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白花は紅く染まる

 満開を迎えた桜が沈みかけた陽に照らされ、淡く橙色に染まりどこか妖しげな美しさを増していた。

 ただ美しい、だけのはずだ。けれど、風にざわざわと揺れた花が燃える炎のように見えて、雪花は得体の知れない不安を感じるのだった。

 

 その予感は気のせいではなかった。社に戻ろうと雪花が踵を返した時、遠目に松明を掲げた近くの村の者たちが押し寄せてくるのが見えた。農具を武器代わりに構えている者も少なくない。

 

「なに、あれ……」

 

 ただ事ではないと悟った雪花はすぐさま愛用の薙刀を取り、鳥居の前に立ちふさがった。社にたどり着いたが、彼女に行く手を阻まれる形になった一団を先頭で率いていた青年が、その姿に驚きをあらわにする。

 

「お前、シロか? どうしてここに……」

 

 彼は昔、雪花をいじめていた者たちの一人だ。後ずさりそうになるのを気力でこらえ、薙刀を握りしめる。ここを退く訳にはいかない。雪花はあの頃の、無力な子供ではない。龍神に仕える眷属だ。

 

「それはこっちの台詞よ。普段はろくに参拝にも来ないくせに、そんなに大勢で押しかけてくるなんてどういう風の吹き回しなの」

「この社に誰か隠れ住んでいるようだ、野盗だろうが化け物だろうが追い出せと言われて来たが……。正体がお前なら、あながち間違いでもないな」

 

 青年は雪花の白髪に視線を向け、皮肉げに口角を吊り上げる。

 

「そこをどけ。参拝客も訪れず、厄介者の住処になるような社など、もはや不要らしい。ついでに壊すことになっている」

「わたしを追い出したのは、あんたたちのくせに。今度はここも奪おうっていうのなら、絶対に許さない」

 

 真っ白な髪をした雪花は、化け物や雪女の娘と呼ばれ、虐げられていた。筆頭にいたのが村の有力者の跡取り息子だったため、大人でさえも見て見ぬふりをした。

 ある日社に逃げ込んできた雪花を助けてくれたのが、龍神と桜の精だ。以来、彼女は龍に庇護され社で暮らすようになった。

 

 名前を、居場所をくれた。穏やかな時間も、戦う術も教えてくれた。今度こそ、大切なものを守り抜く。薙刀を構え、雪花は敵に向かって駆け出した。

 

「やめとけ、紅華」

 

 狭間にある社の中から一部始終を見ていた紅華が飛び出そうとしたのを、龍が引き留める。

 

「主様、ですが……っ!」

「行って、オマエに何ができる? 今戦えないオレやオマエが行ったところで、雪花の邪魔になるだけだ」

 

 桜の精には、穏やかな気質の者が多い。紅華も例に漏れず、心根が優しいため戦う術を持たない。

 

「なァ、紅華。アイツが戦ってる理由が、わかんねェか?」

「それは……、主様の社を守るためでは?」

「オレは社なんかどうだっていい。ソレだけだったら、今すぐにでもアイツを攫って狭間に帰る」

 

 龍の尾が不機嫌に床を叩く。彼も雪花を心配していない訳ではないらしい。

 

「ヤツら、松明持ってきてるだろ。社のそばであんなモン使われたら、オマエの樹が……ッ!」

「あ……」

 

 そこまで言われて、ようやく思い至る。桜の精は、その命を宿っている樹と共にする。あの樹が燃えてしまえば、紅華も消滅するのだ。

 押し問答の間も抵抗していた紅華の腕から、力が抜ける。樹は逃がせない。雪花があの場を退かないのは、紅華を守るためだ。

 

「せめてもう少し夜に近づけば、現世でも力を使えるんだがな」

 

 悔しげに、龍の表情が歪む。彼はかなりの力を持つ神だが「川が荒れることがないように」と祀られている以上は、川の化身たる龍もまた人に害を為すことはできない。

 夕暮れ時――逢魔ヶ時には、人と人でないモノの時間が混じり合う。まだ半分が人の時間のままでは、禁則を破れば相応の反動がある。歯痒くとも、ただ見ているしかないのだ。

 

「アイツは天狗の弟子だ。そう簡単にはやられねェはずだ」

 

 その言葉を証明するように、また一人雪花に切り捨てられる。ぱっと散った返り血が、彼女の白髪を赤く汚す。烏天狗に武術を仕込まれた雪花と、農作業が日常の村人たちとでは力の差は歴然だった。

 

「なんなんだ、あいつの強さは……!」

「あんなの、本物の化け物じゃねぇか!」

「そうだったら良かったのにって、ずっと思ってた。でも今は、人で良かったと思えるわ」

 

 喋る合間にも雪花は鮮やかに薙刀を振るい、松明や武器代わりの農具を弾き飛ばしては斬りつけていく。神域が穢れてしまうため殺しはしないが、戦闘不能になるほどの傷は与える。その度に雪花の服はもちろん、整った顔や雪のような髪が血に染まる。

 

「あのひとたちに、こんな汚いことはさせられないもの。汚れるのなら、人間わたしでいい」

 

 頬を伝う血を拭い、雪花は自嘲した笑みを浮かべる。それも束の間に、向かってくる者をまた一人斬り伏せた。

 

「あの子は、あんなに強くなっていたのですね。主様や僕を、守ってしまえるほどに。まるで鬼神のようです」

「人は、あっという間に成長するモンだな。アイツも、いつまでもオレらに守られるままじゃねェって訳か。だがアレは鬼神っていうより、手負いの獣だ」

「獣、ですか?」

「気負い過ぎてる分、余裕がねェんだよ。あんな戦い方じゃ、アイツ保たねェぞ」

 

 そうでなくとも、入れ替わり立ち替わり襲いかかってくる相手と違い、たった一人で戦う雪花は疲労も溜まる。全身を汚す血には、おそらく彼女自身のものもあるだろう。

 

 それでも雪花は最後まで残っていた一人も昏倒させ、薙刀を持つ手を下ろした。気を失った者や斬りつけられて倒れた者たちの中、雪花の荒い呼吸と滝の水音だけが響く。

 あとは、松明の火をすべて消してしまわなければ。そう考えてふらりと歩き出す彼女の背後から、忍び寄る人影があった。

 

「この、化け物め!」

 

 その場で拾ったらしい農具を振りかざしていたのは、あの司令塔の青年だった。早々に倒されたのは、こうして隙をつくための演技だったようだ。

 消耗しきった雪花は、反応が遅れた。振り返った彼女の胸に、鋭い爪にも似た農具が突き刺さる。

 

「雪……っ!」

 

 駆け寄ろうとした紅華の言葉は、途中で潰えた。隣で凄まじい殺気が膨れ上がったからだ。

 がたがたと社が揺れ、本来の姿に戻った龍の長い身体が戒めを振りほどこうとするようにのたうつ。何度目かでそれを破り、龍は鳥居をくぐった。

 怒れる龍の姿が、その場の人間たちの目にも映る。紺青色の鱗が、沈む間際のまばゆい夕映えに煌めくさまは、ぞっとするほど美しい。

 

「これ以上神域を荒らし、我が眷属を傷つけるようなら、オマエらの村から水神の加護は一切なくなるものと思え」


 神の殺気を受けて青年の手から農具が滑り落ち、思わずといった様子でひれ伏す。

 無理もない。龍の加護を受けた眷属である紅華でさえ、跪きそうになるほどの威圧感が放たれているのだ。なんとか堪え、雪花の元へ急ぐ。

 

「倒れている者共も連れて、すぐに立ち去れ!」

 

 龍の怒号はびりびりと空気を震わせ、呼応した川の水が噴き上がり辺りに降り注いだ。気を失っていた者もその水で強制的に起こされ、動けない怪我人は支えられて、村へと逃げ帰る。

 

「雪花……」

 

 静まり返った河原で、紅華は雪花を抱き起こした。胸には農具が刺さったまま、他にも戦闘で負った傷が予想以上に多い。着物は切り裂かれ、血で汚れきっていた。

 朦朧とした黒い瞳が紅華を映す。何か言いかけたが咳にかき消され、言葉の代わりに血を吐いた。鼓動は弱々しく、意味を為さない呼吸だけがひゅうひゅうと空回る。紅華はそれをただ、見ていることしかできなかった。

 

「くれ……は、さん……」

 

 かすかな吐息が自分を呼ぶ声だと気づいて、紅華は耳を寄せる。

 

「ごめ、なさ……。守り……きれ、な……」

「あの者たちなら、主様が追い払いました。あなたは、よく戦ってくれました。本当ならば、僕が……」

 

 宿る樹は自身で守るべきであり、雪花を戦わせるべきではなかった。どれほど悔やもうが、紅華は力のない桜の精だ。

 

「わたし、優し……紅華さん、が……」

 

 言葉は形になる前に消え、その想いを彼女の声で聞くことはかなわなかった。紅華の腕の中で、雪花の瞳から光が消えた。

 

「龍神殿、これは何があったのですか。それに、そのお怪我は……」

 

 羽音がして、烏天狗が降り立った。ただ事ではない龍の怒りは、彼女たちが縄張りとする山にまで轟いたようだ。

 濡羽の言葉に振り向くと、一歩後ろで見守っていてくれた龍は傷だらけになっていた。無理に力を振るった反動が来たのだろう。

 

「コイツに比べりゃ、大したことねェよ。帰るぞ、紅華。雪花も、一緒に」

「……はい、主様」

 

 雪花の亡骸をそっと抱き上げ、濡羽と共に龍の後を追った。

 辺りを汚していた血は龍神によって洗い流されており、水の気配だけが漂う。浄化の力を持つ龍によって、場は清められている。先ほどまでの惨劇が幻だったかのように。

 だが嘆くようにはらはら散る桜と、雪花や龍の身体に残る傷が、信じたくない現実を紅華に突きつけるのだった。

 

 鳥居を通り抜けた途端、濡羽は怪訝な表情で首を傾げる。

 

「龍神殿。雪花はその……、やけに穢れを纏っていませんか? あの場のせいかとも思いましたが……」

「社を壊すって来たヤツら全員を、コイツ一人で相手したからな。浴びた返り血も相当だろ、そのせいじゃねェのか?」

 

 顔を近づけてじっと雪花を見た龍も、眉を寄せる。

 

「……違うな、コレは瘴気だ。てことはコイツ、怨霊になっちまったのか」

「主様、それはどういうことなのでしょう?」

「人間は強い怨みを抱えて死ぬと、怨霊になるんだよ。雪花の魂は今、身体ココにはない。アイツのことだ、たぶん首謀者を突き止めに行ったな」

 

 村人たちを率いていた青年は、誰かからの指示を受けていることをほのめかしていた。雪花は魂だけになってもなお、その首謀者を捜しに行ったのだろう。

 

「濡羽、雪花が帰ってきたらココへの道を開いてやってくれ。オレは身体の方をなんとかする」

「迎えに、ではなくていいんですか?」

「心配ねェよ。アイツが帰ってくる場所はココだ」

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