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「高卒のくせに」と私を見下したエリート兄が、遺産を食いつぶしてゴミ屋敷の住人に転落した結果  作者: 品川太朗


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第2話:『訃報』

電話の相手は、数年ぶりに聞く兄の声でした。

父親が亡くなったというのに、その声色はあまりにも……。


それでは、第2話をご覧ください。

『親父が死んだ』

 受話器から聞こえたその声は、父のものではなかった。

 声変わりを経て、低く、太くなったその声質は、父に酷似しているけれど――それは、兄・翔太しょうたのものだった。

「……お兄ちゃん?」

『ああ。心筋梗塞だってよ。朝起きたら冷たくなってた。あっけないもんだな』

 人の死を伝えているとは思えないほど、兄の声は平坦で、どこか他人事のようだった。悲しみよりも、「面倒なことになった」という苛立ちすら滲んでいる。

『通夜は今夜、葬儀は明日だ。場所は実家の近くのセレモニーホール。……まあ、お前は高卒で暇だろうし、来れるよな?』

「っ……」

 数年ぶりの会話だというのに、第一声からとげがあった。

 私が今、結婚してどこに住んでいるのか、どんな生活をしているのかなんて、彼は興味もないのだろう。彼の中で私は、高校卒業と同時に家を追い出された「出来損ないの妹」のままで止まっているのだ。

「……わかった。詳細、あとでメールして」

『はいはい。じゃあな』

 プツン、と一方的に通話が切れた。

 ツーツーという電子音が耳に残る。

 私は受話器を置くと同時に、その場に崩れ落ちるように座り込んだ。

 父が、死んだ。

 進学を否定し、私を搾取し続けた父。

 悲しい、という感情は驚くほど湧いてこなかった。涙も出ない。

 ただ、どす黒い泥のような記憶が、心の底から巻き上げられる感覚だけがあった。

「遥! どうした、大丈夫か!?」

 異変に気づいた健人が駆け寄ってきて、私の背中を支える。

「……父さんが、亡くなったって。兄から電話で……」

「そうか……。大丈夫か、遥」

「うん、平気。……悲しくないの。自分でもびっくりするくらい」

 私は震える手を握りしめた。

「行きたくない。あの家には二度と帰らないって決めたの。兄に会うのも、お母さんに会うのも怖い。またあの頃みたいに、私を見下して、馬鹿にして……」

 呼吸が浅くなる。

 国立大卒の兄と、それを崇拝する両親。その歪んだトライアングルの中に放り込まれれば、今の幸せな生活で培った自信など、容易く粉砕されてしまう気がした。

 健人は何も言わず、私を強く抱きしめた。

 しばらくして、彼は静かに、けれど力強い口調で言った。

「遥。行ってきなさい」

「え……?」

「誤解しないでくれ。君をあの家に返したいわけじゃない。……『終わらせる』ために行くんだ」

 健人は私の瞳を真っ直ぐに見つめた。

「君はまだ、過去に囚われている。行かないまま絶縁を続けても、君はずっと『逃げている』という感覚を持ち続けるかもしれない。だから、最後に一度だけ向き合って、ちゃんとお別れをしてくるんだ。父さんにも、そしてあの家族にも」

 終わらせるために、行く。

 その言葉が、迷っていた私の背中を強く叩いた。

「結のことは俺に任せて。有休も取るし、実家にも協力してもらうから心配ない。君は一人で、身軽に行ってくればいい」

「……健人くん」

「俺は遥の味方だ。何があっても、ここが遥の帰る場所だから」

 夫の言葉が、冷え切った体に熱を戻してくれる。

 そうだ。私には帰る場所がある。待っていてくれる人がいる。

 今の私は、あの頃の無力な高校生じゃない。

「……わかった。行ってくる。行って、全部終わらせてくる」

 ◇

 新幹線とローカル線を乗り継ぎ、実家のある地方都市へと向かう。

 車窓からの景色が、ビル群から田園風景へと変わるにつれ、胃のあたりが重く沈んでいくのを感じた。

 駅に降り立つと、懐かしくも憎らしい湿った空気が肌にまとわりつく。

 タクシーに乗り込み、実家の住所を告げる。

 景色が後ろへと流れていく。

 通学路だった道。兄が塾に通うために送り迎えされていた道。私は自転車で雨の日も風の日も走り抜けた道。

『女に学はいらない』

『お兄ちゃんの邪魔をするな』

『高卒のくせに』

 呪いのような言葉たちが、脳内でリフレインする。

 手が震える。息が苦しい。

 パニックになりそうな自分を必死で抑え込む。

 ――大丈夫。私は佐伯遥だ。工藤家の家政婦じゃない。

「お客さん、着きましたよ」

 運転手の声で我に返る。

 タクシーを降りると、目の前には古びた一軒家が建っていた。

 壁の塗装は剥げ、庭木は伸び放題になっている。昔はもっと大きく見えたその家は、なんだかひどく小さく、薄汚れて見えた。

 玄関には「忌中」の張り紙。

 私は大きく深呼吸を一つすると、意を決してインターホンを押した。

 ピンポーン。

 その音は、私にとって、過去との決別を告げるゴングのように響いた。


お読みいただきありがとうございます。


健人の「終わらせるために行く」という言葉、心強いですね。

彼がいれば、今の遥はあの頃とは違います。


さて、いよいよ実家の敷居をまたぎます。

扉の向こうで待っているのは、変わらない母と、さらに歪んだ兄です。


次は第3話、『葬儀の席』です。

すでに投稿済みですので、そのまま次のページへお進みください!

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