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100回死んだ彼と彼女と、私  作者: 翼 くるみ
【 I.彼 】
7/33

7.幼馴染と僕と、鉄塊

桜坂立花と別れ、カラオケ喫茶「みちづれ」に向かう百瀬正志。

しかし、祖母がいないはずの店には灯りが点っていた。


 僕がアーケード街に飛び込んだ時には、すっかり頭や肩に雪が積もっていた。


 僕は傘を差すのも煩わしく、全力でここまで走ってきたのだ。乱れた吐息が白い靄へと変わり、視界を曖昧にする。それでも僕は呼吸を整える間もなく、再び走り始めた。


 20時になろうとしているアーケード街は、仕事帰りのサラリーマンで溢れていた。いつもより人が多いのは、今宵が大雪にも関わらず、平日に溜めた鬱憤うっぷんを晴らさずにはいられないからだろう。


 この通りならば、アーケードの屋根のおかげで、天候を気にせず、酒が呑める。彼らは、幾つかの居酒屋を彷徨さまよい、気に入った店の暖簾のれんに吸い込まれて行った。


 僕はそんな酒飲み達の間を縫うように駆け、少しでも早く立花のもとへ行きたいと思った。それは、先程抱いていた独善的な考えだけではなく、胸騒ぎのせいでもあった。


 複数のグループをかわしたところで、僕は細い路地へと飛び込んだ。



 路地を進むと、カラオケ喫茶「みちづれ」から灯りが漏れている様子が見えた。


 僕はその違和感に思わず、足を止めた。しばし、灯りがともっている「みちづれ」を見詰めた。耳を傾けると、コブシの利いた演歌が流れているのが分かった。


 僕は立花の祖母はいないはずなのに、店は営業しているという状況を呑み込めず、呆然としていると、乾いた空気に鈴の音が響いて、「みちずれ」のドアが開いた。店からは、鈴木の爺さんが出てきた。爺さんは、頬を赤く染め、満足そうな表情を浮かべていた。


 「ママ、ありがとうさん」


 爺さんは確かにそう言った。「ママ」とは、誰の事を指しているのか、すぐに分かった。それでも確認せずにはいられず、僕は脚を振るわせながら、「みちづれ」へと歩み寄った。


 途中、鈴木の爺さんが「お、さっきの少年。嫁さんはどうした?」と茶化してきたが、僕の耳には届かず、無言ですれ違った。そして、乾いた鈴の音を鳴らし、ドアを押し開けた。



 相変わらず煙草臭い暖かな空気が溢れてきて、僕を囲んだ。続けて、その包囲網を吹きとばすような、底抜けに明るい声が飛んできた。


 「いらっしゃーい! って、あら? 正志君やんけ。どうしたん?」



 立花の祖母は、いつも通り忙しく店内を駆け回っていた。


 立花の祖母が、作業の手を止めて迎えてくれたが、僕は状況を理解する事に努め、しばらく言葉を返せなかった。


 僕が唖然としている間に、立花の祖母は、何度も明るい顔を向け、「何け、ぼーっとして。どうしたんよ?」と、笑いながら言ってきた。


 僕はようやく言葉を絞り出せるようになると、とりあえず状況を確認すべく、立花の祖母に安否を伺った。


 「お祖母ちゃん、大丈夫?」


 「何の事け? 見ての通りやちゃ」


 「さっき、倒れたって……市民病院から電話が……」


 僕の途切れ途切れな言葉に、立花の祖母は大きな声で笑った。


 「アッハッハッ! 何け、それ! あたしはいつでも元気やわいね。病院なんかまだ行くつもりないちゃ」


 愉快な笑い声を聞きつけた常連客の誰かが、「少し弱っとるくらいが可愛げあるがにのぉ」と、茶々を入れ、それに「何やって!」と祖母が面白可笑しく言葉を返して、更に笑いを作った。


 それからも立花の祖母は、カラオケ喫茶「みちづれ」の「ママ」として、忙しく、でも生き生きとした様子で働き、まさに回遊魚のように動き続けた。



 僕は、そんな温かな笑いの中で、「ママ」の様子を見ていると、現実味が薄れていくような気がした。


 はつらつとした「ママ」と過労で倒れた立花の祖母。


 どちらが本物なのか、徐々に曖昧になっていく。そして、さっきの立花が言っていた言葉は僕の幻聴だったのではないかと思えてきた。



 僕は朦朧もうろうとしてきた意識の中で「帰ります」と言い残し、「みちずれ」を出た。汗はすっかり引いており、外の空気は凍てつくように寒かった。


 学ランには煙草の臭いがまとわりついていて、そのせいで、なかなか現実味が返ってこなかった。


 僕は頭を冷やせばなんとかなると思い、そのままアーケード街の大通りへ戻って、百貨店横にあるコインパーキングまで歩いた。コインパーキングは屋根の外にあったが、融雪装置が完備されており、数台の車が止まっていた。


 しかし、車には、20センチ程の積雪があり、大粒となっている雪は止む気配はない。


 少し先の路面電車が走る通りは、駅から直接伸びている道路でもあり、車の往来が多かった。


 アーケード街に目を戻せば、酒飲み達が千鳥足で愉快に歩き、店から店へとはしごしていた。


 日中の閑散とした雰囲気とは異なり、周囲は雑音に満ちていた。それなのに、なぜか妙に静かに感じた。


 恐らく、しんしんと降っている雪のせいだろう。雪の結晶は、周囲の音を吸収してくれる性質があるらしい。



 それにしても、静か過ぎだ。



 忘れかけていた胸騒ぎが蘇ってくる。



 僕は、何か悪い事が起こるのではないかという焦燥感しょうそうかんられた。



 具体的には、それが何なのか分からないが、今という時間よりも現実味があって、未来の事なのに、過去に経験したのではないかという違和感を抱く。


 これはもはや妄想の域ではないかと思い、頭で処理しようとしても胸が落ち着かなかった。


 精神ばかりが擦り減っていき、一体どうすればいいのかわからなくなった。



 そんな時、不意にスマホが鳴った。軽快な受信音とは裏腹に胸のざわつきが増し、焦燥の情が大きくなる。


 スマホをポケットから取り出した僕の手は震えていた。


 たぶん、これは、焦りではない。恐れているのだ。僕は、一体何を恐れているのだろうか。


 僕はスマホの画面を見る前に、前方を何かが横切ったような気がして、顔を上げた。


 僕の前には、アーケード街の終わりが見えていて離れた電車通りを車が列を成して往来していた。しかし、降り頻る雪が僕の視界を遮り、霞ませる。


 白い雪の結晶に、車のヘッドライトやテールランプ、或いは街灯などの光が乱反射し、ぼんやりと何かを映し出した。僕にはそれが立花の後姿に見えた。


 頼りなく落ちた肩に白い雪がのっている。

 

 何かを抱きしめるように両腕を掴み、身体を縮こまらせている。

 

 赤くなった手は、触れずとも暗い夜空のように冷たいという事がわかる。


 そんな立花の後姿は、去り際なのだと思った。



 彼女がどこかへ行ってしまう——。



 真っ白な白銀の世界の向こう側。僕が走っても走っても辿り着けない別世界。それは生と死を隔てる境界の向こう側。僕の手の届かない所へ彼女は——。



 再びスマホが鳴り、僕の意識は自分の右手へと戻された。今度は、軽快な受信音ではなく、機械的なメロディーが鳴り、いかにも人の注意を引き寄せようとするような音だった。


 スマホの画面には「桜坂立花」と表示されており、いつ撮ったか忘れたが、ピースをした立花の顔写真が映し出されていた。僕は、なぜかその笑顔がとうとく感じ、震える指を滑らせた。


 「もしもし?」


 『あっ、やっと出た』


 いつもの立花の声がスピーカーの向こうから響いてきた。


 『正志、何しとったん?』


 「あ、いや、何も……。それよりさ、病院の方……祖母ちゃん、どうやった?」


 訊かずとも、立花の祖母の無事は確認できていたが、訊かずにはいられなかった。


 『うーん、よく分からんかった。とにかく、お祖母ちゃんと同じ名前の人は入院しとらんって言われたよ。なんやったんかなぁ?』


 「そうか……」


 なぜか安心できなかった。きっと、さっき見た去りゆく立花のまぼろしのせいだろう。しかし、それが幻ではなく、真実であると、心が訴えかけてきた。


 『とりあえず、このままお店に戻るちゃ。そっちは? お店にお祖母ちゃんおった?』


 その問いかけに、僕が返事をしようとした時、立花の声の後ろで、踏切の遮断音が聞えてきた。そのせいで、僕の掠れた「ああ」という返事は立花には届かなかった。


 『何て? 聞こえんわ』


 立花は声を大きくして、訊き返してきた。しかし、それに対抗するかのように、遮断音の音量も大きくなった。


 カーン、カーン、という耳障りな電子音が耳から入り、僕の頭の中で木霊こだました。そのせいで、胸騒ぎはより一層存在感を増し、最悪の光景が目に浮かぶ。


 思わず僕は声を荒げ、叫ぶように電話越しの立花を呼んだ。


 「立花! おい、立花! 今どこや? どこにおるんよ。無事なんか、おい!」


 しかし、立花には断片的にしか届かない。


 『ん? 何? どこかって? 踏切やよ。市民文化会館の近くの』


 立花が向かっていた市民病院は、北高合唱部の発表会会場だった市民文化会館の通りを、もう少し奥に進んだ所にあった。そのため、立花が踏切を渡る事は何ら不思議のない事だった。いや、むしろ普通だ。


 しかし、僕は異様に高く聞こえる電子音が不吉な響きに聞こえた。まるで「死」を宣告しているかのように。


 異常な危険を感じた僕は叫び続けた。


 「立花! 早く踏切から離れろ!」


 『何て? どうしろって?』


 「だから、踏切は危ない! 早くそこから離れるんだ!」


 『は? 踏切がどうしたって言うんけ?』


 切羽詰まる僕に対し、立花は落ち着いていた。声もまるで届いていないようで、立花は祖母が病院にいなかった違和感だけを残しつつ、普段通りだった。それが余計に僕の感情をあおり、得体の知れない焦りと不安ばかりが募っていく。


 そもそも、なぜ僕は踏切を危険と感じたのかも、自身でも分からなかった。ただなんとなくそんな気がするだけ——ではなく、もっと確信的に危険だと感じた。それは僕の記憶の片隅に残る微かな残りのようなものだったが、印象だけは強く、僕の心に恐怖として刻まれていた。


 「立花! 聞こえないのか! 今すぐ踏切から離れろ! 逃げろ!」

 

 『踏切から? 離れろって? なんでけ?』


 とぼけた立花の声の向こうで、電車の走行音が聞こえ始めた。遮断機の電子音に迫りくる車輪の轟音が重なり、不協和音のように響く。


 絶対に考えたくない事が頭を巡り、立花の命が散る瞬間が浮かび上がってきた。それは未だ見た事も想像したこともない瞬間だったが、まるで何度も刷り込まれたように鮮明でリアルに浮かんできた。


 「立花——!!」


 僕の叫びは虚しく、立花には届かなかった。立花の声が遠くなり、最後に「あなたは——」とかすかな声が聞こえ、怒号のような電車の走行音に支配された。


 しばらく、スピーカーからは、電車が通過する轟音と遮断音だけが鳴り響いた。


 そして、立花の電話は切れた。



 プー、プーという無情な音が聞こえると、僕は感情的にスマホを投げ捨てて走り出した。


 僅かな希望を胸に抱き、「大丈夫、大丈夫」と念仏のように唱えながら、自らの気持ちを落ち着かせようとした。しかし、そんな言葉を容易く受け入れる程、僕の気持ちは穏やかではなかった。


 かつてない程の焦りと不安と恐怖が僕を支配し、立花の身を案じながらも、どこかで奏の顔が脳裏をよぎってしまった。


 立花を心配しながらも奏の事を想う自分は、なんて薄情者なのだろうか。そう思うと、余計に焦った。


 大粒の雪が顔に当って、痛かった。


 足元は何度も滑り、転びそうになった。


 それでも僕は足を緩める事はなく走り続けた。


 心臓は張り裂けそうな程高鳴り、息は途切れそうな程乱れた。


 それでも僕は走り続けた。自分が薄情者ではないと証明したかったから。






 赤い回転灯が物々しく光り、踏切の周辺を照らしていた。


 踏切へと続く道路は通行止めになっており、歩道に溢れるように色とりどりの傘がひしめき合っていた。


 透明なビニール傘、黒い傘、紺色の傘、赤い傘、青い傘、黄色の傘……。


 だけど、僕には全ての光を呑み込んでしまうような闇色にしか見えなかった。


 足元は人々が大勢集まっているせいで、雪が踏み固められ、皮肉にも歩きやすかった。全力を尽くした僕の両脚は震え、限界を訴えていたが、僕はその訴えを無視し、引き摺るように前へと進んだ。


 僕が足を進ませる度、軋むような音がした。それは踏み固められた雪を歩く音ではなく、細くてもろい何かが破綻する前兆のように聞こえた。


 色のない傘たちの間を進むと、彼方此方あちこちから他人事のような感情のない声が聞こえてきた。


 「女の子が飛び込んだらしいよ」


 「まだ高校生やってさ。なんか可哀想やね」


 「でも、自殺っぽいよ?」


 「めっちゃグロかったわ。ドカーンって、グシャーって感じ」


 「俺、まだドキドキしとるもん。やべぇー」


 それらの声は悪意を以って発せられた訳ではないと理解できるが、無責任な言葉たちは発言者を離れ、宙を彷徨った後、僕の胸に刺さった。そして、希望を削ぎ落していく。



 雪の向こうに縞模様の遮断棒が見えてくると、僕の足取りは更に重くなった。


 頭と肩に積もった雪は、僕の体温を奪って水分を含むと、重く圧し掛かる。それは僕がこれ以上前へ進みたくないという心情の表れだった。だけど、僕は足を止めなかった。



 あかりを点したままの電車は周囲を静観していた。巨大で、禍々(まがまが)しく、踏切を遥かに超え停車している。その先頭は窺い知ることは出来なかったが、車体側面に赤い何かが付いていた。それが何なのか、考えたくもない。


 僕の膝はほとんど伸ばせなくなってきた。


 足腰の力が抜けていく。


 頭が重い。

 

 いや、身体全身が鉛のように重く、冷たい。その冷気は僕の精神をも凍らせる。



 気付けば、僕は群衆の最前——「立ち入り禁止」と記された規制線の直前で、地面に崩れていた。


 手元の雪には、赤い液体が跳ねたように広がっていた。それが何なのか、想像できるが、想像もしたくない。


 鉄くさい臭いが、僕の鼻を刺激する。


 意識が飛びそうだ。


 心が叫んでいる。


 身体が、崩壊を始める。

人が死ぬような話は避けようと思っていたのですが、今回からそういう縛りはなしにしました。

自由気ままに、創作していきたいと思います。

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