追放:役立たずのサポート
「――佐久間、ここまでだ」
志摩晃の声が通路に落ちた瞬間、俺は彼の顔じゃなく、その三歩先の天井を見ていた。
岩盤に走る細い亀裂。幅は〇・七ミリ。奥に空洞がある。今すぐ崩れる危険はない。湿度が上がれば、六時間後に変わる。
——そういうことが、ずっと見えている。
見たくなくても。
「聞いてるか?」
志摩が振り返る。背後に、火力役の早乙女と、同じ補助職の三宅りの。
二人とも俺と目を合わせない。早乙女の重心は右に偏っている。左膝をかばっている。三宅は胸の前で両手を組み、指先が白い。
こういう情報も、全部見える。
見えたところで、何も変えられない。
「……どういう意味だ」
自分の声が思ったより掠れていた。喉の奥が乾いている。
奥歯を噛むと、歯が鳴る音が頭蓋骨の内側に響いた。
志摩はため息をつく。わざとらしく、俺に聞こえるように。
その息が、冷たい空気に白く混じった。気温十四度。この階層はいつもそうだ。
「どういう意味も何もない。お前、戦闘に貢献してない」
貢献。
その言葉だけが、妙に輪郭を持って耳に残った。
「貢献してないって……俺、罠の位置を——」
「自分だけ避けてたな」
志摩の声は平坦だった。怒りじゃない。 査定 の声だった。
俺の固有スキルは《空間把握》。
床のわずかな歪み、空気の対流、魔力の偏り。罠の発動線、攻撃の予兆。
それらが、薄い色のついた線になって視界に浮かぶ。
そしてもう一つ。《完全回避》。
ただし、 自分の体にしか適用できない 。
仲間の盾にはなれない。結界も貼れない。回復も遅い。
危険が見えて、自分だけ避けられる。
それが俺の全部だ。
早乙女が鼻で笑った。壁にもたれたまま、左膝をかばっている。
「お前さ、すげえよな。『危ない!』って叫ぶだけ叫んで、次の瞬間にはもう安全地帯。毎回。一回も被弾しない」
言い返そうとして、喉が詰まった。
「才能だわ。 逃げの才能 」
三宅りのが、やっと顔を上げた。
そこにあるのは怒りじゃない。罪悪感だ。だから余計にきつい。
「透……ごめん。私も、最初は助かってるって思ってた。罠の場所、教えてくれるし……でも、最近——」
「最近?」
三宅の指先がさらに白くなる。握り込んでいる。
「……最近、怖いの。透がいつか……私たちより先に、逃げるんじゃないかって」
空気が止まった。
逃げない。逃げたくない。
だけど俺のスキルは、危険が迫るたびに 最短の生存経路 を俺の体に叩き込む。
反射より速く、意志より先に、足が動く。
守りたいと思っている。
けれど体は、俺だけを守ってしまう。
志摩が背負った大剣の柄を、静かに叩いた。
判決を読み上げる裁判官みたいな動作だった。
「決まった。今日で解散。お前はここで降りろ」
「この階層、まだ出口まで——」
「転移門がある。使え」
早乙女が、俺の荷物袋を蹴った。
中で金属が鳴る。安物のカメラ。配信用じゃない。ただの記録用だ。
誰に頼まれたわけでもなく、地形や罠の位置を撮っておく癖があった。
カメラが床を滑る音が、やけに長く響いた。
そのとき——俺の視界に線が走った。
早乙女の右足の次の着地点。床石の継ぎ目に埋め込まれた圧力式の罠。
起動すれば天井から岩針が降る。範囲は半径二メートル。
早乙女の位置、志摩の位置、三宅の位置——全部、入っている。
見えた。
「待て、そこ——!」
遅かった。
早乙女の足が石を踏む。
乾いた音。パチン。
天井の隙間が裂け、針のような岩片が降り注いだ。
三宅が叫ぶ。志摩が腕で庇う。
俺の体は——もう動いていた。
一歩、斜め後ろ。四十七度。
岩針の軌道が、赤い雨みたいに可視化される。その隙間を縫うように体が滑る。
一本も触れない。靴底が床を擦る音だけが、自分に聞こえた。
岩針が止む。
粉塵の向こうで、志摩が肩を押さえていた。浅い裂傷。血が滲む。
早乙女は尻もちをつき、三宅は壁に背中をぶつけていた。
そして俺は—— 無傷 だった。
静寂が数秒続く。
志摩が俺を見た。
その目に浮かんでいたのは怒りじゃない。確認だった。
「……な?」
一言で、すべてが終わった気がした。
「今の、見えてたよな。なのに間に合ってない。俺の肩に当たった」
「わざとじゃ——」
「わかってる」
志摩の声は静かだった。
「わざとじゃないのは、わかってる。だから余計に駄目なんだ。お前のスキルは、お前しか守らない。それはお前のせいじゃない。でも——パーティとしては終わりだ」
反論が出なかった。
言い返す言葉を、スキルは教えてくれない。
志摩は背を向けた。
早乙女が立ち上がり、三宅が最後に一度だけ振り返って——でも何も言わずに前を向いた。
三人が転移門へ向かう足音が遠ざかる。
通路に残ったのは、粉塵と、散らばった荷物と、俺だけだった。
膝をついた。手を床に置いた。
《空間把握》が周囲のすべてを教えてくる。壁の温度。空気中の魔力密度。安全度。転移門までの距離——十二メートル。
全部見える。全部わかる。
それだけだ。
——何も、守れない。
どれくらいそうしていたか。
膝の痛みで我に返り、荷物を拾った。カメラのレンズに薄い傷がついている。致命傷じゃない。まだ撮れる。
なんでそれを確認したのか、自分でもわからなかった。
転移門をくぐると、地上の光が目を焼いた。
入口広場は昼間の祭りみたいに騒がしい。
巨大ディスプレイが三面。映っているのは誰かの生配信。剣士がゴブリンの群れを薙ぎ払い、コメントが滝のように流れている。
画面の端でアプリのロゴが点滅する。 DUNLIVE 。
「おお、今から深層だって!」
「同接やべえ、もう百万超え——」
「切り抜き班、サムネここ使え!」
スーツ姿のスポンサー担当が通話しながら早足で横を過ぎる。ヘッドセットをした運営スタッフ。
ドローン型の撮影機材。魔導バッテリーを台車で運ぶ機材班。
俺の《空間把握》が勝手に拾う。
スーツの男の靴底がすり減っている。走り回っている。
ドローンの回転軸が〇・三度傾いている。整備不足だ。
バッテリー外殻に微細な亀裂。過充電の兆候。
誰も気にしていない。誰にも見えていない。
俺だけが見えている。
——それがどうした。
広場の壁に、紙の掲示が貼られていた。日雇い募集の札。
何枚もある中で、一枚だけ紙の質が違う。上質紙。角がまだ折れていない。今朝貼られたばかりだ。
【ダンジョン配信スタッフ募集】
・機材運搬
・現場補助
・カメラマン(経験不問)
※守秘契約あり
※危険手当あり
※死んでも文句を言わない者
最後の一行に、口の端がわずかに動いた。笑ったのかもしれない。
自分ではよくわからない。
札を引き剥がし、連絡先をメモする。
指先の震えは止まっていた。震える段階は、さっきの通路で終わった。
今あるのは、腹の底に溜まった冷たい空洞だけだ。
——どうせ、帰る場所はない。
そのとき、広場のディスプレイが一斉に切り替わった。
三面すべてが同じ画面になる。
漆黒の背景。白い文字。
【本日 20:00 特別配信】
【未踏階層・単独突破】
配信者: MIRA
空気が変わった。
祭りの喧騒が、一瞬止まり——次の瞬間、違う温度で沸騰する。
「出た…… 悪魔 だ」
「今日のスタッフ、何時間持つかな」
「歴代カメラマン、最長三日ってマジ?」
「三日? 最短は三時間だろ」
予告映像が流れる。ほんの数秒。
深層の闇を白い光が裂いて進み、その光の中心に横顔が一瞬だけ映った。
長い黒髪。白い肌。
光を浴びているのではなく、 光を従えている みたいな横顔。
そして、目。
感情が削ぎ落とされた刃——そう見えた。
でも違う。感情が多すぎて読めない目だった。怒りにも、退屈にも、飢えにも見える。
俺の《空間把握》が、奇妙な反応をした。
危険の輪郭じゃない。ディスプレイの映像に空間的な脅威はない。
なのに——何かの輪郭が、見えた気がした。
自分でも説明できない。
気づけば俺は、さっきメモした番号に電話をかけていた。
コール音が二回。繋がる。
『……はい、現場スタッフ受付です』
声に疲労が滲んでいる。今日何本目の電話だろう。何人目の「辞めます」を聞いた後だろう。
「今日の……カメラマン募集、まだ空いてますか」
自分の声が、思ったより平らだった。震えていない。
壊れているのかもしれない。
電話の向こうで、短い間があった。
『……経験は?』
「ありません」
嘘をつく気力もなかった。
「ただ——」
言葉を選ぶ。
戦闘力はない。技術もない。信用もない。
持っているのは——
「死なない動きなら、できます」
数秒の沈黙。
それから、電話の向こうで小さく息を吐く音がした。笑ったのか、呆れたのか。
『……今日一番まともな志望動機だわ。決まり。十九時、Aゲート集合。遅刻したら置いてく』
通話が切れる。
俺はスマホを握ったまま、ディスプレイを見上げた。
「悪魔」の予告は終わり、画面にはカウントダウンの数字だけが残っている。
20:00まで、あと六時間。
腹の底の空洞に、何かが落ちた。
恐怖とは違う。期待とも違う。名前のない、小さな重力。
俺の《空間把握》が示す情報は、いつも正確だ。
壁の亀裂の深さも、罠の起動条件も、仲間が俺を見限る瞬間も。
ただ一つ、教えてくれないことがある。
——俺の“居場所”が、どこにあるのか。
それを知るスキルは、まだ持っていない。




