英雄は色を好むって本当かな①
これほどまでに令嬢たちから熱狂的な視線を浴びている理由は父譲りの顔立ちだけではない。
実はヴァレンシアの武勇伝ゆえで、それは多くの貴族女性たちの間で語り継がれている。
きっかけは十年ほど前だろうか。
王宮の一角で若い侍女が男に物陰へ引きずり込まれようとしていた。
「お願いです。おやめください」
「まあまあ、つれなくするなよ」
「いや、離してください」
「良いではないか。本当は好きなんだろう、こういうの」
「やめて、おねがい…」
男は下卑た笑いを浮かべて侍女を壁に追い詰め、舌なめずりをする。
「ははは…。俺に声をかけられて嬉しいくせに…。ああ、焦らしているつもりか? そういうのも嫌いじゃないぜ」
侍女の頬から涙が流れた。
「んなわけあるか」
下の方で声が聞こえた瞬間、男の膝裏に強い力が当たりかくんと下半身の力を失う。
その拍子に侍女を捕まえていた手は離れ、気が付くと両膝を強く打ち付け地面に四つん這いになっていた。
「いっって~ぇぇぇっ」
両掌も摩擦で負傷したらしい。
無様にも男は悲鳴を上げた。
「くっそ~っっ! なにしやがるっ! 怪我をしたじゃねえか!」
男の怒鳴り声に、近くの木立から一斉に鳥たちが飛び立つ。
「こんなものですまない。とりあえずこれを肩にかけるがいい」
「は、はい…。ありがとうございます…」
シーツのような大きな布を侍女は受け取り、身体に巻いて乱れた跡を隠す。
そのそばに立っているのはなんと小さな少女だった。
腰まで届くような長い赤茶色の髪を高い位置で一つに縛っている。
年のころは十歳前後だろうか。
幼い令嬢の定番であるワンピースではなく、膝より少し長い奇妙な上着に頑丈そうな編み上げのブーツを履いていた。
この足で背後から膝裏を攻撃されたのだと男は悟る。
「なんだこのガキは、お前どこから来た」
慌てて立ち上がり、腰に付けた剣の柄に手をやる。
「ほう…。貴殿はこの状況で私に剣を向けるという事か」
「この状況…?」
そこでようやく男は気が付いた。
自らの大声が周囲の人々を呼び寄せてしまったことに。
「あ…」
文官、侍女、侍従、警備…。
上位の者たちではなかったが、気が付くとすでに十人以上わらわらと集まり始めている。
「どうする? このまま続けるか? それとも…」
「うるさいうるさい、うるさい、このメスガキが! 俺が誰だか解っていないようだな、おれは…」
「プペル伯爵三男、ゴルカ・プペル近衛騎士。確かに近衛で第五団に所属だったか。まあ、そのキラキラした騎士服で近衛っていうのは子どもでもわかるな」
少女は臆することなく、指を折りながら諳んじる。
それは幼いながらも貴族と騎士団の名の全てを彼女が網羅していることを意味していた。
「な…っ」
「その、栄えある王宮騎士であるプペル伯爵子息はいったいここで何をなさっておられたのやら。洗濯場から侍女を引きずってここまで来るのを見かけたので、予定を変更して追いかける羽目になったのだがな」
「そんなわけあるか。見間違いだろう」
「はて。貴殿がこの女性を引きずってここまで来た跡が、地面にくっきり出ているぞ?」
少女が指さす先には確かに何かが引きずられたような線が洗濯場に向かって続き、更に言うなら、侍女の靴は途中で脱げたのか片方が裸足で紺色のスカートも砂埃まみれだ。
「くっ…っ」
ぎりりと奥歯を噛んだ男は、しばし逡巡したのち、上着のポケットを漁り、何やら引っ張り出して少女に向かって投げつけた。
ぺし。
腕を振り上げ強く投げたつもりだったが、白い布は男のつま先近くに力なく落ちる。
「うっ…」
「ほう?」
刻一刻と増える野次馬たちも「ほほう」と声を上げた。
「私の目に狂いがなければ、これは、貴殿の手袋と言うことで間違いないか?」
「くっ…。そうだ」
「つまりは…」
「つまりは! 俺と剣を交えろメスガキ。負けたら俺様に無礼を働いたことを土下座して謝れ!」
びしっと人差し指を突き出し、男はキメた。
「ほう…?」
年寄りめいた奇妙な口調の少女はこてりと可愛らしく首をかしげた。