庭師の最後の仕事
ルーイの視点その3。
真相編、とでも言いましょうか。
「母上」
自室で休んでいたペトラは、訪ねてきたルーイを見て喜んだ。週末でもないのに実家へ帰ってきて、休みたいと言ったきり部屋に閉じこもって朝食も摂らなかったようだから心配していたのだが、見たところ具合は悪くなさそうだ。書類を持っているから、図書室へでも行くつもりだったのだろうか。きちんと着替えていて、そこに立っているだけで絵になる。
隻眼となって尚美しい自分の息子。我が子ながら鼻が高い。
「どうしたの、ルーイ。もう平気なの? 食事はとった? 難しいのならお茶にしましょうか?」
ペトラが笑顔で使用人を呼ぼうとするが、ルーイはそれを制した。一つきりの眼で、瞬きもせずに母を見つめている。
「結構です。母上に、エアのことでお話があってきました」
エアのこと、と聞いて、ペトラはたちまち眉を下げた。
「エアちゃんがどうしたの。……もしかして、婚約を解消したいの?」
心配するかのようなペトラに対して、ルーイは肯定も否定もせずに自分が言いたいことを口にする。
「学校に入学してからの、内外におけるエアへの嫌がらせ。――あなたの仕業ですよね。即刻やめて下さい」
ペトラは一瞬、呼吸を忘れた。そしてすぐに、困った顔になる。
「……ルーイ、何を言っているの? エアちゃんが、嫌がらせを受けているってこと?」
「とぼけなくて結構です。全て調べはついていて、証言も取れています」
ルーイは、抱えていた書類を放るようにして手放した。そのうちの一枚が、ペトラの手元へ落ちる。そこにはペトラからの命令を伝えるために挟んだ人数や彼らの氏素性、見返りとして支払った金額などが詳細に記されていた。ペトラは書類を凝視しながらも、困惑した声を上げる。
「何、これ。私の名前が使われているってこと?」
ルーイは大きくため息を吐いた。無意味なやり取りを、彼は嫌う。
「学校に入学してから、エアへの嫌がらせが始まりました。始まりは些細ないたずらや嫌がらせ。母上に依頼された数人が始めたものが、他の生徒にも「彼女にならやってもよい」という認識させ、学校中に広がった。僕がそういった連中を片付けていったところ、そういった風潮はなくなっていき、彼女に手を出そうとする馬鹿はほとんど消えました。ですが、全く手を緩めない連中がいた。それが母上に直接依頼された連中だった」
そうですね、なんて確認は取らない。そんなことには何の意味もない。
「彼らが受けた依頼は「エアが自分から婚約を解消したくなるように仕向ける」こと。何人も人を挟んで依頼されたから、実行犯である彼女らも依頼人は分からない。怪しいことこの上ない依頼でも、大した家柄でもない貴族の子息子女は、金を貰って憂さ晴らしができるとさぞ喜んだでしょうね。進路に支障が出ても、たんまり依頼金を払ってくれる依頼人が面倒を見てくれると言えば信じるくらいには馬鹿な連中だったから、勉強そっちのけで嫌がらせに精を出した。
でもエアは嫌がらせに耐え続け、婚約を止めたいと言い出す兆しがない。卒業まで半年――婚約期間が終わり結婚が近づくと、焦った彼らの嫌がらせは過熱した。それでもエアは折れない。だからあなたは別の手段を講じて、学校の外でも彼女に危害を加えることにした」
学校の中だけで我慢すればいい。
そう思っていたエアの認識を、最後の最後で覆した。
あの日。婚約を解消したいと言ったエアは、街を歩いていて暴漢に襲われかけたのだ。万が一に備えてエアの動向を逐一チェックしていたルーイが異変に気付き駆けつけた時、エアは誰とも知らぬ男に押し倒され、恐怖に声も出せずに固まっていた。ルーイはエアを男から引き剥がし、半殺しよりもう少し殺したところでエアを連れてその場を離れたのである。男はルーイが手配した者により回収され、全てを自白させた後に騎士団へ突き出した。
そして安全な場所へ移動したと思ったら、エアが婚約解消を申し出たのだ。ペトラの作戦は成功したことになるが、それはとっくに真相を知っていたルーイへ「親子の情」を手放させることになったのだ。
「どれも褒められたものではありませんが、最後のは明らかに一線を越えています。僕はあなたを許さない」
隻眼がペトラを射抜く。ペトラは肩を震わせ、視線を彷徨わせた。
「ルーイ、あなたは何か誤解しているわ。私は何も知らない。エアちゃんがそんな辛い目に遭っていたなんて、本当に知らなかった」
「こんな杜撰な後処理で、よくそんなことが言えますね。あなたが学生を焚きつけるのに遣わした人間も尋問済みですし、それぞれに支払われた金額も、あなたが自身の予算として分けている金の支出と一致しています」
「知らないったら!」
ペトラが大きくかぶりを振って、自分自身を抱きしめるように縮こまる。ルーイはまたもため息を吐いた。これは「この話はおしまいにしてほしい」という彼女のサインである。憐れんででも、呆れてでもいい。相手が立ち去ってくれるのを待つ。そして時間が経ったら、何事もなかったかのように顔を見せるのだ。
普段のルーイは時間の無駄として立ち去ることを選んでいたが、今回は違う。逃がすつもりはなかった。
「……ペトラ。もうやめなさい」
ペトラが弾かれたように顔を上げる。ルーイの隣にはバーデン伯爵が立っていた。ルーイがあらかじめ待機をお願いしていたのである。
「あなた……?」
ペトラは驚愕に目を見開いたが、すぐにかぶりを振った。
「もしかして、ルーイの話を信じているの? 誤解よ! 私は何も知らないわ」
バーデン伯爵は、悲しそうにペトラを見つめる。
「尋問にも立ち会ったし、金の流れについても調べはついている。……ペトラ、もう言い訳は必要ない。アマンド家に早急に謝罪しよう。婚約の継続は……エアさん次第だ」
ルーイは頷いた。流石にこの状況で「まぁエアは僕と結婚するけど」とのたまうつもりはない。
「……私が認めたら、お詫びとして婚約を解消したらどうかしら。エアちゃんだって、こんな私がいる家と縁を作りたいわけないじゃない」
ペトラがぼそりと呟いた。ルーイは睨みつけるように母を見たが、彼女は俯き、こちらを見ようとしない。
「……ペトラ。どうしてだ? なぜこんなことをした? お前のせいで、エアさんの学校生活は辛い思い出になり、一生消えない傷まで負うところだったんだぞ。それほどまでに、エアさんのことが嫌いだったのか?」
バーデン伯爵の問に、ペトラは勢いよく顔を上げた。
「どうして、ですって? そんなの決まっているでしょう。ルーイと結婚させない為よ」
「僕はエアと結婚します」
先ほど思ったことはすっかり忘れ、ほとんど反射で答えてしまった。ペトラは絶望したようにルーイを見つめる。
「何で? どうしてあの子がいいの? どうして自分で自分の価値を下げるのよ! お願いだからやめて!」
「ペトラ?」
バーデン伯爵には答えず、ペトラは顔を覆って泣き出した。
ペトラは、元はある男爵家の娘だった。それも準男爵の平民の立場であったものが、男爵として認められ、領地を授かった――要は成り上がりの貴族であった。その為貴族達はペトラの家を貴族として認めたがらず、エアやルーイと同じ学校に入学した経験もあったが、辛い学校生活となった。
そこで運命の出会いが訪れる。学校生活での数少ないかけがえのない思い出――現在のバーデン伯爵との出会いである。当時は嫡子であり、婚約者がいなかった彼と出会い、恋に落ちた。二人は婚約し、結婚するつもりだったが、バーデン伯爵家の親族達が猛反対した。
バーデン伯爵家は、歴史ある名家である。そこに平民の血を入れるなど言語道断だと彼らは言い放った。この時、ペトラの家は既に男爵位を得て貴族に名を連ねていたが、そんなことは重要ではない。彼らはしきりに、伯爵家の血が穢れると主張した。
彼らの手によってペトラの学校生活が脅かされることはなかったが、自宅にはバーデン伯爵家に連なる者達から毎日手紙が届いた。罵倒、嘲り、今すぐ婚約を解消しろという脅し。ペトラはそれらを集めて、すぐさま婚約者へ助けを求めた。この頃から頭角を現していた次期当主である彼はすぐに動き、ペトラを守ってくれた。彼の根回しによってペトラは婚約者としても地位を脅かされず、無事に結婚することが出来た。
結婚すると、今度は跡取りを産むことがペトラの役目となる。嫡子となる男児を産まなければ離婚だと、またも親族共は騒ぎ出した。ペトラはプレッシャーに押しつぶされそうになりながらも、無事に懐妊する。生まれてくるその日まで、この子が男の子でありますように、という祈りを欠かすことはなかった。
ペトラの祈りが届いたのか、五体満足で生まれた子は男の子だった。ルートヴィッヒと名付けられたその子は、ペトラの人生を大きく変えてくれた。
ルートヴィッヒは素晴らしい子だった。あまりにも美しい容姿もさることながら、頭もよい。やらせればどんなことでも人並み以上にやってみせた。親族達はこぞってルートヴィッヒを持ち上げた。
――この子がいれば、バーデン伯爵家も安泰だ。
――ルートヴィッヒ様は天才だ。将来が楽しみだ。
どこからでもこんな声が聞こえるようになり、気付けばペトラへの誹謗中傷はぱったりとなくなっていた。ペトラは心底安堵した。
ルーイがいてくれて、本当に良かった。
ルーイの価値はそのまま自分の価値であり、後はルーイが名家の令嬢と結婚し、バーデン家を更に繫栄させてくれるだろうと考えていた。そうすれば、ペトラを脅かすものは何もない、と。
それなのに。
ルーイは、子爵家なんかの娘と結婚したいと言い出してしまった。
友達なら、まだいい。夫を助けてくれた恩もあるし、親交を持つのは構わない。でも、結婚となると話は別だ。
アマンド子爵家は、バーデン伯爵家よりも格下である。ルーイがエアと結婚しても、バーデン伯爵家には何のメリットもないのだ。むしろ、ペトラにとってデメリットしかない。
――ルーイの、私の傷になってしまう。取り返しのつかない傷がついてしまう。
ペトラは苦悩した。そして、どうにか二人を結婚させないように立ち回ろうとした。
エアは自分の立場を弁え、身分の違いを感じているようだったのでそれとなく辞退しても構わないことを伝えたり、ルーイにはエアの気持ちを考えてやれと助言する。
それでも二人は婚約解消を申し出ない。仕方がないから、ペトラは学校の生徒に働きかけて、エアから婚約解消を申し出るように仕向けた。
貴族でありながら大した家柄でもなく金に飛びつくような、そんな子を選んで依頼した。「婚約を解消したら相応しい相手と結婚させたい」と匂わせたら勝手に自分がその相応しい相手だと思い込むような娘達。扱いやすくて助かった。それでも中々結果に結びつかず、卒業――時間切れが迫る。報告によれば、先導して増長していた嫌がらせも下火になりつつあるらしい。それでは困る。
ペトラは浮浪者同然の男を雇い、エアを襲うように依頼した。脅かすくらいでよいと思ったが、それを口にすることはなかった。万が一のことがあったら、逆にこちらから婚約を破棄することもできると考えたからだ。
だが目論見は破れ、ルーイ本人がエアを助けに現れた。男への依頼も、生徒達への依頼も仲介を挟み、その全員に口止め料として高い金を払ったに関わらず、誰もかれもが洗いざらい喋り、ペトラまで辿り着かれてしまった。
ペトラの完璧な伯爵夫人としての時間は終わり、また誹謗中傷に怯える日々に戻るのだ。
ペトラの訴えを聞いても、ルーイの心は一分も動かなかった。
母が男爵家から嫁いできたことは当然知っていた。そのせいで苦労したらしいことも、ルーイが生まれてから置かれた立場が大きく変わったことも。幼少の頃から「あなたは私の誇りよ」「誰よりも美しい、自慢の息子だわ」と言ったことを、何度も聞かされている。それについて不快に思ったことはない。「そういう人なのだ」と思っていたから。母の役に立っているのなら、嫌な気がする人間はいないだろう。だが。
「僕の評価がそのままあなたの価値になるということはありません。たとえエアとの結婚を親族皆が反対しても、僕が自分で何とかします。僕が責任を取るし、それであなたが非難されるのなら、それは見当違いだと分からせます」
「……ペトラ。私と結婚したことで君がたくさん苦労し、傷ついてきたことは知っていた。だからこそ、私は持てる力の全てで君を守ってきたつもりだった。そしてエアさんとルーイが結婚することになったら、二人で守ってあげようと、約束したね。……でも君は、自分と同じ思いをさせたくないからエアさんを遠ざけるのではなく、自分が傷つきたくないからエアさんを傷つけようとした。……許されることではないよ」
ペトラはわなわなと震えていたが、バーデン伯爵に抱きしめられると、また泣き出す。ごめんなさいとか細い声が聞こえてきて、ルーイは静かにその場を離れた。
お読みいただきありがとうございました。
お母さんは控えめに言って最低ですが、もともと心の弱い人だったのです。身分目当てに結婚したわけではないのにそんな風に思われて誹謗中傷され、辛い日々を送っていました。その為社交も苦手です。バーデン伯爵はそんな彼女を守り、結婚によるパイプなど必要ないと自分の力で家を盛り立てた実力者です。ちなみに彼の代で親類とは疎遠になっています。
そして彼は自分よりも秀でたルーイなら好きな人を守れるだろうから、家のことは気にせず好きな人と結婚できればいいという考えでした。