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100回死んだ彼と彼女と、私  作者: 翼 くるみ
【 I.彼 】
18/33

18.黒い感情と黒いスニーカーと、崩壊

病院の帰り道。

葉月奏の提案で、百瀬正志は、いつもの神社へと立ち寄る。

 「神社に寄りたいの」という奏の言葉を僕はすんなりと受け入れた。


 奏と手を繋ぎ、並んで歩いていると、これまでの全てが報われた気分だった。


 未だ、僕らは恋人になったわけではないが、そうなる事は時間の問題だと思えた。僕らの間にはもう何も遮るものはなくて、ふたりで歩んでいく未来は輝いていると確信できた。



 鳥居の前まで来ると、奏は僕の手を解き、少し恥ずかしそうな表情を浮かべた。


 「あのさ……ちょっとお手洗い行ってきてもいい?」


 トイレへ行く事を恥ずかしがる奏がとても可愛らしく見え、僕は柔らかな表情を浮かべた。


 「行っておいでよ」


 「ごめんね。ありがとう」と奏は言い残し、神社の横にある広場の方へと小走りで去って行った。


 春に花見客を集める広場には、公衆トイレが設備されている。新しくはないが、誰かが掃除してくれているようで、いつも清潔だった。




 僕は小さくなっていく奏の背中を見送った後、鳥居を見上げた。朝陽を浴びた鳥居の赤は鮮やかで、静かに僕を見下ろしていた。


 幾度となくこの鳥居に僕は頭を下げてきたが、普段は感謝の念を抱いたことなどなかった。だけど、今日だけはとても有難く感じ、深々と頭を下げた。



 顔を上げると、参道の終着で、悠然と立ち構えている拝殿が目についた。ここからでも鈴が眩い光を反射させている事がよく分かる。


 そして、あそこには神様がいるのだ、と現実主義者である僕らしからぬこと思った。



 世界が鮮やかだった。


 境内にある紅白の梅の木は満開になっており、冬の終わりと春の訪れを感じさせ、足元の参道でさえ、無秩序な石畳の並びが味わい深く、灰色一色ではなくて、赤みが含まれている石や緑色に近い石がある事が分かった。


 そして何より、振り仰ぐと見える、東にそびえる神秘的な連峰から顔を覗かせた朝陽が気持ちよく、全てのものに色と輝きと熱を与えていた。


 気温はやはりまだ低いが、僕の心身は温かかった。


 手を見ても血色が良いし、頬に触れるとしっとりとしている。自分は生きているのだと実感でき、喜びが込み上げてくる。



 僕は大切な人を失ったが、その分、出逢うべき人にも出逢えた。それを仕合しあせと呼ぶのだろう。


 運命に流され、翻弄され続けた僕だが、最終的には行き着くべき所に辿り着いたのだ。


 いや、まだそれも通過点に過ぎないかもしれないが、彼女とならどんな未来も受け入れられる。そんな気がした。




 「正志くーん!」


 広場の方から奏の声が響いてきた。顔を向けると、奏が手を大きく振りながら、こちらに駆け寄ってきていた。


 僕は彼女の姿を視界でとらえると、なるべく柔らかな表情を用意して、手を振り返して応えた。


 「おーい。奏―!」


 「正志くーん!!」



 しかし、後頭部で纏めた髪を大きく揺らしながら駆け寄ってくる奏の表情は穏やかではなかった。語調もいつもと違って鋭い。


 声は裏返り、とても綺麗な旋律ではなかった。ほとんど叫び声のように聞こえた。


 「正志くーん!!!」


 奏の声が徐々に大きくなってきた。恐らく、必死に何かを訴えようとしているのだろうが、後に続く言葉がなかなか出てこないらしい。表情は焦りと恐怖が入り混じったような青白い顔をしていた。


 「正志君、逃げてー!!」


 奏の尋常じゃない叫びに、僕も只事ではない事を理解した。しかし、何から逃げれば良いのかと彼女に訊き返そうとした時、背後から小石を踏みにじるような硬質な音が聞こえてきた。



 瞬間、時が止まり、僕の思考だけが働いた。 それは、フラッシュバックのように記憶を蘇らせ、激しい頭痛を与えた。


 このあとに起こり得る事象は、立花の想いを胸に刻み、奏と共に歩んでいくはずの未来を根底から崩してしまうような気がした。


 全てが報われたはずなのに、それをいとも簡単に消し去ってしまう無慈悲さがあって、真冬の冷気よりも冷たい感情が渦巻いている。


 それが具体的に何なのか、頭痛のせいで記憶が曖昧になってしまい、分からなかったが、奏の事だけは守らなければ、と思った。


 背中に戦慄が走り、時が進みだすと、僕は振り返るよりも先に、右へ一歩ステップを踏んだ。



 途端、僕の背後から黒い男が飛び出してきた。


 男の手には、銀色に光るものがあった。それは、早朝の澄んだ空気を歪め、眩い朝陽を禍々しく反射させていた。


 僕はそれが五寸(約15.2㎝)程の包丁であると、気付くよりも先に、男の不気味さに目がいった。


 真っ黒のウインドブレーカーをフードまで被り、そこから覗いている赤く充血した眼には殺気が宿っていた。



 ステップを踏まなければ、僕は確実に殺されていただろう。そして、僕は自分の身の危険を感じつつも、まだこちらに向かってきている奏に声を飛ばした。


 「奏! 来るな! 逃げろ!!」


 奏は僕の気迫のこもった言葉に足を止めた。


 しかし、彼女が僕をおいて、逃げ出せない事は知っている。だから、すぐに言葉を付け加えた。


 「警察を……助けを、呼んで来てくれ!」


 僕は、彼女に役割を与える事で、どうしてもこの場を離れなければいけない状況を作った。


 僕を助ける、という名目があれば、彼女を安全な場所へと逃がす事ができる。そう考えたのだ。そして、僕の予想通り、彼女はこちらに顔を向けたまま、後退り始めた。


 「正志君……。私……」


 僕は、まだ躊躇している奏の背中を押すため、力強く微笑んだ。


 「俺なら大丈夫。信じろ!」


 奏は僕の自信に満ちた表情を見て、少しだけ心を落ち着けると、「わ、わかった」と頷き、ようやく背を向けて走り出した。


 僕は離れていく奏の背中を見届けつつも、黒い男が妙な動きを取らないか、監視し続けた。


 幸い、男は彼女には興味を示さず、僕をどうやって八つ裂きにしようか考えているようだった。その眼はまさに狂人。僕は恐怖を感じつつ、彼女が見えなくなるまで、強気の姿勢を崩さなかった。



 奏が見えなくなると、一先ず僕は、安堵のため息を吐き、男に交渉の余地がないか探ってみた。


 「お前、通り魔事件の犯人だろ」


 男はフードの下に不気味な笑みを浮かべただけだった。恐らく、それは肯定を意味しているのだろうと、僕は勝手に解釈することにした。


 そして、昨日のニュースが思い出される。その時は、漠然と聞いていたが、まさかその犯人を目の当たりにするとは予想だにしなかった。


 「今からでも自首すれば、少しは罪が軽くなるんじゃないか」


 僕は、駄目元だめもとで、自首を提案した。当然、男はそれを受け入れるはずはなく、慣れた手つきで、包丁をもてあそぶように左右の手の間で交互に受け渡し始めた。僕は、その動きが止まった時、男が仕掛けてくるのだと予感した。


 「やる気満々だな……。俺もただではやられねぇからな」と、強がってみたものの、正直勝算はなかった。


 僕は殴り合いの喧嘩など一度もしたことがないし、体格的にも僕が不利である事は一目瞭然だ。


 それでも、死にたくない、と強く思った。


 立花のもとへ逝く事も悪くないが、彼女は「だら! 早過ぎや!」と怒るだろうし、何より奏を残していく訳にはいかない。


 それに何も男と真っ向に立ち向かう必要はないのだ。奏が警察官を連れて来てくれる間、なんとか生き延びれればいい。僕は無様でも逃げ回るつもりだった。



 僕の額から冷や汗が滲みだし、男がチロリと舌を出した時、包丁が右手に収まり、男は動き出した。


 それと同時に僕は、振り返って男から逃げ出そうとした。


 刹那、動き出そうとした僕の背中に何かが当たった。


 始めは柔らかい感触。まるで誰かにぶつかったような感触だった。


 そのあとに押し寄せてきたのは、脇腹に伝わる硬質で重みのある圧迫感。無意識に脇腹へ手を持っていくと、べっとりとした湿った不愉快な感触がした。


 それらを知覚すると、足腰の力が抜け、僕はその場に崩れた。


 脇腹の圧迫感は次第に灼熱感へと変わり、僕の呼吸を乱した。



 「あ、あ……あ……」


 声を出そうとするが、言葉にならなかった。


 脇腹から広がる灼熱感は、指先まで伝わると今度は、冷感が全身を襲う。


 真冬の雪山へ放り出されたような寒さを感じ、身体が震えた。


 全身の毛穴からは冷や汗が滲みだし、身体のどこにも熱はなかった。



 寒い、寒い、寒い、寒い、寒い……。



 頭に浮かぶのはその言葉だけで、僕は意識が遠退いていく事も感じられず、瞼が重くなってきた。


 強烈な眠気が僕を包み、思考を奪っていく。そのせいで、自分の命のともしびが消えるのだと自覚する事も出来ず、僕はかすれた声で彼女の名前を言った。


 「か……な……で……」



 僕が最期に見たのは、二組の黒いスニーカーだった。



 あれは——。

「彼」も死に、これでこの作品の前半は終わりとなります。


次話からは第2章となり、第3章まで予定していますが、後半は少し短めです。

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