地の底で……邪悪な最弱と、純粋な涙
一部、グロテスクな描写があります。
実はマイはそんな望月の吐いた大言壮語をあまり当てにしていなかった。
いや、少し冷たいと思われるかも知れないが。最近のマイは望月に対し、ちょっとした落胆を抱いていた。
頼れそうな言葉だと思ったが、残り時間が五日となった今日まで、動きを見せようとしないのだ。
マイはもう、望月は諦めたのだと思っている。
しかし、それも仕方ないとも思っていた。必要以上に広いダンジョンを作ってしまったせいで、全体の瘴気濃度が薄れるという自体に陥った。
瘴気が濃ければ、魔物は強くなり。自然発生する魔物や、瘴気に誘われた魔物がダンジョンに入り込み、結局はダンジョンの強さそのものが上がるという設定なのだ。
しかし、いくら広くても瘴気が薄ければ。雑魚の魔物が少量しか登場しない。
だからこそ、プレイヤーは瘴気の多い場所を選んだ。
しかし、彼は選ばなかった。
マイはそれを考えのあってのことだと思ったが、彼の策は実現が恐らく不可能と思われるもの。
魔物を殺し合わせて瘴気を発生させる。
その発想自体はよかったが、それでは大量のウィークをトレードで買い、殺さなくてはならない。
それなのに彼は。
瘴気も堪り、魔物も増えて、D通貨まで増える方法がある、と、胸を張って言ったのだ。
しかし、それ以来。彼はウィークと戯れたり、造りかけのダンジョンの中を詮索に言ったりするばかりだ。
マイも半分、己の人生を諦めかけていた。
だって、彼が死ねば、彼女も死ぬしかないのだから。
「ハア……もうダメかなあ。このダンジョンに満ち足りた瘴気なんて、あれだけのD通貨で出来っこないよ……」
残りは五日。それは死のカウントダウンのように感じられていた。
現在、望月はこの部屋に居ない、ここ数日、決まった時間にこの部屋を出ていくのだ。
「もうアキラも、諦めちゃったのかなあ……あれだけ胸を張ってたのに」
マイは力なく。ダンジョンコアの部屋を飛び回った。
すると、部屋の隅にあるビンを見つけた。
「……? なんだっけこれ。どっかで見たことあるような?」
そう言ってビンのそばに降り立つ。そのビンはピクシーの彼女にとっては等身大の大きさだ。だからプリントされたその文字も大きく、目に入った。
「えーと、媚……薬………………媚薬!? はあ!?」
マイの頭の中は、一瞬フリーズした後、一気に濁流が流れたかのように混乱した。
(何これ! 媚薬!? 見間違いじゃ……ない。嘘! アキラがコレを!? 相手は……ってここには私だけじゃん! ギャー! アイツ、死ぬ前についに自暴自棄に……最低最低最低最低……!)
「ウス、今帰ったぞ――」
「死ね! 変態!」
扉を開けた望月の顔面に弾丸ドロップキックが炸裂する。
その不意打ちをもろにくらい、望月は後ろに尻餅をつく。
額を押さえ、痛みに悶えながら当然の反論をする。
「何しやがる!」
「アンタは何しやがろうとしてんのよ! 死ね! 変態!」
「はあ?」
間の抜けた顔をする望月、罪悪感どころかまったく思い当たる節がないといったその顔に、マイは半ば呆れた。
「はああん、とぼけるつもりね……あのビンはどういう事よ!」
怒り収まらず、こめかみに血管を浮き上がらせながら媚薬のビンを指差す。
「あんた、この体に欲情してんじゃないわよ! このロリコン!」
「……あー、そういうことね……くくっ」
状況を理解した後、笑いを堪えた望月だったが、次の瞬間、積を切ったかのように笑い出した。からからとした笑いが部屋に響き渡る。
あまりにも予想外の反応で、マイはまるでドッキリにでもはめられたかのような感覚になる。
「な、何よう」
「……アホか。そんな目的に使うはずねえだろうが」
一通り、傍から見れば窒息しそうにも見える爆笑が引いた後、名誉のため一応怒鳴る望月。
「だったら何のために! しかもあんな複数本も!」
「全部空だったろ?」
「え?」
そう言われ、ビンを確認する。
確かに、中身はどこにも無かった。
「使用済み? え、どこで使ったの?」
さらにマイの顔が引きつる。
血の気の引き方が尋常じゃなかった。
「だから、俺が使ったんじゃねえって……あー、いや。説明してなかった俺が悪い……のか。覚えてるか、あの話」
「……あのウルトラCの方法?」
思い出したくも無い話を、とマイの表情に影が差す。
「そ、じゃあ説明するからホログラムを……因みに飯とか食ったか?」
思い出したかのようにマイに問いかける。その言葉は非常に歯切れが悪い。
「食べてないわよ?」
「うん、なら良い……正直きもい映像だけどホントに見る?」
「うん?」
疑問系を付けて了解するマイ。
望月はダンジョンコアをいじりだす。そしてある部屋の情景が映しだされた。
そこは地獄絵図だった。
「う、うげえぇ!?」
マイが本気の嗚咽を催す、中身があれば間違いなく吐いていた。
「おお、吐かなかった。さすがマイ」
「さすがって……ていうかこれ何よ……この『蠢くウィークの山』……」
その特大スクリーンに映し出されたのは部屋の天井に届かんばかりに詰め込まれたウィークの群れだった。
正方形の密閉されたその部屋に詰め込まれたウィークたちは外の空気に触れようとしてか、我先にと他の個体の体を這い上がり、最上の場に着いたのも束の間、他のウィーク達に呑まれていく、と言うのが延々と続いている。あちらこちらで共食いや、交尾らしき事をしているのが伺える。お互いがお互いの体で押しつぶしあい。ぐちゃりとそのパステルカラーの体液を飛び散らしている。この分では部屋の下層は全て押しつぶされて、ウィークの体液が溜まっているだろう。その小さな鳴き声もこれだけ居れば狂気に染まった悲鳴に聞こえてきそうだ。
共に喰らい合い、犯し合い、潰しあうウィーク達がそこに居たのだ。
「これは……なんでこんなことをしているの?」
背筋に氷柱を入れられたかと錯覚するようなほどの悪寒に耐えながら、震える声で尋ねる。
「大体分かるだろう? 瘴気を増やすためだよ、この部屋があともう九つある。」
「でも、これじゃあ……D通貨は……」
そう、これ程大量のウィーク……それを出現させるには。ショップで大量のD通貨を落とさなくてはならないはずだ。
そんな使い方をすれば、こんどは瘴気は増えても守衛するための魔物が手に入れる事ができない。
どちらにしても本末転倒なのだ。
その事を望月に言及しようとするのを遮って、望月は話し始めた。
「なあ。ウィークの生殖方法って知ってたか?」
「へ?」
未だに画面をチラリと見ては吐き気を催すマイを、少しおかしそうに見ながら望月は問う。
「魔物って生殖するの?」
「生きてる奴はな……知らなかったか。今まで何か発見しても知ってることだらけみたいだったから、ようやく、鼻を明かせたかな」
望月もスクリーンを見る。
その表情は全く、堪えた様子は無かった。
「ゴーレムの生殖は無かったが、まあ、ゴーレムって土塊の人形とか言われるくらいだし、魔物とはいえ、元から生物のカテゴリじゃないからだろうな。スライムは分裂で、そしてマッドツリーとミニコボルトとレッドバグとウィークが有性生殖だ」
「有性って……雄と雌で生殖するって事?」
「そうだ、そしてこの中でもウィークは雌雄同体の生き物でな。雄でもあり雌でもある生物なんだ」
「異世界にはそんな生き物が居るんだー」
マイは口をポカンと開け、感心する。
「……いや、普通にもとの世界でも居るんだけどな、アメフラシとかカタツムリとか」
それはともかく。と話を続ける望月。
「いつかウィークを数匹、とくに命令を出さず、ほっといた時があってな。そしたら次の日に小さいウィークが数匹増えていたんだ、俺も驚いたんだが……で、その時から生殖の実験をしだした、もしかしたら魔物不足をなんとか出来ると思ったからな」
「そんな実験もしてたの……」
そんな精神的にも辛い実験を一人で行っていた、行わせていた。その事実はマイの心を締め付けた。
「で、モニタリングしながらずっと見てたら、ウィークがもっとも繁殖スピードが速かった。死にやすい生物だったからだろうな、それで少しグロい話になるんだが……」
話しても大丈夫か? と言うアイコンタクトをマイに送る、が。マイも意を決してうなずく。
「その繁殖方法は、卵を近くの生物の表皮にくっつける、数十分で孵化した数十の幼体は、その生物を食べ物とみなし一気に喰らいだす」
「グロっ」
その情景を想像し、一瞬白目をむいて空中から落下しそうになるマイ。
先程交尾と思ってみたものは、一匹のウィークがもう一匹のウィークに卵を産みつけ、さらに他のウィークが精をかけていたのだ。
「でも、最弱の名は伊達じゃなくてな。その時はミニコボルトに虫床にしたんだけど怒り狂ってさ。その数十匹は殆ど殺されてたよ」
「結局、生き残りは少ないわけね」
「それに、ウィークは一度生殖をすると体力を使い切るらしく。半日ほど睡眠と食事に費やすんだ……」
「じゃあ、結局はすごい非効率的じゃない?」
「そうだ、何も管理せずに放置すれば、それこそウィークは全く増えないだろう。そこで……だ。実験の一環で、その薬類は魔物に利くのかって研究も平行してやってたんだ。そしたら、種族によっては何倍かに薄めた物でも十分な効果があってさ。これが利用できないかと考えた……で、試行錯誤の末、完成させたのがこの『瘴気発生部屋』だ」
マイは再びそのモニターを見る。
狂ったように蠢く虫の波が生理的な感情に訴え、再び胃酸が逆流しそうな熱い感覚が生まれる。
「ってことは、このウィークたちは」
「媚薬で超興奮状態だ、それに加え。餌を一切得られない空間に放り込んだから。生殖の後の体力をつけるためには共食いをしだす。虫床になるのもウィークしか居ないわけだから虫床からの強い反撃を食らう心配も無い。ウィーク達は今、共食いをするか、繁殖をするかしか行っていない。そのサイクルが薬によって乱されて異常になってるんだがな」
「これで……一応瘴気については何とかなるって訳ね……でも他の魔物は!? D通貨が足りないのは解消されないんじゃ――」
「D通貨還元の救済ルール」
マイの口があっと言うように開く。
そうだ、逆に今まで何故気付かなかったのか。自軍の魔物が自軍の魔物に殺されたときに得られる、雀の涙ほどのポイント。だがこの生と死が目まぐるしい勢いで反転するこのウィーク達が居れば。
望月はD通貨の画面に切り替える。その桁は既に元の金額を超えていた。
マイが驚きの声を上げるそばからその数値は徐々にだがに上がっている。
「なんとかD通貨還元のスピードの方が、俺たちがD通貨を消費するスピードより早そうだな」
「こ、こんなの異常よ。ゲームならバグとして取り上げられるレベルの裏技よ、これ……」
「ゲームなら裏技だが、これは現実だ、運営なんざ、いないんだからな」
そして望月は内心、もしかしたらこれは、あの『存在』が密かに残した、遊び心という奴かもしれない、と思っていた。
しかし、マイは裏技やバグという言葉を使った物の。この瘴気発生部屋自体。彼が『最初期設定期間』の大半を費やして研究や実験を重ねた結果、精巧なバランスによって成り立っているものだった。
本来のゲームなら存在しなかった媚薬の存在も大きい。さらに、媚薬の濃度がもう少し高ければ、ウィークが性欲のみに溺れ。共食いをする前に勝手に体力切れで死んでしまうし。低ければここまでの繁殖スピードにはならない。
ウィークの繁殖速度が、共食いをした時の死亡速度を下回ってしまった場合ウィークの数が増えることは無いから、その時間をきっちりと測定しなくては散布する媚薬の濃度が決定できないため。彼はずっと、マイが見えないところでウィークの共食いをする速度の平均とウィークの繁殖速度の平均を、何度も観測していた
彼が今、感情を揺るがせず瘴気発生部屋の様子を見れるのかといえば、それは既に、馴れてしまったからに他ならないのだ。
「なんにせよ、これで魔物不足、瘴気不足、D通貨不足は改善された。さて、後はダンジョン製作だなあ」
「……あと五日よ? 間に合うの?」
「あらかたの設計図は、もう既に作ってる。魔物と罠の配置、冒険者たちの探索ルートの予想、冒険者の強さによっての戦略パターンに合わせたものだ。安心しろ、設計図が出来ているなら……」
望月はスクリーンをダンジョン製作画面へと切り替え、周囲にいくつものサブホログラムウィンドを展開させる。
「微調整を含めて、あと十時間もかからねえよ……ってマイ?」
望月は顔を伏せて、どんよりと雲ってしまたマイの顔を覗き込む。飛び方にも覇気が無い。そしてやっとの思いで動かした口から漏れ出た言葉は。
「ごめんなさい」だった。
「……え? 何が?」
「ごめんなさい、あなたがそんなに大変な事を一人で頑張ってる間に、私は何もしてなくて……それなのに文句ばっかり言って」
「お、おい……」
「絶対辛いのに、絶対気持ち悪いのに、全然おくびにも出さないんだから……! 私に気を、使って……」
マイはその紅玉の如き瞳からポロポロと大粒の涙を流して、その唇をキュッと結んだ。
己のふがいなさが悔しかった。
諦めていた自分が恥ずかしかった。
女の子に目の前で泣かれるという状況に戸惑う望月だが、何かしてやらねばとその小さな体矩を気遣うように、両の手でそっと包み込んだ。
マイは羽ばたくのを止め、望月の掌の中でうずくまった。
「アキラばっかり、無茶しちゃ駄目だよ……私は、足を引っ張りたく無いよお」
「……けれどな、女の子にあの実験はさせらないし――」
「でも! それじゃあ私ばっかりアキラに助けられて! アキラもこの世界に飛ばされて状況は全く同じなのに!」
「……えーと、こういう時なんていうべきか分からないから。俺の思ってることをそのまま言うと、お前はちゃんと役に立ってくれてる」
「そんなこと、ないよ……」
望月はなんとも形容しがたい表情を浮かべる。
自分のことを、ちゃんと口に出して言うという行為に慣れていないからだ。
今までそんなことを、したことがなかったからだ。
「こっちの世界に飛ばされて、混乱した時、俺一人なら多分。結構初期で諦めてたよ。こんな実験してないだろうし。……マイが居たから。俺は難攻不落のダンジョンを造ろうと思ったんだ」
「そう、なの? なんで?」
「えー、と。うん。久しぶりに、現実で人と話したし、悪意を向けられず、俺を気遣ってくれる人は少なかったからな」
マイは寂しそうにそう話す望月を黙ってみていた。
いつもの望月からは想像も付かない、どっと疲れが表われた彼の顔には、哀愁と、遠い昔をいぶかしむ様な、そんな不思議で辛そうな表情が浮かんでいた。
「あと、マイがここまで愉快な奴じゃなけりゃ、俺も実験に耐えれなかったよ。だから……俺は、お前が居たから頑張れたんだ」
照れくさそうに笑う望月は、そう言って人差し指で繊細にマイの頭を撫でた。
「えー、うん。いつもありがとう」
マイはもう涙を流していなかったけれど、その言葉に目じりに堪った粒がツッと頬を伝った。
シリアスな空気が嫌だったのか、少し茶化すように苦笑しながらそう言った。
マイも頬を伝った涙を拭い、掌から立ち上がり、自分の羽で飛んだ。
「うん、もう泣かない……けど、私にも手伝える事があったら言ってね?」
「もちろん、まずこのダンジョンは造るが、完全じゃない。マイの意見や作戦も聞きたい。手伝ってくれ」
「わかった、私も、頑張る」
「それで掛かる時間は、まあ長くても四日ぐらいだろう。最終調整が終わった後に、二人でお疲れ様パーティぐらいしようぜ」
「……うん、ありがと、アキラ」
安全が保障された時間は過ぎていき。
現実との戦いは始まる。