休んでもらうためにしている事なのに、これでは意味がない。
それに……真下からじっと見つめられていると、何だか居た堪れなくなって来るのだ。
「えー」
そんな私の気も知らず、ヴィーは何故か反発する。
「えー、じゃな……」
そんな彼に異を唱えた時。
私の視線はヴィーの瞳に吸い込まれる。
私以外を映していない、真っ直ぐな瞳。
(……綺麗)
普段とは違う体勢だったからだろうか。
それとも、もしかしたらヴィーの雰囲気の方が少し変わっていたのかもしれない。
とにかく、彼に見惚れてしまっていた私は、ヴィーが私の頬に触れてきたところで我に返った。
「……ニコル」
先程までの明るい声じゃない。
落ち着いた、耳に残る声――あの晩のような声が、耳の奥深くまで入り込む。
ヴィーが上半身を起こした。
彼の顔が近づく。
ああ、これはきっと、そういう事なのだろう。
そんな期待にも似た予感がした。
じわじわと顔が赤くなるのを感じながら、私は目を伏せる。
近くで、彼の息遣いがした。
鼓動が跳ねる。
――その時だった。
ガタン!
途轍もなく大きな揺れが馬車の中で起こる。
車体ごと飛び上がるような衝撃を覚え、思わず目を開いた時。
同じようにぎょっとしたヴィーが体勢を崩して座席から転がり落ちた。
「ん、なぁ……っ!? ぎゃあっ!!」
「ヴィーッ!?」
座席から落下し、おまけにゴロゴロと向かいの座席まで転がった彼は、その角に後頭部を綺麗に打ち付けた。
あまりにも痛々しい、鈍く、大きな音が車内に響き渡った。
「~~~~ッ!!」
「ちょ、ちょっと、大丈夫……!?」
ぶつけた箇所を押さえながらヴィーが蹲る。
私は慌ててヴィーへ近づき、彼の顔を覗き込んだ。
翡翠の目は潤んでいて、目尻には涙が溜まっている。
「ッ、くそぉ~~~~~~~……っ」
そんな顔を非常に悔しそうに歪めているものだから、先程までの空気もへったくれもなくて。
私は思わず吹き出して、それから声をあげて……ついでにお腹を抱えて笑ってしまったのだった。




