お嬢様と使用人
あらすじにも書いた通り「本屋と禁書の王子様」の番外編にあたるお話です。
ですが、こちらの方が先に書いたものなので、単体として読めるかと思います。
具体的なキャラクター名は出てきません。
借金のために両親に売られた私が、たまたま人の良い商人に拾われて以来、私は一人娘のお嬢様にお仕えしている。
お嬢様は明るく清廉で評判の美人だと言われているが、その実じゃじゃ馬で現実主義者でもあった。
年頃の乙女ならば色恋の話でもしそうなものであるが、お嬢様の話に上るのはいつも商売の事ばかり。一代で成りあがった旦那様の後を継ぐ、という責務のせいもあるかもしれない。
そんなお嬢様が、公爵子息の茶会に呼ばれたのは薔薇の花が咲く頃だった。
お茶会から帰って来たお嬢様は、あまり機嫌が良いとはいえない顔をしていた。
「お茶会自体はとっても楽しかったのよ。だけどうちのお金目当ての男性参加者は良い迷惑だったわ」
お嬢様は好きなブレンドのハーブティを呑みながらそう報告した。お嬢様は公爵子息の茶会に呼ばれるような身分では無かったが、何を間違ったのかその招待状が彼女の元に届いたのだ。元々貴族と結婚して家名を上げ、家を守る事がお嬢様の夢ではあったが、成りあがり商人というのは貴族の中での評判はあまりよくない。だが、没落寸前の貴族ならば話は別だった。
「没落貴族といえど貴族は貴族。その名だけでも金で買って、のしあがる方が堅実では?」
「もう、貴方って本当に意地悪ね」
正論だわ、と言いながらもお嬢様は不機嫌だ。
ふ、とお嬢様はティーカップに視線を落とした。
「でも私、公爵子息が良いの」
僅かに朱を差す白い頬、潤んで揺れる青い瞳。かつて私が見たことのないお嬢様の顔だった。
その意味するところは長年お嬢様の傍にいた私にはすぐに理解できた。
「そういえば、あの方のお側にいた女中さん…。とても仲が良さそうだったわ」
もしかしたら良家の息女なのかもしれないわ、とお嬢様は呟いた。
「気になるのですか?今時流行りませんよ、女中と主人との色恋など」
「あら、あり得ない話じゃないわよ。それに私が気になっているのはそればかりじゃなくて…あの女中、貴方に似ていたと思ってね。何か親近感が湧いてしまったのよ」
「そうですか」
所詮十人並の顔をしている自分だ。似ている者がそのへんにいたとしてもおかしくは無い。
「髪も目の色もとてもそっくり。双子みたいね」
「…そうですか。それより子息の話はもうよろしいのですか?貴女が目を付けていて、国一番の美男と評判だそうじゃないですか」
「目を付けていたなんて、憧れていたと言って頂戴」
頬をぷくっと膨らませながらお嬢様はそう答えた。
「愚昧なお嬢様を公爵子息が本気で見初めるとお思いで?」
お嬢様のそんな顔を見ていると、ついつい意地悪を言いたくなってしまう。
普段ならば、こんな程度の嫌味などには負けない皮肉を返してくるのだが、今日は少し違っていた。
お嬢様は、そうねと元気なく呟いて白いカップを手遊んだ。この程度の事でお嬢様は傷ついてしまったらしい。
しばらくお嬢様は目を眇めてカップの底を覗きこんでいたが、突然パッと顔をあげた。
「でも、私諦めません。貴方、訂正するのは今のうちよ」
「…それでこそお嬢様」
不敵に笑う顔はいつも私に挑戦してくるお嬢様と変わらぬ顔をしていた。
私はお嬢様のそんな顔が嫌いでないから、つい見たくなってしまうのだ。
だが今回は私の胸中も複雑であった。
「問題だけは起こさないようにお願いします」
「私を何だと思っているの。それに…私が子息と結婚すればもっと商売の幅は大きくなって貴方のお給料もあがるわよ。少しは協力してはどうなの?」
「別にあがらなくても良いです。使い道も無いですし」
「あら、いずれ貴方に家族ができたらそんな事言えなくなってしまうわよ?」
「………いいえ。そんな事にはなりませんよ」
私はきっと、もう結婚できそうにない。だがお嬢様にだけはそれを伝えるわけにはいかない。
私は目を閉じて、小さい頃のお嬢様とその家族を思い出していた。
「私は充分に高給取りです。貰いすぎなくらいですよ。今まで頂いた分も全て貯めていますし」
「まあ。おかしな人ね」
と言いながらお嬢様はころころと笑い、カップを机に置いた。
帰って来てから初めて、お嬢様はようやく笑った。
「でも…貴方、昔に一度だけ私に贈りものをくれたわ。綺麗なお洋服をきたうさぎのぬいぐるみよ」
お嬢様の部屋の窓辺にずっと置かれている古ぼけたぬいぐるみ。最初は白かったウサギも、今では茶色くなっている。それでもお嬢様のお気に入りの服だけは彼女がずっと綺麗に洗濯をして繕い続けてきたおかげで、今でも輝きを失ってはいない。
「…あの時限りですよ」
「そうなの?どうしてあの時だけ?」
「…」
お嬢様の問いには私は何も答えなかった。
「やっぱりおかしな人ね」
何も応えない私に苦笑いを返しながら、お嬢様は立ちあがってカーテンを開けた。
夕焼けが庭園に覆いかぶさって、白い薔薇を染め上げている。
「でもね、私、あの時の贈りものが人生の中で、一番嬉しいものだったのよ」
そう言いながら笑うお嬢様の顔は、当時のように無邪気で、それでも大人びた美しさが花のように綻んで、私にはとても眩しいものに見えた。