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100回死んだ彼と彼女と、私  作者: 翼 くるみ
【Ⅱ.彼女】
19/33

19.死と運命と、歯車

第2章——葉月奏から見た世界。

 彼が死んだのは、これが初めてではない。


 何回目なのかと訊かれれば、100回なのか、それ以上なのか、定かではなく、20回を超えた辺りで、数えられなくなった。人は、人の死を何度も受け入れられるほど、丈夫には作られていないらしい。それが愛おしい人だったら尚更だ。



 そして、何度も人生をやり直しているうちに私は、この世の法則を知った。



 それは、人には、「宿命しゅくめい」があるということ。


 それは、生まれ持った役割であり、天職と言っても良い。


 それは誰にも変えられない、変えてはいけない役割なのだ。



 「宿命」を時計で例えるなら、針は時を指し、歯車は裏方で時を回す。針には針の仕事があり、歯車の仕事は出来ない。その逆も然り、歯車は針のように時を指すことは出来ない。


 それは人間界でも同様の事が言える。


 彼を生かすためには、周りの人が歯車の役割を果たす必要がある。それぞれが決まった時間に、決まった役割を果たす。それを「運命」と呼ぶ人もいるだろうが、そんな格好の良いものではない。私に言わせればそれは単なる「仕事」だ。彼ら歯車には、仕事をこなしてもらう。


 ただ、ここで注意しておきたい事がある。


 それは役割を果たし終えた歯車の存在だ。


 次の歯車へ仕事を円滑に受け渡し、尚且つ、彼の未来に干渉しないように選択していく必要がある。



 元々、彼の人生に関係の薄い歯車は、放っておいても構わないが、排他的な歯車や濃密な関係の歯車は、排除を強いられる場合もある。


 私は、それらが要るのか、要らないのか、選択していく役割を担っている。一時の感情に流されず、常に先を見据えて、彼が生きる道を選択していく。


 それともう一つ、忘れていけない事がある。


 それは、所詮、私も歯車に過ぎないということだ。





 血溜まりに寝そべる彼の遺体を前にしても私は発狂する事も悲嘆することもなくなった。いつものように、スマホを取り出し、アプリを起動すると、真っ白な画面に「life reset」という文字が浮かび上がる。


 それが消えると、読み込み画面が表示され、散々待たされた挙句、飾りっ気も愛想もない青い「resetボタン」が浮かび上がってくる。私はそれをほとんど習慣化された手つきでタップし、「人生をやり直します。本当によろしいですか?」という注意書きを見る事もなく、「はい」を選択して、スマホを耳に当てる。


 人生をやり直す、という事は、私にとって朝の歯磨きよりも簡単な事だ。


 だけど、私の意識が過去へ飛ぶ直前、視界が揺らめいている事に気付かされる。それは過去へ飛ぶために時空に歪みが生じているせいだろうと、無知なりに考えていた。


 しかし、どうやら違うらしい。


 頬に触れると、空気は乾いているのに、しっとりと濡れている。その頬を伝う雫は、私の精神が崩壊しないように、代わりに感情を吐き出してくれているのだと知った。




 意識が戻り、眼を開けると、眩し過ぎる朝陽が視界をぼかし、寒すぎる気温が身を縮こまらせた。


 眼が慣れてきて、始めに視界に映った「2t未満」と記された重量制限を示す看板は、相変わらず古ぼけていて、懐かしさを感じる。


 視線をそのまま上げていくと、その先には石造りの赤い橋が続いており、いずれ半壊する事を知っていると、少しだけ可哀想に思えた。


 しかし、橋にも橋の役割があり、それをまっとうしてもらわなければ困る。この橋は私たちを出逢わせる架け橋となるのだ。



 立春の良く晴れた空の下、彼は凍てつく空気と共にやってきた。


 彼が走らせる自転車はどこにでもあるような普通の自転車だが、彼が乗っていると特別な乗り物のように見える。


 あり得ないけど、自転車にも意思があって、主人をきちんとここまで送り届けるという役割を日々熟している。


 朝陽を反射させて、輝く車体を見ると、自転車はその役割を天職のように感じているのではないかと思った。



 私はまだ濡れている頬を袖で拭ってから彼を見た。



 目が合った。


 しかし、彼は一旦通り過ぎ、橋の中間くらいまで惰性で進んでから足を着けた。そして、私に背を向けてまま、後退してくると、私の前で止まり、ぎこちない笑顔を作った。


 「あの、寒くないですか?」


 正直寒かったが、生きている彼を目の前にすると寒さなどあっという間に吹き飛んだ。代わりに熱が込み上げて、目頭が熱くなった。


 彼はまだ知らないが、私たちは互いを求め合った仲なのだ。


 私は彼に触れたいという衝動をどうにか堪え、首を振った。


 「大丈夫です。あの——」


 そして、答えを知っている質問を重ねる。


 「文化ホールはこの先で合っていますか?」


 彼は少し考えてから、丁寧に教えてくれた。


 「ここを通っても行けないこともないけど……少し引き返してから、左に曲がると、広い道にでるし、そこを道なりに行った方がいいですね」


 「わかりました」と私は即座に答えたものの、少々白々しかっただろうかと、後から心配になった。しかし、彼はそんな事を気にする様子もなく、次の言葉を投げかけてきた。


 「なんか、どこかで会った事ありません?」


 私は、あります、などと言えるはずもなく、「そうですか?」と惚けてみせた。彼にはそんな私の反応が、迷惑がっていると映ったのだろう、しょんぼりとする彼の様子は可愛くて、愛おしかった。



 これまで100回以上、2月を繰り返し、時間にすると5年余り時を共に過ごしているが、彼の記憶のなかに私は残っていない。


 甘い言葉をかけあった時もあったし、互いに心ない言葉を言い合う時もあった。


 それなのに、それらの「思い出」は、一方的に私の胸に刻まれるだけで、彼には残らない。いや、もしかしたら、私という存在が僅かながら面影として残っているのかもしれないが、それは夢よりも曖昧で、儚く、すぐに消え失せる。


 そして、余所余所よそよそしく、幼い彼の表情が残忍なまでに私の心をくじくのだ。


 いっそのこと、出逢わなければ良かったと思った時もあった。しかし、私たちは出逢わなければ、それはそれで歯車が狂い、彼を死に追いやる。


 葉月奏はづき かなでという歯車は、彼を生かす役割を担っているのだ。だから、私は決心した。必ず、彼を生かすと。




 次の日、雨の中、呆然と古城跡地のほりを見詰める彼に会った。


 傘も差さず、雨に打たれるのは、彼の意味不明な習慣だ。以前、「雨が不安や心配事を洗い流してくれる」と彼は言ったが、彼よりも数年先を生きしている私は、未だにそれを実感した事はない。むしろ、身体が冷えて、寂しさが募るだけだった。


 私は、濡れる彼を傘に収めると、声をかけた。


 「あの、寒くないですか?」


 彼は見詰めていた水溜まりから顔を上げ、私を見た。なぜ君がいるんだ、とでも言いたげな表情だったが、彼は少し笑って別の答えを返した。


 「大丈夫です。あの——昨日も会いましたよね?」


 「はい」


 私がほんのり笑うと、彼も安心した表情を浮かべた。


 私は、もう何年も逢い続けていますよ、と言葉を付け加えたかったが、彼の未来が狂う事を恐れ、その言葉は飲み下した。代わりに当たり障りのない質問をする。


 「傘ないんですか?」


 「ああ、昨日に置いてきました」


 彼なりの冗談だったのだろうが、全く笑えなかった。時を越えられるのは、私だけだと信じていたからだ。故に、彼を守れるのも私だけなのだ。


 私が困った表情で「ごめんなさい。よく分からないです」と謝ると、彼は冗談が受けなかった事で気落ちしてしまい、雨空のような表情になった。私は、これくらいで落ち込む彼を、幼いとも思ったし、可愛いとも思った。


 もう少し落ち込んだ彼の顔を見ていたいところだったが、可哀想な気もしたので、話題を変えてあげた。


 「えっと、それって、工業高校の制服ですよね?」


 格好をつけて開け放っている第一ボタンに、彼なりの幼い反抗心が伺えた。だけど、幼い癖に、背丈は私よりも高くて、やっぱり男の子なんだと再認識させられる。


 彼は濡れてしまった自分の学生服を見た後、私の制服にも目を向けた。


 「そうですよ。機械科の二年です。それ、北高ですよね?」


 「はい。私も二年なんです」


 私が自分の学年を伝えると、彼は些細な共通点で、表情を明るくさせた。ホント、単純で、可愛いんだから。


 「あ、タメなんや。じゃあ、連絡先交換しない?」


 「ごめんなさい」


 「あ、そ、そうですか」


 私の即答に彼は再び気落ちした。忙しなく変わる彼の表情を見ていると飽きない。でも、可哀想だから、一応、嘘の断りを言っておく。


 「そういう意味じゃなくて、私、スマホ持ってないんです」


 「いえ、いいんです。別に……大丈夫だから」


 私は彼をからかっている訳でも、虐めている訳でもなかった。むしろ、連絡先を交換すること自体は望むところではあったが、今後の事を考えると、今は出来なかった。


 その事を彼は知る由もなく、精神的な負荷をふらつきという身体症状として表出しながら自転車に跨ると、いつも通り神社参拝へと向かって行った。


 私は彼の背中を見送った後、スマホを取り出して時間を確認した。そして、胸の内でカウントダウンを始める。



 5、4、3、2、1……。



 ゼロのカウントと共に雷鳴のような轟音が鳴り響いた。しかし、それが雷ではない事を私は知っている。

 

 それでも一応、私は現場と彼の無事を確認するため、南側の赤い橋が見えるところまで移動した。


 

 案の定、少し離れた所から見やる赤い橋は半分崩落しており、橋を崩させたトラックは前輪を浮かせていた。


 彼はというと、橋の手前で足を止め、その様子を唖然と見詰めていた。私は彼の生存が確認できると、一安心して、肩を撫で下ろす。


 私は、トラックを赤い橋へと誘導させるため、「2t未満」という重量制限を示す看板を予め撤去しておいた。そうでもしなければ、県外からやってきたトラックが、迂回路を探すため、慣れない道を彷徨さまよい、出合頭で彼をき殺してしまうから。



 罪悪感など微塵も湧かなかった。


 あのトラックも赤い橋も役割を果たしただけなのだ。ただそれだけ。


 それこそが世の常であり、彼を生かすために必要な仕事なのだ。いや、敢えて言おう、それが彼らの「運命」だったのだ。



 私にとって、トラックの運転手の安否などどうでもよかった。アレはもう必要のない歯車だ。今後とも彼の人生に関わる事はない、要らない歯車。放っておいても構わない。



 しかし、なぜだろう。


 彼の危機を回避し、安堵感があるはずなのに、漠然とした不安が私の心の内に蔓延はびこっていた。


 私にはこの先の未来が分かっているはずなのに、まるで霧がかかったかのように霞んで感じた。きっと、雨が霧雨きりさめに変わったせいで、視界がふやけてしまっているからだろう。


 つまりは、私の思い込み。勘違いだ。

 私には未来を変える力がある。


 そう胸の内で唱えてみたものの、不安は消えなかった。



 そして、歩く度、錆びついた歯車が軋むような音がした。


 もしかしたら、私は徐々に人間性を失い、本当に無機質な金属の歯車になろうとしているのかもしれない。だけど、それでもいい。それで彼が救えるのであれば。

この作品は、タイムリープもので、彼を生かそうとして、翻弄する女の子を書きたかったのです。ちょっぴり鬱々っとした話になりそうですが(*_*)

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