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傾国


 微かな空気の動きに誘われ、ヴァレンシアはゆっくりと睫毛をあげた。


 静かに茶器から手を離し、細心の注意を払って令嬢らしい優雅な所作で立ち上がる。

 主催者のテーブルは華やかな笑い声が上がっておりヴァレンシアに気付かない様子だ。

 一応主座に向かって軽く退席を詫びる礼をとり、回廊へと足を進めた。


「どうした」


 待ち構えていたクエスタの侍女に視線を合わさぬまま尋ねると、相手も頭を下げた姿勢で囁く。


「奥様が急ぎ戻られるようにと」


「わかった。このまま私は先に行く。控室で公爵夫人への詫びの品を整えお渡しするように」


「はい」


 そのまま何事もなかったかのように静かな足取りでヴァレンシアは歩き出す。


 しかし、その瞳は空高く舞い上がり地上を見下ろす猛禽のように鋭い。

 長い髪をなびかせ、ヴァレンシア・クエスタ辺境伯令嬢が歩く。

 回廊で行き会った人々の全てが潮が引くように端へ寄り道を空けていることに気付かぬまま。





「母上。戻りました」


 王都の邸宅に着くなり、着替えることなくクエスタ辺境伯当主夫人の執務室を尋ねた。


「お帰りなさい、ヴァレンシア。まずは座ってちょうだい」


 一通の手紙を手に辺境伯夫人は着席を促す。


 ミルクブロンドに初秋の空のような澄み切った瞳のマルティナは今もなお国々の王たちが妻にと望むほど美しい。

 幼い頃より許婚である夫にも溺愛され、領地で危険な目に遭わせるなどとんでもないと王都の邸宅を最高級の仕様に作り上げ囲うように住まわせているが、元公爵令嬢である夫人は鳥かごの鳥であることを良しとせず、知略に長けているため社交及び王宮とのやり取りの全てを任されるようになった。


 しかしこの母をはるかにしのぐ美の存在を、ヴァレンシアはよく知っている。

 痛いほどに。


「兄に。何かあったのですね」


「ええ。攫われたそうなの」


 二人は簡潔に問答する。

 傍で控えている家令や侍従、そして侍女たちは石のように動かない。



 クエスタ家の長子、マリアーノの誘拐。


 あってはならないことだ。



「どういうことでしょうか。護衛たちは殺されたという事ですか」


 十年前の事件以来、クエスタ家では二重三重に警護を固めた。

 魔道具や魔術札、あらゆるものをマリアーノに持たさせ、それは護衛にしても同じこと。

 それに。


「それとも、自害したということですか」


「いいえ。貴方も知っているでしょう。彼らにはいついかなる時も自害できないように術を施していることを」


「そうですね。失礼しました。動揺しているようです」


 マリアーノの側近とされる者たちは父とヴァレンシアが選びぬいた者たちだ。正直なところ国の近衛騎士団長よりも有能で、なおかつ『心得違いをさせない』装置をつけさせている。


 まずは、マリアーノを襲わないこと。

 そして、マリアーノが親しくする者に殺意を抱かないこと。

 最後に、何があっても自害しないこと。




 昔。

 昔々の遠い国の物語が吟遊詩人によって語り継がれた。

 戒めの意味もあったのであろう。

 幼いころに聞いて以来、ヴァレンシアの心の中に深く刻み込まれている。



 とある国に言葉で語り尽くせない程の美しい姫がいた。

 彼女は父である王に大切に育てられた。

 年頃になった時、王は多くの見込みある若者を娘の前に並べ、夫にしたい男を選ぶように言った。

 姫は言われた通りにそのうちの一人に向かって足を進めると、近くの男が指名されそうになった者を刺殺した。

 仕方ないので次へ足を進めると、またその男も殺され、やがて会場では殺し合いが始まり全員息絶えた。

 誰かが選ばれそうになると誰かに殺され、若い男はいなくなってしまった。

 その後、姫がどうなったのかはわからない。


 美し過ぎる人間は。

 時として、人を狂わせ、国を亡ぼす。

 傾国と言う言葉だけが残った。




「マリアーノを攫ったのは、獣人だと。知らせに書いてあったわ」


「は?」


「姿かたちからして、南の大陸の…火の鳥ではないかと」



 この国を南西に下った海の向こうに大きな大陸があり、そこは獣人族たちの世界だった。


 国交がないわけではない。

 しかし、北の大陸の内側にあるヴァレンシアたちの国ではあまり関わりのない種族だ。



「…鳳凰、ということでしょうか」


「おそらくは」


 ヴァレンシアは背もたれに身体を預け、力なく笑った。



「はは…。兄上らしい…。ああ、すみません。一大事なのに」


「いいえ、いいのよ。生みの母である私もそう思ったわ」



 マリアーノとヴァレンシアはれっきとした兄妹であるが、マルティナの子はマリアーノのみ。


 ヴァレンシアは家のためにと周囲に説得された辺境伯が家臣との間に設けた子であった。

 届け出ではマルティナの娘で、ようは腹を借りたことになる。


 家臣たちの不安は的中し、美し過ぎるマリアーノが辺境伯の責務を負うのは不可能だった。

 ヴァレンシアなしで領地の運営は立ち行かない。


「真の悪いことね。夫と主力騎士たちは北壁に現れた大型魔物の討伐中で館は手薄だった」


「すぐに発ちます」


「貴方にばかり負担をかけてごめんなさい」


「いいえ。そのための私ですから」


 自分の役割に不満を抱いたことはない。

 適材適所という言葉がぴったり合うと思っている。



「では、失礼します」


 すっくと立ちあがりマルティナに挨拶をした後、自室へと駆けだした。

 知らず、口元がわずかに緩む。



「肉が…食える…」



 この先様々な困難が予想されるが、とりあえずもう茶会から解放された。


 正直なところ、昼夜をおして奇獣を走らせ領地を目指す方が王宮で婚活するよりずっと楽だと思ったのはマルティナに内緒だ。




 ※-------------------------※


 作中の『遠い国の物語』の原型をお知らせします。


 エリナ・ファージョン作品集1『年とったばあやの話しかご』(石井桃子訳、岩波書店)


 この本の中に『イラザーデひめのベール』という話があり、

 ずっと頭の隅に残っていて触発された形でマリアーノが生まれました。

 ある意味途方もない二次作品とも言えなくも…いや、ファージョンに対する冒涜ですね。

 有名な作品なので気づかれた方が不快に思われる可能性を考え、念のために記します。



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