第22話 一夜限りのダンスを、あなたと
(……どうして、そんな顔をするの)
ヴィーを呼び止めてから数分間、私達は互いに何も言わなかった。
仮面の下で揺れる金色の瞳は、とても優しい。
けれど同時に……どうしてだか、仮面に隠されているはずの彼の顔が酷く悲し気な色を孕んでいるように見えて仕方がなかった。
何故、私の前でも別人を演じ続けるの?
どうして何も言わないの?
何を悩んでいるの?
……これまで見て来た貴方のどれが本物なの?
聞きたい事が頭の中で沢山過った。
目の前に立つヴィーの振る舞いはこれまで私が見て来た姿のどれでもなかったし、その彼ですら彼の素ではないような気がしてならなかった。
そう感じると同時に、虚しさと悲しみが私の胸を締め付けた。
……私と彼は政略という両家の利害の一致から始まった関係だ。
これまでの互いの距離感だって、理想の婚約者を演じていた方が何かと都合が良いからという理由あっての事だとは思っていた。
彼が私に本心を話さないのも、昔から変わらない。
それでも……どうやら私は、『心を許してくれてはいるのだろう』と確信していたらしい。
恋愛という対象にはないにせよ、ビジネスライクな信頼関係だとしても、多少なりとも彼は心を開いてくれているものだろう……と。
何故なら、私が彼に心を許していたから。
彼も当然のようにそうだと思い込み、今、その期待を裏切られたような気持ちになっているからこそ、胸が痛いのだろう。
(ああそうか。私は……驕っていたのね)
その事が悲しく、恥ずかしくもある。
けれど、それならば何故――ヴィーの方が傷ついたような顔をしているのだろう。
立ち居振る舞いは大人び、紳士然としているのに、顔に湛えられている微笑はあまりに子供じみていて、ちぐはぐだった。
普段とも違う、子供らしさ……まるで迷い子が行き先を見失って途方に暮れているような。
……進む事を恐れているような。
(――恐れ)
ふと過った言葉。
その瞬間、先程まで抱えていた山のような疑問が瞬く間に吹き飛んだ。
(貴方は……恐れているの?)
考えてみれば簡単な事だった。
私達が出会ったのは、歳の数が片手で収まらなくなるかどうかといった頃だった。
その頃から、彼は本心を隠す芝居が上手かった。
当然のようにそうし続けてきた。
であるならば……本音を明かすなどという事を、一度もした事がなかったのでは。
幼少の頃、甘えと弱みが許される場所でそれをして来なかった子供がそのまま成長すれば、どうなるだろう。
幼少を自由に過ごした私ですら、心の内を全て曝け出すのは怖い。
ならば彼はきっと……もっと怖いはずだ。
(……ずっと一緒に居たのに)
視界が歪む。
鼻の奥がつんと痛んで、私は込み上げるものを堪える。
(どうして、気付いてあげられなかったの)
意図的に隠して来たものもあるのだろう。
けれどきっと、それだけではない。
だって、彼が私を見る目も触れる時の優しさも、いつだって同じ温もりがあった。
どれだけ取り繕っていても常に感じて来たあれは……きっと偽りではない。
意識的にか、無意識的にかはさておき、彼はきっと、彼なりに私に心を開いてくれていた。
ただ、偽ることに慣れたまま成長してしまったせいで、そうする外に、今更どうすればいいのかがわからなかっただけなのだろう。
(もっと早く、気付いてあげるべきだった。私だったら、もっと早く彼の心に寄り添えたはずなのに)
今すぐ、彼を甘やかしてあげたい。
大丈夫だと伝えたい。
けれど、それは自己満足だ。
たったそれだけの事で彼の恐怖心が消えるとは思えない。
ならば、自分に出来る事は……彼自身が恐怖心を拭えるよう支える事だけ。
動くのではなく、待つのだ。
私自身が彼の先に立って。
私は彼に暗に伝える。
私はどんな貴方でも受け入れる、と。
「どうか、わたくしをダンスにお誘いいただけませんか。……名も知らぬ、紳士様」
***
私達は曲に合わせてステップを踏む。
(……ダンス、踊れたのね)
ヴィーは私の動きに合わせるだけではなく、パートナーとして私を丁寧に誘導してくれる。
繊細で、丁寧な動きだった。
これまで共に出席したダンスパーティーでは毎回のようにテンポを間違えたり、脚を縺れさせてよろけたりして、周囲から笑われる事だってあったのに。
けれどよくよく考えてみれば、身体能力に優れていて頭の回転が速い人間がダンスを踊れないという事の方が不自然だ。
それに彼は、どれだけ足を縺れさせたり転んだりしても、一度だって私を巻き込んだ事はなかった。
全て、計算した上でのことだったのだろう。
きっとダンス下手という一面は『剣術バカ』をわかりやすく演じる為の材料の一つだったのだ。
(私って本当に、貴方の事を何も分かっていなかったのね)
顔を上げれば、仮面越しにヴィーと目が合う。
彼は不安気に視線を逸らしていた。
長い睫毛が伏せられている。
(でも、もういいわ。わかったもの)
「ダンス中に相手を見ないのは、失礼ではないの?」
「な、ぁ……っ、も、申し訳ござ――」
先程までのように丁寧な言葉づかいで謝罪をしようとした彼はしかし、すぐに言葉を切る。
それから、私へ視線を戻して
「……ごめ、ん」
「いいえ」
あまりにぎこちない謝罪に私は小さく吹き出してしまう。
(彼の中で絶対に揺るがないものを見つけた。どれだけ取り繕っても、根幹だけはきっと代えられないのね)
どれが本物で、どれが偽物か。
そんな風に考えるのはもうやめる。
何かを演じている時の彼も、芝居を手放そうと足掻く彼も……全部彼だ。
ヴィクトル・アルナルディという、『剣術バカ』を装った天才で、どうしようもなく不器用な――私の婚約者だ。
私はそんな彼の全てを受け入れて、愛したいと思った。
(私も張り合うのはやめるわ。貴方に心を見せる。だからどうか……いつか、貴方から私に寄り添ってくれる未来が訪れますように)
視線が合ったヴィーに笑い掛ければ、彼は僅かにステップを踏み外してから、ぎこちない微笑みを見せた。
そうして曲が終わったけれど……私達はどちらからともなく自然と二曲目を踊りだした。
「…………初対面の人に話す事ではないから、聞き流して欲しいんだけど」
ふと、ヴィーが話を切り出す。
夜風が私達の横をすり抜け、髪や服の裾を揺らした。
「ずっと、仮面をつけ続けているような感覚があるんだ」
「仮面?」
ヴィーはくすりと笑って私の体を抱き寄せる。
私がステップを踏みやすいように繋いでいる方の手で動きを誘導してくれている。
「そう。何をしていても、無意識のうちに正しいと思う選択をしてしまうような仮面がこびりついて離れない。まあ別に、それでも困らないからって放っておくんだけど、自分が心を開かないから相手との心の距離感も、きっとずっとわからないままで」
彼の声にいつもの明るさや無邪気さはない。
落ち着いていて、大人びている……そんな声だった。
「今のこれだって、正しいのかはわからない。もしかしたら気付けないような仮面がついているだけかもしれない」
二曲目が終盤へ向かっていく。
「それでも正しいと思えるものも確かにある。ただ……ずっと大切に隠してきたそれを出した時、どうなってしまうのかが分からなくて、それがどうしようもなく怖いと思う」
その時だ。
月明かりに照らされた紺色の髪が緩やかに赤みを、金色の瞳は緑色へ変化していく。
色彩変化の薬品の効果時間が切れたのだろう。
「それでも、いつか知って欲しい」
月明かりと、無数の星をちりばめた空を背景に笑う彼に見惚れてしまう。
思わず足を止めてしまうと、ヴィーは私の手を優しく引いてステップを促してくれた。
「必ず伝えるから」
私達は揃って最後のターンを決め、見つめ合った。
曲の余韻が吸い込まれて消えていく中、私達の息遣いだけがやけに大きく聞こえた。
「伝えたい人は、待っていてくれると思う?」
「……ええ」
私は息を整えながら笑って頷く。
「いくらでも、待っていてくれるわ」
「…………そっか」
ヴィーは私から手を離すと、窓に映る自分の姿に気付いてポケットから例の霧吹きを出す。
それを頭に振りかければ、彼の髪の色はあっという間に紺色へと戻っていく。
次いで、手慣れた手つきで目薬を出した彼は私に背を向ける形で仮面を取り、それを瞳に差し込んだ。
こうして私の良く知る特徴の青年は再び鳴りを潜める。
「そろそろ行かないと」
彼が、ダンスの感謝を示す一礼をし、私もそれに倣う。
「どうか気を付けて帰ってくれ」
「……ええ。もう少しだけ風にあたったら、すぐに帰るわ」
「……今日はどうもありがとう」
「こちらこそ」
ヴィーは私の言葉に頷くと、バルコニーへ来るまでの作り笑いと恭しいお辞儀を残し、一足先にその場から去って行った。
ガラス張りの扉の先、その姿が人に紛れて消えてしまっても、私は暫くぼんやりとそちらを見ていた。
一人になると、思い出すのはバルコニーに来てからのヴィーの姿ばかりだった。
今日だけで、彼の色んな側面を見た。
その事に思いを馳せ、目を閉じながら、休息をとる。
やがて気持ちが落ち着いてきた頃。
私は彼の言いつけ通り、帰宅するべくホールへと続く扉に手を掛ける。
その時だった。
大きな爆発音と共に、足場が大きく揺れる。
次いでどこかが崩れ落ちるような轟音が響き、煙までもが立ち込め始めた。
「っ、何……っ!?」
辺りから次々と悲鳴が飛び交う中で私は周囲を見回すのだった。
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