第26話 十二時に解ける魔法
私はヴィーに横抱きにされながら建物を離れる。
建物の正面まで戻ってきた時、一人の男性――少女を連れて先に脱出していた人――が駆け寄って来て怪我の有無の確認や謝罪など、少しだけ会話をした。
その後ヴィーが私の手当てと馬車の手配をすると断りを入れ、私を抱いたまま現場を離れる事になる。
騒ぎを聞きつけてか集められた騎士達が建物の鎮火や現場の調査、怪我人の治療や医療施設への搬送などに奔走していた。
ヴィーは騎士達の応援の際に停められた馬車の一つを借り、私をその中に優しく下ろす。
借り受けた医療用品を広げながらヴィーは私の足や手に刺さった破片を丁寧に取り除いていく。
「痛かっただろう」
「……そうね」
時折痛みに顔を顰めながら、私は手際よく手当てしていくヴィーを見つめている。
「痕になったらどうするんだ」
「問題ないわ。変わらず接してくれる人がいるみたいだから」
「全く」
仮面の下で苦く笑いながらも手を動かしていた彼はあっという間に私の手当てを終わらせる。
彼は包帯を巻かれた私の手を取ると、優しく撫でた。
「例えそうだとしても、大切な人が傷ついて何とも思わない奴がいる訳がないだろ」
「ええ、そうね。ごめんなさい」
「いや。何はともあれ、無事でよかった」
それから私達はどちらも口を閉ざし、時間だけが過ぎていった。
やがて先に動いたのはヴィーだった。
彼は懐中時計を出して時間を確認すると私の前に膝を突いていた姿勢から立ち上がる。
「もう夜も遅い。帰って休んでくれ」
「貴方は?」
「俺はまだ仕事があるから、残らないと」
「……そう」
大勢を巻き込んだ爆発……その現場に残された仕事というのは危険なものなのではないか。
そんな不安が顔に出ていたのかもしれない。
ヴィーは小さく笑うと私の頬に触れた。
大きな手が私を優しく撫でる。
「あの騒ぎを引き起こした者はもう現場には残っていない。危険はないよ」
「ならいいのだけれど」
「だから君は安心して休んでくれ」
彼が私へ顔を寄せる。
耳元で、低く柔らかな声がした。
それから私の頬に唇が触れ、名残惜しそうにそこを撫でてから、彼は私から離れる。
「おやすみ」
ヴィーは馬車の外へと出ていく。
私に背を向ける手前。
仮面の下、口に浮かべられた微笑みがどこか寂しそうで。
「ねぇ」
私は彼を呼び止める。
ヴィーが振り返る。
金色の瞳が仮面の裏から私を真っ直ぐとみている。
呼び止めたものの何と声を掛けるべきかが分からなくて、私は暫く言い淀む。
それから、漸く言葉を見つけて。
「――またね」
ここまでの彼はきっと、バルコニーでの私の言葉に応えてくれた彼だ。
――今夜限りの。
その言葉の通り、彼はきっと明日からまたこれまで私が見て来た『剣術バカのヴィクトル』として接するだろう。
それでも『必ず伝える』と彼は言ってくれた。
いつか、今日と同じ顔か――より、私が知らない姿をきっと彼は教えてくれるだろう。
そんな未来が来る事を願って、私はそう言った。
金色の瞳がゆっくりと見開かれる。
それからゆっくりと目が細められて、唇が柔らかく弧を描いて――
「――ああ、また」
まるで素敵な贈り物をもらった子供のように、彼は幸福に満ちた顔で笑った。
その会話を最後に、ヴィーによって馬車の扉が閉められる。
ゆっくりと動き出す馬車。
私は遠ざかるヴィーの姿を見つめ続ける。
ヴィーもまた、馬車が道を曲がるまでの間、その場に立ち続けていた。
どこからか、十二時を告げる鐘が鳴る。
一日の中の、ほんの僅かにしか満たない彼との時間。
そこに確かに存在した、彼の仮面を外す『魔法』。
鐘の音は、その終わりを静かに伝えているようだった。
***
仮面舞踏会での事件を知った家族は私に休養を取るように告げ、私は事件から数日間、家でのんびりと過ごしていた。
ヴィーやジュリエンヌ様には大事ではなく、ただ体を休めているだけである事、数日後には学園へも行くつもりである事を手紙で伝えた。
そうして学園で復帰した私だったけれど。
「あ、あの……っ」
私は体が揺れる感覚に慌てながら声を上げる。
驚きや面白がるような視線を周囲から感じていた。
「んぁ? 中庭で飯食うんだろ?」
「確かに言ったわ! そのつもりよ。けれど……」
一方で、私の声を聞いたヴィーはきょとんとしている。
何故この状況で何も気付かないふりが出来るのか。
「――自分で歩けるわ……っ!」
……私はヴィーに横抱きにされながら、廊下を移動していた。
隣では満足そうに笑みを深めているジュリエンヌ様がいる。
どうか見守るだけではなく彼を止めて欲しいものだ。
「いやだって君、手足を怪我してるだろ?」
「生活に支障はないわ……!」
「いーや、怪我をしてるのを知っていて無理をさせるなんて騎士としても婚約者としても許される事ではないな! ……っと、急がないと中庭のベンチも埋まっちまう」
「ちょ、ちょっと……っきゃあ!」
ヴィーは突然廊下を走り出す。
大きな揺れに驚いた私は、彼の後ろに手を回して耐える事しかできなかった。
頭上からは無邪気な笑い声が聞こえてくる。
恥ずかしいやら危ないやらでこちらとしては笑い事ではないのだけれど。
「ジュリエンヌ様……っ!」
彼が走り出した事で当然、ジュリエンヌ様との距離も離れる。
私が助けを求めるように彼女へ視線を送るも……。
返されたのは、やはり満面な笑みと――サムズアップだけだった。
「~~~っ、もう!」
私は周囲の奇異の目から逃れるべく、ヴィーに物申そうとする。
顔を上げれば、翡翠色の瞳と目が合った。
その彼の目が優しく細められていて……それが数日前までとは少し違う意味合いを孕んでいそうで。
私は結局、ぶつけようと思っていた文句を呑み込んで
「馬鹿」
とだけ、笑いながら呟くのだった。
あの夜の事が嘘かのように、元通り。
騒がしい学園生活の再来を感じる一方で……この関係も緩やかに進展しているのかもしれない。
――そう思っても、いいのだろうか。
私は胸が温かくなっていくのを感じていた。
***
「全く、厄介な事になったね」
生徒会室。
グザヴィエは執務机の上で手を組みながら深く息を吐く。
「君にも負担を掛ける事になると思う」
「いいえ。元々、承知の上でしたから」
アンセルムは窓の外へ視線を向ける。
窓の先――中庭では抱き上げた婚約者を無邪気に振り回すヴィクトルの姿がある。
「ラガルド第二王子殿下の編入……。状況が荒れる事は避けようもないでしょう」
「願わくば、誰も傷付かない未来を掴みたいものだが……」
深刻な色を孕んだ声は生徒会室に反響し、消えていく。
仮面舞踏会の騒動を機に、これまで築かれていた平穏が崩れ去る事。
……この先で大きな悲劇が待っている事。
この時はまだ、そんな未来を予期する事など――誰一人として出来ていなかった。




