第25話 貴方になら
ヴィクトルは仮面舞踏会の会場まで戻る。
周囲は騒然としていた。
建物は彼が離れた時から変わり果てた姿をしていたし、周囲では遅れて派遣された王都の魔導師が魔法による鎮火作業を行っている。
また怪我人も少なくはなく、周囲には恐怖や痛みから泣き出す者もいた。
建物の損壊の仕方を考えれば、きっと犠牲者も零はない。
(ニコル……っ)
ヴィクトルは周囲を見回す。
しかし彼の眼はニコルの姿を見つける事ができない。
その時だった。
見覚えのある男性――グザヴィエの護衛の一人が焦りを滲ませながらヴィクトルへ近づく。
彼は顔が煤だらけとなり、恐らくは直前まで建物内部にて救助に当たっていたのだという事が分かった。
「戻られましたか……!」
「状況は?」
「既に建物の中へは入れる状態ではありません。しかし……」
「しかし?」
ヴィクトルが続きを促せば、男性は顔を曇らせる。
「先程、建物内部にて救助活動に当たっていた際、女性が逃げ遅れた少女の救助に当たっており」
「……っ!」
「少女は自分が抱えたために共に外へ脱する事が出来ましたが、女性の方は崩落によって退路を塞がれ、未だ中に取り残された状態で――」
嫌な予感がした。
こういう時、我が身を顧みず他者の為に動いてしまう人物を知っている。
彼女はそういう人間だ。
以降の相手の報告はあまり頭には入らなかった。
代わりに、痛い程に響き続ける鼓動を抱えながらヴィクトルは何とか平静を装って問う。
「……その女性の特徴は」
「視界が悪く、はっきりとは確認できませんでしたが、暗い色の髪と、あとは……そうだ紫の瞳が――」
瞬間、ヴィクトルはその場を離れる。
「な……っ! どちらへ――」
男性の声を背にヴィクトルは地面を強く蹴り付け、走り出した。
彼は出入口が完全に埋まった建物を尻目に、東側へ回り込む。
(今から建物内部へは入れない。西側の被害は大きく、恐らく爆発も西側……第二王子派が集まっていた方角に偏っている。となれば、逃げだそうと思えば、必然的に東側へ向かうしかない)
ヴィクトルは建物の東側へ抜け、その方角に人の姿がある事を願いつつ、二階のバルコニーへ視線を向ける。
この建物の一階はシャンデリアを吊るす構造や広々とゆとりを持たせたロビーの構造上、天井が高い。
一般住宅の二倍程度はある高さのバルコニー。
そこからは黒煙が立ち込めていて、いつ周囲の崩落に巻き込まれるかも定かではない。
しかしそんなバルコニーの一つ……その柵に、足を掛ける女性の姿があった。
「……っ、ニコルッ!!」
***
背後を塞がれた私は、長く息を吐く。
バルコニーの下には瓦礫の破片やガラス片などが多く散らばっている。
高さだけで考えても飛び降りるのに躊躇してしまうような高さであるというのに、おまけに怪我を避ける事が出来ないような足場の悪さ。
ヒールを履いたまま飛び降りれば、確実に着地に失敗し、より大きなけがに繋がる事は明白。
となれば裸足で降りるしかないのだが……想定される怪我や痛みを考えれば、流石に恐怖を覚えてしまう。
「……駄目よ。命あっての物種なんだから」
私は着地の不安を何とか頭から降り払い、柵の前で慎重に靴を脱ぐ。
ガラス片の無い場所に恐る恐る足を付いた私は、柵に手を掛け、乗り上げようとした。
その時だ。
先の転倒で負った傷が痛み、私は咄嗟に体を強張らせる。
その拍子に柵に掛けていた手はつるりと滑り、私の体は柵の外へと乗り出した。
「キャ……ッ、~~~っ」
頭から、柵の外へと転がり落ちそうになった私は何とか柵にしがみ付き、事故を免れる。
「……っ」
しかし一歩間違えれば最悪死んでいたという事実を、視線の先に広がる地面が訴えている。
心臓が飛び出そうな程に煩い。
(……慎重に)
私は手の震えに耐えながら、何とか柵の内側へと戻った。
背後からはまたどこかが崩れたような音が聞こえる。
気持ちを落ち着かせようと、長く息を吐いた。
けれど……手の震えが止まらない。
(情けないったらないわ)
自分から首を突っ込み、危険に巻き込まれておきながら震えるなど、と自嘲する。
(気張らなくちゃ。時間はないのよ)
落下の恐怖も、手足の傷の痛みも抱えながら、私は何とか再び柵に手を掛ける。
柵を掴んだ両腕に力を入れ、足を乗り上げる。
――そんな時だった。
「ニコルッ!!」
必死に、私の名前を呼ぶ声がある。
何度だって聞いた、聞き慣れた声。
(……変なの)
それを聞いた瞬間、私の不安や恐怖は――途端に消えた。
突然、体が軽くなる。
(貴方がいてくれるだけで、恐怖が消えていく)
ヴィーが私の傍へと向かって駆け付けて来る。
その姿を見た私は、思わず口元を綻ばせてしまう。
「ニコル! 飛――」
彼が言い終わらない内。
私は柵の上に立ち、足場を強く蹴り上げた。
(貴方なら大丈夫って、心の底から信じられる)
ふわり、と全身が浮くような感覚を覚える。
(貴方になら――私の全てを託せる)
バルコニーへ近づいていたヴィーが仮面の下で驚きを見せたのが分かった。
彼は両腕を広げ、更にバルコニーとの距離を詰める。
そして……
「……っ」
落下した私の体はしっかりと抱き留められた。
力強さと温もりに包まれる中。私の心臓と同じくらいに激しく鳴る鼓動の存在が伝わって来た。
私を受け止めた両腕が、しっかりと抱きしめる。
私はその腕に身を委ねながらも、緊張から高鳴る鼓動と乱れた呼吸を落ち着かせようと息を吐く。
すぐ耳元では、余程必死に駆け付けてくれたのだろうヴィーが呼吸を乱しているのが聞こえた。
そんな彼の顔を間近で見つめていると、ぱちりと仮面の下の瞳と目が合う。
物言いたげな眼差しには申し訳なさを覚えたけれど……それよりも、あっという間に恐怖を取っ払ってしまった彼という存在の大きさと、彼が来た途端に飛び出せた自分の単純さが、少しおかしく感じてしまう。
思わず小さく吹き出してしまえば、ヴィーは困惑と呆れから文句を零す。
「笑い事じゃないんだが?」
「ふ、ふふ……っ、ごめんなさい。貴方が来た途端に、安心してしまって」
「とんだ度胸だよ、ほんと。俺が何か言う前から」
「だって……貴方なら絶対に私を助けてくれるでしょ?」
ヴィーは瞬きを数度繰り返してから、私と同じように吹き出す。
「……当然」
そんな彼の首に私は両手を回し、顔を摺り寄せる。
「ありがとう。私を助けてくれて」
「……ん」
ヴィーもまた、短い返事をしながら、私に応えるように顔を寄せるのだった。




