太陽とお月さまのこども
白い冬が街をすっかり覆い尽くした十二月のある日。
彩度を落とした外とは対照的に暖かで和やかな、ギルド〈三日月同盟〉の廊下にばたばたとせわしない足音が響き渡った。
「梅子ぉ~~、大変や梅子! うちの子が! 元気で可愛くて一所懸命なんが取り柄のうちの子たちがぁ……!」
バァン、と。泣き言とうちの子自慢を同時にわめき散らしながら、豊かな胸元をふるわせて執務室の扉を開けたのは、アキバの向日葵ことエルフの〈施療神官〉マリエールだ。
一見すると綺麗でたわわなお姉さん。けれど今のマリエールの表情はと言えば、大好きな絵本を誤って破いてしまった子供のような、つまり今にも泣きだしそうな幼子の風情。
対して蜂蜜色の髪を丁寧に結い上げて、細い銀縁の眼鏡で理知的な輪郭を彩っているのはマリエールのお世話係、〈吟遊詩人〉のヘンリエッタである。
彼女はこれまでひとりきりだった執務室の中でも美しく背筋を伸ばし、今もまたまったく驚きを示さない優雅な手つきで口元に運んでいた茶器を受け皿に戻した。
薄い唇が呆れたように言葉を紡ぐ。
「まったく……ギルドのお手本であるべきギルマスがどたばたわーわーとみっともない。それと、梅子は止めてほしいと何度も言ってるでしょう、マリエ」
そう言うとヘンリエッタは新しく紅茶を淹れ直すために立ち上がった。この騒がしい昔馴染みを落ち着かせるには、まず口に何か放り込むのが一番だと知っているのだ。
美味しくて甘いものなら効果は抜群。幸いにして今日のお菓子は近ごろ行列の出来る店としてアキバで評判の、ギルド〈ダンステリア〉の糖蜜タルトだ。男性ならひと口でお腹に収めてしまうほど小さなタルトだが、舌の上でほろりと解けるバターと糖蜜、そしていじらしく隠れていた仄かなレモンの香りときたら。何ごとかにショックを受けてわなないているマリエールの口元を一瞬でほころばせるのに十分だろうと予想ができる。
現実世界で買おうとしたら目の飛び出る値段のつきそうな、美しいロイヤルブルーのティーセットを繊細に操りながら、ヘンリエッタはまだ入り口に突っ立ったままのマリエールに入室を促す。
「まずは扉をお閉めなさい、他のメンバーが何ごとかと心配するでしょう? それと貴女ももういい年なんですから、もう少し大人の慎みを身に着けてくださいな」
当てつけられたマリエールが唇を尖らせる。
「自分かて年のわりにはフリフリ可愛い服着てるくせにぃ」
「こ、これはヘンリエッタというキャラクターに合わせているだけですわよっ。それにマリエほど無闇に肌をさらしたりもしてません。この寒い中、どうしてそんなに胸元の空いた服ばかり選ぶんですの」
普段から鷹揚に上品にとふるまう彼女だったが、親友のマリエールの前では少しばかり地の性格が出やすいようだ。そしてそれはマリエールの方でも同じことであるらしく、ぷりぷりと膨れっ面で腕を組む様子にはとてもではないが、みんなの憧れのお姉さんなどという面影はない。
「しゃあないやん、胸のサイズがなんでか現実世界と同じに変わってしまっとるんやもん、色々着たくてもめったに合う服が見つからへんのっ。それに首元が詰まっとる服ってなんや息苦しくて落ち着かないやろ!」
反論しながら組んだ腕を更に寄せると、持ち上がった胸が部屋着のニットからはみ出しそうに見える。確かにゲーム時代の彼女はこれほどグラマラスなシルエットをしていなかったように思うが、ならば彼女のアバターは顔立ちだけでなくスタイルまで本人に似せて変化したのだろうか。ざっくりと開いたV字の胸元は、例えば純情な小竜などが見たら刺激の強さに耳やら尻尾やらが飛び出しそうだ。
おそらく本人には自覚がないだろう無駄なお色気という名の暴力に、ヘンリエッタは深くため息をついた。
「まったく、そうやって油断した服装でいるから体型だって油断したものになるんですわ。知りませんわよ、いくらおぱんつ大好きな直継さんだってあんまり尻軽な行動していたら呆れて別のお相手を探してしまいますからね?」
「なっ、なんでそこで直継やんが出てくるの、関係ないやんか!」
「関係ないと言うならそのままでいればいいと思いますけど、誤解されたくないならせめて下にもう一枚重ねて着るようになさい、みっともない」
「うう~、どうせみっともない駄肉ですよぉだ。梅子のいけず」
ヘンリエッタの指摘を曲解したままマリエールが拗ねる。が、その誤解を解くことはせずに、ヘンリエッタはテーブルのセッティングに意識を集中し始めた。どうせここまでくれば会話という女の戦いの軍配はヘンリエッタに上がったようなものだ。
しばらく赤い顔であーだのうーだの唸っていたマリエールも、仕方なくといった様子で自分の定位置に腰を下ろした。座りざま近くに置いてあるお気に入りのクマのぬいぐるみを膝に抱えることだって忘れない。この執務室の調度は成人──してすでに数年が経過している──女性ふたりが使うには、少しばかり少女趣味なところがあるのは否めないところだ。
「それで、何があったんですの?」
フォークでタルトを切ったままなかなか口に運ぼうとしないマリエールに焦れて、ヘンリエッタが誘い水する。
しゅん、としょげた顔に変わったマリエールは、柄にもなくぼそぼそと口を開いた。
「あんな、うち仲間外れにされた」
「は──?」
ぽかんと口を開けるヘンリエッタに、涙目になったマリエールが訴えを続ける。
「せやから仲間外れっ。『マリエさんはダメです、今日はギルマスや班長に参加権はないんです』やって。どうしよう梅子、うち少しは慕われてるって思っとったんやけど勘違いやったんかなあ? それともあれか、思春期特有の反抗期ってやつやろか? 明日架もリリアナもアシュリンも他の子も、みんなして出かけるのになんでうちはあかんの? ずるい、ひどい、ギルマス差別や!」
まさか本気で差別だイジメだとは考えていないだろうが、それにしては大仰に騒ぎ立てるマリエールである。
思いがけない話の切り出しにヘンリエッタも細い眉をひそめた。
「もう、少しは落ち着きなさいマリエ、急にまくしたてられても何の話か分かりませんわ。うちの子たちがどこへ出かけるですって? ……ああ、そういえば今夜は何人か外泊の届けがあったみたいだけれど」
学生寮などとは違い、基本的にギルドメンバーが外泊しようと何か罰則があるようなギルドではない。が、アットホームを売りにしているこの〈三日月同盟〉では、確かにメンバーの外泊自体が珍しくはある。
「それや。あんな、今日あの子らな、余所のギルドの女の子たちと集まってパジャマパーティするんやって。しかもわざわざ余所に宿を借りてやで? 集まりなら三日月の大部屋使ったらとも言うたんやけど、それじゃ意味がないって断られてな」
「ああ、なるほど」
パジャマパーティという言葉に心当たりを見つけて、ヘンリエッタはひとり得心する。が、そのそっけない応答に臍を曲げたのか、マリエールはクマのぬいぐるみにがば、と顔を埋めてしまった。
「ああもうなんやの、もしかしたらパジャマ女子会って十代限定?! 年増はお呼びやないて暗にそう言われたんやろか。梅子ぉ~うちはさみしいっ。うちかて十代女子会に紛れ込みたいっ」
最後のほうは趣旨が違っている気がしなくもないが、賑やかな集まりが好きなマリエールのこと、参加を断られたのが相当こたえたのだろう。しょうがないわね、などという感想を口には出さず、ヘンリエッタは親友を慰めようと指先を伸ばす。
クマに顔を埋めたままのマリエールをそっと撫でると、くすん、と鼻を鳴らすのが聞こえた。そのまま何度か髪を梳いていると、マリエールの体から徐々に力が抜けていく。彼女に聞く姿勢ができるのを待ちながらヘンリエッタはゆっくりと言葉を探した。
「最近ね、流行っているみたいですわよ、同じレベル帯の女の子で集まるパジャマパーティ。ほら、この間のルグリウスの事件の後レイネシア様の執務室でみんなで大騒ぎしたでしょう?」
ヘンリエッタの言葉にぴくり、と反応して「ああ……あれ、楽しかったなぁ」とマリエールが小さく呟く。
十二月の始め、一振りの小太刀に端を発したあの忌まわしい人斬り事件は、半月ほどの時間をかけて『水楓の乙女たち』の手によって解決を見た。
それはレイネシアやアカツキという未成熟な少女たちだけでなく、ヘンリエッタやマリエールにとっても大きな挑戦だった。何しろ初めての大規模戦闘参戦、マリエールに至っては第一ヒーラーという大役まで務めおおせたのだ。
当然、その打ち上げは年代、ギルドの別なく大いに盛り上がった。つまりは過酷な試練を乗り越えた少女たちの、パジャマパーティの名を借りた大はしゃぎである。
そのあまりの弾けっぷりになんとなく秘密にしていたはずの会合の様子が、事件解決のニュースと共にどうやら少しずつ広まっていたらしい。
「そもそもが〈衛兵〉を相手にした、戦闘行為禁止区域内でのレイドなんて前代未聞の事件だったでしょう? その上、それを解決したのが有名〈冒険者〉や有名ギルドじゃなく、一般の女性〈冒険者〉たちだったって言うんですから……」
その華やかさ、輝かしさへの憧れもあるのだろう。けれどそれ以上に、彼女たちは実感することができたのではないか。
女の子だってレイドを戦えるんだ──
大手ギルドじゃなくたって、戦いの役にたてるんだ──
「憧れるんでしょうね。わたしだって、エルダー・テイルを始めたばかりの頃は有名なプレイヤーの話を聞くたびに憧れたり羨んだりしたものですわ」
「ああ、あったなあ……どこそこのギルドでこんなんやったらしいで、ええなあ、いつかはうちらもやりたいなあって」
「それがいつの間にか新しく始めた子たちの相談役みたいになってしまってね」
「あの頃はまさかギルマスやるなんて思いもせんかったなあ」
ですからね、と眼鏡の奥の目を細めながらヘンリエッタは続ける。
「優しく丁寧に教えてもらうばかりじゃなくて、憧れを共有して夢を語る──あの子たちにだって、そういう機会が必要なのですわ。いくらうちが初心者支援を目的にしていても、新しいことを始めようとする子たちの邪魔はできませんわね」
もちろん、みんなで集まって楽しい話をしたからって、それがすぐ憧れた〈冒険者〉の姿に近づく道にはならないだろう。けれどどんなささいな一歩だって、憧れへの一歩には変わりないのだ。
ぎゅう、と強くぬいぐるみに抱きついてから、マリエールが「なあ、梅子」と静かに呼びかける。
「……もしかしてうちら、子離れの時期とかきとるん?」
「……結婚もしないうちからこんな気持ちになるなんて思いもしませんでしたわね」
そういうと二人は目を見合わせて困ったように笑う。
この寂しいような後押ししたくなるような、そして誇らしいような気持ちは、これでなかなかの役得だと思う。
「ああ~でもやっぱり寂しい! うちかてあの子らとまだまだ一緒に楽しいことしたい!」
「その機会なら今日じゃなくたっていくらでも作れるでしょう? お嫁にだすわけじゃないんですから」
「それはそうなんやけどっ、他で楽しいことしてるって知ったら羨ましいやんか~。うちも遊びたいっ、わいわいしたいっ」
頭痛をこらえるような仕草でヘンリエッタが眼鏡を上げた。そうして仕方ないといったようにため息をつくと、ぶーぶーとだだをこねているマリエールに向かって口を開いた。
「それでは鞠絵、わたしにひとつ提案があるのですけれど」
こうやって甘やかしてしまうのがよくないのだと分かってはいたけれど。
「このお茶を飲んで、タルトを全て征服してしまったら、久しぶりにわたしの部屋に泊まりにきませんこと?」
「お泊り? 梅子んとこに?」
抱きしめていたクマのぬいぐるみから勢いよく顔を上げて、大きく目を見開いたマリエールがヘンリエッタを見つめる。まったくこの親友ときたら、昔からヘンリエッタに甘えるのがひどく上手いのだ。
遊んでくれるのを待つ仔犬のような。
妙齢の、同性のヘンリエッタから見ても魅力的な、大人の女性が見せるてらいのない甘えの表情。
この顔を独り占めしていることに奇妙な満足を感じながらヘンリエッタは誘いを続ける。
「ええ。以前はしょっちゅうだったでしょう? 〈大災害〉よりも前の話ですけれど」
「せやなぁ、梅子の部屋にPC持ち込んで、一緒に日付変わるまでエルダー・テイルにログインしてな、なんや懐かしいなぁ」
「たまには二人でパジャマパーティも悪くないと思いますわよ?」
「悪くない、最高。したらうち、ギーロフにお夜食頼んでくるなっ」
「ちょっとマリエ、まさかそれ以上そのぽよんぽよんの身体を育てるつもり?」
「ええやん、夜中までずっと喋っとったら絶対おなかすくもん。梅子~今夜は寝かさへんから覚悟しときっ」
「だから梅子はやめてっていってるでしょう!」
その夜、マリエールとヘンリエッタが《三日月同盟》のお料理班ご自慢のミニ中華粽に舌鼓を打っている頃、アキバの街のとある宿屋の一室では、集まった少女たちがそれぞれギルドの先輩の自慢話に花を咲かせていた。
どちらの部屋も日が変わりしばらく経つころまで、灯かりとにぎやかな話し声が消えることはなかった。
アキバの街はもうすぐ、新しい一年を迎える。
夏コミのお呼ばれ用に書いていたものの、なんだか焦点がぼやけたのでボツったものです。ちょいと手直ししてリサイクル~(もったいない精神)