表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

背理の英雄

作者: カンタイ
掲載日:2020/07/26

 世界は左と右の二つに分かれている。左は人の世界、右は魔物の世界だ。

 と言っても境界線が引かれ明確に区別されているわけではないので、人も魔物もどちらの領土に侵入し放題だ。そのせいで中央の付近の曖昧な土地では毎日のように睨み合いと殺し合いが絶えない。


 そして種族間の殺し合いは中央だけではなくあちこちで起きている。とくにそれは魔物が人間領に侵入したことによる戦闘がほぼ全てだ。数や技術力が優れている人族であるが、生物としての性能で言うなら魔物のほうが数段上なのでどうしても警戒網を力尽くで抜けられてしまうのだった。

 毎日のように魔物を殺すことを専門とする者たちから報告が上がる。それが止まる日はなく、どれだけの数の魔物が人間領で蔓延っているのかを思い知らされる。


 そんな人間領と呼ばれつつも、実際には欠片もその種族が安寧ではない世界。人々はそれぞれの街や村を壁で囲うことで限られた範囲での平和を得ていた。






 黒色の壁が聳えている。

 どれだけの数の魔物が押し寄せてこようが悉くを跳ね返して見せると壁自身が語ってくるかのような大きさと幅。壁に刻まれ、その度に直されてきたのだろう修復の痕跡がこの壁が信頼できるものだと伝えてくれる。


 この壁に囲まれた街の規模は人間領では首都を除くと上位であり、つまりは「都会」と表現されるに相応しい発展した街であった。

 そんな人々の憧れの街に入ろうとする者は当然多く、二か所ある街の入り口には今日も人々が列を作っていた。


「はあー、凄いねえ。これ全部『暦錬岩(れきれんがん)』で出来ているなんて」


 そしてその列の中に壁を興味深そうに見渡す人物が一人。


 背伸びをして列から顔を出しているのは赤褐色の髪の少女だ。全体が見たいのか、背伸びだけではなく時折ジャンプしている。地面に届きそうな程に長く伸び、それを適当に一本に纏められた髪が少女の跳躍に合わせて左右に暴れる。


「むう……、よく見えない。もっと近くで見ないと」

「なあ、恥ずかしいからじっとしてくれないか。列が進めば勝手に近づけるからさ。周りに凄く見られているんだけど」


 そんな少女を諫める声が一つ。

 少女が隣を見ると、そこには人が入れそうな程に大きな箱を背負った青年が困った顔で立っていた。


「いいじゃない。小さく跳んでるんだから」

「そういう問題じゃないんだ。皆が並んでいる中でお前だけがジャンプすると目立つんだよ。あと髪が俺とか後ろの人に当たってるから」

「む、それはごめんなさい。でも私が何もしなくてもそんな物を背負ってるエルは十分に目立ってるから」

「うぐ、やっぱりか? やっぱ素直に馬車を使うべきだったかな……」


 エルと呼ばれた青年が「でも馬車だぞ。クソ高いし維持にどれだけかかるんだよ……」と顎に手を添えてぶつぶつと呟く。その様子を見て少女は軽く息を吐いた。


「本当に君は節約家だね。貧乏性と言ったほうがいいかな? その気になれば幾らでも稼げるくせになに悩んでるのさ」

「だって五十万だぞ。俺らみたいな平民がどれだけ飯を食えると思っているんだよ。冬に薪を使いたい放題だぞ? そんな高いモノ買えねえよ。俺にはこれで十分……と言いたいが。こうやって見られると……。そんなに珍しいのか?」

「まあ普通は馬車使うよね」

「なああんたら」


 二人が話しているところに新しく入り込んでくる声が一つ。正体は少女の後ろに立っていた男性だった。

 腰に剣を下げる男性はエルと少女に心配そうに話しかけてきた。


「なあ、あんたら他の街から出稼ぎにきたのか? 見たところ二人だけのようだが、護衛はどうした? 若いの二人じゃ魔物に襲われたらおしまいだろう」

「えーと……」


 最初は警戒していた二人だったが、男性の表情から本気で二人の心配をしていることを理解して身構えを崩した。


「確かに私たちはこの街に稼ぎに来たし他に仲間はいないよ。でも少し違うのは、私たちは近くの街の人間じゃなくてれっきとした商人で、これまでも色んな街に行ったってこと」


 少女が首から下がっていた紐を引っ張って服の下から出したそれを見せる。

 ぶら下がっている二枚の金属のタグにはそれぞれ細かな意匠が施されており、一目で何処の組合が発行しているものなのかが分かるようになっていた。


「商工組合と……、ほう、魔術士組合か。お嬢ちゃんは魔術士なのか」


 男性が納得する。魔術とは術具を持てば誰でも使うことができるが、それを専門にして戦う者の知識と技術は生活と戦闘の両面において非常に有用であるからだ。護衛がいなくても近くの街からならある程度安全に来ることができるだろうと考えたのだ。


「ううん、私は術具を作る側だよ。こっちの組合にも入っていないと許可が下りないんだ。戦うことはできるけど、あまり得意じゃないかな」

「そうなのか。それなら売り物とは……」

「私が作ったものだよ! 明日に大通りで売るから見かけたら買ってね!」

「是非そうさせてもらおう。しかし、その言葉を聞くに君は戦闘要員ではなく製作者であり販売者、ということはそっちの君が護衛なのか」

「まあ、そんな感じですね」


 男性の言葉に肯定したエルは同じようにタグを取り出して見せる。


「冒険者組合だけなのか。傭兵組合のは無いんだな」

「街を行き来できる許可があれば良いですからね」

「確かにな。言っておいて何だが俺も傭兵の方は登録してないしな。あれはいくつ命があってもたりねえ。毎日魔物を殺すなんて正気じゃやってやれねえよ」

「……ええ、そうですね」


「おい、そろそろだ。戻ってこい」

「おう、分かった。それじゃな、売れるよう祈ってるぜ」


 入門の列が大分進み、入り口が見え始めたからだろう。仲間らしい男に呼び戻された男性が去っていく。


「じゃあねー。私達もそろそろだね」

「ああ。まずはいつも通り確認だな」


 街に入る際の審査はそこまで時間のかかるものではない、街に入るための許可証の確認や危険物を所持していないかの身体検査と、滞在予定の報告がある程度だ。

 特にここは毎日数えきれないほどの人が訪れるのでその作業も流れるように済まされていく。審査官の「許可証を」という短い言葉にエルと少女も素直に応じそれぞれのタグを差し出す。


「冒険者組合のエルディスね。こっちはえー……商工の方が長いからこっちで受けるか。商工組合のクイン。違反歴は無し、と。問題なし。次は検査。それぞれそっちの部屋に入って」


 持ち物や背負い箱の商品を確認されたが、何の問題もなく二人とも門をくぐることを許可される。


「わお」


 少女……クインが感嘆の言葉を漏らす。


 緩やかなすり鉢状になっているこの街は中心に向かうほど地面が沈んでいる。つまり壁近くにいるエルディスたちには街を一望できた。

 真っ黒で重厚な壁に囲われているのでそこに住む人々は実質剛健を好むのかと思っていたがとんでもない。むしろその反対で建物は白や黄色といった明るい色が多く、人の活気が高いことが合わさって通りを歩いているだけで楽しくなるような雰囲気に満ちていた。


「これは凄いな。聞いていた以上だ」

「ね! 早く行こう!」

「まてまて。まずは宿と、それと確認からだろう」

「おおっと、そうだった! なら早く済ませよう!」

「全く……」


 ちらりと街の中央、一番窪んでいる所に視線をやる。

 遠目に見えるそこは街の中心あって人がたくさん見える。しかしそれでいて建物は少なく開けており、また街の中にも関わらず真っ黒な囲いが建てられていた。


「大丈夫だ、そう怖がらないでくれ」


 返しの言葉はない。





 走り出すクインを追いかけ、エルディスが到着したのは冒険者組合。石造りの二階建てになっており、左横には二階に続く外階段がある。


「ここはどの街でも変わらないね」

「同じ外観するっていう規則だからな。お陰で見つけやすいだろ?」


 下は冒険者組合、上は傭兵組合の階なので二人が用があるのは一階だ。

 中に入ると装備品の擦れ合う金属音が混じる雑音が聞こえてくる。奥には冒険者たちの集まる集会スペースがあるが、今は入り口すぐの受付に真っすぐ進む。


 書類整理をしていた受付の女性がそれに気づいて笑顔で二人を迎えた。


「ようこそ。仕事をお求めですか?」

「それは今度で。迷宮の情報を聞きたい」

「畏まりました。どのようなモノを知りたいのか伺っても?」

「全部。この街にはさっき来たばかりなので」

「なるほど……、でしたら」


 女性が背後の棚から取り出したそこそこ厚みのある紙束を二つエルディスに渡した。


「こちらにはこの街の迷宮に関する大まかな情報が載っています。まずはこちらで各階層の特徴や現れる魔物を見ておくのが良いでしょう。そのあとにこちらの本で各魔物の詳細や必要な道具を調べるのが良いかと」

「なるほど、親切だね。ありがとう。あと最近の街の話題とかだと何かあるかな? さっきも言ったけど来たばかりでね」

「そうですね、迷宮で群狼(グルフ)が増えていると聞きました。出るのも浅いところなので気を付けてください。街は大通りに出ているものは全部おすすめですよ。ここは人も物もたくさん流れてきますから、二三日ごとに話題が変わるので一つを挙げるのが難しいですね」

「なるほど、群狼と大通りね。ありがとう」

「また来てくださいね」

「その時は仕事を受けに来ます。クイン、どうだ(・・・)?」


 エルディスに聞かれ、貼り出されていた依頼票を物色していたクインが首を振って答える。


ピンとくるものは(・・・・・・・・)まあ無いね(・・・・・)

「そうか」


 その後、受付の女性からいくつかのおすすめの宿を聞きその宿に向かったところ、部屋が空いていたのでその日はもう宿で休むことにした二人だった。


「美味しかった……。この宿にして良かった」

「確かに美味かったけど、最初の所で良かったんじゃないか」

「ヤダ! だって毛布で雑魚寝なんて野宿と一緒じゃないか! お湯はなくていいけどせめて干し肉以外を食べてベッドで寝たい! 何のための宿なんだい!?」

「変わったなお前……、最初の頃なんて風呂もある宿に泊まっていたのに」

「だって店に居たときには毎日あったし……、欲しいけど高いし……。拭くだけで我慢する」


 街の外でエルディスの事を貧乏性と言ったクインでも、街にいる間ずっと風呂と美味しい食事にありつける高給宿に泊まりたいという程贅沢な考えはしていなかった。この場合はクインの考え方のほうが一般常識から外れているので、矯正中と言ったほうがいいのだが。


「さてと」


 重い箱を下ろして身軽になったエルディスが荷物から地図を取り出す。

 ベッドの上にバサリと広げたそれをクインと覗き込み、これからのことを話し合う。


「いま居るのはここだな。で、目的地はここ」

「もう結構端の方まで来たね。この先はもう小さい街しかないや。明日は食料以外にも色々買っておかなきゃ」


 干し肉を噛みながらクインが呟く。彼女の言葉通り、二人がいる街とエルディスの指が置かれている「目的地」の間には今いる街よりも小さい町や村しかなく、何か必要なものがあるならばこの街で入手しておかなかければならなかった。

 エルディスにもそれは承知の事であり、だからこそ多少の不安(・・・・・)があってもこの街に足を運んだのだった。この近辺で最も大きな街であるここでなら金さえあれば大抵のものは手に入るであろうと考えたのだ。


 そう、金さえあれば、だ。

 エルディスは確かにクインの言う通り、その気になれば様々な手段でかなりの額の金を短い期間で稼ぐことができる。幾つかの方法はクインの協力が必要だが、例えエルディス一人でも全く問題はない。クインはそう思っているし、それは事実であった。


 しかし裏を返せば何もしなくても財布の中に金貨銀貨が湧いてくるわけではなく、やる気と労力と時間がかかるということであり、さらにエルディスは必要以上に金を持ち歩く性格ではなかった。


「じゃあ明日は朝から大通りで稼がないとな! 忙しくなるぞ!」

「この農民体質め……、いつも嬉しそうにして」

「うるさい。働くことは素晴らしいの。ほらほら明かり消すぞ、寝た寝た」

「はーい」


 部屋の明かりが数回点滅して落ちる。「回路の調子がおかしいんだ。雑な作りをして。作った奴の顔を見てみたい」と呟くクインも疲れていたのは間違いなかったようで、大人しくベッドに潜り込んでいく。


「私はそういうの(・・・・・)だけ作っていたいんだけどな」

「そう言わずにさ、明日は頼んだぞ」

「はいはい」


 エルディスも布団の中で目を閉じる。但しそれは休息をとるためではなく。


「……特に大きな動きはないか。にしてもこれは……、気のせいだといいんだけど」


 早くもクインの寝息が聞こえる部屋の中、自分にだけに聞こえる声量で呟いたのちにエルディスも意識を手放したのだった。





 街に稼ぎに来た者たちの朝は早い。

 懇意にしている販売先を持たない、エルディスたちのような流れの商人が露店でいい場所を確保しようと争奪戦になるからだ。

 店を構える場所は売り上げに直結していると言っても過言ではない。住民から苦情が入らない程度に早く、しかし同業者よりは一歩先んじて人の目に付きそうな絶好のポジションを得なければならない。

 そしてエルディスとクインは(主にエルディスの頑張りの結果)見事大通りに露店を出すことに成功したのだった。


 そして昼過ぎ。人通りは減るどころかまだまだ増えていく。

 二人の露店に目を向ける者もその分増え、二人とも疲れたと言う暇もなく動き続けた。

 やっと落ち着いたのは少し日が傾き、昼と夕方の間くらいの時だった。


「お、本当にいる」


 ようやくの休憩を交代でとっていたエルディスに声をかけてきたのは昨日門の外で言葉を交わした男性冒険者だった。

 鎧を脱いだ楽な服装でやって来た男性に、エルディスもまた言葉を返す。


「探してくれていたのですか? ありがとうございます」

「なに、散歩のついでだ。大通りってのは聞いていたからな」


 男性が広げられている商品を覗き込む。結構な数が売れてしまい、毛布の上には隙間目立つ。


「ほう」


 男性が商品を一つ手にとってまじまじと見つめる。


「普通のアクセサリーと思ったけど、魔石が付いているし分かりにくいが術式が刻まれているな。これは装具なのか」

「その通り。良く見ているね!」


 店番のクインが胸を張り、嬉々として商品の説明を始める。作りたいものだけを作っていたいと言っていた彼女であるが、自分の作品について誰かに話すことも大好きな性格であった。


「それは一見すると普通のブレスレットだけど、腕を通すと微弱な結界を展開するのだ! 小さな虫しか防げない程度の薄いものだけど、おじさんみたいな冒険者や外で仕事をする人にとっては欲しいかもしれない一品。これがあれば寝ているときにふとした瞬間に気になることはもうない! 消費魔力は結界が弱い分僅か、鍛えていない一般人が一日中着けていても少し疲れる程度しか使わないという優しさ。ここまで術式を詰めるのに苦労したよ!」

「ほうほう」


 男性がブレスレットを見つめて頷いている。おそらく夜の見張りなどで覚えがあるのだろう。


「しかもれっきとした装具なのでいざと言うときには一度だけ強固な結界を張ることも可能! ブレスレット自体は動きの邪魔にならないように線を光らせて刻印そのものをデザインに組み込んで余計な装飾を省き、素材には鳥の魔物の骨を使っているのでとっても軽量、それでいて魔物素材なので頑丈! いかがですか!」

「ふーむ」


 男性はブレスレットに手首を通し、重さや感覚の違い具合を確かめる。最後にクインが「これくらい」と提示した金額に頷いた。


「気に入った、買おう」

「ありがとうございます!」


 機嫌良くクインが釣りを出そうと袋を探る。悩みながら調整をしていた物なので売れたのが、と言うよりはそれを求める人がいることが嬉しいのだろう。


「戦闘用の装具を日常的に身に付けていられるように設計したのか。なるほど面白いな。君のそれも彼女が作ったのかい?」

「……ええ、まあ」


 男性が指しているのはエルディスが首に着けている首輪型のアクセサリー、チョーカーだ。何かしらの魔物の素材なのだろう血のように濃い赤色の革に、黒色の宝石が嵌め込まれており、その宝石を引き立たせるように装飾が施されている。上品さと落ち着きのある美しい一品であった。

 宝石が付いているので少し太く、ピタリと首に巻いてあるので邪魔そうに見えるが、エルディスは気にしていないようだ。


「ところで、それってプレゼント用ですか?」

「ん? いや、俺が使うが。午後はダンジョンに行くからな、身を守るものは多ければ多いほど良い。まあそんなに高くもないしな」

「ダンジョンですか。中央にあるあそこですか?」

「ああ。ここの名物だ。稼げるからお前らも時間が空いたら行ってみたらいい。最近は転換期が近いのか魔物が増えてきてな、組合が報酬を割り増しにしているんだ」

「へえ、そうなんですか」


 一頻(ひとしき)り話をしたあと、仲間たちに自慢するかと言って男性は去って行った。

 あの様子ならきっと後日に同じ商品を求めてその仲間たちが来るかもしれないと考えると、コミュニケーションと言うのはやはり大切な事だとエルディスは思った。


「ふう……」

「そんな毎回緊張するなられば私と代わる? あんまり見られたくないんでしょ? 話題逸らしが露骨だったし」

「うぐ、へ、平気だ」

「はいはい」


 チョーカー型の装具に触れてそう答えるエルディスに、無理をしているのではないかと若干の疑いを込め視線を向けるクイン。

 しかしそう言っている以上は問い詰めても仕方ないかと考えたようだ。それ以上の言葉はなかった。


「でも物も人通りも少なくなってきたし、もう少ししたら店は畳んで買い物に行くか」

「え、買い物は出発の前日じゃないの?」

「気分転換だ。そういうときもあるさ」

「ふーん? まあ良いけど。稼げたしね。こういう時間が減るのは私にとっても大歓迎さ」

「なら決まりだ」


 流石は有数の大都市と言うべきか、これまで訪れたどの街よりも売り上げが良い。いつもなら数日かかる筈の目標売上に初日で届きかけていた。

 無理に稼ぐ必要はないか、と丸々と膨らんだ革袋を確認してクインは頷いた。


「補充するのは?」

「食料と水の魔石はいつも通り。材料だと魔石が一通りと金属系が心許ないな」

「なら先ずは時間がかかりそうな魔石から行く?」

「いや、分かれて集めよう。これメモな」

「え、珍しい。本当にどうしたのさ」


 クインが驚いて差し出されたメモとエルディスの顔を交互に見る。


 昨日の夜は労働意欲に溢れていたのに早めに露店を畳むのは、そういう時もあるだろうと思った程度だ。この青年は必要以上の大金を持とうとしない平民的感覚の主なので、クインも珍しいと感じただけで済ませた。


 しかし物資の補充を分かれてまで早く済ませようとするのはおかしい。この都市には一週間近く滞在して十分な用意を備える予定だったのだ。ここから先にはろくな街が無いからとそう提案したのは他ならぬエルディスなのだから。


「何がだ? 済ませられることは先に終わらせようと思っただけだぞ」

「でもまだ暗くなってすらいない。一緒に行っても時間は十分にあるじゃないか。君の大好きな観光はいいの?」

「店の場所が離れているみたいだしな。それに量が多いから早めに頼んでおかないと揃うか分からないだろ? 見て回るのはまあ、準備を終わらせてからのほうがいいと思ったんだ。あとそれ好きなのは俺じゃなくてお前だろ」

「うーん……。分かった、いいよ!」


 何か納得がいかない。言っていることは分かるのだけど、分かりやすい理由を並べているようにも聞こえる。

 色々考えたクインであったが、興味のあることにしか集中力が向かない彼女は最後には「自由時間が増えるのならそれが良い」と結論付けた。


「じゃあさっさと買ってこよう! 宿で集合ね!」

「ああ、何かあったら連絡な」

「了解、いつも通りにね!」


 クインと別行動することになったエルディスが向かったのは前日にも訪れた冒険者・傭兵組合の建物の傍にある魔物の素材販売所だ


「いらっしゃい。何をお求めで?」

「このリストにある種類の魔石と素材を」

「どれどれ」


 中には大小様々な牙や爪、毛皮に鱗、乾燥した何かや瓶に詰まった液体が棚やテーブルに並んでおり、ほのかな異臭を放っている。


 渡されたリストに目を通した怪しげな風貌の老婆がふむふむと頷く。


「素材の方は粗方はすぐに用意できるね。でも魔石の方は悪いけど品薄だよ、用意するにはちょいと時間がかかるねえ」


 そういった後に他の若い店員を呼び、店の倉庫にある素材を出すように指示を出した。


「何か理由があるんですか?」

「なんだ知らんのかい。ここ最近迷宮の浅い層の魔物が増えてきてね、若いのが稼ぎ時だって張り切っているのさ。それのせいで魔石がよく売れているんだよ」


 ああ、と納得した。

 エルディスは今回クインが製作する術具や装具の材料として魔石を購入しに来ているが、他にも魔石は魔術を発動する際に使う魔力の代替の消耗品としてよく利用される。

 未加工は効率が良くないものの、魔力量に不安のある未熟な冒険者たちにとってはあればあるだけ嬉しい代物だ。自分たちで狩った魔物から得た魔石も含めて、手元に残しておきたいだろう。


「仕方ないか……。どのくらいで集まりますか?」

「そうだね……、明後日には必ず揃うだろうよ」

「では明日の夜にお願いできますか」


 言葉と共に差し出された追加の金を受け取った老婆は「ヒッヒッ」と笑うとエルディスの要求を了承した。


「ま、いいさ。金さえ払って貰えればねえ」

「持ってきました」


 丁度、注文した物を持ってきた店員が戻ってきた。抱えた箱のなかには確かに渡したリストに記載されていた様々な魔物の素材が詰められている。

 作るのはクインだがエルディスも無知ではなく、一瞥しただけで魔石以外の漏れがないことを確認した。


「そんじゃこれが代金だ。魔石を除いた分ね」

「……少し高いのでは? 在庫がないのは魔石だけですよね? 近くの街ではこのくらいの値段でしたが」

「おやおや、そこらの街と違ってうちは迷宮を抱えているからねえ。その分荒れくれ者が多いからこういう素材の在庫は多くはないのさあヒッヒッ。何しろ使い方が乱暴で修理買い換えの毎日でねえ」

「その分魔物が仕入れられている筈です。このくらいでどうですか」

「老婆が必死こいて回している店で値切るだなんてなんて若造だい」


 袖で涙を拭う仕草をする老婆だったが、後ろで控えている店員の表情がこの老婆が只の老いぼれではないことをありありと伝えていた。


「店員は接客だけでなく演技も指導すべきですね。ではこれでいいですか?」

「いやいや、そうはいかないよ―――」





「ではお願いします」

「ち、さっさと行きな」


 少し後、少し疲れた表情でエルディスが店から出てくる。

 エルディスも、それを見送る老婆もどちらとも微妙に納得のしていない顔をしている。それをさらに後ろから見ている店員は尊敬の目をエルディスに向けていたが。


「さて、予想以上に時間を食ったな」


 主にあのやり手の老婆との交渉のせいである。


「残りは移動手段と情報か。馬があれば良いけど……。後は情報屋に行って先の事を知って……、ん? どうした……っ!?」


 足元を突然の振動、そして何処からか響いた爆発音がエルディスを襲った。

 立っていられないほどの強いものではなかったが、急に揺れたために通行人が転んでいるのが見える。


「これは……、まさか!?」


 精神を集中させる。

 薄く、水面に落ちた一滴の波紋よりも小さな魔力の波を拡げる。


 その程度の魔力で分かることなど殆ど無い。しかし小さな波でも大岩にぶつかり消えてしまうことでそこに何かがある事くらいは感知することが出来る。

 エルディスの放った魔力は壁を越え、街の地下に潜む何かを捉えた。


「くそ、もう動くのかよ!? しかも何か妙に早い!」 


 昨日の時点では地下の大きな二つの魔力はもっと深い場所、迷宮の最奥に居た。

 しかし今捉えた魔力は、登ってきている(・・・・・・・)



『は、氾濫発生!!! 迷宮より氾濫発生! 冒険者及び傭兵組合に所属するものは緊急事態につき魔物へ対処せよ! 繰り返す―――』



 街全体に慌てたようすの男性の声が響き渡った。

 迷宮の氾濫。それは普段は一歩も外に出てこない迷宮内の魔物が突如として一斉に現れる迷宮の侵略攻撃。異界と化している迷宮に住まう魔物の総数は膨大で、小規模な迷宮でも魔物の行進は一夜にして周囲一帯を更地にしてしまう。


 それが広大な街の資源供給を担う程の巨大な迷宮なら。


 間違いなくこの街は滅びる。多少の抵抗はできるだろうが戦力の総数が比べ物にならない。最初に少しの時間が稼げるだけで結末は変わらないだろう。


 知らない所で起きていたならどうでもよかった。そこにいないのなら痛ましい事だなあと言っていただけだった。

 しかしエルディスはいま、この場に居合わせてしまった。


 エルディスの頭の中で選択肢が浮かぶ。


「すぐさま街から脱出する」か……、「助ける(・・・・)」か。


「いやいや、なんだ街を出るって。人が死ぬんだぞ。数えきれない沢山のだ。いっぱい死ぬんだぞ」

『だから何だ?』


 いや、でも。

 所詮は他人だろう?


 街の人を救いたいという想いは少しも湧いてこなかった。

 思考はできる。しかし手足を動かず燃料になるべき感情が欠片もなかった。


 走り回る人がすれ違う中、エルディスは自問自答を繰り返す。


「俺は……」

「エル!」


 振り向くと自分の旅に付いてくる変わり者の少女が走ってくる。

 一度宿に戻ったようで軽鎧を身にまとっていた。


「クイン……」

「エル、お願い」


 答えが欲しい。この噛み合っていない思考と感情を一致させ、行動を起こすべく背中を押してくれるそんな何かが。


 そんな思いを感じ取ったのか、エルディスの揺れる目を真っすぐに見つめたクインが口を開く。


「この街を助けて。君が、君たち(・・)が人間を何とも思っていないことは知っている。でもこの状況をどうにかできるとしたら、エルしかいない。私はこの街が無くなってほしくない」

「ただ寄っただけの、知り合いも思い入れもない街だぞ? そんなことをする必要があるのか?」

「そうだね。ただ通り道にあっただけだね。私たちとの関りはどこにもない」


 エルディスの小さな反論にクインは否定せずに肯定を返す。

 そのうえで「でもね」と続ける。


「明日には分からないよ。あのおじさんが仲間を連れて沢山買っていってくれるかも。歩き回れば美味しい店が見つかるかも。無くならなくて良かったって思えるかもしれないよ。こんなことになっちゃって街を散策することが出来なくなったからね、私楽しみだったのにさ」

「食い物かよ……」

「それにさ、こんな綺麗な街並みが壊されるのは見たくないよ。お願い、エル」

「……分かった。何とかしてみる」

「ありがとう」


 クインに背を向け、エルディスは街の中心に体を向けた。


「なあ、クイン。怒ってないのか」

「正直怒っている。言ってくれたら警告くらい出せたかもしれない。でも、エルの気持ちも少し分かるから。明日のお出かけで一日荷物持ちで許す。欲しかった素材も遠慮なく買うからね」

「そんなことをしたら素寒貧になっちまうっての……」

「そうだね。だからまた稼がなきゃ」

「……ああ。その為に、大切な客たちを死なせる訳にはいけないな」

「うん、うん」

「……外を頼む」

「了解。任せて」


 背中に掛かる言葉は、その声の主が自分と同じ方向を向いていると教えてくれる。

 足に力を込めて地面を蹴る。人の流れに逆らい、轟音が止まない迷宮へ。


「そうだな。どうでもいい、関係ないことはないよな」


 クインは人の命がどうこうとは口にしなかった。それは彼女が言った通り、エルディスの事を理解して敢えて人命ではなく食べ物や景観の事を一番に出したのだろう。

 しかし口に出していないだけだ。彼女はエルディスとは違い、人が死んだら悲しむ普通の人だ。


 入り口で話し、買い物をしに来た男性は気のいい人物だった。

 それに素材を買い付けた店の老婆とは魔石の支払いの時に決着を着けなければならない。

 というか前払いなのでこのままだとエルディスが金を失っただけで街ごと素材が無に帰してしまう。何て勿体ないのだろうか。何故今日なのか、あと数日後に起こればよかったのに。許せない。


 ……ああ。


「なんだ、十分な理由があったじゃないか」


 確かな芯が心に立った。


「やるか。やれるさ。やらなきゃいけない」


 彼女のために、利益のために、人々のために、こいつのために。


「一直線だ。行くぞ」

「うん」


 身体強化(ブースト)。体を青色の魔力が包み、踏み出した足の下には魔術式が展開される。

 走るエルディスの体が前傾に倒れるのに合わせて、足裏が接している部分の地面が盛り上がり一歩ごとに加速を与えていく。


「うわぁ!?」

「何だ!?」


 傍を通った人々が驚いて振り向くが、その時には既に魔術式の光の残滓が点々と残っているだけだった。


「既にここまで来ているか」


 高速で走るエルディスとクインの先に、複数の影が見える。

 人間よりも大きな靄を纏う狼。ここ最近数が増えていると聞いた群狼(グルフ)だ。兵士や組合の者は居ないようで、めちゃくちゃに爪を振り回して逃げ回る人々を裂いている。


「■■■■、■■、■■」


 すっ、と。

 スピードを落とさずに間を通り抜けたエルディスが群狼たちの体を撫でていっただけだ。

 急に苦しみだした群狼たちの体が歪に膨れ、醜い肉塊となって転がったのは数秒後のことだった。


「流石だね」

「この程度ならな。さて、と」


 そこから更に魔物を行動不能にしながら止まらずに進み、迷宮が見える所にまで到着した。


 本来は迷宮の周囲を囲んでいたであろう壁は破壊され残骸が散らばっている。

 奥には大きく開いている奈落へと続く迷宮の入り口。絶えず魔物が姿を現しており、終わりが見えない。

 止まらない魔物の進撃を食い止めんとするのは崩れた壁の代わりだと言うように広場を囲って戦う街の人間たち。揃った装備を身に着けた兵士からそれぞれの武器を身に着けた傭兵や冒険者まで数多くの戦う力を持つ者が街を守らんと奮戦していた。


「死ぬなよ」

「当然!」


 乱戦になっているその中でクインと別れ、エルディスは迷宮の入口へと飛び込んだ。


土式索敵(アースエコー)


 得意とする土の魔術を全力で行使し現在の階層の構造を把握。過剰に込めた魔力に殺到してくる魔物たちはエルディスが触れるだけでそのすべてが蠢く肉塊となった。


 密集する魔物の間をすり抜けて下に、下に。


 浅い階層は道が複雑ではなく凶悪な罠もない。エルディスの疾走を止める者はいなかった。




「ありがとう、エル」


 迷宮に消えた旅の相棒には聞こえない。

 それでも、自惚れでなければ「自分(クイン)の我が儘」の為にその力を振るってくれるエルディスに自然と礼が溢れる。


 彼は元凶へと向かった。ならば自分もできる限りを尽くさねばならない。

 懐から取り出した活性薬(リジェネ)持久薬(ラン)悪血薬(オーグ)を一気に呷る。


 目覚める。何十と代を重ねようと残る血が、

 記憶の奥底に眠っている呪い、それに重くのし掛かっている蓋に手をかけている。


「ああ!」


 体を勝手に動かそうとする衝動を払うように、得物であるスレッジハンマーを魔物に叩きつける。

 抵抗はまるでなく、鉄塊を叩き込まれた魔物は水風船のようにあっさりと破裂してその命を失った。


「これ以上、街に、は、入れさせない、ヨ」


 階段から上がってくる途切れぬ魔物の行列を見下ろし、クインは立つ。

 赤褐色に光る髪と眼だけが光る逆光の影は、魔物にどう映ったのだろうか。


 それはまるで血に飢えた鬼のようで。






「間一髪ってところか」

「あ? なんだこいつ?」

「ンンー?」


 下ること二回。僅か三階層目という地上まで少しの地点。首謀者たちはそこまで登ってきていた。


核の魔物(ピースキーパー)と、魔族か」

「ほう、魔族(おれたち)を見たことがあるのか。そんで生きているのか、人間。」


 反応したのは一見は人間の男性に思える方だ。

 しかし頭部には漆黒の角が伸び、開いた口からは肉食獣のように鋭い牙が覗いている。同様に縦に裂けた赤い瞳孔を含め、普通の人間でないことは明らかであった。


「オイ、ソンナコトハ、ドウデモイイダロウ。サッサト殺シテ外ニ出ルゾ」

「おおっと、そうだなぁ。地上でのお楽しみが待っているんだった」


 エルディスを興味深そうに見る魔族の男の横に立つ二メートルを超える身長の狼男(ワーウルフ)が腹立たしそうに唸る。


「悪りぃが人間、目撃者(おまえ)を生かしたアホを知りたいところだが時間が惜しいんでな、サクッと死ねや」


 ピウッ、と。

 無造作に魔族の男が腕を振った。ただそれだけの事で高圧の刃がエルディスに放たれた。

 色はなく、形はなく、小さな笛のような音がなっただけ。致命の鎌鼬が瞬きの間にエルディスの首に到達する。

 しかし。


「謝る必要はない」

「あ?」


 風が弾けた。エルディスの首に間違いなく命中した鎌鼬は、しかし血を流させることも、それどころかチョーカーに傷すらも付けることなく消えた。


「上に行くところ悪いが、ここでお前らには死んでもらう」


 言葉と共にエルディスの姿が消える。

 それを見た魔族が何か反応をするよりも速く、横殴りの衝撃が襲いかかる。


「おぐ!?」


 吹き飛んだ魔族が自分の居た場所を見ると、足を振り抜いたエルディスが立っている。

 蹴り飛ばされたのだ、と考えた瞬間に再び姿が消える。


「ッ!」


 気配。

 反射的に腕を交差し防御体勢を取った腕の隙間から、人間(エルディス)が腕を引き絞るのが見えた。


「速っ!?」

「オラァ!!!」

「グブ!?」


 咄嗟の防御を貫き、顔面に拳が撃ち付けられる。

 骨の砕ける感触をエルディスは確かに感じた。


「しっ!」

「オオオオッ!」


 僅か数秒の速攻。遅れて反応した狼男(ワーウルフ)がエルディスに襲いかかる。

 両手の爪は一本がナイフよりも大きく鋭い。肉どころか骨すらも容易く断ち切るだろう。

 当たれば、だが。


「は!」

「オゴッ!?」


 魔族すら反応できなかった速度で動くエルディスがそれを避けることは訳無く、鋭爪が届く寸前にストンと腰を落とし、渾身のアッパーカットを狼男の無防備な顎に決めたのであった。


 下からかち上げられ、血を吹きながら狼男が倒れる。あまりの威力に上下の顎がひしゃげ、歯が砕け散っている。頭にもダメージが及んだらしく、手足がびくびくと痙攣していた。


「ふぅー。よし、これで氾濫は―――」

「あー……、油断したぁ」

「……流石にあの程度では、か」


 一応腕と首は折った筈なんだが。

 振り返ると、首があらぬ方向に捻れている状態で魔族が立ち上がっていた。


「お前、面白いことするな。それに只の人間って訳でもなさそうだ」


 魔族がエルディスが最初に立っていた場所を指差す。

 そこにはほんの少しだけだが三角形に土が盛り上がっていた。そこだけでなく、エルディスが今立っている足元にも数ヶ所。


「初速の補助、攻撃の際の踏ん張りと俺らの姿勢崩し……。よくもまあ思い付く。魔力も人間にしては多いな、身体強化(ブースト)も高い」


 ゴキリと鈍い音を立てつつも自分で首を元に戻す。その顔は先程まで浮かんでいた軽い表情が抜け、静かにエルディスを見ていた。


「魔術の発動を俺らに気付かせない技術とか、使い方もそうだけどよ。迷宮の地面に干渉する(・・・・・・・・・・)だぁ? 何者だよお前。勇者、ってやつか?」

「はは、勇者……俺が勇者ね……」

「何が可笑しい?」

「いや。まあ、そんな大層な者じゃないさ」


 寧ろ、真逆の存在だというのに。

 そう口には出さないが、魔族からのあまりの評価に乾いた笑いが漏れてしまうのは仕方ないことだった。


「はあ、こんなところで疲れたくないんだけどよ、確実に殺すべきだな、お前。おい、いつまで寝ているんだ。さっさと起きろ」

「グ……ゥオ、ルルゥ……。貴様、殺ス。許サンゾ」

「む……」


 魔族が蹴った狼男(ワーウルフ)が完治して起き上がったことにエルディスが困惑の声を上げる。

 魔族はともかく、狼男はこの短時間で治るほど高い治癒能力を持っていないだからだ。


「殺ス、殺スゥゥゥ!」

「おいおい。ったくしゃーねえなあ」


 叫ぶ狼男(ワーウルフ)が濃い赤の魔力を放つ。

 最奥にて迷宮核を守る為に格別に強く、核とより深い繋がりを持つ特殊な魔物、核の魔物(ピースキーパー)

 今、狼男は核から魔力を供給されたのだろう。体に収まりきらない魔力が薄暗い迷宮を真っ赤に照らし、渦を巻く。


「色が分かるほどに濃いとは……!!」


 不意打ちによる一撃は通用しない。実の所、核の魔物(ピースキーパー)に関してはこうしてくる前に終わらせておきたかったのだ。

 狼男の体を覆う魔力を見て、エルディスがあることを思う。


「やけに多い?」


 自身が持てる数倍の魔力をかき集めている。核に造られた特別な個体と言えど、あれほどの魔力を制御できるものだろうか。


「気になるか? 不思議だよなぁ」


 魔族がキヒヒと歯を剥き出しにして笑い、狼男の胸の辺りの毛を分けた。


「何!?」

「驚いたかあ?」


 そこには肉を押し退けて心臓の位置に埋まる紫色の水晶が不気味な光を放っていた。

 鼓動するように点滅するそれを、エルディスはよく知っている。


「まさか迷宮核(コア)を取り込んでいるとは……。お前の仕業か」

「おうそうさぁ、こうすれば俺らが外にいる間に迷宮核(コア)を破壊される事はないし、魔物どもは強くなれる。天才だろ?」

「フゥ、ハァ、魔力ガ漲ルルルルゥ……」

「でけえなあ、外に出れるのかこれ? まあいいか」


 不味いな。

 エルディスが呟いた。


 迷宮核がこの場にあることは二つの意味がある。

 一つは街で暴れまわっている魔物たちの「親」である迷宮核が目の前にあると言うこと。核とは迷宮の心臓。内部空間の維持から魔物の生産まで全てを担っている。それを破壊してしまえば迷宮は失われるが、外の魔物たちは死に、氾濫は即座に収まることだろう。

 二つ目はこの迷宮核が……分かりやすく言うと、街一つを潤すほどの巨大迷宮の核がただ一体の魔物の強化に注力しているということだ。


 どうなるかなどは巨大化した狼男を見れば分かるだろう。


「死、ネェェェ!」

「■■っ……! ぐう、があ!」


 溢れる魔力を旋風の如く纏う狼男が吼える。

 瞬きの間に距離が詰まり、丸太並みに太い腕が横殴りにエルディスに叩きつけられた。

 何かをしようとしていたエルディスだったが、それを咄嗟に中断。身体強化(ブースト)を腕に集中させることで防御をとった。しかし勢いはどうしようもなく、嫌な音と同時に足は地面から離れ、体が宙に浮く。


 その隙を逃さずに追撃。回し蹴りに飛ばれたエルディスが壁に激突する。


「おお? 腕が折れたようだなあ、良い気味だ」


 魔力による身体能力の強化。エルディスも同じことをしているが、まるで比較にならない強化率である。

 攻撃に反応できずに一方的に殴られる。先ほどとは逆の展開。しかしエルディスには自己治癒などという便利な能力はなかった。狼男が視界に映る度に体の傷が増えていく。


「ほうら、これも避けてみろよ!」


 さらに遠距離から放たれる魔族の魔術。最初に使われたそれよりも髙威力の真空波が見えない刃となってエルディスを切り裂く。


「グルゥアハハハハァ!」

「どうした人間? さっきの勢いがねえなぁ!」

「ぐうっ……!」


 少し力を使っただけで手も足も出ない。エルディスもカウンターで狼男に拳を当ててはいたが、纏う魔力と強化された体の二重の鎧を貫けずにいた。


「『岩砕壁(クライムウォール)』!」

「うぜぇ!」


 生成された岩壁が腕の一薙ぎで破壊される。

 それでも一瞬の目隠しにはなり、距離をとったエルディスと魔族たちに少しの間が生まれた。


「脆い、脆いなあ。ホントに人間ってのは今ぶっ壊した壁みてぇに脆いぜ、なぁ? この程度でボロボロでよお、もう二三発殴れば死ぬんじゃねぇかお前」


 へらへらと軽口を叩く魔族に対して、余裕のないエルディスは言葉を返せない。うつむき、浅い呼吸を繰り返している。

 手足を失ってはいない。だが両腕を含めた複数箇所の骨折や裂傷による止まらない出血がエルディスが瀕死だということを如実に伝えていた。


「ま、足止めか何か知らんが十分くらいか? 命の対価にしては実に小さなものでしたってな。ご苦労さん」

「オオ……」

「ったく無駄使いしやがって。こんなに強化しなくても殺せただろ、どのくらい使ってんだ」

「ホンノ少シダ、問題ナイ」

「■■……」

「あ、何て?」

「何カ言ッタナ」

「今更命乞いか? どうでもいいな。アレ潰してさっさと上に行くぞ」

「ソウダナ」


 狼男が血に濡れる爪を振り下ろす。死が頭上から迫ってくる。



 しかしその凶爪が血肉を撒き散らすことはなかった。


「ム?」


 振り抜けない。

 人間の脆い肉体など何重にも強化された狼男の腕力なら何の抵抗もなくバラバラにするというのに。


「ようやく、か。ギリギリだった」


 折れた筈のエルディスの腕に受け止め――いや、掴まれている。

 反射的に腕を引く。


「何ッ」

「逃がさねえよ」


 抜けない。それどころか逆に引っ張られて胸に拳撃を叩き込まれた。

 エルディスの拳と迷宮核がぶつかり合い、金属音にも似た衝突音が鳴り響く。


「ゴブァ!?」

「固いな。けど……」


 あり得ない光景であった。狼男は迷宮核による超強化を受けているというのに、エルディスはそんなものなど無いかの如く狼男を殴り続けている。

 強烈な危機感。己の主(めいきゅうかく)が攻撃されているという事実が核の魔物(ピースキーパー)でる狼男に命の危機を感じさせた。


「放セェェェ!!!」


 血が舞う。狼男の爪がエルディスの身体中を目茶苦茶に切り裂くが、エルディスの力は微塵も緩まなかった。


 何だこの人間は。俺を見ていない。傷も意に介していない。何なんだ、そもそも人間なのか、この生き物は。

 脳裏にそう思い浮かんだ狼男は見た。腕を掴まれ至近距離でエルディスを見ていたから気付いたのだろう。


 潰れた目が、裂けた肉が、見て分かる早さで治っている。

 足元の地面(めいきゅう)に魔力の線……、侵食して、魔力を吸い上げている。


「■■■■」


「オ前」


 ビキッ、と命が割れる音が聞こえた。


 体を覆う魔力は目の前で滲むように色を変えていき――、狼男が纏う魔力よりも更に深い真紅に。


「オ前……!」


 目が合った。

 真っ赤な瞳孔(・・・・・・)に自身の顔が見えた。


「オ前ェェェェェ!!!」

刹那同調(じゅうてん)最大出力(あっしゅく)


 握られた拳が胸に触れ――


壊放(はじけとべ)

「ゴブァ!?」


 核が悲鳴を上げる。


「ア"ア"ア"ア"ア"!?」


 魔力が暴走している。制御しきれない力が行き場を失い体外に吹き出す。

 堪えきれずに叫ぶのと同時に体が弾け、胸の迷宮核は内側から粉々に吹き飛んだ。


 迷宮核が失われ、胴体を吹き飛ばされた狼男の意識が消える寸前、ふとエルディスの首に着いているチョーカーが目についた。

 そこにはエルディスの眼と同じ真っ赤な魔石(めいきゅうかく)が輝いていた。


「オ"前、モ"」


 言えたのはそこまでだった。







 風穴の開いた肉塊が倒れる。

 胸に埋め込まれていた迷宮核は粉々に砕け散り、迷宮はその機能を失い只の地下迷宮になった。

 外に出ている魔物も死に絶えているだろう。


 これで一件落着、とはならなかった。


「なるほど、なるほどな。そういうことか」


 灯りの消えた迷宮に魔族の声が響く。


「お前魔物か、それも核の魔物(ピースキーパー)。気付けなかったぜ、上手く化けていやがったな」


 魔物が消え、騒音の無い暗闇に声が反響する。


「迷宮の壁を弄れたのも核の力か。足が触れている極狭い部分の迷宮の支配を奪っていやがったのか。最後のも狼男(アイツ)に過剰な魔力をぶちこんだ結果か。なるほど上手い手だ。魔物を生み出す迷宮核(おまえ)ならではってかんじだなあオイ」


 しかし魔族はベラベラと喋るだけで何もしてこなかった。

 位置を探ろうにも反響のせいでどうにも方向が分からない。

 ならば。


「おおっと、言っておくが俺はこれ以上戦う気はない。空になった迷宮の中でお前とやりあうほどバカじゃねえからよ」


 回路展開、侵略、同調。

 ……右斜め後ろ。


「そうだよなあ、奪えるよなあ! だが残念、間に合っているぜ!」


 変わらずエルディスの目には何も見えていない。しかし支配した迷宮の範囲内で壁から生やした岩槍を魔族が回避したのを視た。


「お前を殺すことは楽勝だけど、俺様は冷静だからよ。お前に構う必要は無いって分かるんだよなあ。そんでお前程度に出来ることは魔族(おれ)にも出来る」


 魔力の高まりを感じる。発動ぎりぎりまで魔力を絞っていたのだろう、魔族の足元に術式が展開された。


「チッ」

「あばよ!」


 今度は全方位からの岩槍。だが宣言したとおり既に転移の発動段階に入っていた魔族は姿を消し、残光を岩槍が虚しくかき散らす。


 そのまま数秒探査していたエルディスだったが見つけられなかったようで、息を吐くと体の力を抜いた。


「逃したか…」


 魔族に自分のことが露見した。面倒なことになるのは想像に容易い。魔族の領域を目指しているエルディスからすれば、それは非常に困ることであった。


「けどまあ、何とかなるだろう」


 それよりも今は街を救えたことを喜ぶとしよう。


 そう呟くとエルディスは地上に向かって歩き出した。








「もう少し……」

「十分に楽しんだだろ!」


 街の中から復興の騒音が聞こえてくる門の外。門番たちに苦笑いをされているのは顔が街の方を向いているクインとそれを引っ張るエルディスだ。


「だってまだ建て直されていない店があるって……」

「行けるのはいつの話になるんだよ! 門番、これ料金! それでは!」

「あ、待って引っ張らないでーー!?」

「達者でな、良い旅をー」


 既に予定を超過して一週間もこの街に留まっているのだ。物資も資金も揃えて観光もして、そろそろエルディスは旅を再開したかった。というか入門したときに報告した日数を大幅に越えているので超過金が膨れていたのだ。


「もう、街を救ったエルディスが言えば超過金なんて……」

「それを言うわけにはいかんだろう」


 頬を膨らますクインに、エルディスが地図を見ながらピシャリと言い返す。


「教えられる訳がない。というよりはあれでも割り引きされているぞ? お前のお陰でな、『血霧姫(ちぎりひめ)』様」

「それを言うなあ!」


「血霧姫」とはクインに付いた呼び名だ。

 あの日、エルディスが狼男と魔族の二人を相手していて横槍が入らなかったのはクインが入り口で逆走する魔物を捕まえていたからだ。

 雄叫びを上げ自分よりも大きな魔物すらも叩き潰し、時には素手で殴りつける。その勇ましい様子と、返り血で真っ赤になっていた状態から冒険者や傭兵たちからそう呼ばれたのだ。本人からは可愛らしくないと大変不評だが。


「私は術具製作が本業なの! そんな名前は要らないの! 二度と口にしない、分かった!?」

「はいはい」


 門番まで知れ渡っている時点でもう手遅れだぞ、とは言わないのが優しさである。幸いにもここから先は大きい街はないのだから。


「なあ、本当についてくるのか? お前にとっては良いことなんてないぞ」

「しつこい! いいの! 君こそどうなのさ? むこうに行くって言ってるけど、そこでどうするのかとかは決めているの?」

「住みやすい場所があるといいなとは思う。森とか洞窟がどちらの街にも行けるちょうどいい距離にあるとなお良し」

「街の中に住むのは既に諦めているんだね」

「俺みたいな蝙蝠はどっちの世界にも馴染めないよ」

「寂しい奴だねエルは! でも大丈夫、私がいるからさ!」

「はは、助かっているよ」


 人間であり、魔物とも言える。あるいはどちらでもない。

 そんな不気味な存在であるエルディスに着いてくる変わり者(クイン)は気分を切り換えるように「よし!」と言うとビシッと道の先を指差した。


「さあ行くよ! 暫くは野宿だからね、進めるだけ進まないと!」

「はいはい」


 地図を仕舞い、エルディスがクインの後を追う。

 視線の遥か先には微かにしか見えないが真っ黒な雲が浮かんでいる。

 目的は近い。


 二人が目指しているのは世界の右半分、魔族領。

 活火山が多いが故に空の閉ざされた暗黒の大地である。独自の生態系を築いているらしく岩と砂だけの不毛の土地では無いそうだが、こちらの世界とはまるで違うというのは想像に容易い。

 そもそも魔族領だ。人類と終わらない争いをし続けている異形の住まう場所だ。衣住食の前に命の心配をすべきである。


 それでもエルディスとクインの足は軽く、会話を楽しみながら進んでいく。

 まるでなにも知らない子供のように。

 いや、むしろ何があろうとも大丈夫だと考えているのだろうか。


 それが分かるのは本人たちだけだ。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ