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100回死んだ彼と彼女と、私  作者: 翼 くるみ
【 I.彼 】
17/33

17.彼女と僕と、希望の未来

病院の帰り道。

百瀬正志と葉月奏は、淡い雰囲気に包まれた。

 空はすっかり明るくなっていた。東の彼方には連峰が神々しくそびえ、空気が澄んでいた。僕は、久しぶりに早朝の空気が気持ちいと思えた。


 横を歩く奏は、朝陽に照られながら、僕を見上げた。


 「ごめんね。送ってもらちゃって」


 「いいって。佳代さん、まだ剛さんのところにいたそうだったし」


 剛さんの無事が確認できると、僕と奏は「学校あるやろ」と佳代さんに帰された。


 とても学校へ行く気分ではなかったが、まだ付き合って間もないふたりの時間を邪魔したくもなかったので、僕らは大人しく従った。


 「あのふたりね、先月付き合い始めたばかりみたいなの。でも、たぶん、結婚するんじゃないかなーって勝手に思ってる。ホント、勿体無すぎるよね。あんないい人」


 古城跡地の東側の県道を駅方面へと歩いていると、奏は苦笑いを浮かべてそう言った。


 それはどちらに対しての「勿体無い」なのか、僕が訊こうとすると、彼女は背伸びをしながら「あー、私も青春したいなぁ」と続けた。


 僕はその言葉をどう捉えるべきか考えあぐね、足を止めた。奏は数歩先に進んだ後に僕がついてきていない事に気付くと、振り返って首を傾げた。


 「どうしたの?」


 彼女は何も考えていないのか、或いは何かの策略なのか、惚けた笑みを貼り付けていた。どちらにせよ、僕は何かに導かれるように、とある質問に行きついた。


 「奏はさ、好きな奴とかいないの?」



 「……えっ?」



 僕の精一杯の勇気を感じた奏は、惚けた笑みから驚きの表情へと変化させ、頬を赤らめた。


 「い、いるけど……。正志君はどうなの?」



 予想外の答えと、上目遣いで向けられる不安そうな瞳に、僕はうろたえた。



 「俺は……わかんねぇ」


 自分でも背中を蹴り飛ばしてやりたくなるくらい僕は意気地なしだった。奏もさすがに暴力には至らなかったが、頬を膨らませ、不服を唱えた。


 「あー、それずるくない? 好きじゃなかったら、もう嫌いだよ。中間はなし!」


 「な、なんだよ、それ。滅茶苦茶じゃないか」


 「滅茶でも無茶でもない!」


 珍しく理不尽な事を言う奏に押され、僕は渋々答えた。


 「……どっちかと言えば、す、好きかな」


 僕の返答を受け、奏の顔は耳まで赤くなった。僕も自分の胸が高鳴り、体中に熱を帯びていくのが分かった。


 僕らは目を合わせられなくなり、お互いに関係のない方向を見た。


 僕の視界の外で、「ふうん。そ、そっか」と言う奏の声は、明らかに動揺していたが、不安そうではなかった。


 そして、お互いの想いを確認するように、小指を絡ませてきた。僕も抵抗はせず、それを受け入れた。


 指から奏の熱が伝わってきた。その熱量が僕の想いを加速させ、次の質問を絞り出す。


 「か、奏のさ、その……す、す、好きな人って、どんな奴なんだ?」


 自分でも野暮な質問だとは思った。しかし、腰抜けの僕はそういう回りくどい質問しかできない。奏自身もそれを受け止め、真面目に答えてくれた。


 「えっとね……なんか色々背負い込んじゃっている人かな。たぶん彼は不器用なんだと思う。周りに色々に気を遣い過ぎてなんだよね。きっと」


 「そっか」


 少しだけ、奏の言葉に切なさが含まれている気がした。だからという訳ではないが、僕は彼女の想いが叶う事を願って、言葉を付け加えた。


 「たぶん、そいつも奏の事好きなんじゃねぇの」


 「どうかなぁ?」と呟く奏の指に力が入った。でも、痛くはなかった。


 それが私の言葉をよく聞いて欲しいと訴えているような気がして、僕は反らしていた顔を奏へと向けた。


 彼女はすでに僕の方へ視線を戻しており、目が合った。照れくささはあったが、それよりも彼女の眼が潤んでいたので焦った。


 「彼はね、いつも辛そうな顔してて、よく分かんない。人間ってさ、本当はすごくもろい生物なんだと思うの。だから、その人の心が砕ける前に、もっと自由に生きて欲しいって思うんだよね。じゃないと、見てるこっちが辛いよ」


 笑ったはずの奏の眼から一滴の雫が零れた。


 それは、朝陽を浴び、宝石のように輝き、僕はその雫がとても綺麗だと思った。


 しかし、少しだけ心苦しく思えた。


 それは、彼女の「想い人」への愛情の誠実さを感じ、ずっと独り善がりだった自分がちっぽけに思えたからだ。


 「な、泣く事ないだろ」


 もっと心に響くような台詞を言えたら良かったが、僕には人の心を動かす才能はないらしい。


 奏は僕の言葉を受け、自分の眼から零れた涙に気付き、慌てて拭った。


 「あ、ごめん。別に泣くつもりじゃなかったんだけど……あれ、あれ……涙が止まんない。ごめん。ホント、ごめん……」



 彼女の涙は止まらなかった。


 次々に溢れ出し、今まで彼女の笑顔の裏に隠されていた苦悩と、見せかけじゃない優しさを感じた。


 人の事を笑顔でしか勇気付ける術を知らない彼女は、どんなに辛くても、悲しくても、それに耐え、「想い人」の事を想って笑顔を絶やさなかった。


 世間では、それを不器用と言うだろうが、不器用な優しさは時に美しいのだと知った。


 「いいって」


 僕は小指だけ絡ませていた手を繋ぎ直し、抱きしめるように力強く握った。それが不器用な僕が出来る精一杯の優しさだった。


 そして、「辛い想いをさせて、ごめん」という言葉は、胸の内で留めると、代わりの言葉をかけた。


 「ありがとうな」



 朝を迎えたばかりの県道は、まだ交通量がまばらで、普段よりも速い速度で車が駆け抜けていった。


 彼らには、手を繋ぎ合う僕らは、背景の一部にしか映らないだろう。


 しかし、そこには確かに冷えた心身を温め合うだけの熱があって、桜咲く季節を待ち侘びる若者がいる。



 そんな若者には、茫々(ぼうぼう)とした世界と茫漠ぼうばくな時間が待ち構えており、それ故に不安が大きい。


 どこへ向かえば正解なのかと翻弄し、間違った道へと進んだのではないかと後悔する。


 しかし、それは間違えではない。


 正解も誤りもなく、それは通過点にしかすぎないのだ。



 遠回りをしたってもいい。


 運命は誰がどう足掻こうとも進み続けるのだ。



 時は皆平等に与えられるが、進む早さは其々違う。時をさかのぼる事が出来ないのであれば、それらを「思い出」として胸に刻み、未来へ進むしかない。



 立花はいなくなったが、僕のなかで彼女は存在している。そして、目の前には奏がいる。



 僕は腰抜けで、腑抜けで、阿呆な男だ。だから、人の手助けを受けなければ、未来へ進めない。


 でも、そのなかでも、もし僕に出来る事があるとすれば、僕も誰かの——支えになりたい。




ようやく結ばれそうなふたり……(。-∀-)

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