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面接:寄るか、逃げるか


〇・六秒。


天井が鳴った。


《空間把握》が赤い線を吐き出す。岩盤亀裂——幅十四センチ、深度不明、崩落予測範囲半径二・五メートル。推定重量三百二十キロ。着弾まで一・四秒。


足が知っている。逃げ方を。


〇・一秒で重心を後ろに移せば、崩落圏外に出られる。カメラを抱えて背中から転がれば、機材も無事だ。衝撃で映像は乱れるが、命は残る。


《完全回避》が最適解を脊髄に書き込んでくる。いつもと同じだ。


——逃げろ。お前だけ助かれ。それがお前のスキルだ。


志摩の声が聞こえた気がした。


〇・四秒。


岩盤が、落ちてくる。


ミラの背中が見える。黒い髪が宙に散って、崩落の風圧で揺れている。振り返らない。当然だ。道具が逃げようが潰れようが、彼女の戦闘に影響はない。


その背中を、俺は知っている。


見捨てる側の背中じゃない。見捨てられることを、最初から計算に入れている背中だ。


——ああ、そうか。


こいつも、一人でやってきたのか。


〇・二秒。


足が動いた。


前に。


《完全回避》が絶叫するように回避ルートを提示し続けている。後方、右斜め後方、左後方——全部「退く」方向だ。だが俺の足は前に出た。スキルの最適解を、初めて、自分の意志で踏み潰した。


崩落圏内。距離、ミラまで一・八メートル。カメラを左肩に構え直す。


落ちてくる岩盤の隙間に、光の筋が一本だけ残っている。ダンジョンの天井照明が亀裂を通して差し込む角度——《空間把握》が描くその光の線は、まっすぐミラの横顔に届いていた。


——ここだ。


ファインダーの中で、世界が止まった。


崩れ落ちる岩と粉塵の幕を背景に、ミラが剣を振り抜く。黒い髪が弧を描いて、光の筋がその頬を一瞬だけ照らす。シャドウハウンドの血飛沫が赤い霧になって画面の奥で散る。


完璧な構図だった。


計算じゃない。理屈でもない。ただ、この瞬間を撮らなければ俺がここにいる意味がないと、骨の芯で分かった。


シャッターを切る指が震えていない。


画面の端で、同接カウンターが回っている。七桁——末尾が止まらない。数字が生き物のように跳ねて、まだ上がっている。


コメント欄が、止まった。


一秒。二秒。


視聴者が、息を呑んでいる。


三秒目に、洪水が来た。


『は?』

『え 待って』

『今の何?????』

『カメラ生きてる!?!?』

『うそだろ嘘だろ嘘だろ』

『神』

『神神神神神神』


文字が画面を埋め尽くして、もう映像が見えない。


——でも俺のファインダーには、まだ見えている。


岩盤が着弾した。


衝撃が腹の底を殴りつけて、粉塵が視界を白く塗り潰す。左前腕の外側、肘から十二センチ下あたりに熱い線が走った。皮膚が裂けている——幅は分からない。《空間把握》は外傷を測らない。自分の壊れ方だけは、見えない。


膝をついた。カメラは——落としていない。ジンバルのモーターが悲鳴を上げているが、レンズは無事だ。


粉塵が薄れていく。


ミラが立っていた。


崩落の中心に、傷一つなく。剣を下ろし、こちらを見ている。


初めてだった。


この女が俺を見たのは。


配信開始から、ずっと背中しか見せなかった人間が、正面からこちらを見ている。黒い瞳に粉塵の白が混じって、その表情を読むのは難しい。怒りでも軽蔑でもない。驚きに近い何かが、一瞬だけ瞳の奥を走って消えた。


沈黙が落ちる。


コメント欄はまだ狂ったように流れている。同接カウンターは七桁の後半で明滅を繰り返し、サーバーが悲鳴を上げているのか、数字が時折バグのように跳ねる。


ミラが口を開いた。


「——死ななかったわね」


それだけだった。


褒めてもいない。労ってもいない。ただ事実を述べただけの、冷たい五文字。


なのに。


胸の奥で、何かが緩んだ。追放されてから——いや、もしかしたらもっと前から、ずっと締め付けられていた何かが、ほんの少しだけ。


「……はい」


声が掠れていた。粉塵のせいだと思いたかった。


ミラはもう背を向けている。


「レンズ。拭きなさい」


見なくても分かった。粉塵の粒子がレンズ表面に——《空間把握》が数える——百三十七粒。右手でクロスを掴み、拭う。五秒で九十九パーセント除去。


「次のエリアに入る。ついてこられないなら、ここで寝ていていいわよ。回収は明日」


冗談なのか本気なのか、声のトーンからは読めない。だが足は動いた。膝が笑っているが、立てる。


前に。


また前に。


さっき初めて、自分の意志で《完全回避》を超えた。その感覚がまだ足の裏に残っている。怖かった。死ぬかもしれなかった。でも——撮れた。あの一瞬を、撮った。


俺の脚が震えているのは、恐怖じゃない。


『#カメラマン誰』

『#悪魔の新人カメラ』

『あのアングル人間じゃないだろ』

『つか生きてるのがおかしいんだが』


コメントが流れ続けている。俺の名前は誰も知らない。でも、ファインダー越しに世界が俺を見た。


——三日。


あの男が言った最長記録。


まだ一日目だ。


ミラの背中を追って、暗い通路の奥に足を踏み入れる。《空間把握》が新しい空間の情報を描き始める。次のエリアの広さ、天井の高さ、空気中の魔素濃度。


そしてもう一つ。


ミラの右手。剣を握り直す指の関節に、赤い線が走っている。古い傷じゃない。さっきの戦闘でもない。《空間把握》が示す組織損傷のパターンは、外傷ではなく**内側から**表面に向かって広がっている。


何だ、これは。


聞けなかった。聞ける距離じゃなかった。道具は、持ち主の体調を尋ねない。


ミラの指が、かすかに震えていた。


コメント欄の洪水はまだ続いていて、誰もそれに気づいていない。


俺のレンズだけが、それを捉えている。


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