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100回死んだ彼と彼女と、私  作者: 翼 くるみ
【 I.彼 】
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5.友人Mと幼馴染と、再会

百瀬正志は、桜坂立花と共に「北部高校合唱部」の発表会へとやってきた。

そこで、立花の友人であり、中学時代の同級生の恵美に会う。

 ローカル線の単線の踏切を越えると、すぐ右手に市民文化会館が見えてきた。人の入りは予想以上に多く、駅前やアーケード街よりも随分賑わっていた。しかし、その多くは、合唱部の家族か友人で、僕はなんとなく疎外感を抱いた。


 「正志、こっち」


 唯一の頼りである立花は平然とした態度を保ち、僕を導いて、会館の中へと入った。


 会館の中は、暖房が良く効いていて暖かかったが、空気は乾燥していた。ロビーの大きなガラス窓は開放的な印象ではあったが、窓の外は暗闇に覆われており、今はその恩恵を感じることは出来なかった。僕は、立花が受付を済ませる間、雪が窓に張り付き、融けを繰り返していく様子をしばらく見詰めた。


 三階層になっている大ホールは、700名近い客を収容できるらしい。そんなに人が入るのかと思ったが、僕らが席に着いた時には、すでに半分以上が埋まっていた。開演までは、まだ30分くらいあるから、もしかしたら満席にはならなくても、ほとんどの席が埋まるかもしれない。それほど客の入りは多かった。


 ステージ上は、赤みがかった電球色でぼんやりと照らされており、その中央にはひな壇が並び、隅にはグランドピアノが置いてあった。まだ始まってもいないが、予想以上の本格的な雰囲気に僕は圧倒されそうになった。それは横に座っている立花も同様で「わぁ」と感嘆の声を漏らしながら、溶けかけのアイスをペロリと食べていた。飲食禁止ではないのかと思ったが、彼女の機嫌が直るのであればそれでいいと思った。



 18時の開演時刻になると、舞台袖から北高の合唱部員が列になって出てきた。ほとんどは女子生徒だが、数人男子生徒も混じっている。かつて北高は女子高だったらしく、共学となった今でも女子生徒の方が多いらしい。僕のクラスは40名全員が男子だから、女子のなかにいる少数の男子は、どんな気分なのだろうか。ハーレム……とは程遠いと聞いた事はあるが、実際はどうなのだろう。


 僕が全然関係のない事を考えていると、立花が肩を突いてきた。


 「ねえ、恵美めぐみおったよ。二段目の右端」


 小声で楽しそうに言う立花に僕は愛想のない返事を返す。


 「あー、そうやな」


 僕にとって恵美はどうでもいい。そもそも合唱など日頃から聴く機会はなく、その良し悪しを僕が感じられるか疑問だ。


 客席の照明が落ち、会場が静まり返ると、一曲目が始まった。題目はなんなのか忘れたが、聞いた事のある歌だった。幾つもの歌声と音程が合わさり、混じり合った調和のとれた合唱は、月並みな表現だが、素晴らしいと思った。カラオケ喫茶「みちづれ」で、鈴木の爺さんが響かせていた貧相な声と比べられないくらい迫力がある。


 だけど、なぜか鈴木の爺さんの声の方が重みを感じた。弱々しい蚊のような歌声なのに、爺さんの人生が乗っているような気がした。やはり、僕には合唱の良し悪しが分からないのだろう。それと同時に、爺さんの歌を中断させてしまい、改めて申し訳なく思えた。



 合唱は退屈ではなかったが、少し眠たくなった。


 僕は早朝に起きるため、就寝時間も早い。20時頃に床に入るため、19時を回った今頃は、風呂に入って、寝支度を整え始める。本当に年寄りみたいな生活リズムだと思うが、もう十何年も続けていると、それが普通に感じる。


 逆に深夜までテレビを観たり、スマホを弄ってたりしている方が、どうかしているのではないかと思う。そういった点でも僕の感性は、同年代から外れていた。そのせいで、人付き合いが上手くいかない時も多々あった。


 閉演後、ロビーは多くの退場客でごった返していた。僕と立花は隅の方にある控え室へと続く通路の前にいた。そこで恵美を待っているのだ。


 「おーい! 立花!」


 通路の向こうから聞き覚えのあるよく通る高い声が飛んできた。振り返ると、丸い顔をした北高の女子生徒がこちらに小走りで向かって来ていた。立花は、すぐに手を振り返す。


 「あ、恵美! めっちゃ良かったよ!」


 何がどう良かったのか、よく分からないが、僕も同じ感想だった。


 恵美が立花に駆け寄ると、2人は手を絡ませ合い、久しぶりの再会を嬉しがった。そのうちに、恵美が動きを止め、僕を視界でとらえた。


 「あっ、百瀬ももせも来とったんや」


 「ああ。まあな……」


 なぜか、僕は目線を反らし、無為に恵美の足元を見た。黒いスニーカーを履いており、そういえば、壇上に上がっていた合唱部の部員たちはお揃いの靴だったな、とぼんやりと思い出した。


 「ふーん、相変わらず、あんたら仲良いね」


 「腐れ縁ってやつだよ。あははっ」


 僕の代わりに立花が答え、白々しい笑い声をあげた。僕は恵美のスニーカーを見飽きて、視線を移動させた。だけど、顔を上げる気分にはならず、雑踏の足元を見た。雪のせいもあり、ほとんどの人は長靴やブーツを履いていた。

 

 時々、スニーカーや革靴の人も見かけたが、大抵そういう人は、車で送迎してもらっているか、親と一緒に来ている人だろう。僕は、そういう自分の足を使わない人を勝手に軟弱者なんだと決めつけてしまう癖がある。個々の理由はあるだろうが、そんなものは一切考えない。


 そういう自分も同級生とまともに会話も出来ず、立花の優しさに甘んじている軟弱者の癖に。



 ふと、恵美と同じ黒のスニーカーが眼に止まった。すらっとした脚に、濃い黒タイツは見覚えがあった。


 別に見ようと思って、その脚を見ていた訳ではない。日頃、その人物の顔を見るのが恥ずかしくて、目線が下がり、偶発的に見てしまっていただけだ。


 そんな言い訳を並べながら、僕は視線を上げ、その人物の顔を見た。



 一瞬、時が止まった。



 多く人々のなかで映える長い黒髪は、雑草のなかに咲く一凛の花のよう。品種は分からないが、たぶん和製の植物だ。サイズの合っていない深緑のマフラーは、今朝、僕が彼女の首に巻いたもの。忘れていたことを忘れる位、僕は舞い上がっていたのだろう。


 僕らは意外なところで出くわし、しばし見詰め合った。


 幾人もの人が僕らの間を横切ったが、それも視界に映らず、ただお互いだけを見続けた。そして、ふたりが同時に「あっ」という驚きの声を上げ、時は再び進みだした。


 最初に僕らが見つめ合っている事に気付いたのは、恵美だった。恵美は僕とその先の少女を交互に見て、なぜか僕に尋ねた。


 「えっ、何? 知り合い?」


 「ああ。まあ……」


 歯切れ悪く僕が返事をすると、立花が振り返って、僕の見詰める先に立っている少女を見た。見詰められた少女は立花に微笑みと会釈を送ってから、僕に歩み寄ってきた。


 「来てたんだ」


 「ああ。まあ……」


 「彼女さん?」


 「ああ。まあ……じゃなくて、違う。ただの幼馴染」


 「そうなんだ」


 気のせいか、彼女——奏の声が明るくなった気がした。しかし、それ以上言葉が続かず、互いに黙り込んでしまう。


 「……」


 何か言わなければと気が焦り、とりあえず口を開いた。


 「あの——」


 「あの——」


 二人同時だった。僕と奏は目を合わせた後、タイミングがあった嬉しさや照れくささを噛み締めるように視線を下げた。


 奏が先に「ごめんなさい」と謝り、僕も「いや、こっちこそ」と答えたが、気分は悪くなかった。いつの間にか眠気も飛んでいて、鼓動が速くなっているのを感じた。


 「……」


 また、会話が途切れ、沈黙になった。今度は言いたい事があったが、奏が先に何か言うのではないかと思い、敢えて口を結んでいた。しかし、少し視線を上げると、奏も同じ様子で、小さな口を結んでいた。しばらくしてもその口が開きそうになかったので、僕は口を開いた。


 「あのさ——」


 「また——」


 僅かに遅れて奏も顔を上げ、ふたりの言葉が重なった。僕の低い声と奏の澄んだ声が和音のように響き、旋律の始まりのように聞こえた。それから、奏が小さく歌うような声で笑った。


 「ふふっ。なんか面白いね」


 「確かに、今のは笑えた」


 僕も釣られて笑った。周りに多くに人がいるのに、世界にふたりだけしかいないような気がした。周囲の雑音も、人の気配も、伴奏のように聞こえ、僕らが言葉を重ねて合唱を作り上げていく。ふたりだけの世界を広めて、深めていく。きっと僕は、彼女のあの笑顔に魅了され、囚われていたのだろう。


 「合唱部だったんだね」


 「そう。だけど、私は歌わないの。皆のサポート役。運動部で言うと、マネージャーみたいな感じかな」


 「そうなんだ」


 なんだか勿体無い気がした。彼女のあの声であれば、ソロでも歌えるだろう。むしろ、僕のために歌って欲しいと思った。いつまでも彼女の声に耳を傾けて聴いていたい。それほど、彼女の声は魅力的に感じた。


 それから、奏は両手を後ろに組むと、少し恥ずかしそうに僕を上目遣いで見た。


 「ねえ、また神社に来るよね?」


 そんな眼で見詰められたら、それを否定する言葉など思いつくはずがない。


 「うん。また行く。ていうか、止められないもん」


 「ふふっ。そうだったね。分かった」


 奏の歌うような笑い声は、僕を幸せな気分にしてくれた。過去の偉人と呼ばれる作曲家が作ったどの曲よりも旋律が綺麗で、大勢の声が重なった合唱よりも美しかった。



 そんな僕らの世界を、恵美の高い声が遮った。


 「あのさ、そろそろ戻らないとやばくない?」


 そのせいで、急に現実に押し戻され、周囲の雑音が耳障りに入ってきた。人が多くいるせいで、乾いていた空気は湿っぽく感じ、濡れた床と履物から漂う濡れたゴムの臭いが不快に感じた。いつまでも奏の世界に浸っていたかったが、時間が僕らを引き離した。


 「先生呼んでるってさ」


 控え室に続く通路の先で、北高の女子生徒がこちらを見ていた。恐らく下級生なのだろう。初々しさが滲み出ていて、先輩に対する尊敬よりもおそれを抱いた眼をしている。


 「今行くから、先行っとって!」


 恵美が通路の向こうに良く響く声を飛ばすと、後輩の女子生徒は深々と頭を下げて忙しなく通路の角へ消えていった。


 「奏、行こう」


 恵美は奏には穏やかな声を向け、彼女の手を引いた。


 「あ、うん」と奏は頷き、揺らめく黒髪の向こうで、最後にもう一度僕を見た。言葉は発しなかったが、彼女の唇は儚く動き、また会えるよ、と囁きかけているように見えた。僕は一度だけ大きく頷きを返した。


 「またね、立花」


 「あ、うん。ならねー」


 恵美と立花は、別れ際に手を触れ合わせ、名残惜しむように解けさせると、その手を振って別れた。


 立花の声は暗かった。


「ならねー」とは、「さようなら」の意味らしいです。


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