切り札の資質……もう一人の生存者
陽気な気配を含んだ談笑が交わされる。口ずさまれるは喜びの歌だ。
広間に集まっている二、三十の人影の多くは楽しげな様子で来るべき時を待っていた。
それは、血気盛んで短気な気質の多い彼らには珍しいことのように思えた。この空間を満たす優雅な雰囲気がそれを可能にさせているのかもしれない。
天井から吊り下げられた巨大な照明器具はカッティングされたガラスと発光石が複雑かつ規則的に配列されることで構成されており、広間を魅惑的な光で満たし、尚且つそれ自身が結晶が群れを成す芸術品であった。
床には毛足の長い赤い絨毯が引かれ、固いブーツごしでも足の沈み込む感覚が心地よい。
一定の間隔を開けて設置されている白いクロスが掛けられた大きな丸テーブルの上には、琥珀色の酒と上等な食べ物が並べられていた。
まるで貴族が開く立食会のようだ。
しかし、部屋に置かれているものも、よく見れば立食会ではあり得ないような、巨大なベッドやソファがそこかしこに置かれており、酔いが回ればだらしなく身を横に出来る準備がしてある。
貴族にとっては社交の場であり、顔見世や交渉、貴族間での権力抗争の役割も担うような格式高いパーティではあり得ない設備だと分かる。それに、上等そうな琥珀色の酒が入った瓶に比べて、明らかに飲用アルコールとして格が劣るであろう大量のエール樽が広間の隅に積まれていた。これは変に高級な物よりも、身の丈に合った慣れているものの方がむしろ寛げるだろうとダンジョンマスターが画策したからである。
もうすでに短気な者が数人、主催者の言葉も待たずに酒を飲んでいるが、誰もが苦笑いを浮かべる程度でそれを咎めない。彼らはそういう性質なのだ。ドレスコードも礼儀も縁遠い者たちなのである。
一応の我慢をしている者も、そろそろ良いのではないかとうずうずと虚空を見つめている。主人に待ての合図を送られた犬のようだなと、その様子を見て密かにダンジョンマスターは思った。
下らないと心底思いつつ、しかし一度決めた己の作戦だからと、ダンジョンマスターは両人差し指を己の口の端をグイと上に押し上げ、慣れない笑顔を表情筋に覚え込ませる。
その後、頬を引っ張ったり離したりを繰り返し、軽く発声練習をし、深呼吸を三回してから……先ほどの凍てついた表情から一変、まるで慈悲深き賢王のような表情を作り上げて向こうの空間に映像と音声を繋げた。
「――やあ、ご機嫌麗しゅうってところだろうか? まあ、堅苦しい挨拶は飛ばして、皆、お疲れ様だ」
大広間の上方にでかでかとダンジョンマスターの姿がクローズアップで表示される。
気づいた者たちが短く「おおっ」と歓声を上げた。ダンジョンマスターの出現は、正式な宴の開催の合図だからである。
陽気な声色にのせ、ダンジョンマスターは大きく手を広げる。
「さあさあさあ、報告や連絡、気になる戦績などなどあるが! とりあえず、そういうのは置いておこう! これより! ダンジョンマスターの権限を持って、祝祭を始める!」
今まで雑談していた者も、ついぞさっきまでつまみ食いしていた者も、一旦その動作を止めて近くにある主瓶や樽ジョッキを引っ掴み天高く掲げる。
「では、今日も君たちの働きと、ダンジョン安全を祝し――」
乾杯、と合図とともに大きな歓声が湧き上がる。
もはや我慢の必要もないと、柄にもなく我慢をしていた者たちがテーブルの上に乗せられた酒に、肉に、魚に、パンに食らいつく。
その拍子に酒がこぼれようが、食べ物が落ちようが、その結果毛並みの良い絨毯が汚れようが全てお構いなしだ。酒を引掛けあい、汚れた顔を見てどちらともなく笑いあう。
素面ならば下らないと断ずるような事でも、酒と空気に呑まれて、皆が皆笑い声をあげる。
まるでこの世の春。
まさに楽園の御姿。
この様子を見て誰が考えられよう。
ここに居る者が皆、このダンジョンで殺された冒険者であり、現在ゾンビとなり同胞殺しを命じられている者たちであると――。
……ある程度腹が満たされ、良い具合に酔いが回り、食を離れ仲間との話に花を咲かせる者が増え、ベッドやソファ、絨毯に倒れ込む者が数人で始めたころに、子気味の良いベルの音が広間に響いた。
皆がまたもや上空へと目を見やる。するといつの間にかまたもやそこにはこのダンジョンの支配者が堂々たる姿で映っていた。
ダンジョンマスター――望月明の言葉を聞くべく、有情のゾンビたち――元冒険者たちは耳を澄ます。
「……さて、と。皆、今日の祝祭も楽しんでくれたようで、俺はとても嬉しい。何しろこのダンジョンは、君たちの働きによってもっているようなものだ。俺は君たちに報いるためならば、出来うる限りどんな願いも叶えたいと思っている。この宴もその一つだ――そうだな、今日この宴を楽しんでくれている者は、拍手の一つでもしてくれれば、それで俺は満足だ。どうだろう?」
望月の恐ろしく甘い言葉も、この広間の爛れた空気には良く似合う。元冒険者たちは自分の存在意義の重要さを説かれニヘラと笑って、一人、また一人と拍手をする。
拍手を拒む者もいたが、手を叩く者の数の方が多いようで、広間を拍手の音が木霊して、万雷の拍手となって望月を称えるような光景がいとも簡単に出来上がった。
しばらくその拍手を瞑目して聞いていた望月は、やおら目を開き、手を広げてから大きく二拍打った。
瞬間、広間は水を打ったように静まり返る。まるで優秀なコンダクターの元で演奏する管弦楽団のようだ。
「……ありがとう、俺は恵まれた同志を持てて誇らしく思う。初めのころは君たちにも無礼を働いたことだろう。許してほしい。本当に無知だったと今は心から恥じている」
「へっ、マスターも、ちったぁ変てこな訛りが抜けて来たじゃねえか! ダンジョンマスターとして、なかなか様になってきたぜ!」
元冒険者のうちの一人が声をあげる。敬いも何もない粗暴な言葉づかいで、事実一切の遠慮もせずに望月に向かって軽口を叩く。
望月はその冒険者の方を一瞥し、嫌な顔一つ見せずニコリと笑って見せた。
「手厳しいことを言ってくれるな、ビスク。あの時は本当に、大変だったんだ。しかし、君の太刀術もここに来る以前より大分進化したと思うよ。その態度は変わりそうもないけれど」
ビスク、と名を呼ばれた元冒険者は得意げに鼻の下をこする。ダンジョンマスターが己の戦闘スタイルを覚えていたことと、軽口を返してくれるほどには友好的だということで、どこかこそばゆい感覚なのだろう。
しかし、実際のところ望月にとって彼は集団の中の一人に過ぎず、名前や特徴は全員分を丸暗記しているだけで、望月の心は何も動いていない。
おべんちゃらはこの程度で良いか――そう判断した望月はプログラムを進めていく。
「ではそろそろ、今回の戦績発表とそれに伴う報酬の振り分け行う。皆、心して聞くように。これは、この地下で存在していく上で最も重要なものだということは、初めの挨拶のときに言ってあるはずだ」
どこから現れたのか、広間の隅からわらわらとミニコボルトが這い出し、それぞれが担当している元冒険者の元へと駆けていき、指定された書類を渡す。
そこには、期間内に討伐した冒険者の数などが掛かれた各種の詳細戦績と共に、大きな文字で、その働きに相当する分の『D通貨』が記されていた。
その数値の差に元冒険者たちは一喜一憂する。憂いと言ってもその数値に大きな不満があるわけではなく、どちらかと言えばもっと頑張らなければと奮起しているように見える。
「さて、報酬の確認は出来たかな? ……それは君たちがこのダンジョンで生きていく上で、俺に貢献してくれた分を精査して渡している。先ほど君たちの願いは何でも叶えたいと言ったが、俺もそこまで懐に余裕があるわけではないのでね。どうしても公平に君たちの願いを満たすためには、こういう風に実力主義に、よく戦ってくれた者を優遇する形になってしまうんだよ。そこは許してほしい」
許してほしい、と口先では言いつつも、そこに詫びる気持ちは一切入ってなさそうだ。もっとも、元冒険者たちは手者と対価報酬で得た『D通貨』を何で使うか考えていたり、明細を読み込んでいたりと、あまり望月の方に意識は向けていないのでそれほど問題ではなかった。
「君たちがこのダンジョンの力になろうという意思を何らかの形で見せてくれれば、最低限人間らしい生活を送れるような『D通貨』は与えているつもりだ。質素でありながら衣食住は満たすことができるだろう。それに加えて冒険者の戦闘、討伐でさらに上乗せしていく。その他にも、何らかの形でダンジョンに貢献していると俺が判断した者には賞与も与えている。『D通貨』を使えば、君たちはいわゆる贅沢をすることを許されるというわけだ。食事のグレードを上げたり、個室を自分好みに趣向を凝らすこともできる。自分の戦闘力を上げて『D通貨』をさらに得たいと思う者は自分のステータスのアップや武器防具の新調なども、全ては『D通貨』をもってして行われる。すなわち『D通貨』は君たちがこのダンジョンにおいて自由を広げるために必要なものというわけだ……これが、俺と君たちを繋ぐシステムだよ」
通貨を利用した疑似的な小規模社会の形成。それが望月の行った有情のゾンビの管理方法だった。『D通過』は本来、ダンジョンマスターがダンジョンコアで何かしらを行うために消費する以外には使えない数値だが、それを有情のゾンビにも報酬として擬似的に与えることにより、雇用主と雇われ人のような関係を結んだのである。
それは、ギルドマスターと冒険者の関係に似る部分があった。それ故受け入れやすいのかもしれない。
とりあえず、元冒険者たちの緩んだ表情を見る限り、ある程度成功はしているようだ。しかし一部、苦虫を噛み潰したような表情をする者もいる。彼らにとってみれば不思議なのだろう。何故自分を殺した勢力相手にそうやって支配されて平気な顔をしていられるのか。
「よし、それではお待ちかね。今回の戦績発表と行こうか。君たちは死んでも冒険者の血が流れる者たちだ。誰が強いか、誰が弱いかは気になるところだろう。全員の名を読み上げたいところだが……今回は時間が押しているようだな。君たちも上司の顔など見ずにさっさと上手い酒と飯に向き直りたいだろう。簡単にベストとワーストの発表と行こうか」
広間の明かりが落とされ、どこからか戯曲めいたドラムロールが響く。
望月はおもむろに手元にある書類を取り上げ、目を細めてその名を読み上げる。
「討伐数、戦闘数、共に一位……やはり地下においてもその強さは健在と言うべきか。前回に続き、今回も戦績第一位! 元『龍狩』! アカネ=マーガロッド!」
ダン! というドラムロールの終焉と共にアカネに向けてスポットが灯される。
冒険者らしいラフな格好が多い中で、アカネだけはその赤い髪を上品に結い上げ、漆黒に近い妖艶な紫色の薄布を裸体に巻き付けたような露出度の高いドレスを纏っていた。スポットを浴びていることに気付いた彼女は手にしているグラスを近くのテーブルに置き。ダンジョンマスターの称賛に応えるように手を掲げた。
それに伴い、拍手と指笛がそこかしこで湧き上がった。
「彼女はまさに、このダンジョン内において最強の戦闘員だと言って良い。俺の理想を体現してくれている者だ。皆も彼女を目指して切磋琢磨するように……ああ、あとアカネ」
ここで言葉を切り、望月は視線をアカネに向け、彼女だけに向けてメッセージを送った。
「後で俺の部屋に来るように、特別に、褒美を取らそう」
広間にいる大勢はその言葉で「さすがはアカネだ」とか、「羨ましい、私も頑張らないと……」と言葉を漏らしているが、アカネだけは違った感動を得ていた。褒美とは言葉のままの意味ではない、あくまでもアカネにとってのご褒美というわけで……大勢を前にしての言葉だったので分かりにくかったが、望月の口元が一瞬、加虐の笑みに歪んだのをアカネは見逃さなかったのだ。それに気づいたアカネは凛々しい顔を崩し、蕩けた瞳で望月を見つめ、熱い吐息を漏らした。
「さて、続いてはワーストの発表だ。討伐数ゼロ、戦闘も避け、むしろ冒険者の幇助をすることの方が多いと聞く……これも前回に引き続き戦績最下位だな。何の因果か、彼も元『龍狩』だ……なあ、キーロ=エドガー」
スポットはアカネからキーロへと移し替えられる。しかし周りは何も声を上げない。ひそひそとした声は耳を澄ませば聞こえてくるが、それでも広間は冷たい静寂に満たされた。
キーロは目を瞑り、口を真一文字に結んで、その空気を黙って受け入れていた。
「……何か言いたいことはあるかな?」
何か喚けばむしろ好都合なんだが――と考えた望月は、キーロに言葉を求める。
キーロはそれを受けて、ゆっくりと口を開いた。
「何も、何もない――」
望月は内心舌打ちする。キーロがもしも何か反論をしてくるのならば、望月はそれを言いくるめて、キーロが間違っており自分が正しいのだと周りに誤認させる流れを作れたかもしれないが、彼はそもそも論争をしないという道を選んだ。筋骨隆々であり獣のような鋭い目つきをしたその風貌に似合わず、非常に自制が効き、相当に聡い男のようだ。
これ以上は逆効果かと、望月はキーロを責める姿勢を止め、むしろ優しく声をかける。アプローチを変えることにしたのだ。
「俺は、君を弾劾するつもりはない……俺は本当に悪いと思っているんだ。君たちから、日常を奪ってしまったことを」
「…………」
キーロは表情を変えず、相変わらず目も開けずに、しかし注意深く望月の言葉を聞く。
「出来る限り補填しよう。出来る限り詫びよう。だが、俺も必死なんだ。君のように、力を持ちながらそれを腐らせておくのは非情にもったいないことだとは思わないか? 君の力ならすぐに戦績上位に食い込めるだろう。今のような寝具も揃っていないような個室に籠る生活から抜けることが出来るんだ」
……俺の言うことに従いたくないと言う気持ちは分かるが、
「だがなキーロ。全ては順応なんだぜ? 君が意地を張ったところで、何もならない……身の振り方を、今からでも考えておいてくれ」
しかし、キーロは無言を崩さない。
呆れた、といった表情を浮かべて、望月は一拍手を鳴らす。
途端、広間に明かりが戻った。
「……さて、少し空気を悪くしてしまったかな。申し訳ない。では、俺はこの当たりでお暇させてもらうとしよう。引き続き宴の方は続けてくれ。片づけなども気にする必要はない。後は気がすんだら個室に戻ってゆっくり休んでくれ。得た『D通貨』で何か欲しいものがあれば、担当のミニコボルトにリストを渡して俺に届けるよう命令するように、俺に連絡があるものも同様にミニコボルトにメッセージを渡してくれ。それでは、良い時間を……」
そう言い残して、望月は広間との回線を切った。
広間には、ダンジョンに味方する勢力と、敵対する勢力との間に、微妙に不穏な空気が漂っていた。
***
「……さて、どうしたものか」
望月は小さくため息をつく。背もたれに大きくもたれかかり、顔を両の手で覆っている。これからのことについて悩んでいるのか、それとも表情筋が吊ったのか、その両方か……。
ダンジョンの最下層に作られた有情のゾンビたちの居住空間。その中心には大広間を作り、一定の間隔でこのような会を開くようにしている。それは分かりやすく有情のゾンビたちに対して、贅沢の魅力を思い出させるわけであるが、やはり未だ完全に掌握は出来ておらず、望月に対して敵対心を残す実力者が数人程度残っている。彼らを片付けるのは簡単であるが、出来うる限り戦力は減らしたくないのでどうしたものかと頭を悩ませていたのだ。
ちらりと手元の時計を見る。アカネが指定した部屋を訪れるのはまだ時間があるだろう。それに彼女を待つ必要もない。むしろ数時間くらい待たせても彼女は嬉々としてその粗雑な扱いを受け入れるだろう。
キャラを演じるのは何度やっても慣れないようで、望月はそのまま部屋の角にある花柄のベッドに倒れ込む。
ダンジョン最奥の部屋にしては、何度見てもこの部屋はファンシーだなと望月は内心クスリと笑った。
部屋の中心に初期からある古びた木の机と椅子、その上に浮かぶ真っ赤なダンジョンコアは異質だが、それ以外の家具はどこか丸みを帯びた可愛らしいもので統一されており、タンスに本棚にベッドにスタンドライトと生活感に溢れ、少なくとも異世界でダンジョンを管理する仕事をする部屋には見えない。背景にそういった物が映らないよう配慮していたとはいえ、さきほどまでこの部屋の中心に座ってあんな大仰な演技をしていたかと思うと吹き出してしまいそうになる。本当に年頃の娘の部屋のようで望月にはそれがどうもくすぐったく感じてしまう。
しかし、まあ。
この部屋が彼女の好みだと思うと、そんなこともなく、むしろ彼女の影を感じ安らげるのだが、
「ま、そんなことまで言う必要はないわな」
この部屋に不満はない。それだけで十分だった。
望月は目を閉じる。ダンジョンマスターと言う種族である彼には睡眠の必要もなければ、睡眠という行為をとることも出来ないが、それでもいくらかの疲れは抜けていくように感じる。
「……マイ」
「なぁに? どうしたのアキラ」
ぼそりと呟いた彼女の名前を、本人に聞かれた。
いつの間に近くによっていたのかとガバッと面を上げて彼女を凝視する。
悪戯っぽい笑みを浮かべて、マイは望月のベッドに寝転がっていた。
と、言っても彼女の種族はダンジョンピクシーなので、ベッドに寝転がろうと艶っぽさよりも、生まれたばかりの子猫がベッドに乗っているような可愛らしさや、潰してしまわないかと言うような危うさがあるのだが……。
「お疲れ様、アキラ」
悪戯っぽい笑みから一転、純粋無垢な笑みで望月を労うマイに、望月は残りの疲れが全て吹き飛んだ気分だった。
「……ありがとう、マイ」
「お礼をいう事なんて何もないでしょ、むしろ私が四六時中アキラにお礼を言わないといけないくらいなのにさ。いつもダンジョンの管理ありがとう、とか。今日も無事に過ごせたしありがとう、みたいな。でもそれじゃあ日常生活に支障をきたすから言ってないだけなのよ?」
「そんなものか?」
「そんなものよ。それなら、これからは付けてあげましょうか? サー!イエスサー! みたいな感じで。ありがとう! コーヒー出来たよーありがとう! みたいな感じで」
「いやそれ、ありがとうの価値薄くなってると思う……意味が通ってないし」
「そだね」
えへへと笑って、白い髪を掻くマイ。
「でも、ありがとうって思ってるのは本当なんだよ」
照れながらも、真っすぐにそんなことを言ってくる彼女は、望月にとっては本当にありがたい存在だった。
彼女に四六時中ありがとうと言いたい程度には。
「さっきまでは、あれだよね? ゾンビさんたちと話してたんだよね」
「ゾンビさんて」
どこに敬称をつけているんだとツッコミたくなったが、まあ、それも彼女のキャラである。
飾らないキャラクターである。
「そうだな、出来るだけ彼らと友好的な関係を築きたいのは本心だし。仲良くやっていくには会話も必要だろう……心配しなくても、彼らにそれほど酷いことは強いてないよ」
同胞殺しを除けばな、と心の中で付け加える。
しかし、その言葉にマイはほっと胸を撫で下ろしたようだった。
近頃、仕事をするときにマイに席をはずしてもらうことが多くなっていた。なので、望月が管理するダンジョンについてマイが知らないことが増えてきたのだ。
得にマイはアンデット関連について、それほど耐性があるわけではないようなので、有情のゾンビであるとは言え死者には変わりなく、アンデットの群れと言うのは、望月としてもマイにあまり見せたいものではなかった。
今日の仕事こそ、この部屋でやっていたが、最近はダンジョンコアを持って仕事用の部屋でダンジョンを弄ることも多くなっていた。最初期はダンジョン関連の仕事は全て一緒にやっていたので、その変化は両者にとって少し寂しい出来事だった。
だが、それも仕方のないことと言える。
望月が非人道的なアイデアを思いつく時、隣にマイが居ればそれを戸惑ってしまう。
いつも通りの生活を送る部屋で人を殺す算段を立てているのも、この場を汚しているようで気が引けるようになった。
そうなれば、生活と仕事を切り分けるしかない。
人外としてダンジョンの全てを望月が引き受け、人間としての生活の全てをマイがこなす。
そうすることで、今のところバランスが上手くとれていた。
マイも寂しさは感じるも、そのバランスを崩してまで我儘は言うまいと決めていた。望月のふと見せる影のある表情を見るたびに、自分には見せないような辛い仕事をしているのだと分かるときはあるが、だからといって自分がでしゃばる部分ではないと弁えている。
何しろ、望月がそういったことを請け負ってくれているからこそ、自分は平穏な生を送れているのだ。
ならば自分に出来ることは何か。考えれば、望月が帰ってくる場所を作ることだった。
どれだけ非人道的なことをしても、人間らしさを忘れてしまいそうになっても、そこに帰れば癒される、人間らしさを取り戻すことが出来る。そう言った時間と空間を作ることこそが、自分に出来る事なのだと考えて、マイは望月にとって帰ってくる時の旗印になろうと決めたのだ。
「そう、良かった……ゾンビさんもだけど、望月もそれほど辛いわけではないのね?」
「すごく辛い。助けて」
「急転直下! 何があったの!?」
「いや、もう表情がさ……凄いにこやかにしてるから、キャラじゃなさ過ぎて」
「え、凄いにこやか? アキラが? うっそだー……」
「酷くない?」
「悪そうな笑みは何回か見たけど、にこやかな笑みは見たことないもん……あ、やろうとしなくていいよ。そんな顔の筋肉を両手でミョンミョンしてまで私にそのにこやかさを見せようとしなくていいから! いつもの気だるげな感じで充分だから!」
「そうか?」
「そうよ」
いつものままのアキラが一番だよ、と言い。マイはにこやかな笑みを浮かべた。
「……キャラは作らなきゃダメなの?」
「この状態で出て行っても、確実になめられるからな。そうなれば終わりだ」
――なめてる奴らを皆殺しにして恐怖政治をしないと、威厳を保てなくなる。それだと戦力が大幅に削られる。
という言葉は寸でのところで飲み込んで、
「それなりに気さくで、かつ底の見えない上司役っていうのかな。そういったキャラで通した方が、冒険者だった奴らにゃ丁度いい。どうやら俺はアカネ……あの時の赤髪だけど、地上だとかなり強い冒険者だったらしい。それでどうやら俺はゾンビたちに、あいつと戦って勝ったと思われているようでな。なんだかんだ、強い奴らには従うっていう本能が普通の奴より強い人種なんだろう、冒険者ってのは」
と言った。
「赤髪……あの人は、大丈夫なの?」
「大丈夫。上手くやってるよ……けど今はそれよりも、今は優先する仕事があるしな」
あの発狂を見ているマイにとって、アカネの話題を出すべきではなかったなと話を逸らす望月。
「優先する仕事? それって私が訊いてもいいもの?」
踏み込んで良いラインなのか確認するマイ。望月は話すものかどうか数瞬考え、口を開いた。
「なあ、マイ。今の生活には満足しているか?」
「え、うん。こうやってアキラと楽しく出来てるし。お料理もできるし、本も読めるし。それに、私はここがダンジョンだって思えないくらいに、安心して暮らせてるわ……アキラのお陰でね」
きっと、自分が安らいでいる間にも、ダンジョンには冒険者が潜っていて、望月がその相手をしていることは分かっているが、それでも直面した危機と言うものには出会っていない。
故に、マイにとっては今の生活が続くものだと、なんとなく思ってしまっている節がある。
「今のダンジョンのレベルは……そうだな、この前の『四剣』……だったかを倒したあたりでレベル3になった。ダンジョンの階層はレベル足す一の値になるから、今の階層は四階層。さらにダンジョンの初期位置を『不明の遺跡』にしたことにより地質の良さや立地の条件から一般的なダンジョンの三倍ほどの広さを誇るこのダンジョンは、単純計算で十二階層分の広さを有してるわけになる」
「……そうね。その通りよ。だから、ある程度は安心して――」
「安心するには、ほど遠いんだ」
珍しく、マイの言葉を切って望月が険しい声を出した。
「このダンジョンの基本戦略は、物量重視だ。かなりの加速度で湧き続ける『D通貨』を利用しての物量戦法。だけれども、多分いつしか通用しなくなっていくだろう。この世界が『ダンジョン・クロス・オンライン』と同じ世界観というのなら、設定上は何人もいるはずなんだよ……十数階層のダンジョンなら難なく攻略するような化け物が」
もしも現実とゲームの差異の一つとして、懸念部分にリアル補正が入り、ゲームの時ほどの強さはなくなっているという可能性もあるが、そう楽観視もしていられない。
魔法という存在が許される時点で、そんなものは望めない。となれば、現実世界ではあり得ないような、兵器にも匹敵するような戦闘能力が、この世界では一個人に宿りうるということだ。
『存在』の言葉が確かなら、この世界は『ダンジョン・クロス・オンライン』を前身としたゲームが元になっている。冒険者の使う魔法や、この世界の書物、そしてダンジョンコアのシステムから世界観の共有はほとんど確実である。
『ダンジョン・クロス・オンライン』はオンラインゲームなので、基本的にはプレイヤーVSプレイヤーを目的として作られたものであるが、だからといってその世界と物語がプレイヤーだけで構成されているわけでない。もとよりその世界に存在するキャラとして、NPCが多数存在し、その中には伝説と呼ばれるようなキャラクターもいたのだ。『ダンジョン・クロス・オンライン』の特色として、冒険者陣営とダンジョン陣営の二種類のロールを選ぶことが出来るのだが、冒険者陣営でプレイしている者にとってはそういったキャラクターは頼りになる味方となるが、ダンジョン陣営からしてみれば死神的な存在となるわけであり、キャラクターを味方としての場合と敵としての場合で二面的に見れるのも『ダンジョン・クロス・オンライン』の人気の一つとしてあったのだろう。
さて、となれば『ダンジョン・クロス・オンライン』の続編的な意味合いを含めた、この世界ならばどうであろうか。
全く同じキャラクターが出てくることはないかもしれないが、そのポジションを引き継ぐキャラクターは用意されているだろう。
つまり、今まで戦ってきた『龍狩』や『四剣』とは比べ物にならない強さの冒険者が、この先出てくる可能性は大いにありうるのだ。
そしてそれは、ダンジョンの脅威が増していくことによって目を付けられる可能性が高くなっていく。ダンジョンのレベルを上げるために多くの冒険者を引き込まねばならないが、それによってそういったジョーカー的なキャラクターを引き当ててしまえば一瞬でゲームオーバーだ。
そのジョーカーを呼び込む頃には、ジョーカーを超えるほどの力を蓄えておかなければならない。
このダンジョンには物量戦法がある。それに有情のゾンビも多く制作し、一個体の戦力もある程度高まり、騙し討ちなどの細かな戦法も広がった。
だが、それでもまだ圧倒的に、このダンジョンには火力が足りなかった。
アカネでもアサギでもまだ足りない。
ジョーカーが来訪した時に、それを押し潰せるだけの最大火力を持つ個体が足りていないのだ。
「……強い魔物が必要だ。有情のゾンビにも限界がある。何か、切り札が必要だ。それも望めるのならば複数枚欲しいところだが、俺達には今のところそれがほとんどない。今の時点での自衛の最終手段は瘴気発生部屋の開放だな。ウィークの海に相手を沈めて倒すわけだけど、これも物量作戦に変わりはないし、攻略法が無いわけじゃない。上位の冒険者が訪れた時には対処される可能性が高いんだ」
「なるほどね……」
マイも頭を捻る。こういった頭脳労働に関しては、望月はマイの助けを借りることが実は多い。
「……確か、このダンジョンにいる魔物たちって、ほとんどがアキラの命令プログラム通りに動いてるわよね。確かにそれは効率は良いかもしれないけれど、それがもしかしたら魔物の進化を阻害しているのかもね」
「……魔物の進化条件、か。一応その手の実験はしてはいるが……なるほど、それも限られた実験室の中だけで行われているものだしな、ダンジョン内で起こりうる生態系の発生は、確かに阻害しているかもしれん……それは冒険者が来た時も、魔物を故意に動かさないってことか?」
「余程のことが無い限りね。冒険者も生態系の一部と考えて、自然淘汰に任せてみるって感じかしら。短期的に見れば非効率的かもしれないけれど、長期的に見れば強い魔物が成長する可能性は大いにあるんじゃない?」
「……俺も全ての魔物に個体番号を振れているわけでもないしな。いや、ありがとう。かなり参考になった。一度それを試してみよう。それにその提案は、俺がこれからする仕事と相性が良い」
「そうなの?」
「ああ、まあな……なあ、マイ。その魔物の生態系って話にも関係するけれどさ。いまから俺がしようとしている仕事って、かなりリスクの高いものなんだよ。時間もコストも掛かるし、その上ではっきりと成果が出るかは分からない。分の悪い賭けみたいなものなんだ」
マイは望月の言葉を促すように、黙って望月の言葉を聞く。
「もしも失敗したら損害がかなり出る。最悪の場合、寝首をかかれるかも知れない……マイに危険が及ぶ可能性だってある……俺は、この仕事をするべきかどうか迷っているん――」
「阿呆」
迷っているんだ、という言葉を吐きかけるその前に、今度はマイが望月の言葉を切った。
これも、最近では珍しいことだった。それもこんな辛辣な言葉が出るとは望月も予想外だったようで、少しの間口をぽかんと開けたままになった。
「まったく、色んなキャラクターを演じすぎちゃって、自分のキャラクターを忘れちゃったのかしら? 困ったものだわ、このお人は」
「いや、マイこそキャラがぶれてないか?」
どこのお嬢様だと言いたくなる。確かにその言葉使いは何故かひどく似合ってはいるが、キャラのぶれた奴にキャラがぶれているとは言われたくない。
マイは肩を竦めて、それこそ呆れるように言った。
「先の事を考えるようなキャラじゃないでしょ。アキラはさ――命の危険が目の前にあっても、絶望的だって思われた状況でも、悩むことがめんどくさいなんて超絶理論展開して、さっさと前に進んじゃう奴だったでしょ」
「……だけど、このダンジョンの問題は俺だけの問題じゃない。俺は、マイのためにも絶対死ねない。慎重になりたくなるのも当然だろう」
「そうね、私の為って言ってくれるのは、素直に嬉しいわ。分かりにくいけど、アキラって本当に優しいわよね。私のことを気遣ってくれる……でもね? アキラが私を気遣う以上に、私はアキラを信頼してるから」
「信頼、か」
えらく自分とは縁遠い言葉だと苦笑する望月。
「でもね、この信頼は『きっとアキラなら成功できるって信じてるよ』って意味の信頼じゃないのよ」
「?」
「『アキラが選んだことならどうなっても納得できる』って意味の信頼。たとえ失敗しても、間違っていても、非道でも悪めいていても、それでも付いていくよって意味の信頼」
――それくらいの心意気がなけりゃ、一蓮托生なんて自称できないわよ。
そういってマイは悪戯っぽい笑顔ではにかんだ。
「…………はっ」
つられて望月も、乾いた笑いをこぼす。
それはマイが見慣れた、望月のあくどい笑みだった。
「……マイにここまで心配されるとは、俺も大分弱ってたみたいだな。まったく、なんということだ。ここまで落ちぶれていたとは。あー最悪だ。俺の強キャラ感も地に落ちたな」
「いや、元からアキラにそんな強キャラ感はないけどね」
「……まあ、そうだな。俺は必死に足掻いてるほうがお似合いだ」
「うん、そっちの方が格好いいよ」
マイのその言葉は、下手をすれば信頼云々の激励よりも響く言葉だった。
やはり自分の脳味噌は予想以上に単純なようだと望月は自分自身に呆れてしまう。
本来、何かを悩むキャパシティさえも持っていないのだから、とりあえず行動あるのみだという初志を思い出す。
久しく、悩むのがめんどうくさいという感覚を覚える。
頭の中が少し軽くなった気がした。
「マイ、本当だな?」
「何が?」
望月がベッドから起き上がり、部屋を出ようとドアノブに手を掛けたところで問いかけた。
「俺が失敗しても、間違っても、非道でも悪めいていても、それでも付いてきてくれるかっていうのが、本当かどうかってことだ」
「当然、一蓮托生、運命共同体が今の私たちでしょ」
「分かった……」
その言葉を聞いて安心したのか、ほっと息をつき、ドアを閉める……、
「後悔するなよ」
閉まりかけたドアの隙間から、どこか冷たく、だけれどもおもしろがっている風な声が漏れた。
望月の口元が、まるで新月間際の月のように弧を描いたのはおそらく幻視ではない。
その凄惨な笑みを見て、マイは思わず額に冷や汗をかいた。
「……激励しすぎちゃったかな」
そんな言葉は、ファンシーな部屋の壁に溶けていった。
***
ダンジョンの通路に、望月の足音だけが木霊する。
遺跡の色の濃いダンジョンなので、まるで遺跡発掘をしているように感じるが、この遺跡の所有者がいまは自分なのだと思うと、望月はどこか不思議な気分になる。
ダンジョンの最下層は、大部分が望月の為の実験場や、有情のゾンビたちの居住空間で占められている。有情のゾンビの居住空間は、望月やマイの生活空間と直接は繋がっていないので謀反を起こされて内からダンジョンコアが破壊される心配は少ない。
しかし、今回望月が行おうとしている仕事は、最悪内側からこのダンジョンを崩される可能性があるのだ。
望月はある部屋の前で立ち止まる。手に持ったいくつもの鍵が収められたキーホルダーから数本を探し出し、錠前を外していく。
部屋を開けると、そこはまさしく独房だった。扉を開けるまでは一切の暗闇だったのだろう。望月が扉を開けたことによって初めて一筋の光がその独房内に差し込む。
その光に照らされた少女。未だ眠っているのか、反応は見られない。
望月は先ほど大言を吐いたものの、彼女を制御できるかどうか、やはり確定は得られずに、これからの苦労を想像して頬を掻く。
彼女が切り札になりうるのか、それとも己を滅ぼす爆弾になりうるのか。
短く切り揃えられた薄緑の髪に、小柄な体躯。美少女であることは確かだが、全身の傷が見るものに痛ましさを覚えさせる。
こんなイレギュラーなことをしても良いのか。そんな疑念は沸きつつも、思い返せば今までもずっとイレギュラーなことばかりしている。そう考えると笑うしかない。
悪い笑みで、賭けに踏み込むしかない。
独房には、先日このダンジョンに侵入した『四剣』のメンバー。ミント=ペッパーが幾重もの鎖に繋がれていた。
深い昏睡状態ではあるものの、彼女は殺されることなく、このダンジョンの最深部で生きていた。
更新時期宣誓からの二回目でやらかしてしまいました。
主人公約一年ぶり、今年初めての登場です。




