二人は寄り添いあう
最後のお話になります。
最後までお付き合いいただけると幸いです。
よく晴れた空の下。
エアは、学校内の中庭に設置されたベンチで、ぼんやりと空を眺めていた。もう、不用意に外に出ても生卵やごみを投げつけられるような心配はしなくていい。卒業まで残りわずかな時間だが、それでも何も心配せず過ごせることがありがたかった。
「エア」
振り返ると、ルーイがこちらに向かって歩いてくるところだった。彼は相も変わらずにこりともしない。彫像のように美しい顔だから、あまり気にならないが。
「お待たせ」
「ううん、私も今来たところだよ」
二人は、放課後に待ち合わせをしていたところだった。ルーイはエアの隣に腰かけ、先程までのエアと同様に空を見上げる。
「何を見ていたの?」
「何も。ぼーっとしてただけ」
「そうか」
ルーイは空を眺めるのを切り上げると、横に座ったエアを見つめだす。
「……何?」
「空を眺めているなら、エアを眺めた方が嬉しいから」
「何それ」
エアは頬を染めながら、わざとらしくルーイから視線を逸らした。その隙にルーイは、拳一つ分は空いていたエアとの距離を詰め、ぴったりと寄り添った。膝の上に置いていた手をそっと握られて、エアはどきりとする。
「る、ルーイ……?」
「エア。ありがとう、僕を選んでくれて」
その言葉が何を指しているのか、すぐに分かった。
☆☆
先日、バーデン伯爵夫妻とルーイがアマンド子爵家を訪ねてきた。
それは驚くべき内容で、エアが受けた嫌がらせの数々が、バーデン伯爵夫人の差し金によるものだということだ。彼女は自身が低い身分で伯爵家へ嫁いで苦労したことを思い、エアに同じ思いをさせたくないと遠回しに警告していたつもりらしい。
エアはその事実にショックを受けた。
あの日から数日、エアは学校を休んでいた。両親へ何も話していない彼女は、週末に実家へ戻り、うっかり知られてしまうことを嫌って帰省を躊躇していたが、そこに実家へ戻るよう促す手紙が届いたのだ。
謝罪の原因となったペトラは唯一、親身になってエアの話を聞いてくれていると思ったが、思い余って婚約そのものを解消させようとしていたらしい。嫌われていたわけではなく、思い余った親切心によるものだとしても、エアが傷ついた事実は消えない。
娘に何があったのか知ったアマンド子爵は驚くと同時に立腹し、同時にエアが追い詰められていた事実を知らなかったことを詫びた。エアの様子がおかしいことは薄々感じ取っていたのだろうが、エアの性格を知って黙って見守ってくれていたのだろう。そこまで複雑で大変なことになっていたとは思わなかったに違いない。エアが悟らせないように努力したことも、実を結んでしまっていたのだろう。母もショックを受けたようで、何度も気付かなくてごめんと謝られた。
バーデン伯爵は正式に謝罪し、謝罪金も支払った。そして当初の予定通り、婚約の解消はエアに任せると言う。解消した場合も、金銭を支払うとのことだった。
アマンド子爵夫妻は憤慨していたが、エアの意見を尊重したいと言った。
「どれだけ嫌がらせをされても解消したくないくらいには、ルートヴィッヒ君が好きなんだろう?」
父親に問われ、エアはごく自然に頷いていた。
その通りだった。何で我慢したのか。それはルーイと結婚するつもりだったからだ。自分の足で立って彼の隣に並び立つ為。
「お父様、お母様。心配かけてごめんなさい」
両親に頭を下げて、次はバーデン伯爵夫妻――ペトラへと頭を下げる。
「伯爵様、ペトラ様。私は伯爵家に相応しいのかと問われたら、分かりません。でも足りないものは埋めていきたいと思います。ルーイを大切に想う気持ちは、負けないつもりです。どうかこのまま、ルーイと結婚させてください」
優しい人だと思っていたペトラがエアを排除するために、心配そうに声をかける裏で手を回していたと思うと怖いし、やはりショックが大きい。加害者であるペトラが義母となり、その家に入ることへの抵抗も、もちろんある。
でも、ルーイがいてくれる。エアの為に母親の罪を暴くことを躊躇わなかったルーイが。
悲しいけど、嬉しい。
「アマンド子爵――並びに奥様」
エアが頭を下げると、ルーイもすかさず頭を下げた。相手はエアの両親、アマンド子爵夫妻である。
「この度は、僕の力が及ばずにエアさんを傷つけてしまったこと、彼女の強さに甘えてしまっていたこと、大変申し訳ありません。償いきれるものではありませんし、僕への信用など、ないに等しいと思います。――ですが、僕もまた、エアさんのことを誰よりも大切に想っています。彼女なしでは生きていけない。これから信頼を積み直していくチャンスを頂きたいです。どうかお願いいたします」
それぞれが、それぞれの両親へ頭を下げる。彼らは互いに顔を見合わせ、若干気まずそうにしていた。
「……二人とも、頭を上げなさい」
沈黙を破ったのはアマンド子爵だった。エアとルーイがそれぞれ顔を上げる。
「お前達の気持ちはよく分かった。……思えば、お前達の気持ち一つで決まった婚約だったな」
アマンド子爵はバーデン伯爵を振り返る。
「後の事は、大人同士で話をすることにしましょう。婚約を継続するにしても、全てが今まで通りとはいきますまい」
「……仰るとおりですな。ルーイ、エアさんと一緒に席を外しなさい」
二人は言われた通りに立ち上がり、揃って退室した。そして互いの両親が話し合いを終えるまで、二人で肩を寄せあって座っていた。このまま時間が止まってもいいと思うくらい、久しぶりの穏やかな時間だった。
両家が話し合いを終えた結果、二人の婚約は継続されることになった。その代わりに条件がつき、エアとペトラが一つ屋根の下で暮らすことはしばらく避けることとなった。バーデン伯爵が基本的に王都の屋敷で過ごすのなら、エアとルーイは領地で過ごす。伯爵夫妻が領地に長期で滞在するのなら、代わりに王都で社交をする。ペトラに既に危害を加える意思がないとしても前科があり、万が一がある。エアの心情も考慮して取り決めたことだった。それからエアが離婚したいと思えば即応じること。これは婚約の時の約束の延長のようなものだが、結婚する前と後では訳が違う。それでも応じるようにという条件に、バーデン伯爵は頷いた。
他にも色々話し合ったようだが、大枠、大前提として決まったのがこの二つで、その他もとにかくエアに気遣った内容だった。エアとルーイはそれぞれ同意し、婚約は継続されることになった。
☆☆
それからの学校生活は平和そのもので、エアはようやく肩の力を抜いて学校生活を送ることが出来ていた。
多少のやっかみはあるが、可愛いものだ。ちょっとだけやり返す余裕もできた。
そもそも、ペトラが何もしなくても多少の嫌がらせはあったのだ。そこにペトラが介入してことが大きくなってしまった。
それくらいルーイは魅力的で、人を惹きつける。
「私の方こそとても不思議。ルーイが、どうして私を選んでくれたのか」
これと言って特徴のない、子爵家の娘。顔だって人並みだ。たまたま幼少期に知り合うことが出来ただけで……その頃だって一緒に遊んていただけで、特別胸に残るような思い出だってない。遊びでプロポーズ、なんてこともなかった。
ルーイは小さく首を傾げた。
「君を選ぶ、という感覚が分からない。僕は君を求めて、君に選んでもらう側だ」
「私が選ぶ?」
そんなこと、エアは考えたこともなかった。
「そう。エアはずっと、僕の唯一無二だった。僕も君の唯一無二になりたい。ずっとそう思っているけど……どうかな? 僕はエアの唯一無二になれそう?」
唯一無二。
それは、生涯の伴侶とか永遠の恋人とか、巷で聞くようなものよりもずっと重く感じる。ルーイが言う唯一無二と、エアのこの感情が同じものかは分からない。――否、全く同じはずがない。人の数だけ想いの形がある。それでも。
「私の気持ちがルーイと全く同じかどうかは分からないけど……私は誰よりもルーイを好きだっていう自信があるよ。ルーイのことが一番大好き。……これじゃあ駄目?」
ルーイはふるりと首を振り、エアの前髪を撫でてさりげなく右眼を露わにした。彼自身は既に失った右眼。失ったことに後悔はない。でも彼女を少しでも多く長く見つめているために不便を感じることはある。
ルーイがエアの右眼に唇を寄せた。予想通りエアが反射で目を閉じたので、その瞼に軽く触れる。
「駄目じゃない」
そう囁いた彼に、エアの目は釘付けになってしまった。
これまでルーイと共に過ごした時間は、決して短くない。その間、彼の笑顔を見た記憶がない。
でも、今。エアのその目には。
(ずっと当たり前に知っていたことだけど)
やっぱりな、と改めて思う。
――私の婚約者は、誰よりも美しい。
ここまでお読みいただきありがとうございました。
この話は
・発狂して目を突くヒーロー
・それにドン引くヒロイン
・結婚を邪魔する母親
というところが書きたくて書き始めた問題作です。
ネタを思いついてから完結させるまでに年単位かかってます(大体がそうですが…)。
この話は創作を始めた一作目でもありますので思い入れがあり、完結させたいと思っていたのがようやく完結できた次第です。
色々と詰めが甘かったり齟齬があったりするかもですが、それも含めての処女作(?)だと思っています。
ここまでお読みいただきありがとうございました。