「読む」コストの意識。
私、ちょっと前にツイッターを始めたのだが、世の中には自分の小説を読んで欲しい人が多すぎると感じた。
例えば「3作品ほど無料で読んであげるよ」との書き込みに対し、読んで欲しい側は100に近い数が殺到する。
これは、小説を読まない人が多いのか?
……ではなく、読む側が、時間がもったいないと考えるゆえに生じる立場の相違だと思う。
時は金なり、人間の最も貴重な資産の一つである。
当たり前のコストだ。
だが、読んで欲しい側は、あまり金をかけたくないのが心情だろう。
中には「相手がプロや編集者だったらお金を払っても読んで欲しい」という人も一定数いる。
それに対し「編集者の時給は高い」と苦言を呈する人もいる。
では、相手が編集者やプロでなければ、読んでもらう費用は安いのか?
ということだ。
先に結論を言えば、編集者だろうが一般の人だろうが、かかるコストは同じである。
例えば、時給1000円とは言っても、企業が一時間あたりに労働者に払うお金は1000円では済まない。
年金や保険などの福利厚生の企業側負担に始まり、交通費や有休。その労働者を支える人事や総務などのバックヤードの人件費。さらに寮費などが掛かる。
とある経営者に言わせれば「人を雇うなら、払う給料の倍額を経費として考えておけ!」という方もいた。
まぁ、実際に人の時間を買うということは、一時間当たり1000円などというお金では到底買えないということだ。
年収400万円くらいの人なら、単純計算で実働200日。1日当たり2万円で、時給になおすと2500円。
だが、上に書いた諸事情で、一時間当たり最低でも3000円はくだらないだろう。
で、この年収400万円の方に、10万字のお話を読んでもらうとしよう。
掛かるコストは、一時間当たり3000円で、10万字くらいをしっかり読み込むなら、4時間くらいで読めると仮定しよう。
この場合の読んでもらう時間コストは、1万2000円となる。
読む相手が編集者だろうがプロだろうが、素人だろうがそれは変わらない。
コストとは本来そういうものである。
面白ければ、当然にその価格は差し引かれるが、せいぜい本は一冊1000円くらいだろう。
つまるところ、面白くても面白くなくても、差額は1000円そこそこなのである。
このコストに見合うほど「読んでもらう価値」が高いなんて馬鹿馬鹿しいと考える人が多いかも知れない。
だが、他人の時間の価値とは、そういうものだ。
割烹でも、ツイッターでも、明らか又は暗にひたすら「読んでくれ!」という方。
本来、他人に時間を遣わせるとは、これだけのコストが掛かるということを、たまには考えてみるのも悪くないかもと思う……(´・ω・`)
……まぁ、すべてがブ~メランなのだが (ノ∀`)