4 部屋の外で
スラム街においてトイレとは共有されるもので、個人での所有率はかなり低いと認識できている。
清掃業につく奴隷がいる関係上、道端に汚物が放置されてることは少ないが、協同トイレを利用しない者もいるため、異臭自体はそこら中に漂っている。
そんな知識を確認しながら扉に手をかけ開け放つ!
あぁ、萎える。目の前に広がる、いや、たいして広がらない視界に収まる範囲に、テンションは急下降した。ゴチャついているってのが率直な感想だ。
雑な作りの木で出来たボロ屋や、数本の支柱にボロ布をかけただけの物、まともに家と呼べない家が視界を埋め尽くした。そこには同じようなボロ着をまとった痩せこけた老若男女も目につく。
特に皆仕事をしているふうには見えないな。てことは確信をもって言えないが、ここはスラムでも生きることに意欲をなくした連中のいる地域だろう。
奪われる事になれ、奪う側にはなることのない住人達。そんな住人が集う場所には奪う側も滅多によってこない。そりゃそうだろう。奪うものなんて命しかないような状況だからな。
そんな思考の海にダイブしていると俺を見た住人の数名が、俺を見て吹き出しやがった。特に頭をみているようだ。しかし、ほとんどの住人は無関心か怯えた表情を向けてくるだけで、笑った奴らに視線を向けるとさっさと逃げて行きやがった。
俺はそんな連中を無視して当初の目的を達成させるために動き出した。
半分腐ったゴザのようなもの上に寝転がる男性に近づき声をかけることにした。
「すまないが、便所はどこにあるだろうか?」
少し様子を見ていたが返答はない。無視されたのだろうかと、一瞬疑問を浮かべはしたがそうでないことにすぐ気が付いた。そりゃそうよな。このおっさん死んでるしな。
日本でこんなこととに遭遇したなら、何かしらリアクションしてしまうだろうが、何故か俺はなにか感じること無く冷静に次のターゲットを探そうとしていた。
他の人に声をかけるまでもなく、近くで様子を見ていた老人が協同トイレはあっちにあると教えてくれた。俺は感謝の言葉を述べ、トイレがあると方向へと歩みを進めていく。
途中何人かに指を差されて笑われたが、俺は全くそれに対して反応を示すことはなかった。
「くっせー!」
トイレと思わしき掘っ立て小屋に近づくと無反応ではいられない悪臭に思わず叫んでしまう。これはダメなやつだ。本当にダメなやつだ。
スラム全体が臭い。俺も臭い。スラムの住人と同じような匂いのする俺。しかし、何故か耐えれる。しかしこれはダメだ。語ることさえおぞましいレベルの匂い、そして掘っ立て小屋の周辺は…。
うん、諦めよう。別のもっと綺麗なトイレを探そう。
気持ちを切り替え歩くこと数分。俺の呼吸は乱れに乱れていた。そこに追加で滝のように滴る汗。日本にいた頃は数時間歩き続けても差し障りの無い体力があったはずなのに。ぜーはーしながらこの罰の辛さをまた一つ理解させられてしまった。
老いて不健康に太った奴らはみんなこんな苦労をしているのだろうか? 罰としての不摂生、これが努力で痩せれるのなら絶対に痩せてやろうと誓った瞬間でもあった。
トイレは諦めそこらで放出すればいい。そう気持ちを切り替えた俺は部屋に戻ることにした。呼吸もだいぶ落ち着き、汗の出もかなり治まった俺は周囲を見回し、ふと気がついた。
帰り道がわからないと。さっきかいた汗とは違う汗が噴き出る。
しかしここである考えが頭をよぎる。無理に戻る必要はない!一旦女に世話になればいいのだと!
俺の頭は腐っていたのかもしれない。数人の女性を物色し、目星をつけた女性に声をかけた。
「あのー、すいません、道に迷ってしまっ…」
「ひぃぃ」
女性の怯える姿に色々思い出し、何してんだ俺はと崩れ落ちそうになる。しかしそこは耐えるべき場所で、膝に気合をいれくらつく意識を正常にしようと耐え忍んだ。
しかしふいに姿見に写った自分の姿が脳内に映像化され、そのせいでくらりとよろけてしまった。よろけた拍子に近くにいた男性にぶつかると、小さい悲鳴を上げながら男性は地面に倒れこんでしまった。
住人達が貧弱である事と、体格差によって簡単にふっ飛ばしてしまったようだ。
「て、てめー、なにしやがんだ!」
男性は怒りから俺に向かって怒鳴っていたようだが、俺はいまだにくらつく意識に気合であがなっていた。そんな様子に無視されたと思った男性は立ち上がり、なお語気を荒げ怒鳴りつけてきていた。
「そこの豚!無視してんじゃねーぞ!聞いてんのかっ!」
「…す、すまない」
なんとなく状況を理解していた俺は絞りだすように謝罪をのべる。しかし、そんな謝罪に納得出来ない男性は怒り顔で俺に近づく。その瞬間俺の頬に痛みが走った。はっきり言ってたいした痛みではない。それでもその衝撃は俺の視線を男性に向けさせるのに十分だった。
「そんな謝罪で許されるわけねーだろうが!」
痩せてボロをまとった男性。40代くらいだろうか?いや、多分もっと若いだろう。栄養が足りず苦労していることが男性を老けさせているように感じる。怒りの表情で男性は再度俺に近づき、太もも辺りに蹴りを入れてきた。
貧弱な体から繰り出された蹴りは、子供に蹴られた程度の痛みしか感じさせなかった。身にまとった脂肪に、がりがりの男性の蹴りは通じることはない。
だが俺の心は冷静でいられなかった。無残な死、理不尽な神の罰、指を差され、そして殴られて。
多少の悪態はついていた。現状を受け入れそれでも神にあがらってやろうと思っていた。冷静であろうと、なんとかしてやろうと、わずか数時間足らずで辿り着いたこの現状。
見てみないふりしてたんだろうな。どこかでこれは現実じゃないと思っていたんだろうな。
実際には俺の心に大きなストレスを与えていたようで、この男性とのやりとりで俺はキレてしまったんだと思う。
表情が歪むのを感じる。怒りに任せて大きく歪むのを。そのさまを見た男性の顔にに不安と焦りが浮かび上がる。
「な、なんだよぅ」
少し弱々しい声を発した男性に、俺は腕を振り上げ、力の限り平手で頬をはたいてやった。瞬間、男性は視界から消えるように吹き飛び、近くのぼろ小屋の壁に激突した。壁は半壊し、男性は上半身をそこに突っ込んだままピクリとも動かない。
怒りと興奮の混ざり合った俺はそんなことお構いなしに男性へと近付くと、見えている下半身を全力で蹴りあげてやった。
周囲から上がる悲鳴と怒声。野次馬と化した住民が俺を遠巻きに囲み、様々な声をあげていた。その中から数人の男共が飛び出してくる。その手には木片を握りしめた状態で。
「おい! てめー、ハンスになんてことしやがんだ!」
怒りに表情を歪めた男共が俺に怒声をぶつけながら囲んでくる。
「ハンスの仇だ!」
そう叫んだ男を次のターゲットにした。俺のほうが怒ってんだ! 近付く男にこちらから逆に近付き、力任せにまた一撃平手を浴びせてやった。しかし、俺の攻撃はここまでだったようだ。
「がっ!」
後頭部に強い打撃を受け、動きを止めた俺に続けざまに衝撃が走る。後頭部を両手で抱え込みながら倒れ込んだ俺に、容赦なく木片で叩き続けられた。
ただ耐えるだけの状況。そこに不吉な言葉が届けられる。
「いいもん見つけたぞ! これでぶっ殺してやる!」
少し意識が混濁する状況、かすれた視界に飛び込んだのはいつのまにやら俺から奪ったナタを振り上げる男の姿だった。
そ、それは本気でまずい! そう感じた瞬間にはもう手遅れだった。
何度も叩き続けられるナタにより、頭部をかばっていた手は千切れ飛び、そのまま頭部に深い切り傷を刻みつけ、声も上げれぬまま俺は意識を手放した。
これは確実に死んだな。
「こうくるかー、ないわー」
姿見に映る俺の姿を見、脆くも俺は崩れ落ちた。




