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文明も人種も何もかも違う国に侍女達を連れて行くのは気が引けた。実際、侍女達も行きたくなさそうだった。
さして裕福でもない小国なので王女とはいえリーヴァは一人で身の回りの事くらいできる。
一人で帝国に行こうとしたが、たった一人だけリーヴァについて行くと言う侍女がいた。
リーヴァの乳姉妹グートルーネだ。茶髪に青い瞳、中背で華奢ながらグラマラスな肢体、リーヴァ程ではないが、なかなかの美少女だ。
「あなたの気持ちは嬉しいけれど無理しなくていいのよ」
誰にも話せないが生涯帝国にいる気はない。シグルズが約束通り、リーヴァを迎えに来てくれると信じているのだ。
「いいえ。姫様が行かれる所ならば、どこまでもお供します」
グートルーネは、か弱げな容姿と違い頑固だ。こうまで言った以上、強引にでもついて来るだろう。
自分が帝国からいなくなった後、たった一人残される事になるグートルーネが心配だったが、その心配は無用だった。
王宮の庭には、王族全員とシグルズの父親である宰相、グートルーネ、そして、少数の衛兵がいた。帝国からリーヴァを迎えにくる獣人達を待つためだ。
強い魔力の持ち主ならば遠距離の移動は徒歩や馬車ではなく転移魔法に頼る。
弱小国のアースラーシャ王国民では近距離しか転移魔法が使えないが、世界最強のメロヴィーク帝国民なら隣国くらいなら転移魔法も可能なのだ。
あの竜帝と顔を合わせずに済むのなら、あっという間に転移魔法で帝国に到着するのではなく疲れても徒歩や馬車で何日もかけて移動してほしかったと思うリーヴァだ。
この場にいる人間の予想に反し、転移魔法で現れた獣人は一人だった。彼らの統治者、竜帝の番、竜帝妃となる王女を迎えに来るのだ。数人は来るだろうと思っていたのに。
虎の耳、純白の髪と琥珀色の瞳、褐色の肌、逞しい長身、竜帝とはまた違う趣の美丈夫だった。
この場に現われた瞬間、彼の視線は、ただ一人にだけ固定された。
リーヴァの隣に佇むグートルーネに。
彼は大股でグートルーネに近づくと跪き彼女の手を取った。
そして――。
「貴女こそ俺の番だ! 俺と結婚してほしい!」
竜帝に番認定と求婚された時の事を思い出してリーヴァの顔は引きつった。
この場の何ともいえない微妙な空気を壊したのは、グートルーネの困ったような声だった。
「……えっと」
グートルーネはリーヴァのように「絶対嫌!」という様子ではなかった。それどころか心なしか嬉しそうに見える。
(……そういえば、グートルーネは、もふもふ系が大好きだものね)
リーヴァは場違いな事を思った。
獣人は人型になっても耳は本性のままだ。
彼の耳からして本性は十中八九、虎だろう。恋愛感情とまではいかなくてもグートルーネが彼に対してリーヴァが竜帝に抱いたような生理的嫌悪感などあるはずもない。
「……ドゥンガ将軍でいらっしゃいますね?」
宰相がグートルーネの前に跪いたままの彼に声をかけた。
アースラーシャ王国の宰相は、シグルズの父親、シグムント・ヴェルスング公爵だ。黒髪黒目、均整の取れた長身、シグルズの数年後を思わせる美形だ。
彼は今年四十一だが外見年齢は二十代半ばに見える。魔力が強い者ほど若々しい姿を保てるのだ。
「番を見つけられたのは喜ばしい事でしょうが、今はご自分のお役目を果たしていただけませんか?」
口調は柔らかいし言葉遣いも丁寧だが、要は宰相はこう言いたいのだ。「竜帝の番となる王女を迎えにきたんだろう? 自分の事だけにかまけてどうすんだ?」と。
宰相にドゥンガ将軍と呼ばれた虎耳の彼は、ばつが悪そうな顔で立ち上がるとリーヴァ達に向かって頭を下げた。
「……失礼いたしました」
これには、この場にいる全員が驚いた。
獣人は人間に対して良い感情など持っていない。いくら現在、獣人達が安住の地メロヴィーク帝国で平穏に暮らせていても過去の彼らは人間に虐げられていたのだ。
竜帝のシグルズに対する態度を見ても(彼が番認定したリーヴァの婚約者だからだろうが)、いくら自分が悪くても獣人が人間に対して頭を下げるなど考えられなかった。
「俺……私はエッツェル・ドゥンガ、メロヴィーク帝国の公爵で将軍です。竜帝陛下の番であるリーヴァ王女をお迎えに上がりました」
メロヴィーク帝国のエッツェル・ドゥンガ将軍といえば、竜帝の親友であり片腕として有名だ。
彼の本性は純白の虎だと知られている。その純白の髪と虎耳で宰相は彼がドゥンガ将軍だと分かったのだろう。
「……それでは、さようなら。国王陛下、王妃殿下、お兄様」
リーヴァはスカートを摘まみ上げると美しい一礼をした。
「さよならではない。竜帝陛下は度々リーヴァを実家に寄こしてくださるとお約束してくださった」
「そうよ、リーヴァ。しばらくは会えないでしょうけれど、今生の別れではないわ」
国王と王妃は、リーヴァがわざと「お父様」と「お母様」ではなく「国王陛下」と「王妃殿下」と呼んだ事に気づかなかったようだ。
リーヴァは国王と王妃を無視して兄と宰相に向き直った。
「お兄様、宰相閣下、この国をお願いします」
国王夫妻が無能でも弱小国のアースラーシャ王国が存続できるのは、有能な王太子や宰相がいるからだ。
「……王女殿下、貴女にご負担をおかけする事をお許しください」
宰相がリーヴァに頭を下げた。彼はシグルズの父親だ。当然、彼の秘密を知っている。
知っていても、リーヴァを彼女が生理的嫌悪感しか抱けない竜帝の元に行かせた。それが一番大事にならないからだ。
その事でリーヴァは宰相を恨む気はない。シグルズの父親として宰相として悩み苦しんだと分かっているからだ。
「わたくしは大丈夫ですわ」
全てが片付いたらシグルズはリーヴァを迎えにきてくれる。
その時こそ、王女としての責務からも竜帝からも自由になれる。
それを励みに、帝国でどれだけ虐げられても耐えてみせる。