第2話 聖女の企てと二人の対抗策①
あの出会いから長い年月が経ち。
それから十六になる現在に至るまで、私達は仲睦まじい婚約関係を築いている。
……表向きは。
けれど私達は互いに知っている。
私達が共にいる時間に無数の駆け引きが行われている事を。
この婚約関係は良好に見える方が双方にとってメリットになる。
それを理解しているからこそ、私達は社交界でも円満な婚約関係の象徴となるような関係性を体現しているし、我が家かヴィーの家どちらかに不利益が被りそうな問題が発生した際にはそれとなく立ち回って問題の鎮静化に努めている。
本心を語り合うような事がなくても、望む方向性が同じためにこれまでの連携は完璧だったと言えるだろう。
表向き親しくしているだけの関係だけれど……この関係、存外悪いものではない。
大抵の事は彼が私の意図を汲み取って上手く先回りしてくれているので、心労が少なすぎるのだ。
寧ろ、彼なら上手くやるだろうという安心感が大きい。
長い年月を経た今も恐らく、私は彼の真髄を見切ってはいないのだろうと感じさせる程、ヴィーは優秀だった。
そして、そんな関係を築いている私達は現在、ある問題に直面していた。
その問題とは……
***
「あっ! おーい、ニコル!!」
入学した王立学園で友人と昼食を取ろうと廊下を歩いている時だった。
明るい声と満面の笑みと共にヴィーが私へ駆け寄って来る。
そしてその勢いのまま私を腕の中に閉じ込めた。
「っ、ヴィー」
「ラッキー! 今日は会えたな」
「苦しいわ」
「おっと、わりぃ」
ヴィーは王太子となった第一王子グザヴィエ殿下の護衛騎士として選ばれ、学園では常に彼の傍につきっきりとなっている。
グザヴィエ殿下と私の専攻科目は殆ど被らない上、学園の敷地は非常に広大なので同じ学園に通っていながらもヴィーとは中々出会うことが出来ないでいた。
「それと……公の場で異性をべたべた触るのはよして」
「でもニコルは俺の婚約者だろ? なら」
「節操がないと思われるでしょう? 両家の品性を疑われるわ」
「いだだだ、悪い、悪いって」
私はヴィーの頬を抓む。
彼は見るからにしょんぼりとした様子で私から腕を離した。
先程駆け付けてきた時といい今といい、まるで耳や尻尾が見えるかのようである。
……この大型犬っぽさを計算で出しているのだから恐ろしい。
「……公の場じゃなきゃいいって事?」
私の顔色を窺いながらおずおずと聞いて来る彼の様子に、私は面食らい、言葉を失う。
それから横髪を指先でいじりながら、視線を逸らしてみせた。
「だ、駄目……とは言ってないわ」
ぱぁっ! と顔を輝かせるヴィー。
また逸らした視線の先では友人の令嬢達が生暖かい目でこちらを見ている。
――勿論、これらは芝居である。
私とヴィーは互いに視線を交わし、相手の意図を汲んでいた。
「相変わらず、君達は仲が良いな」
そこへ声を掛けたのはグザヴィエ殿下だ。
彼はくすくすと品よく笑っていたが、その傍に立っていた侯爵令息、アンセルム・ブランシャール様はしかめっ面のままヴィーの首根っこを掴んだ。
「お前は何度言ったら分かるんだ! お前の使命は殿下をお守りする事だろうが! 何をうつつを抜かして殿下から離れている」
「ぎゃー!! ごめんなさい!」
アンセルム様は侯爵家の中でも一目置かれるブランシャール家の嫡男であり、宰相のお父様を持つ。
そんな彼に対し、ヴィーが砕けた口調を使えるのはアンセルム様もまたヴィーの幼馴染であるからだろう。
ヴィーはそんな彼によって、ずるずると私から引き離されていく。
「まあまあ。ヴィーが感情的に動きがちなのは今に始まった事ではないからね。それに私に何かあれば彼が真っ先に守ってくれるという信頼もある。多少は大目に見てあげよう」
「殿下はこいつに甘すぎるんですよ!」
にこやかなグザヴィエ殿下と、呆れているアンセルム様と、首根っこを掴まれたままじたばたとしているヴィー。
ご友人達の間で微笑ましい会話が繰り広げられたのも束の間。
殿下は私の友人の一人へ視線をやる。
ジュリエンヌ・ファリエール公爵令嬢。
グザヴィエ殿下の婚約者だ。
彼女は殿下と視線が合うや否や、パッと視線を逸らしてしまった。
殿下も殿下でなんと声を掛けるべきかと困ったような微笑みを浮かべている。
そしてそこへ――
「殿下ぁっ!」
愛らしい見目の小柄な少女がどこからか猛スピードで駆け寄って来た。
「おっとっと」
彼女は殿下の腕に絡もうと、転んだふりをしながら手を伸ばしたが、それは彼女の軌道にヴィーが割り込んだ事で阻止される。
「大丈夫ですか? レーヌ様」
受け止められた当の本人は『邪魔をするな』と言わんばかりの不服そうな顔を一瞬だけ浮かべたが、すぐに何事もなかったかのように笑みを見せる。
「ええ、ありがとうございます、ヴィクトル様」
レーヌは平民出身だが、男爵家に養子として拾われた令嬢だ。
彼女は特別だった。
何でも神のお告げを聞くことが出来る上、他者の傷や病を癒す特別な力を持っているとか。
この力を持つ存在は『聖女』と呼ばれ――世界に一人しか存在できない、神に選ばれた特別な存在と謳われている。
そんな彼女は最近学園に編入してきたのだが、王太子殿下を見つけては何とか接点を持とうと必死になっていた。
そして同時期から、ジュリエンヌ様やその取り巻きである私達がレーヌ様を妬んで虐めているという噂が流れるようになった。
現在、グザヴィエ殿下とジュリエンヌ様が気まずそうにしているのもこれらの理由があるからだった。
これこそが現在、私とヴィーが抱える大きな問題だ。
だがこれについては既に解決の目途は立っている。
私は周囲を見回す。
昼休憩という事もあり、廊下を歩いていた大勢の生徒が私達に注目していた。
私はヴィーを見る。
彼は僅かに頷きを返した。
それが合図だ。
「レーヌ様。前々から申しておりますが、グザヴィエ殿下はジュリエンヌ様の婚約者。王族……それも既に未来を決めたお方がいる異性へ直接触れることはなきよう心掛けてくださいと、何度も言っていますよね?」
私はレーヌ様に物申す。
しかし次の瞬間。
彼女は待ってましたと言わんばかりに目に涙を溜めてワッと泣き出した。
「怖いわ、ニコレット様! 普段ジュリエンヌ様達と一緒に私を虐める時みたいな顔で……っ!」
「虐める?」
ヴィーが何も知らないふりをして素っ頓狂な声を上げる。
私は敢えて動揺しているように顔を強張らせる。
愛している男性に自分の悪評が広まることを恐れている女――その隙を見つけたと思ったのだろう。
レーヌ様は更に声を上げた。
「ええ、そうなんです、ヴィクトル様! ニコレット様ったら、昨日だって私を連れ出して、暴力を……っ」
「そ、そんな事……っ! 私、しておりませんわ!」
大袈裟に取り乱す。
傍から見れば逆に怪しいのではと思わせるように。
するとレーヌ様は更に調子に乗りだした。
「ひどい……っ、ご自身のなさったことは隠して、私ばかりを追い詰めて……!」
「ど、どういうことだ……? レーヌ様、一体どこでそんなことを?」
彼女の言葉を鵜呑みにしているかのようなヴィーの発言を待っていたように、レーヌ様は声高らかに言う。
「昨日の放課後、裏庭の方で……っ」
――出た。
私は内心でほくそ笑むのだった。




