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「それは…。災難だったな」


 さすがのヴァレンシアも額に手の甲をあて深く息をついた。


 マリアーノ付きの騎士たちは全員跪いて神聖な主従の誓いを者たちで、身も心も捧げ僧侶よりも清らかな生活を送っている。

 兄に対する情は敬愛の域で踏みとどまっているのかは定かではないが、情事など強制的に見せられては立つ瀬がないし、発狂ものだろう。

 こうなると、彼らに付けられた魔石の装身具は母の言う通り呪いでしかない。


「なかなか。なかなかの性格をしているな、誘拐犯は」


 男は、マリアーノの優しい世界を粉々に叩き潰した。


「ご苦労だったソシモ。お前の報告はこれで完了した。父と魔導師が返り次第、お前たち全員の一部の記憶を削除しよう」


「…っ。それは…」


「すべてを奪うつもりはない。兄が男を殴って、夕方になるまでの余計な部分は妹として忘れてもらいたいものだと理解して欲しい。それに男は兄を『妃』と言ったのだろう。お前たちが今後どうするにしてもこのまま記憶していては多分命がないよ」


「なんかめちゃくちゃヤバい男っすね。母ちゃんが台所の床下に隠している艶本に、皇帝の執着監禁愛とかいうヤツがあったけどまさにそれなって感じで」


「チコ。黙って食え」


「はあい」


 チコがパンを頬張りながらもごもご茶々を入れてくるのをぴしゃりとおさえ、憔悴したソシモを下がらせた。


「母さん。どう思う?」


「なあに。ソシモたちのこと? それとも『炎の皇帝の執着監禁愛に蕩かされて』のこと?」


 レアンドラが正式名称をずばりと諳んじると、チコは口笛を鳴らしパチパチと拍手する。


「読んだのですか」


 娘の目が呆れたように細くすがめられるのを軽く鼻息で吹き飛ばし、肩をすくめた。


「執着愛系小説が好きな侍女がいるのよ。彼女が親戚経由で手に入れたらメイドたちがすぐに複写したものを回し読みしているのは知っていたのだけど。さらに複写しておかみさん衆の床下に愛蔵されているのね」


 というか、チコがすでに掘り出してじっくり読んでいる。

 床下に隠すということは、暴いてはならない妻の秘密だったのではないか。

 それでよいのか、チコ。


 長年の従者に目を向けると、彼は今度は素知らぬふりをしてデザートのケーキへ手を伸ばす。



「まあ…。娯楽は必要でしょうからいいとして…。相手が南の大陸の鳥族の男として、『妃』と言うからには一国の王ということでしょうか」


「でしょね。残念なことにこちらには南の大陸に関する情報がほとんどないけれど、番だというのならそれなりの待遇は受けられるはず」


「まさか…。そこに落ち着くとは…」


 兄はこのままでは死ぬまで独りだと都のマルティナが嘆いていた。

 あの美しさは、彼自身にとって禍でしかない。


 この国、そして周辺国に素のマリアーノを目にして正常でいられる人間はいない。


 出産のときに立ち会った産婆ですら生まれたばかりのマリアーノの美しさに正気を失い、産湯に浸からせると言いおき退室し、そのまま抱いて逃げそうになった。


 以来、マリアーノ自身に強力な視覚阻害装置をつけているが、それでもソシモのように魅了されてしまう者は後を絶たない。


 それゆえ近く侍る者には恋愛衝動を抑える魔石をつけさせたりと、未だに試行錯誤の状態だった。



 マリアーノの魅力に屈しない体質の人間はほぼ血縁者に限られる。

 父母やヴァレンシア、分家の一部の人間、そして数代遡れば分家に繋がるクエスタの家臣の娘レアンドラ。

 残念なことにマリアーノと結婚可能な若い女性でその能力を獲得している者はいなかった。 

 

 魅了されない人間を伴侶とした、人並みの生活を送らせたい。

 それが、家族の願いだったのだ。



 思い起こせばこの十年間、マリアーノ絡みでは色々あった。

 のんびり幸運が舞い降りるのを待つ性分でない両親もヴァレンシアもそれなり試みたがどれも玉砕し、八方ふさがりの最中に現れたのが獣人族の男。


 正直、その手があったのか、とヴァレンシアは内心膝を打った。


 この北の大陸にはマリアーノを御せる人間はいなかったのだと腑に落ちたが、本人の意思をまだ確認できていない。

 手放しで喜べない状況だ。



「鳥男は、我々に誠意を見せてくれると思いますか」


「そうね。王だとするならば。それにマリアーノを愛しているというならば、手紙の一つくらい寄こすでしょう」


 かくして。

 レアンドラの予測は的中した。





 次の日の朝早くに、黒髪に浅黒い肌のすらりと大きな男が現れた。


「我が主の書状をお持ちしました」


 礼儀正しく。

 この国のしきたりに沿った仕草で流れるような完璧な礼をとった。



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