第18話 邂逅
私は暫く友人と話していたけれど、やがて会場の空気に慣れたらしい彼女はダンスを楽しむために私のもとを離れていった。
私も数名の男性にダンスを誘われ、会話を交わしはしたものの、気になるような話は特になく。
そう上手く何かが得られる訳もないかと割り切って時間を潰していた時の事だった。
「おい! 何をしている!」
「も、申し訳ありません……!」
一人の男性が給仕係に詰め寄っていた。
「下民風情がこの僕にぶつかるとはどういう了見だ?」
どうやら給仕係がその男性にぶつかってしまったことが怒りの原因だったようだ。
男性の声は大きく、その騒ぎには周囲の注目も集まりつつある。
しかしそんな事はお構いなしに、男性は給仕係を責め続けた。
「僕が何者か分かった上での行いだろうな? どうやら貴様は命が惜しくはないようだ」
仮面舞踏会は身分を伏せた状態で楽しむ夜会のはずなので、彼の発言は見当違いも甚だしい。
しかしその滅茶苦茶な主張がまかり通ると心の底から思っているところを鑑みるに……随分位の高い貴族なのだろう。
侯爵家クラスか、もしくは公爵家か。
どちらにせよ、愚かな事には変わりないが。
男はその後も給仕係を詰り続け、このままでは何十分も文句を吐き続ける勢いであったし、そうなれば周囲の者もパーティーどころではないだろう。
(……このまま帰っても、寝覚めが悪いわね)
もしかしたら、相手は自分よりも位が高い人物かもしれない。
しかしそれは、相手とて同じ立場。
仮面舞踏会というこの環境を利用すればこの場を治められるかもしれないと思った。
……友人の家族が主催のパーティーでもあるし、台無しになるのは避けてやりたいという思いもあった。
「失礼、そちらの殿方」
「……は?」
「どうかその憤りを鎮めてはいただけませんか」
「貴様……ッ、女性の癖に僕に指図するか! 僕が何者かわかっての――」
「わかりません」
「は?」
「わかりませんわ。……当然でしょう? ここは匿名性を求めた夜会――仮面舞踏会です。この場で名や地位をひけらかすのは禁止されておりますし、何より……誰も求めてはおりませんわ」
「貴様……ッ、よくもそのような」
「ですから」
銀髪の下、仮面の底から覗く青い瞳が私を鋭く睨んでいた。
私は彼の言葉を遮る。
好きに喋らせる事で彼がその身分を明らかにし、その正体が――私よりも上の地位に当たる者であった場合、私は途端に弱者になり、首を垂れることしかできなくなる。
私は強気の笑みを湛えながらカーテシーを披露し――青年へ手を差し出す。
「どうか、わたくしと一曲、踊ってはいただけませんか?」
「…………は?」
男性が唖然とする。
当然だ。
たった今、衝突し険悪な空気になった張本人と踊るだけでもおかしな話だというのに――女性側から、ダンスを誘うなど。
社交界でダンスを踊る際、女性側から誘う事など許されない。
淑女として、相応しくないからだ。
目の前の男性がこの会場でのタブーを犯したというのならば、私は社交界でのタブーを犯したことになるだろう。
しかし要は――身元がバレさえしなければいいのだ。
この会場で好きにする分には、私に批判が集まる事もないだろう。
「貴方様はこのパーティーを楽しめていないのだとお見受けいたしました。ですから僭越ながら――わたくしが、そのお手伝いをと思いまして」
「ハッ、貴様如きが僕を楽しませられると? よくもまぁそんな自信が湧いてくるものだな」
「物は試しと言いましょう? 勿論、無理にとは言いません。ダンスがお得意でないのでしたらこの手を振り払ってくださっても構いませんわ」
青い瞳が私の手を静かに見つめる。
周囲の沈黙と、奇異の視線が痛い。
しかし高圧的で傲慢な相手を前に弱みを見せれば、それこそ侮られ、一蹴されて終わりだ。
そして幸い、幼少から社交慣れしていた私はこのような性格の者の扱いもそれなりに理解していた。
「……面白い。そこまで言うのであれば乗ってやろう。精々、興醒めさせないよう道化を演じるんだな」
そう言うや否や、彼は乱暴に私の手を取り、ホールの真ん中まで連れ出す。
そして、私達は曲に合わせて動き出した。
ダンスは得意だ。
過酷な淑女教育のお陰で型は体に馴染んでいて、常に精神に余裕もある。
だからこそ相手の動きに合わせたり、相手がダンス中に望む事を汲み、応える事が出来る。
初め、相手は私に恥を掻かせようとわざと不意を突いてアドリブを入れて来た。
しかし私はそれに次々と的確に応じる。
「荒々しいダンスがお好みですか?」
その上で、余裕を滲ませる問いを投げる。
すると男性は驚いたように息を呑んでから、口角を持ち上げた。
「……面白い」
挑発的な女は嫌いではないらしい。
そして彼は――非常にダンスが上手かった。
今度は私から敢えて型を崩したアドリブを加えるも、彼は簡単に対応する。
いつの間にか、彼の瞳からは憤りが消えていて、私は自分の思惑通りに事が運んだらしい事を悟る。
そして曲の終わりと共に、私達はぴたりと静止した。
「どうやら……ご期待には沿えたようですね」
「勝手に決めるな。だが、そうだな……存外、気を害する程のものではなかった」
「左様でございましたか。よかったです」
どうやら私達が踊りだしてすぐに、他の貴族達も気を取り直してパーティーを楽しみ出したようで、今の私達に注目する者は殆どいなかった。
既に次の曲が流れ始め、周囲の者はダンスに興じている。
初対面の者を相手とした、挨拶代わりのダンスは一曲のみというのが社交界の常識。
加えて、この場に立ちっぱなしでいても周りの迷惑になるだろうと考えた私は、男性に一礼した。
「それでは、わたくしはこの辺りで」
しかし。
「待て」
私の手を握っていた彼の手に力が籠められる。
かと思えば次の瞬間、私は腕を強く引かれていた。
「気に入った。もう一曲躍れ」
「な……。しかし、わたくし達は」
「他人である事を気にするならば、それ以上になれば良いだろう?」
「先程も申しましたが、この場は匿名性を重んじております。それではこのパーティーの意義が」
「――社交界のタブーを犯し、散々僕を振り回しておきながら、急に慎重になるんだな」
そう言うと、彼は歪めた口角を私の耳もとまで寄せ――
「ラガルド・ステファーヌ・レグリアス……それが僕の名だ」
そう囁いた。
その名を聞いた瞬間、私の頭が真っ白になる。
一瞬の事だった。
けれど彼にとってはその一瞬で、充分だったのだろう。
「さて。この僕を振り回す度胸のある女は一体どんな顔をしているのだろうな」
「――っ」
彼は私の仮面の縁を指に引っ掛けた。
(あ……まずい)
そう思ったのも束の間。
――私の仮面が落下する。
カラン
それが床にぶつかる音が、小さく響いたのだった。




