お坊ちゃまとメイド
借金のために両親に売られた私が、たまたま変わり者の公爵家に拾われて以来、私は三男である坊ちゃまにお仕えしている。
国一の美男で怜悧だと評判の坊ちゃまだが、その実極度の甘えん坊で面倒くさがりだ。
二人の兄君と違い、妾腹な挙句にその母上まで早世されて、一族や王家からつまはじきに…なっても良さそうだったのに、容姿が可愛らしかった為と、亡きお母上のお人柄のお陰で、王家のご親類は元より、異母兄、果ては本妻の大奥様にまで可愛がられている。
お陰で坊ちゃまはうまく人に甘える術を身につけてしまった。
煌びやかかつ、政治的な王家の世界で生きて来た為か、お坊ちゃまはすっかり色恋沙汰には疎くなっていた。
そんな坊ちゃまがお見合いを兼ねた茶会を開くと言いだしたのは、薔薇が美しく色づく頃だった。
「あの娘からの茶会の返事が届いたよ!参加してくださるそうだ」
さながら宝石のように美しいと評判の瞳を更にキラキラと輝かせながら、坊ちゃまは掃除中の私にそう言った。
それでも私は箒を動かす手を止めなかった。
「あの娘って…この間言ってた服屋の息女ですか?」
「そう。僕がたまたま姫姉さまに頼まれたドレスを取りに行った時に対応してくれた娘さん。すごく美人の」
今、この国で一番評判の服屋。その他商売を手広くやっているようだが、衣服の造形が一番人気で、それは王家の多感な姫君達にも例外ではなかった。
多忙な姫君達に頼まれて、坊ちゃまが店に出向いた時にその娘と出会ったのだと、前話していた事を思い出した。
「僕はね、彼女に一目惚れしたんだよ」
「いやらしい目で娘さんを見たわけですか…」
「否定はできない!」
嫌味を意にも介さず、坊ちゃまは朗らかな笑顔でそう言った。
完全に舞い上がっているようである。
「でもビビッときたんだから仕方ないよ。この機会に彼女とぐっとお近づきになるつもりさ」
「…よく旦那様がお許しになりましたね」
息巻く坊ちゃまを無視してそう言うと、坊ちゃまはまた笑顔で頷いた。
「僕には浮いた話のひとつも無いって父さま嘆いてたからね。お見合い話からもずっと逃げ回ってたもんなぁ…だから相手がどんなでもとりあえず結婚してくれれば良いって」
「私はてっきり、坊ちゃまは男性に興味がおありなのかと」
「違うよ」
すっぱりと、何処か必死そうに否定して坊ちゃまは首を振った。
「きっと姫姉さま達を間近で見過ぎたせいさ」
「確かに王女様方は皆さま中身も外見も美しいですけど」
数々の女性に甘やかされてきた坊ちゃまだ、そのせいだと言う事は否定できない。
坊ちゃまは夢でも見ているかのように、上気した頬に輝く笑みを浮かべて目を閉じた。
「きっと彼女は素敵な女性さ…」
かつて私が見たことのない表情で、その真意がわかる。
「素敵な女性は坊ちゃまなんかに見向きしませんよ」
「そそ、そんなことない!」
本人からそう言われたわけでもないのに、坊ちゃまは必死に腕を振ってそう言った。
数日後、つつがなく茶会は終了し、主催の坊ちゃまは疲れを隠す事もせず寝台に身を沈めていた。何故か私を呼び寄せて。
「いやぁ…やっぱり彼女は素敵な人だった。うん、大好きだ」
「そんな事を言いたかったのですか」
「うん」
否定せずにハッキリそう言う坊ちゃま。他の使用人の前では怜悧な態度を崩さない癖に、私の前では甘えた態度をまったく隠そうともしない。普段ならともかく、今はそれが切なくもある。
「君のお陰なんだ…話が盛り上がったのは」
「どういう意味です?」
「彼女の使用人がね、君によく似てるって。髪も目の色もそっくりで双子みたいだって」
「…まあ私の顔は十人並ですからね。そんな事もあるでしょう」
私がそう言うと、坊ちゃまは突然がばりと顔を上げ、射る様な目付きで私を見た。
「そんなことはない。君は美しいさ!僕のお気に入りだよ。僕、結婚できなかったらもう君を娶るしかないと思ってたくらい」
そう言われて私の心は激しく動揺していたのだが、悟られないようにそっと顔を伏せるに留まった。
心音を落ちつけながら、私はこっそり息を吐く。
「ではどうしてそうなさらなかったのですか?」
「え…?それは、」
坊ちゃまも視線を枕に落とし、瞳を震わせた。
「彼女に会ってしまったから」
それは単純な真理だった。彼女に恋をしてしまった。それが全て。
彼女の事を思い出しているのか、とても幸せそうな横顔だった。
初めて会った時の、母親を求めて甘える子供のような彼ではない、知らない表情だ。
「相変わらず、夢見がちですね」
私は呆れのため息をつきながら、そう返した。
坊ちゃまは顔を持ち上げてへらりと気持ちの悪い笑みを浮かべた。
「ロマンチックって言って欲しいなァ。そういう君だって僕の奥さんになっても良かったのかい?」
私は坊ちゃまに背を向けて、それから小さく呟いた。
「…今更ですよ」
「ん?それはどういう意味だい?」
問いかける坊ちゃまを無視して私はドアノブに手をかけた。
「さあ。甘えてないでご自分で考えてください」
少し笑いながら私はそれだけ言い残して、坊ちゃまの部屋を後にした。
連載の体裁をとっていますが、ただ短いお話2編で終わるので分けたまででした。
ちなみにこの2編のお話は、元々創作イラストのポストカードのイメージ小説として書いたものでした。
この時点では「本屋と禁書の王子様」はまだ構想すらなかったように思います(笑)